「エメラルドの記憶」
◇◇ エメラルドの記憶 ◇◇
英語は苦手だ。だいたい日本語すらおぼつかないってのに、この上外国語なんて私の脳ミソに入る隙間はハッキリ言ってありません。
……って、毎回毎回この点数じゃ進級に赤信号が点ったも同然のことで、誰かこの私に英語というものを理解できるように優しく噛み砕いてじっくり教えてくれる先生はいないものかと教室内を見渡すと……いた ! いましたよ !
浜崎マモル。確か英検一級の持ち主。といっても男子高校生の九割以上が宇宙飛行士を目指している今、英語は必須なわけで、おかげで英語の授業レベルは上がっていく一方だ。
そんな宇宙バカ男子の中にあって浜崎マモルはただひとり、宇宙とはかけ離れた本ばかり読んでいるのが気になっていた。
通り過ぎざまチラ見すると、今日は『海洋生物の歴史と神話』というタイトルの分厚い本だった。かと思えば先日は『よいこの図鑑 うみのいきものたち』だった。
宇宙開発全盛期のこの時代に逆らうかのようなタイトルチョイス。浜崎マモル、気にならないわけがない。
たしか自宅は青ノ崎町にある海洋生物研究所だから、その影響もあるのかも知れない。残念なのは、私が浜崎くんの存在に気づいた時には、すでにオレに話しかけるなオーラを身にまとっていたので、どうにか彼と話す口実を作れないものかと考えた結果、隣のクラスの友達に協力してもらうことにした。
「奈緒~、本当でしょうねぇ。浜崎くんちに人魚がいるってのは~」
「ほ、本当かどうかはわからないけど、海洋生物の研究所だよ ! それにホラ、ここらへんには昔からウミカノンの伝説があるんだし、きっと何かいるよ」って、説明になってないし。
さぁ、奈緒。作戦開始だ !
「浜崎くんて、いつも海に関する本を読んでいるのね」
「………」
ほら、引いちゃったぞ~。
「何を読もうと人の勝手だろ !」
ま、負けるな奈緒(泣)
「浜崎くんて変わってる。今日みたいにビークルが見えるかもって時でも、全然興味なさげだし」
「たぶん親父の影響だ。それに変人としては、これからも宇宙に興味を持つことは無いね」
「それはわからないわよ、変人さん」
ちがーーーう ! なに失礼なこと口走ってんの奈緒 ! いくら浜崎くんと初めて会話が成立したからってテンション上がり過ぎだよ。
「断言できるね。だって宇宙には水が無い」
「え」
確かにそうだけど、なんだろうこの気持ち……浜崎くんにそう言われた時、私は自分の中で確かに「生かされている」と、感じたのだ。
「なに、あいつら」
やっと友達の出番がやってきましたが、浜崎くんと会話するという目的が達成できた私としては人魚について探り出すのは彼女たちの腕次第。
「どうしても浜崎くんにお願いがあるんだって。無理ならスルーしてもらってもかまわないからね」
「はぁ ? 人魚 ?」
あらら、いきなり直球勝負で来ちゃったよこの子たち。浜崎くん、あきれて口あけたままフリーズしちゃってるし。
「おとぎ話じゃあるまいし、ンなもんいたら俺が見たいわ !」
……あれ ? 浜崎くんがそう言ったのを聞いて、私は取り残されたような気持ちになった。
「人魚、私だって信じてるのに……」
本当にいるよ。だってお父さん、会ったことあるって言ってたもん。
「ねぇ、浜崎くんさえよかったらだけど、いつか海の事いろいろ教えてくれる ?」
こうなったらキッチリ話をつけようじゃない。人魚は存在するか否かを。
いやいや、奈緒。あんたが聞かなきゃいけないのは英語でしょーが !
