「宇宙の眠り姫 ~前篇~」
◇◇ 宇宙の眠り姫 ~前篇~ ◇◇
俺がその噂を耳にしたのは、日本が春という季節を迎えた頃だったと思う。
思う、というのは俺はその時、日本の遥か上空36000kmの宇宙に浮かぶスペースデブリ回収船の中にいたからだ。
宇宙開発の進歩と共に地球の衛星軌道上を周回し続ける宇宙ゴミ(スペースデブリ)は年々増え続け、デブリの密度が限界値を超えたため人工衛星やSVとの衝突、果ては宇宙ステーションとの接触事故が急増、今や船外活動での死亡事故原因の第一位になっていた。
おかげで俺たちのようなデブリ回収業者(許可証を持っていようがモグリだろうが)は、有難く儲けさせていただいている昨今なのだ。
今日もデブリと衝突して航行不能になり打ち捨てられていた小型ビークルと老朽化してお役御免になった人工衛星を回収して廃棄物処理ステーションに向かっているところだった。
「眠り姫 ?」
「せや、聞いたことあらへん ? なんやごっつう綺麗なご遺体らしいで。それが不思議なことに、なんぼプロペラ付けて飛ばしても戻って来よるんやて。その「眠り姫」の入った棺が、今このあたりにいてるらしいわ」
俺と同郷(日本国)のノブが言うには、その棺に出くわすと災い事があるという。
ここ数年、宇宙葬が手ごろな予算で出来るようになり、遺体を乗せた棺を宇宙へ向けて飛ばす遺族が増えた。遺言などで宇宙葬を望む故人が増えたということもあるが、その多くはバクテリアや微生物がいない宇宙空間で腐敗の恐怖から逃れ、死してなお永遠に星の海を漂うというロマンチシズムからだ。
だが、何らかの事故や故障により外宇宙へ出ることなくデブリ漂う軌道上に残ってしまう棺があった。
そういった棺を見つけては小型の推進装置(ノブが言うところのプロペラ)を付けて外宇宙へ飛ばしてやるのも俺たちスペースデブリ回収業者の大切な仕事だった。
眠り姫の棺は衛星軌道上にあり、これまで何度も他の回収業者がプロペラを付けて飛ばしたにもかかわらず、再び戻って来るというのである。原因は不明のまま。
さらに、その棺に遭遇した者は思わぬアクシデントに見舞われるというジンクスがあるらしい。それは船の故障や事故、怪我や急病といったものだったが、俺に言わせればそんなこと宇宙に出れば日常茶飯事の事象だ。
「いややなぁ、できれば遭いたないなぁ。せやけど、そんなべっぴんさんやったら見てみたいいうのもあるしなぁ」
「その棺、見ればすぐにわかるのか ?」
「どこぞの回収業者が発信機付けたけどすぐ壊れてしもたとかで、次の業者が棺の横っ腹に赤いペンキで「×」印書いたらしいわ。そんなバチ当たりなことするから祟られるんやでホンマ !」
赤い×印の棺か。
俺は想像してみた。暗い宇宙空間にゴミと共に浮遊する、美しい眠り姫を乗せた赤い×印の棺を……。
なるほど、一度ご対面してみたい気もしなくはない。
「今日も日本上空はええ天気みたいやなぁ。そういうたらリク、もうだいぶん地球に帰ってへんのんちゃうか ?」
「ああ、五~六年かな」
頭上には青い地球。あたりまえだが地図に引かれているような国境など存在しない。だが、この地球のどこかで今日も戦争が起きている。口では平和平和と言いながら、人間は争いながら歴史を作って来た。俺たちのDNAには戦えという命令が刷り込まれているのだ。
幸い宇宙にまでは波及していないが、それも時間の問題だろう。
まるでガラス細工のようだと比喩される地球だが、同じガラス細工でも俺には永遠に降り積もることの無い雪を閉じ込めたスノードームに見える。
「リクのオトンもオカンも健在なんやろ ? 地球で何があったか知らんけど、たまには元気な顔見せに帰ったりや」
「……あぁ」
たぶんノブが思っている通り、俺にとって地球にはこれっぽっちもいい思い出が無い。むしろ鬼門といってもいいくらいだ。
そういえば、何度か母親からメールが転送されてきていたが一つも開けちゃいない。どうせまた大した用でもないか、もしくは一度帰って来いという内容に決まっている。
『─────スペースデブリ回収船《あんでるせん号》、こちら第五管区外圏保安本部巡視艇《どわーふ号》応答せよ』
