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幸福の人

作者: 緑木 琥珀

あの子はいつも笑っている。


「ねぇ、何で笑ってるの」

「楽しいから笑ってるの」


嘘つけ。

あなたの家は国で一番貧乏で、ご飯だって満足に食べられない。着ている服だって私のと違ってぼろぼろでとても汚い。川で体を洗っているから、あなたの肋骨が浮いているのはみんな知ってる。


「生きていても辛いだけじゃないの?あなたみたいなのは」

「そんなことないよ」


そう言ってまた笑う。その笑顔は静かで、なぜだかとても温かい。


「私が生まれてきた事には、なにか理由があるはずなんだ。まだその使命はわからないけれど、私はなにかをするために生まれてきたんだ。それに、私はこうして生きていける。それだけで幸せだよ」


私にはあの子の言うことがわからない。

だって、幸せっていうのは満たされているっていうことでしょう。綺麗なお洋服を着て、髪はいつでも綺麗に巻いて。美味しいものを食べて豪華な家に住むことでしょう。

神様からの使命なんて、幸せに生きることで達せられることでしょう。偉業を成し遂げられるのは、限られた才能ある人だけなのだから。私の父のように。


「変なの」


私はそう言い捨てて家へ帰る道を歩いていく。

すれ違う大人たちはみんな疲れた顔をして、くたびれた様子で歩いている。あの子よりもいい服を着て、清潔そうな身なりでレンガ造りの家へ帰っていく。

それを見ていると、なんだか大人たちがあの子よりも辛そうに見えてくる。あの子の持っていないものをすべて持っている人たちが、どうしてあの子よりも可哀想に見えるんだろう。私は不思議に思って首をかしげる。あの大人たちは、絶対にあの子よりも満たされているはずなのに。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


わたしには家というものがありません。お母さんとお父さんと一緒に公園のすみにテントを張って暮らしています。不自由はしていません。確かに、ご飯が食べられないときもあるけれど、わたしはお母さんとお父さんと一緒にいられるだけでしあわせです。


「ねぇ、何で笑ってるの」


きょう、国でいちばんのお金持ちの家の子が公園にきて私にそう言いました。だからわたしは笑って答えました。


「楽しいから笑ってるの」


そうしたら、その子は「変なの」と言ってかえってしまいました。わたしには理由はわからなかったけれど、きっとわたしの何かがわるかったからあの子はおこってしまったのです。何がわるかったのか考えながらテントにもどろうとすると、むこうの方から小石がとんできてわたしの頭に当たりました。

わたしはそのしょうげきに、思わずころんでしまいました。小石のとんできた方を見ると、何人かの男の子がわたしをゆびさして笑っていました。

わたしは頭がいたくて泣きそうでした。でも、泣きませんでした。わたしはがんばって笑います。



だって、幸せな人はいつも笑っているから、笑っていればわたしも幸せなはずなのです。



どんなに辛くても、くるしくても、わたしは笑っていないといけないのです。そうじゃないと、お母さんとお父さんがかなしみます。笑って「平気だよ」って言ってあげないと、二人とも心配します。わたしは二人に心配をかけたくないので、いつでも笑っているようにします。わたしが何も言わなければ、だれも悲しまなくてすむのです。


それに、この国には楽しいことやおもしろいことがたくさんあります。りっぱな家に住んでいる子たちは知らないような、とてもきれいなものだってたくさん。

国はずれの石垣をおおうように生えているツタをみんないやがりますが、あれはとてもおいしいキイチゴのなるツタです。

みんな冬をいやがりますが、冬の夜空はとてもきれいに星がまたたいているのが見えるのです。

日が上り始めた朝いちばんには、草花がしずくをまとってキラキラかがやく宝石のように光ります。

どれもわたし以外の子は知らないことです。

みんなが言うようなおもちゃも絵本もわたしはほしくありません。そんなのがなくたって、身近にすてきなことがあるのです。


だからわたしは笑います。

きれいな世界に向けて、「すてきなけしきをありがとう」とほほえみかけます。


しあわせであるために。


しあわせを感じるために。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「それで、君は何が言いたいのかね?」


「本当の幸せとは、一体何なのでしょう。巨万の富を手に入れることでしょうか、何も持たずとも希望を捨てないことでしょうか。

我々は長年それを考えていました。人類にとっての最大幸福とは、一体何なのか。今回お見せした二人の少女はただの一例に過ぎません。これ以外にも様々なシチュエーションを試しました。

経済的貧困と精神的貧困は必ずしも一致するわけではないと、この例から知ることができます。

先に示した『金持ちの子』は経済的安定から精神的にも安定していると思われますが、与えられることを享受することしか知らず何かをする前に諦めてしまいがちな『非認知能力の低下』の疑いがあります。一方で、次に示した『貧困層の子』は経済的安定は無いながらも精神的には前者よりも寛容で素晴らしい安定を見せています」


「この二人は同い年かね?」


「はい。ただ、後者につきましては教育機関に通っていないため学力は前者との間にかなりの差があります。経済的貧困に伴う教育格差というのは、この国の未来を考える上で避けては通れない問題です」


「なるほど。......君はこの研究結果から何を言いたいのか。ただ徒に数百枚もの紙を無駄にしたわけではないだろう」


「ええ。それは勿論。我々が言いたいことは簡潔に言えばひとつ。この国の国民は『少なくとも幸せではない』ということです」


「ほう」


「ほとんどの者は己の幸せのために働きます。ですが彼らは幸せを得るための手段として『金貨』しか考え付かないようなのです。それ以外にも幸せを得る手段は沢山あるというのに。これでは幸せの価値が『金額』にすり替えられてしまう。そうなってはお仕舞いだと思いませんか?幸せを得る過程で疲弊して命を削るのでは本末転倒です」


「では、何が本当の『幸せ』なのか」


「それはまだ、研究中です」


「質問を変えよう。君にとっての『幸せ』とは?」


「我々にとっての幸せ、ですか。それは勿論、この研究を完成させて世に『本当の幸せ』を提示することです」


不確かな定義の話

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