そして、始業のチャイムが鳴った。
◆ ◆ ◆
私の自宅は校区のいちばん北の端にある。ともすれば、あと数百メートルで隣町の校区へ入ってしまうような端っこに位置していた。おまけに周りは雑木林に囲まれた僻地ときた。
なぜこんなヘンピなところに家を買ったのかというと、それはぶっちゃけお金が無かったからだ。
自称、冒険家。その正体は売れないカメラマンの父は、今日も世界のどこかを放浪しつつ(現地でバイトしながら)ゲージュツ的な売れない写真を撮り続けている。
そんな父に嫌気がさしたのかサジを投げたのか、母は私が五歳の時パートへ出たまま家には戻って来なかった。そして母と入れ替わるようにフラリと帰って来た父に初めて会った私は抱っこされたとたんに大泣きし……しばらく伯母の家で暮らすことになった。数日後、伯母の元に母から私と二人だけで暮らしたいという内容の手紙が届いたそうだ。
私はなぜかその申し入れを拒んだ。それは、毎日私に会いにやって来ては美しい写真を見せながら少年のように旅の話を聞かせてくれる男の不器用な笑顔が忘れられなくなっていたからだ。
そんな困ったちゃんの父だが、私は父の撮る写真が好きだ。特に海中写真はため息が出るくらい美しい。それが外国ではなく、この辺りの海だというのだから誇らしいではないか。
父と打ち解けた頃、海中撮影をする父について海岸まで出かけたのを思い出す。
父は海から上がってくると、いつも子供のように目を輝かせ「今日も人魚に会うことができたぞ」と、報告してくれるのだが、その姿は一度も写真に収められたことが無かった。
「人魚は写真に写らないんだ」なんて言い訳がましいことを言っていたが、昔からこの辺の漁師たちは人魚を海の神様『ウミカノン』と呼んで崇めていることを思えば、きっと神様仏様の部類に入るのかも知れない。
父の説明によると、出会った人魚の姿は人間のように二股に分かれた脚があるという。だが、その足先は魚のヒレ状になっていて全身は銀色の鱗に覆われているそうだ。そして手の指の間には水掻きがあり、深緑色の長い髪の下からのぞく眼は美しいエメラルドグリーンで白眼が無いという。
また共通して言えるのが、出会った人魚は皆一様にかなりの美形だそうだ。
いくぶん想像力に乏しい父にしては具体的な表現なので、もしかしたら本当に存在するのかも知れない。特に『美形』なビジュアルが気になる私は、死ぬまでに一度はお会いしたいと思っている。
浜崎マモル……みんなは気づいていないみたいだけど、よく見ると綺麗な顔してるのよね。もしかしたら人魚ってあんな感じなんだろうか。
あわわわ、ナニ考えてんだ奈緒 ! 浜崎くんとお近づきになる目的は、あくまでも英語のためよ英語の……。
とりあえず月曜日にある英語のテス勉でもしよう。質問するにしろ何がどうわからないのかがわからなければ聞かれる方もわからないからわからないだろう(あれ ?)
えーっと、従属接続詞……ってなんだ ? いきなりわからないぞ。
as ~にもかかわらず。
as like ~のように。
as if as though あたかも~のように。
あたかも人魚のように……ハッ、いかんいかん。この分じゃ、また追試間違いなしだわ。
その時、裏庭の方で物音が聞こえた。
時計を見ると二十二時を回っている。こんな時間にやめてよ~ ! こういう時、か弱き乙女の一人暮らしってイヤだ。
私は裏庭へ続くテラスの灯りを点けると、こんな時のためにと用意してある護身用の金属バットを握りしめ、思い切りドスのきいた声で暗闇に向かって問いかけた。
「そこに誰かいるの ?」
どうか犬か猫でありますように。確かに何かがいる気配があるのに静けさがかえって怪しさを倍増させる。
「誰かいるんでしょう ?」
私は金属バットを構えると、静かに静かに暗闇に近づいた。
暗闇に目が慣れてくると、庭先の石段に座り込んでいる人の姿が見えた。そいつは何か大きな荷物を抱えている。泥棒か !?
「で、出てこないと警察呼ぶわよ !」
そう言って金属バットを振り上げた時、薄ぼんやりと泥棒の横顔が見えた。その整った横顔は、まぎれもない……。
「浜崎くん ? 浜崎マモルくん !?」
金属バットを投げ捨てると、意外すぎる訪問者に駆け寄った。名前を呼ばれて微かに反応した浜崎くんはみるからに疲労困憊している様子だった。それに彼が抱えているのは荷物ではなく、子供 ?
「いったいどうしたの ? とにかく中へ入って……その子も具合悪そうだし」
浜崎くんは、どうやら私が誰かわかったらしい。かなり足元がふらついているところを見ると、ここまで来るのにただ事ではなかったことがわかる。
二人を玄関横の書斎へ通すと、とりあえず病人に寝床を用意してくると立ち上がりかけた私を浜崎くんが呼び止めた。
「待ってくれ、その前に風呂に水を頼む」
「お風呂 ?」
怪訝に思いながら見た浜崎くんは、枯れ草にまみれた髪に服は所々破れて泥だらけで、むき出しの腕や顔は擦り傷や切り傷で血がにじんで……顔や……顔の……目が…… ?