「なんやぁ !? 保安官に目ぇ付けられるようなことした覚えないで」
と、ノブは吐き捨てたが巡視艇に捕まったのは一度や二度のことではない。もちろんそれは、俺たちが無免許でデブリの回収をしていた頃の話だ。今ではちゃんと公安委員会にだって登録済みだし宇宙産業廃棄物収集運搬許可証もある。おまけに古物商の許可証まで取得したのだ。
『《あんでるせん号》応答しなさい !』
「へいへい、こちら《あんでるせん号》どうぞ」
モニターからこちらに恐い顔を向けているのは、サトミ・キリヤ保安官だ。あの堅苦しい制服を脱いでおとなしく微笑んでさえいれば美人でいい女なのだが、私服姿を一度も見たことがないので保証はできない。
サトミとは俺がこの仕事を始めた頃からの腐れ縁ってやつだ。そして、俺の前に現れる彼女はなぜかいつも機嫌が悪い。
今も船内に設置されている、そう大きくもない三つのモニター画面いっぱいに映し出されたサトミは、今にも鼻から火を噴き出しそうな勢いでこちらを睨みつけている。
調子よく応答したノブも、さすがにこの顔を見たとたん固まってしまった。
「ま、また今日もご機嫌麗しゅう。今日はなんのご用でっか ? サトミ姉さん」
『その呼び方はやめなさいって前にも言ったでしよ! そこにリクはいるの ?』
「いてまっせ~……(なんやいつもと不機嫌のベクトルがちゃうみたいやで、気ィつけや)」
怒りの矛先が自分から逸れるとわかるや、ノブはミラクルな早さで交信主導権を引き渡してくれた。最後に小声で注意事項を付け加えることも忘れずに。
ノブの言う通り、今日のサトミはいつもにも増してイラついているようだ。最近では真面目に仕事をしている俺たちに限って、宇宙保安庁からお叱りを受けるようなことをした覚えは無いだけに嫌な予感がする。
「はい、俺。なんの用スか ?」
『俺じゃわからないっての ! あんた保安庁バカにしてるでしょ !』
渋々応答したせいで、火に油を注いでしまったようだ。ホントにめんどくせぇ女。
「あ~、バカになんかしてないッスよ。そう聞こえたなら謝ります。で、俺たちに何か問題がありましたか?」
できるだけ落ち着いた口調を心がけたが、さっきから止まらないタッピングまで向こうのモニターには写っていまい。
『イライラするのはわかるけどね、あんたよりイラついてるのは私なの ! リク、あんたこの子知ってるわね ?』
なんで俺が貧乏ゆすりしてることがわかったんだよ !? ちくしょう、まさか知らない間に隠しカメラでも取り付けられたのか !?
『心配しなくても隠しカメラなんて無いわよ。あんたって相変わらず顔に出るから楽しいわ。ところで、私の話聞いてたの ?』
いつもこの調子でサトミに軍配が上がるので、ノブはまたかという顔で決して俺たちの会話に入ってはこない。どうやら、これが俺とサトミのコミュニケーションスタイルだと思い込んでいるふしがあるようなので、いつかきっちり否定してやる。
だがノブはノブで、何かがいつもと違うと感じていた。サトミがマジで怒っている ?
「話って、なんの」
『だから、この子あんたの知り合いなんでしょ !』
そう言ってサトミが画面外から自分の横に引っ張り込んだのは、五~六歳くらいの痩せこけた少女だった。
少女はどこか変わっていて、薄汚れた犬のぬいぐるみを大事そうに抱きしめていた。変わっているというよりは、ぬいぐるみ同様全体的に汚れているのだ。
短ければOKというだけで切られたようなボサボサの髪、着られればそれで十分という服はデザインどころかサイズさえ合っていない。足元は見えないので断言できないが、おそらく靴も似たようなものを履いているのだろう。だが、何よりも解せないのが少女の態度だった。
一般人は滅多に乗ることのない巡視艇で、女性とはいえお堅い制服姿の大人に決して優しいとは言えない力で扱われたにもかかわらず、少女はずっとうつむき加減で無表情のままだった。伏し目がちにカメラの方を見ようともせず、もちろん俺が映っているモニターも視界に入れる気はないようだ。
全く知らない、会ったこともない少女だった。
「俺、そんな子知らないよ。その子がどうしたんだ ?」
『知らないですって ? じゃあ、この子の掌に書いてあるのは何よ』
