「俺様の宇宙(そら)」
◇◇ 俺様の宇宙 ◇◇
澄み渡る六月の空。爽やかに吹き抜けるそよ風。
この季節、花粉症のやつらには悪いが見るもの聞くもの嗅ぐものが皆、俺を祝福しているように感じられる。いや、自然だけではない。霊長類すべてが俺を称賛の眼差しで見つめ賛美の言葉を投げかける。
ほら、今日も俺のノートPCは女子からのラブメールでパンク寸前だ。この調子じゃ学業に支障をきたすってもんだぜまったく。
俺の名は定森勇、十八歳。四月に行われた第五期宇宙飛行士要員資格試験にみごと合格した今期ただ一人の現役高校生とは俺のことだ。
この数カ月、メディアの取材や雑誌への寄稿、初めて会う親類縁者どもへの対応などで俺の心と体は限界にきていた。
とりあえず、今しばらく精神の安定と休息を求める俺が探し回って辿り着いたのが、隣町にある≪トゥルーマーメイド≫という名前の小さな喫茶店だった。メインストリートから少しはずれた路地にあって目立たないことも気に入ったが、落ち着いた雰囲気の店内には海の写真ばかりが飾られており、これだけ有名になってしまった俺のことを全く特別扱いしない女店主の性格も気に入っていた。
そしてもうひとつ、俺が足繁くこの店に通う理由に一人の少女の姿があった。
彼女の名前は河村奈緒。さりげなく店主から聞き出した情報によると、この街の高台に建つ高校に通う一年生だという。
俺の周りにまとわりついて来る女子たちと違い、化粧っ気のない顔にショートカットの髪は時に芸術的な寝癖を伴っている。
いつもカウンターの定位置に座る彼女が親しげに店主と話している姿がなんとも楽しそうで、その笑顔にやられてしまったのだ。やはり彼女も初めて会った時に俺を意識することなく接してくれたが、その態度の意味がどうやら本当に俺のことを知らないからだとわかったのはつい最近のことだ。
おいおい、マジかよ。某人気アイドルグループより毎日メディアに顔が出ない日は無いってくらい超有名な定森勇様を知らない人間がいるなんて信じられないぜ。それに自分で言うのもなんだが、頭脳明晰&身体能力優秀はもちろんのことビジュアル的にもかな~りイケてる、みたいな ?
ま、そんな俺のことが気になりだすのも時間の問題だけどな。
今日も店に行くと、彼女はすでに来ていて店主との会話に夢中だった。
「となり、いいかな ?」
「どうぞ。……でね、ママさん、今日の英語のテストなんて八択ですよ ! ふつう三択か多くても四択でしょ ? 信じらんない」
いつものようにコロコロと表情を変えて、楽しそうに学校での出来事を話している。みごとに俺を無視して。
「ほんと、世界の共通語が日本語だったらいいのに」
どうやら彼女は英語が苦手らしい。英語なら俺の得意分野だ。彼女が望むのであれば家庭教師など引き受けるのも悪くはないぞ。
「あの、俺でよければ……」
「それじゃママさん、私もう帰るね。今日は伯母さんが来る日なの」
い、行ってしまった……今日も喋れなかった。
「残念だね定森くん。奈緒ちゃん家テレビが無いってのもあるけど、誰が宇宙飛行士になろうと興味ない子なんだ。許してやってよね」
「ママさんは俺のこと」
「知らないはずないよ。そこいらのアイドルグループより有名だからね」
ははは……俺の武器、あの子には英語力以外なんも使えねぇのか。よーし、次に会った時は必ず言うぞ。
(一緒に英語の勉強しませんか ?)
◆ ◆ ◆
あれから一週間が過ぎたにもかかわらず、奈緒さんはお店に現れない。いや、俺も毎日来ているわけじゃないからすれ違いってこともあるか。
だが、店主もここ最近彼女の姿を見ていないという。
「高校生ともなると、いろいろ付き合いってのがあるんじゃないの ? あ、定森くんも高校生だったね」
その「付き合い」の中に、俺も混ぜていただきたいのですが。
早くお近づきにならないと時間が無いんだよなぁ。来月には訓練のため、宇宙ステーションSAKURAへ行くことが決まったんだよなぁ。あっちへ行ったら二年は地球に戻って来られないんだよなぁ……。
よし、明日こそは会えますように !
いつものようにさりげなく、しかしぬかりない変装でマスコミの目を誤魔化し店にたどり着くと、
閉まってるーーーーーーっ !?
なぜだ ! 今日は定休日じゃないぞ。いや待て、店内に誰かいるようだ。
下ろされたスクリーンカーテンの隙間から店内を覗いてみると(なにやってんだ俺 !)奥のテーブルに三人の人影が見えた。
奈緒さん !
その中のひとり、あれは奈緒さんの寝癖頭に違いない。その隣のシルエットは店主だ。とすると、奈緒さんの向いに座ってるのは……男 !?
誰だ誰だ誰だ !! 今まで一度も奈緒さんに男の影なんか無かったぞ。しかも店を閉めてまで交わさなければならない会話とは、いったいどれだけ重要な内容なんだ !?
……おい、すでに二時間以上経つんですけど。ええい、二時間など極限環境訓練の体感時間に比べれば二分だ二分 ! だから断じて俺はストーカーではないぞ !
ようやく三人のシルエットが立ち上がり入口に向かって行くのが見えた。俺は気づかれないように身を隠すと、卑怯だと思いつつ二人の会話に耳をすませた。
「家まで送るよ」
「自転車飛ばすからいいよ」
「……」
「じゃあ、送ってもらうね」
見たところ似たようなデザインの制服を着ている……ということは同じ学校の生徒か ! くそ~、悔しいが暗がりの中で見ても初々しくてお似合いの二人だぜ。
「カンナさんに会えてよかった」
「私、今日聞いたこと誰にも言わないから」
「言ったって誰も信じてくれないよ」
いったい何の話だ ? 誰も信じないような電波な話をしていたのか。
あぁ、奈緒さん……行ってしまった。
「定森くん、出ておいで」
店の中から店主の声がした。
「隠れてたのバレバレでしたか……お恥ずかしいです」
店主は誰もいなくなった店内に俺を入れてくれた。
「ごめんね。奈緒ちゃん、本当に世間の話題に疎くってさ。定森くんのことも教えたんだけど……」
奈緒さんの反応が目に浮かぶようだ。きっと「へー、すごいね」で、会話は終了したに違いない。
「俺、宇宙飛行士になるって決めた日から勉強勉強で、一度も女性に恋をしたことがなかったんです。だから奈緒さんは、俺にとっては初恋の人……みたいな ?」
初恋は報われないと言われているが、告白だけでもしたかったというのが本音だ。当たる前に砕けてしまったが。
「奈緒ちゃんと一緒にいた男の子、あの子は奈緒ちゃんにとって特別な子なんだ」
「俺にだってそのくらいわかりますよ。彼氏でしょ」
「うーん、どう言えばいいんだろ。奈緒ちゃんがこの世には無いと思っていた宝物を持っていた子」
なんだそりゃ。さっき奈緒さんが言ってた「誰にも言わない」事と関係があるのだろうか。
「……俺も、そんな宝物を見つけられるでしょうか ?」
「見つけられなくてどーすんの ! そために宇宙へ行くんだろ ?」
「はい、がんばります」
店主が入れてくれるオリジナルブレンドコーヒーの名前は『人魚の瞳』と言うそうだ。名前の由来は聞かなかったが、宇宙へ出る時は必ず持って行こう。
俺の初恋の味だからな。
~ 終わり ~