「なんだよ、顔が悪いのは生まれつきだ」
「ううん ! イイ顔してるわよ」
悪いどころか ! なんて美しい……。
私の目の前には、白眼の無いエメラルドグリーンの目をした美形がいた。
お、落ち着け奈緒 ! どうやら本人も自分の変化には気づいていないようだから、ここは私も気づいていないフリを通すしかない。
それにしても(チラ見)なんて綺麗な眼なんだろう。お父さんが言ってた通りだ。
でも、なぜ浜崎くんが ? それに、その子はいったい誰なの ?
「それより、早くその子を寝かせなきゃ」
「だから違うんだって !」
「ねぇ、話して。その子は誰なの ?」
さっきからピクリとも動かない薄汚れた毛布の中身はいったい……。
「河村は今日、学校で俺に言ったよな ? 人魚の存在を信じてるって」
「ええ、言ったわ」そして、もう今は疑わないから。
「……彼女が、その人魚だよ」
覚悟を決めたように、浜崎くんは腕の中の毛布を開いた。私が見たのは、銀色の鱗を身にまとった幼い少女の人魚だった。
お父さん ! お父さんの話は嘘じゃなかったのね ! あなたが話してくれた通りの姿をした人魚が、今うちにいるなんて……感動。
歳は十歳くらいだろうか。瞼は固く閉じられているけれど、その下にはエメラルドグリーンに輝く眼があるに違いない。浜崎くんとおそろいの !
ハッ、感動してる場合じゃないわ。人魚はかなり弱っているみたいだ……そっか、それでお風呂というわけね。
「早く水に入れてあげないと死んじゃうわ !」
「死んじゃう !? もう人魚は死んでるんだ !」
あぁ、パニクってるよ浜崎くん。よく見れば生きてることがわかるのに。
「なに言ってるの ! しっかりしなさいよ浜崎マモルくん、ちゃんとまだ生きてるじゃない ! ほらよく見て。首のところの血管、まだ動いてるでしょ ?」
私は人魚の顎と耳の間、人間でいうところのリンパ節のあたりが微かだが動いているのを見逃さなかった。
浜崎くんは信じられないという顔で私を見た。やだ、そんな綺麗な眼で見つめられたらキュン死しちゃう♡
「……お風呂の水、淡水でもいいの ?」
「ああ」
次は浜崎くんの傷の手当てをしなければ。そしてこの事態の説明をしてもらおう。だって人魚を見ちゃったんだから、私には聞く権利があるわよね。
「夜食でも食べながら、このわけを聞かせてちょうだい。浜崎くんに話す気があればだけど」
と言ったけど、関わった以上なにがなんでも聞かせていただきますよ。
◆ ◆ ◆
浜崎くんの話は、まるで小説か映画のようだった。
ってことは、なに ? あの研究所って本当に人魚の研究してたんだ。
『悪魔の城から逃げ出してきた人魚姫と出会い恋に落ちた王子様は、彼女を狙う闇の軍団と戦うが力尽き絶体絶命の大ピンチに陥ってしまう。それを救ったのが美しい村娘だった。娘は自分の家に王子様と人魚姫をかくまうと、闇の軍団から二人を守るためにある作戦に出るのだった。作戦はみごと成功し、美しい村娘のおかげで王子様と人魚姫はいつまでも仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし』
「はい、手当て終わったわよ……ちょっとこのまま待っててね」
美しい村娘(ひつこいようですが私デス)の作戦とは、闇の軍団が放った人食いドラゴンの力を封じるため、家の周りに魔法の粉を撒くのだ。どうかドラゴンどもを惑わすことができますようにと願いを込めて。
「どこへ行ってたんだ ?」
「シッ、耳をすまして」
それは明らかに浜崎くんたちを追っている犬の吠声だった。
「犬ならたぶん大丈夫だと思う。さっき近所にありったけのコショウとガーリックパウダーを撒き散らして来たから ! あのね、映画のワンシーンにあったのを思い出したの」
と言っても、しょせん映画の中の話だ。本当にそんなもので訓練された犬の嗅覚をごまかすことができるのかわからないが、今の私に思いつくことなんてこれくらいしかない。
「ありがとう。でも、もう行くよ。河村だけじゃなくご両親にも迷惑をかけるわけにはいかない」
そうか、浜崎くんは私が一人暮らしだってこと知らないんだ。
私は家庭の事情を話した。父の職業のくだりで絶対笑われると思ったが、予想に反して浜崎くんは暗い顔になってしまった。私としてはそれほどヘビーな話をしたつもりは無いので話題を変えようと思った時、彼の視線が本棚の『オーシャンフォトグラフ大全集』に向けられているのに気づいた。
そうか、海の写真集だもんね。
「あの写真集に父の写真が載っているのよ」
父も少しは仕事をしているのだとわかってもらうために全集の中の一冊を取り出すと、その写真を見せた。なかなか載せてもらえない見開きで載ったことが唯一自慢の一枚だった。
すると浜崎くんは父の写真を見たとたん、写真に写っているシルエットのウミガメは人魚の知り合いだと言うのだ。そんなことって本当にあるんだと思ったと同時に、さっき様子を見に行った人魚が大変なことになっていたのを思い出した。
「お風呂の中が泡でいっぱいになっているのよ !」
「それなら心配いらないよ。人魚はそうやって自分の体を治癒するんだ」
浜崎マモル。どうしてそんなに人魚のこと詳しいの ? その眼といい、もしかしてあなたも人魚なの ? 私、知りたい。教えてほしい。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
来た ? 来たの !? 闇の軍団、悪の組織が !!