サトミは少女の左手を取ると、きつくグーをしている指を一本一本ひきはがしパーにして見せた。サトミの強引な行為に一瞬嫌悪感を表した少女だったが、やはりその表情に変化はなく何を考えているのか読み取ることができない。
『ほら、よく見なさいよ』
アップにされた少女の掌にはこう書かれてあった。
あんでるせん 璃久
その文字を見たとたん、俺の顔色が変わったことをサトミは見逃さなかった。
『ほぉら、やっぱり知ってるんじゃない』
「……」
『あんたの名前って漢字だったのね。いまどきそんなヤツいるとは思わないから、解読するのに時間かかっちゃったじゃない。で、どこの誰なの ? この子、ぜんっぜん口利かないから困ってるのよねぇ』
横からモニターをのぞいたノブも初めて俺の漢字名を知って驚いたようだ。日本人が下の名前に漢字を使わなくなってどれくらいが経つだろう。ノブの叔父が漢字名だが、字面は浮かんでさえこないと言う。
少女の手に書かれた文字は、もうかなり消えかかっていた。
『知ってるの ? 知らないの ? これだけはっきりした証拠があれば、知らないとは言わせないけどね』
「サトミ、なんでそんな子供がそこにいるんだ ?」
『コンテナターミナルから貨物用ビークルに密航してたのを保護したの。だけどこの通り黙秘したまんまだから地球に強制送還しようとしたら……』
少女の手の中に暗号を発見した、と。
『《あんでるせん》なんて名前、あんたの船しかないでしょう』
「けど、本当に知らないんだよな~」
『フンッ、地球にいる彼女があんたに内緒で産んだ子なんじゃないのォ ?』
サトミの言葉に操縦席からひっくり返りそうになった俺とは反対に「それや !」と叫んで椅子から数センチ飛び上がったノブは、俺の顔を見るなり笑い出した。
「な、なに言ってんだ ! ンなもんいるわけないだろ ! ノブもなに笑ってんだよ !」
「ぎゃはははははははッ ! サトミ姉さん、そら誤解ですわ。リクに女の影なんてこれっぽっちもありませんて。オレが保証しますわ。せやから安心して下さい」
『ちょ……なんであんたに保証してもらわなきゃいけないのよッ。リクに女がいようがいまいが私には関係ないことだし。それじゃ、今からそっちにこの子引き渡しに行くわよ』
ノブが「なんでそうなるかな」という顔で指示を仰ぐので、これ以上話がややこしくなる前に少女を引き取ることにした。俺の名前があるかぎり、少なからず少女の方は俺を知っているということだ。
《アースクリーン・デブリランド》と名付けられた廃棄物処理ステーションのバンカー(ゴミ投入口)前で待ち合わせというのもなんだかなーと思ったが、向こうが指定してきたのだからいつも利用している十五番バンカーの前で待っていると、サトミが乗った巡視艇が到着と同時に遠慮会釈なく《あんでるせん号》にドッキングしてきた。
「いつものことだけど、もうちょい優しくタッチしてくれないもんかね」
「あいつらにそんなん期待してもあかんて。特に今日のサトミ姉さんにはな~」
「ノブ、さっきからお前なに意味ありげなこと言ってんの ? 俺がいったい……」
ゲートブザーが鳴りハッチが開くとサトミに連れられ少女が入って来た。これもいつものことだが、こちらがまだ入船許可を出していないにもかかわらずに、だ。
「どう、会ったら何か思いだした ?」
「なんにも」
「……そ。今回はそういうことにしといてあげる。あんたが自分の名前を見て顔色変えたことも忘れてあげるわ。はい、これ」
サトミから受け取った薄いファイルには調書らしき書類がはさまれていたが、すべて空欄だった。こんな役に立たないものを渡されて、いったいどうしろというのだ。
「見ての通り真っ白なその書類を今からあんたが埋めていくのよ」
「俺が !?」
「そうよ。じゃ、頑張ってね、お父さん ♪」
なにがお父さんだ !
反論する気も失せてため息をつくと、俺はサトミが置いて行った少女を観察した。
周りで騒ぐ大人たちに何の関心も示さない少女の足元は、俺が思っていたより悲惨だった。ひび割れたゴム製のサンダルを履いた素足は、よく見ると青あざや古傷にまぎれてタバコの火を押し付けられたような跡がある。
虐待 !?