「浜崎くんはここにいて。絶対に出て来ちゃダメだからね」
自分でも笑うくらいぎこちない足取りで玄関へ向かう。心臓が口から飛び出しそうだ。
「は~い、どちらさまですか ?」
まずは一人暮らしの基本、ドアごしに相手の素性を確かめるべし。
「夜分恐れ入ります。警察のものですが、ちょっとお聞きしたいことがありまして……」
「警察だっていう身分証はあります ?」
基本その二、ドアチェーンごしに相手の身分を確認するべし。
地味な顔の男は背広の内ポケットからテレビで刑事がよく見せる警察のバッジケース取り出すと開いて見せた。写真と記章、階級などが配された本物の身分証に見えるが油断は禁物だ。
「それで、なんの聞き込みですか ?」
「この写真の少年を探しているのですが、心当たりはありませんか ?」
そう言ってドアの隙間から差し出されたのは、浜崎くんの写真だった。
やっぱりビンゴ !
「クラスメイトの浜崎くんですが、彼がどうかしたんですか ?」
落ち着け心臓 ! 引きつるな顔面 !
「ほう、同じクラスの子ですか。いえ、ここだけの話ですが、致死率の高い新種のウィルスに感染していると保健所から連絡がありまして探しているところなんですよ」
「ウィルス……なんで感染を ? だって彼、今日もちゃんと登校してましたよ」
「詳しいことはお答できかねます」
そりゃ答えられないだろう。ウィルスとは上手く理由付けしたものだわ。人魚を探してると言うより説得力がある。
「うちは今、私ひとりです。もし誰であれ見かけたら直ちに警察に通報します !」
ブシィッ ! ハブシュッ !
男の足元から変な音が聞こえたので覗いてみると、二匹の犬が落ちつかなげに首を振り咳込んでいた。変な音はどうやら犬のクシャミらしい。
もしかしてもしかすると、作戦成功 !?
ヤバ、笑いのツボに入ってしまう !
早く言いたい、早く浜崎くんに言いたい犬のクシャミ !
「犬を連れた男が二人、浜崎くんの写真を見せて聞き込みしてるみた……ぶっ、ぶははははは !」
いかんいかん、まだ近くにヤツらがいるかも知れないのに。でも……やっぱおかしい~ !!
「だ、だって犬のやつったら、ヨダレと鼻水で顔面ぐしゃぐしゃ ! ……ありゃ、かなりコショウが効いたと見えるわ」
男たちは、浜崎くんが新種のウィルスに感染した危険人物の設定になっていることや、見つけたら警察に連絡してほしいと言われたことなどをかいつまんで話した。
「あいつらがあらめるまでうちにいればいいわ」
私はその時、本気で浜崎くんと人魚を助けられると思っていた。二人を助けられるのは私しかいないのだと。
「それはできない。次にヤツらが来て俺たちが見つかったら河村も人魚を見た以上、何をされるかわからない」
私の申し出をキッパリ断った彼の目が、反論させない意志の強さを表していた。
私は近辺の道路地図を持って来ると現在地に丸印、ヤツらに封鎖されているであろう道路にバツ印を付け、地図には載っていない林道を書き加えて言った。
「浜崎くん、まさか車の運転できないよね ?」
「免許は無いけど、できないことはない」
「マジ !?」
今時の男子高校生って、みんな密かに車の運転を練習してるものなの ? 危ない想像だが、今回はラッキーだと思わなければ。
「じゃ、うちの車を使って」
もうずいぶん動かしてない父の四駆がガレージの中で眠っていた。エンジンがかかるかどうかは神のみぞ知る。
「でも、それって……」
「自信ない ?」
「まさか」
浜崎くんが風呂場から人魚を連れてくる間に、父の部屋の押し入れから防水加工したシェラフを探し出し水を含ませた。これで少しは人魚を外気から守れるだろう。
「浜崎マモルくん、約束して。必ず戻って来てくれるって」
「わかった、約束する。無事に人魚を海に帰すことができたら、このお礼は必ずするよ」
「じゃあ、来週の英語のテストお願い」
「え ?」
私の願いは、みごとかかったエンジン音にかき消されてしまった。
「うそうそ、さぁ早く行って !」
どうか、どうか無事でいて ! 神様、英語のテストなんかどうでもいいですからお願いします、二人をお守りください !
車はゆっくりガレージを出ると、闇の中へ消えて行った。
はぁ、もう人魚に会うことなんてこの先ないかも知れないな……なんて感傷に浸っている場合じゃない。
早く浜崎くんのお父さんに知らせなきゃ !
固定電話の受話器を取って、ふと考えた。盗聴されているかも知れない……受話器を携帯に持ち替えて研究所に掛けると、所長さん(浜崎くんのお父さん)を呼び出してもらったが不在だという。かわりにこちらの名前や住所や用件を根掘り葉掘り聞かれたので疑心暗鬼かもしれないが、こうなったら何がなんでも直接会って話さなければならないと思った。
自転車を出すと近道の林道を選んだ。早く早くと気ばかり焦って暗いのと悪路のせいもあり、ちっとも前進していないように感じる。
やっと学校へ通じる道に出た。普段からめったに車は通らない通学路だが、途中ヤツらに出会わないという保障はない。どうしよう、遠回りになるけどまた林道に戻ろうか……ええい ! 出くわしちゃったらその時はその時よ !
思い直して姿勢を立ちこぎにパワーアップしたとたん、ペダルをこいでいた足が空周りしたかと思うとスピードダウンし始めた。
「ゲゲッ、なんでこんな時にチェーンが外れるのーーーーーっ !!」
暗闇でチェーンを直している余裕はない。道端に自転車を放置するとショートカットをするために雑木林の中を走った。
私はいつでも走れるように普段からスニーカーを履いている。というか、どんな地面でも歩けるように。
ベビーカーを押しながらミュールやハイヒールを履いている若い母親を見ると腹が立つ。もし今、大災害が起きて瓦礫の中を歩かなければならなくなった時、あんたはそのミニスカとミュールで愛するわが子を守れるのか ? と聞きたい。
ああ、きっと浜崎くんも人魚を守るために必死の思いで木々の間を走り続けたに違いない。あんな傷だらけになって……。
だから、だから奈緒、いま泣くわけにはいかないんだ !
「夜分すみません ! 浜崎くんのお父さ……所長さんに大至急取り次いでください ! お願いします !」
研究所の正門へ着くと眠そうな顔をした職員が出で来て、所長は夕方から不在だと繰り返した。
「どこへ行ったか教えてください !」
「ちょっと、君は誰だ ? こんな時間に所長になんの用があるんだ ?」
職員はやっと目覚めてきたのだろう。もうすぐ日付が変わろうという時間に泥だらけの娘が、ただ事ではない形相で所長を出せと乗り込んで来たのだから怪しむのも無理はない。
「お願いします ! 緊急事態なんです !」
早く ! 早くしないと…… !
「誰だね ?」
「あ、所長 !」
所長と呼ばれた声の方を見ると、青いツナギにボサボサ頭の中年男性が立っていた。その容姿を見ただけでは、とても科学者には見えない。まるで配管工事にでも来た業者のようだと思ったが、
「浜崎くんのお父さんですか !? 私、クラスメイトの河村奈緒といいます。浜崎くんが大変なんです ! 悪いヤツらに追われてるんです ! 早く助けないと、助けないと……」
もう自分でも何を言ってるのかわからない。
「わかった。とにかく入りなさい」
ポカンとした顔の職員を後に残して所内に入れてもらうと、私の支離滅裂な説明でもちゃんと理解してすぐに警察へ連絡してくれた。そして、自分もヤマムラという人を追うという。
「あの、でも……警察が人魚を見てしまったら」
すると所長はにっこり笑って言った。
「ここらでは人魚は昔からウミカノンと呼ばれている海の神様だ。年に一度の神事では、その姿を見ることもあるんだ。誰も何も言わないが、人魚の存在を否定する大人は少ないよ。安心しなさい」
知らなかった。世間が宇宙を見上げている間、この地域の大人たちはずっと人魚と共存していたんだ。
「河村さん、マモルたちを助けてくれてありがとう」
「あの、あの……浜崎くんはいったい人魚とどういう関係……」
白眼の無いエメラルドグリーンの眼。人魚の眼。
「それは、あれが自分の口で話すまで待ってやってくれませんか。そしてその時は、どうかあれを理解してやってください」
私は何も言えず、ただコクコクと首を縦に振ることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
結局、あの日の出来事は大きな事件にもならず報道もされなかった。今日もメディアは宇宙開発の進捗情報やSVに関する情報ばかりを流している。