足だけでもこれだ。きっと体中傷だらけに違いないと少女の腕に触れたとたん、今まで無反応だった少女が思い切り俺の手を振り払った。
「何もしないから、安心しな」
なだめてはみたものの、俺に対する態度はサトミの時とあきらかに違う。相変わらず少女は視線を合わせようとせず無表情だが、体が小刻みに震えていた。
「俺が怖いのか ? じゃあその手に書いてある文字はなんだよ。俺がその璃久だけど ?」
俺の言葉を聞いた少女の反応は早かった。混濁した瞳に光が宿り、定まらなかった視点が俺の顔をとらえたとたん、突然ポロポロと大粒の涙を流して泣き出したのだ。
「どどどどどないしたん !? どっか痛いん ? おいリク、この子になにしたんや!」
「なななななにもしてねーし! 急に泣き出したんだよ!」
たとえ相手が子供でも女性に泣かれると弱い男ふたりを前に、少女は号泣を通り越して過呼吸を起こしかけていた。このままだと呼吸困難に陥って危険だ。
あわてたノブが緊急用通信スイッチを押そうとするのを制すと、俺はチアノーゼを起こして紫色になった少女の口に自分の口を押しあてた。
「わわっ、リクなにすんねん !? 犯罪やでそれ !」
「バカ、過呼吸の応急処置だよ。おい、落ち着いてゆっくり呼吸するんだ」
しばらくして、自力での呼吸ができるようになった少女は思い出したように俺を見た。
「お前、名前なんていうんだ?」
「……」
「言わないなら勝手にヘンな名前付けるぞ」
「ユカ」
ユカと名乗った少女の声は、年のわりには大人びて聞こえた。そういえば、ちゃんとした歳もまだ聞いていない。
「十二~ !? うそやろ !」
ノブが驚いたのも無理はない。モニターで見た時ですら五歳児くらいにしか見えなかったユカは、直に会っても一~二歳大きかったかな程度にしか見えなかったので、まさか予想していた倍も歳をくっていたとは思わなかった。ということは、日本なら小学校六年生か中学一年か……危ね~、ヘタすりゃノブの言う通り犯罪もんだ。にしても、十二にもなって肌身離さずぬいぐるみ抱くか !?
もうひとつ謎なのは、この物質文明の世の中にあって明らかにユカには栄養が不足していた。
やはり虐待しか考えられない。
「ユカ、腹減ってるだろ。なんか食うか ?」
「食う !」
即答だった。
回収したゴミをバンカーに放り込んで有害物質なんかを除去した後、船内を掃除して今日の仕事は終了とした。
俺たちが黙々と作業している様子をユカはタラップに腰掛けておとなしく見学している。あいにく子供用の船外スーツが無いので大人用を貸したが、服の上からでも余裕で着られた上に件のぬいぐるみもスカートのウエストに挟むことができたとユカはご機嫌だ。
そして俺とノブの食糧をペロリと平らげたあげく、最初にノブが手懐けようと差し出したキャンディの在処まで記憶していた。おかげで俺たちは今、猛烈な飢えと戦いながらベースへ向かっている最中だ。
「なぁ、ユカちゃん。もうええかげん教えてくれてもええんちゃう ? どっから来たん ? 何しに来たん ? リクとはどないな関係なん ?」
ユカの方から話す気になるまで待つつもりだったが、空腹のためノブはかなりイラついていた。ユカはそんなノブの気持ちを知ってか知らずか、質問に答える様子もなく後ろの補助席からじっと窓の外を眺めている。
「俺に会えって誰に言われたんだ。ばあさんか ?」
外を見つめたまま、ユカは首を振った。
「じゃあ、じいさんか ?」
ユカの眼からまた涙があふれ出した。今度は暴走しそうになる感情を必死で抑えようとしているのか、ユカは大きく頷いた。
「まさか、じいさん……」
その時だった。ユカが小さな声で叫んだかと思うと、突然船内が光に包まれた。見るとユカが大事に抱えているぬいぐるみの腹部が内側から光を放っているではないか。
「なんやねんリク、それ !」
驚いているのは持ち主のユカも同じで、突然輝き出したぬいぐるみをどうすればいいのかプチパニックに陥っている。
やがて拡散していた光は一点に集まり、一筋の光線となって船体を突き抜けた。まるでぬいぐるみと何かがピンと張った金糸で繋がれたように。
「リク、いた !」
「え」
初めてユカに名前を呼ばれギョッとしたこともあったが、ユカの言葉の意味を理解するのに少々時間がかかった。
「いたって……何がだ ?」
そうユカに聞き返したが、俺には最初からわかっていたのだ。ユカが何者なのかは別として、彼女の掌に俺の名前を書いたのは肉親(俺の名前を漢字で書くなんてのは肉親以外ありえない)で、おそらく祖父のマモルじいさんだ。これですべてが繋がる。
「お前がじいさんの使者だったのか。それじゃ、やっぱりじいさんは死んだんだな ?」
ユカは光の先を見つめたまま、涙目で頷いた。
「リクのじいさんが亡くなったって……ほんでユカちゃんが使者って、どういうことなんや ?」
この状況からひとり蚊帳の外に追い出されたかたちのノブに俺は教えてやった。
「ノブ、この光の先にノブが会いたがってた眠り姫がいるんだぜ」
~ 続く ~