あれから一週間が過ぎようとしていたが月曜日の英語のテストは予想通り散々な結果に終わり、そして浜崎くんはまだ学校へ来ていない。何度か研究所へお見舞いに行ったが、たいした怪我ではないというわりに会わせてはもらえなかった。
もう学校へは来ないつもりだろうか ? いつも教室で居心地が悪そうだった。そんな彼は人魚と出会って自分の居場所を見つけたのかも知れない。
そんなことを考えながら、ふと校門に目をやると浜崎くんの姿があったのでちょっと驚いた。
眼は !? ここからじゃ顔がよく見えない。
「浜崎マモルくん !」
自分でも驚くほどの早さで駆け寄ってしまった。
「体は大丈夫なの ?」
「ああ、この通り」
大げさなガッツポーズをして見せてくれたが、作り笑いがなんか痛々しい。残念だけど眼は元に戻っている。
「あー……えーっと、今回の件ではいろいろとお世話になりました ! 本当に感謝してる。河村がいなかったら今頃どうなっていたか……」
そんな素直に感謝されたら聞かなくていいことまで聞いてしまうじゃない。踏み込まなくていいところまで踏み込んでしまうよ……私、考えなしだから。
「やぁね、あらたまっちゃって。気持ちわる~い」
「きも……って、それより気が付いてたんだろ ? 俺の……眼のこと」
もちろん気が付いてたよ。とっても綺麗だった。車に乗る時、シェラフの中から私を見つめた人魚もやっぱり同じ眼をしていた。二人の姿は奇跡のように美しかったよ。
「め ? 浜崎くん、目がどうかしたの ?」
「了解。もう何も聞かないよ」
人魚のことは、きっとまだ人間が触れてはいけない聖域なんだと思う。
放課後。
「は、ま、さ、き、く~ん !」
あら、この前人魚が見たいって言ってた三人組。
「今度は何の用だよ。人魚なんかいないって言っただろ」
浜崎くん、私が近くにいるからって語尾が小さくなっちゃったよ(笑)
「違うわよぉ。人魚はあきらめたけどぉ、これなら絶対浜崎くんのところにいると思うのぉ。それはぁ……ユニコーンでぇす ! あ、もちろん伝説の方じゃなくて……」
一瞬で浜崎くんからの「逃げるぞ」サインを見逃さなかった私は、そのまま自転車置き場に向かった。
部活終わりの生徒たちとかち合ってしまい、すんなりと自転車を出せそうにない。ふと前カゴを見ると脱落防止ネットの隙間に紙切れが挟まれていることに気が付いた。
開いてみると、そこには『かわむら話がある帰ったら連絡くれ 090-×××× 浜崎』と、走り書きがされていた。
思わず辺りを確認してしまう。
は、浜崎くんのケータイ番号ゲットしちゃいましたよーーーーーー !!♡
「もしもし……浜崎くん」
『あ、河村 ? はえー、もう帰ったんだ』
いや、こんなメモ見つけて帰るまでもちませんから !
「ううん、まだ学校」
『………』
あちゃー、ちょっと焦り過ぎたか奈緒。この気まずい雰囲気をどうすればいい(泣)
「浜崎くんは、もう帰ったの ?」
『まだ歩いてる』
ですよね~。
「あの、もしよかったら私がよく行く喫茶店があるんだけど、今から行く ?」
『………』
だぁ ! 今のもしかして逆ナンって思われた !? 私がデートに誘ったみたいな感じ !? だから浜崎くん返事に詰まってるワケ !?
『喫茶店……制服のままだとヤバくね ?』
あ、そっちの問題ですか。
「じゃあ、着替えてから」
『わかった。今から行こう』
混雑する自転車置き場から強引に飛び出すと、浜崎くんの気が変わらないうちに会わなければと思った。
待ち合わせ地点で無事に合流した私たちは特に会話するでもなく街まで下りると、大通りから少し外れた場所にひっそりと佇む≪トゥルーマーメイド≫という名前の喫茶店に入った。
「いらっしゃい……あら、奈緒ちゃん。どうしたの ? ま、まさかデート !?」
「ちちちがいますよ ! 違いますけど「まさか」は余計ですっ。それじゃ、奥のテーブルお借りしますよ。水とおしぼりは私が持って行きますから」
「やっぱりデートだ ♡」
も~なんとでも言ってください。
この喫茶店のママさんは父の写真を気に入って、店内のいたるところに飾ってくれている。その中には『オーシャンフォトグラフ大全集』に載っているウミガメの写真もあった。
父の写真がきっかけで親しくなったママさんと喫茶店は、一人暮らしの私にとってもう一人の母親であり家のような存在でもある。
「ここの写真、もしかして全部河村のお父さんの写真 ?」
「うん、そう。浜崎くん、コーヒーでいいよね ? ママさん、ホット二つお願いします」
「はぁ~い !」
ママさん、いつもと声のトーンがちがうよ。緊張してるのは私の方だってば !
こんな場合、私から話しを切り出した方がいいのかな。それとも相手が話し始めるのを待つものなのかな ??? あんまり沈黙が続くと困るんですけど……。
「河村はどう思った ? 気持ち悪かった ?」
「な、なにが ?」
「俺の眼」
単刀直入で来ましたか ! こうなりゃ、本当のことを言ってもいいよね。
「とっても綺麗だった ! できればもう一度見たい」
私の言葉に気を悪くすると思ったら、浜崎くんは困ったように笑って「同じく」と言った。
「はい、ホット二つお待ちどうさま。彼、どこの子 ? この近く ?」
「海洋生物研究所です。青ノ崎の……」
家の場所を聞いたとたん、ママさんの動きが一瞬止まった。
「名前……もしかして」
「浜崎です。浜崎マモルです」
名前を聞いたたとたん後ろへよろめいたママさんは、信じられないとでもいうような顔で浜崎くんを見るとポロポロと涙を流し始めた。
「どうしたんですか !? ママさん、なんで泣くんですか !? ちょっと浜崎くん、ママさんに何したのよ !」
「はぁ ? し、知らねぇよ !」
「ちがう、ちがうの……グスッ」
そばにあったティッシュの箱を抱えて立ちあがるとママさんは言った。
「あたしは……マモル、あんたのお母さんの親友だったんだよ」
◆ ◆ ◆
ええぇぇぇぇーーーーーーっ !! 驚きの展開とはこのことである。
ママ……カンナさんと浜崎くんのお母さんの若葉さんが中高の同級生でいちばんの親友だったなんて。
「ずっと、マモルに会いたいと思っていたんだよ」
「じゃあ研究所まで会いに行けばよかったのに~」
……あれ ? なんだこの空気。私なんか変なこと言いました ?
浜崎くんとカンナさんの間に流れる気まずい空気を感じた私は席を外した方がいいと思い立ちあがりかけた。
「待てよ、河村」
「はい !」
まさか浜崎くんに呼び止められるとは思っていなかったので、腰を浮かせた妙なポーズのままで固まってしまった。
「話っていうのは俺の両親のことだ。ちょうどよかったよ、俺の知らないことはカンナさんが話してくれると思う」
「そうだね。奈緒ちゃんなら何を聞いても大丈夫だ」
そう言うと、カンナさんは店のドアに準備中のプレートを掛けて窓にスクリーンを下ろすと私の隣に座った。
「まずは奈緒ちゃんとマモルの関係から聞かないとネ ♡」
ロマンチックな出会いを期待していたカンナさんには悪いと思いつつ、まずは私の関わった経緯から説明した。浜崎くんはそれを黙って聞いているだけだったが、カンナさんにはすべてがわかったようだ。
「なるほどね。マモル、また緑の眼になったんだ」
「また ?」
彼も初耳だったらしい。
「あんた、お父さんに会う日は必ずウミカノンの眼になったんだよ」
カンナさんも人魚のことをウミカノンと呼んだ。心の中に人魚が息づいている大人のひとりなんだ。
「じゃあ浜崎くんの眼、また変化する可能性あるんですね !」
「もちろん」
そして、ここからがカンナさんの話。
それは想像もつかないおとぎ話のような内容だったが、ただ言えることは救いようのない悲恋だったということ……。
私はカンナさんからティッシュの箱を奪い取ると、涙と鼻水をすすりあげた。
カンナさんの話には浜崎くんが知らなかったこともあったようだ。クラスメイトの男子による妨害など初めて聞くことらしい。
「マモルにはずっと会いたかったけど、若葉のことを思い出すのが辛かったんだ」
うんうん、わかりますカンナさんの気持ち……ズビ~ッ !
「あの俺、またここへ来てもいいですか ?」
「もちろん ! いつでも待ってるよ。また奈緒ちゃんとおいで」
グッジョブ ! カンナさん。
外に出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
「家まで送るよ」
自転車飛ばすからいいと言ったけど、浜崎くんはまだ何か言いたそうだったので送ってもらうことにした。
「カンナさんに会えてよかった。ありがとう」
「私、今日聞いたこと誰にも言わないから」
「言ったって誰も信じてくれないよ」
そうかなぁ。
見上げると、空には無数の星。そして、この中のいくつかは宇宙ステーションだ。これだけ人類は宇宙へ宇宙へと出て行ってるのに、異星人と遭遇したという話はまだ一度も聞いたことがない。銀河系の数を考えれば人魚と出会うより確率的に高いはずなのに。
「山村さんが言ってたけど、人類が宇宙に見切りをつけた時、次に目を向けるのは海だって」
「開発するっていうこと ? 宇宙と同じように」
「汚染させるもんか、絶対に」
数日後、クラス担任から呼び出された私は職員室へ行くと、先生の机の上に先日提出した進路志望調査用紙が置かれていることに気づいて思わず回れ右。
「待て河村、なんやこれは」
「なんや……って、希望進路ですけど」
「アホか ! 書き方を言うとんのじゃ」
第一志望、大学名「空欄」。学部、学科「環境保護」。志望理由「海の環境を守りたいから」。第二、第三志望以下「空欄」。
「今どき小学生でもこんな雑な記入せえへんわ。環境問題を専攻するにしても教育学から心理学、社会学、人類学、医学と多岐にわたるんや。もっとしぼって考えろ。まだまだ時間があると思ってたら大間違いやぞ」
本音を言うと、進学は考えていなかった。もともと勉強嫌いだし好きなことを仕事にしている父を見ていると、そんな人生もアリかなと思っていたから。
でも、浜崎くんに会って考えが変わったのだ。
「浜崎くんは、やっぱりお父さんと同じ分野の研究者になることが夢なの ?」
「べつに夢じゃないけど、理数系の他は興味ないし」
やっぱ頭いいー !
「河村は ?」
「か、考え中……」
無理無理無理、大学なんて私には絶対無理だ !
「大学なんて自分には無理だと思ってるだろ。今から頑張ってみろよ。英語くらいいつでも教えてやるから」
私の英語が真っ赤(赤点)だってこと知ってたんだね……ついでに言うと数学と科学も微妙に赤いんだけど(泣) こうなったらついでに三教科まとめて面倒見てくれないかな ?
って、調子にのるなよ奈緒 !
◆ ◆ ◆
「河村先生、文学賞受賞おめでとうございます !」
「ありがとうございます。皆さんのおかげです」
「受賞後の執筆のご予定は ?」
「ここではまだ発表できませんがプロットは出来ています」
高校を卒業した私は、なんとか地元の大学の文学部に補欠入学することができた。
もともと現実逃避が得意だった私にとって、物語を作ることは難しいことではなく何作か書き上げた小説を新人賞に応募しているうちにデビューが決まり、あれよあれよという間に作家という肩書をいただくまでになっていた。
文系が私に向いていると言ってくれたのは浜崎くんだった。その大学も卒業して早三年になる。
「マモル、お待たせ」
「取材はもういいの ?」
「うん、今日は授賞式のインタビューだけだったから」
あ~、早く帰ってこのクソ窮屈なパンプスとタイトスカートを脱いでジャージに着替えたい ! もし今、天変地異が起こってもこんな格好じゃ逃げられないよ。
「奈緒、天変地異が起こったら俺が背負って逃げてやるから、今日くらいジャージは忘れてくれ」
「マモル……」
「文学賞受賞おめでとう」
大学の修士課程を終えて青ノ崎の研究所へ戻って来たマモルと、来年の春に結婚することが決まったのはキューピット役のカンナさんのおかげだ。カンナさんは親友の息子の結婚式に出席できる日がくるなんて夢のようだと言って、また号泣。
マモルのお父さんは相変わらずのツナギ姿に長靴履きなので「たまには科学者らしく白衣でも着てくださいよ」とお願いすると「わたしが白衣を着たら、どう見てもマッドサイエンティストだよ」と言って笑った。想像してみたら『マモルの父=マッドサイエンティスト』というとんでもない図式が私の中に出来上がってしまったので、いつかマッドサイエンティストを主人公にした物語を書いてみよう(笑)
私の父は、結婚式までには必ず帰ると言っているがアテにならない。何せ父が今いる海は海でも『静かの海月面ステーション』なのだから。
「ところでマモル、文学賞取ったら人魚のこと小説にしてもいいって言ったよね ?」
「言ったけど、まさか本当に受賞するとは思ってなかったからな。で、書くの ?」
「書きたい。だけどぜんぜん違うストーリーにするつもりだから」
それは、これから生まれてくる私たちの子供の物語。
河村ナオ 著『うまれは遠い海の国』
~ 終わり ~