白と赤を纏った少女
深夜の廃工場。
どうしてか、何かに引き付けられるようにして来てしまう。
そんな場所で僕は目撃者となった。
白を基調とした赤の線が幾本も走るワンピースを身に纏った12歳ほどの少女。
まるで天から地に降り立ち、神のお告げを伝える天使の如き妖艶な微笑みを絶やさずその顔に貼り付け、ふわりとワンピースの裾が翻った。
幻覚を見ているのか、夢でも見ているのか。
けれど、ここが幻覚や夢などではない。そう確信を持って言えるほどのリアルさがこの空間には感じられる。
いつからここに通うことになったのか、今となっては覚えていない。だけど、この少女を見るためだけにここへ足を運ぶ。
毎日、同じ時間に同じようにして、廃工場の中央付近で少女が降り立つのだ。その少女を、僕は眺めている。それはまるでストーカーのようではあるけれど、少女は笑みを浮かべるだけで何も言ってこないし行動も起こさない。
当初、気持ち悪さばかりだったのだけど、今となってはすっかり魅了されてしまっている。一種の中毒患者と言ってもいいだろう。
そして今日もまた、その廃工場へやってきていた。
いつものように天から緩慢な動きで優雅に降り立つその動きは実に滑らかで、今日はこれまでよりも一段と輝いているように見える。それは錯覚だろうけれど、僕の目には確かにそう映っているのだ。
そう思っているうちに、僕の視線は少女に突き刺さる。
決して卑猥なことは考えていない。いや、考えられない。それほどに完璧なのだ。完璧であるが故に、そのような愚かなことを犯せない。
僕の目は自然と少女の着ているワンピースに吸い込まれる。
いつも同じ服なのに、いつも綺麗に整っている。皺一つ見当たらないその服が風に揺られて若干めくれ上がり、少女の足が見えた。
こうしたことも何度かあり、ワンピースの下は靄がかかったように見えなかったのだけど、今日は何故かはっきりと見える。
どうして見えるのか。
そんなことはすぐに追い払い、普段であれば白と赤のチェック柄をしたソックスを履いていた。
そんな夢を、僕は幾度となく見ている。
一度の夢で二度同じことをすることもあるし、三度の時もある。
毎日のように見るから、あそこは僕の居場所になりつつあった。
そしてあくる日。
僕はまた廃工場が目の前に見える、いつもと同じ出発点に降り立った。
夢の中だからか、体は現実よりも軽く感じ、弾む足を抑えて廃工場の中へと入る。
けれど、楽しみにしていた少女はまだ来ていないようだ。
珍しいこともあるものだ、と思いどこかに隠れている可能性を考え、コンテナの裏などを探して回った。
何処にもいない。
そう結論付けた時、不意に背後から声がかかった。
「お兄ちゃん、いつもそこで何をしてるの?」
妙に甲高い声で、不安定な声色に少々たじろぎながらも意を決し振り向く。すると、そこにはいつもの少女がいつもより笑みを深めて立っていた。
直後、僕は現状を理解し恐怖で金縛りにあい、身動きがとれなくなってしまう。
首を回そうとしても回らない。視線を逸らしたり、ちらちらと様子を窺うことしかままならない。
体中の毛穴から冷や汗が噴出しているのがわかるほどに心臓の鼓動も早まり、警鐘を鳴らしていた。
少女の姿が目の前から一瞬にして消え、次の瞬間、首筋にひんやりとした冷たい感触が伝わる。
視線だけ動かし、それを見ようとしても叶わない。だけど、目の前から少女がいなくなったことで首が動き、それを確認した。
月明かりを反射して妖しげに輝きを放つその刀は僕の首筋にピタリとつけられ、咄嗟に暴れようとするけれど、少女が視界に入った途端金縛りで動けなくなる。
だけど、それはそれで助かった。
夢の中で死ぬと現実でも死ぬと言われているから、金縛りに会っていなかったら死んでいたかもしれない。あの状態で暴れていたら確実に首が飛んでいたはずだ。
そう思うと、腹の底から恐怖が沸き起こり、思考が追いつかなくなった僕はその夢から出られた。
「はぁっ、はぁっ!」
呼吸が乱れ、心臓の鼓動が加速していく。
手に湿っている感覚が伝わり、布団を見れば広い範囲で湿っている。服を見れば色が変わるほどに汗をかいていて、不自然に赤色の斑点が首筋から落ちている。
「今、何の夢みてたっけ⋯⋯」
脳内に痛みが走り、思い出そうとすれば靄がかかり思い出せない。
無意識に首筋を指でなぞると、ぬめりとした感覚が指を伝ってきた。その指を見ると、血液が付着している。誰の?僕以外に誰がいるというのだ。
そして、布団のこれらの斑点は僕の首筋から出ている血液によるものだとわかった。
不思議と痛みは感じない。
そのことがどうしようもなく怖くなり、布団から飛び出してリビングへ走る。
そのまま突っ切り、10階建てマンションの10階にある我が家から玄関を押し開けた。そのまま階段に行き、すると見覚えのある少女がいた。
それは、僕の靄がかかった記憶を晴らすには十分なほどの衝撃。
いつものような妖艶な微笑みではなく狂気的な笑みを浮かべてこちらを見つめている。
膝がガクガクと生まれたての小鹿のように震え、咄嗟に踵を返す。
あのままいれば発狂していたに違いない。
エレベーターにもきっといる。
根拠もなくそう確信出来た。
急いで部屋に戻り、布団に包まってあの少女が消え去ることを祈り、ただただ待っていること約数秒。
ガタガタと音を立てて何かが崩れた。
目を開き布団の隙間から覗き見ると、妖しげな刀で扉を斬り刻んだあの少女が立っていた。
少女は一歩、また一歩と近づく。
ダメだ、来ないで!お願いだから、もう、助けて!
だけど、少女はそんなに甘くなかった。
右手に持った刀を振りかざし、僕に向けて振り下ろす⋯⋯ところを寸でのところで後ろに飛ぶ。
躱し切れずに血しぶきが舞い、その噴き出した血が一点へと集中し始めた。それはやがて球体になり少女に取り込まれ、少女の着ている服に赤色の線が一本、追加された。
「ひぃっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい許して下さいっ!!」
それでも迫ってくる少女に対し、恐怖のあまり錯乱し部屋にある窓から飛び出した。
その事に気付いた時にはもう遅く、体は空中に放りだされており、窓から見下ろして来る少女は満足な笑みを浮かべ、まるで最初からいなかったかのように消える。
「あぁ⋯⋯。こんなことなら、廃工場なんて入らなかったらよかった⋯⋯」
嘆いても遅く、空中で身動きすら取れずにいた僕の脳内で今までの出来事、人生の全てが流れて行く。
これが走馬灯⋯⋯。幻想的でとても綺麗だ。
だけど、それは死の宣告。
涙が込み上げ、僅かな滞空時間に涙が溢れてくる。
その数瞬後、僕は頭からアスファルトに叩きつけられた。
後日、新聞には一つのニュースが掲載されていた。
「高校生の少年、自宅マンションから飛び降り自殺」
大きく張り出された見出しに、あらゆる人がその記事を読む。
部屋は荒れた様子がなく、きちんと整理整頓されていたと書かれ、近所の声という欄では「どうしてあの子が」という意見が多いことも書いてある。
遺族の申し出により、解剖をすることになったが、何かがわかることなくそれは終わりを告げた。
医者の提案により、遺族は最近になって開発された機械を使うことになった。
それは、使用した人物の死ぬ間際の記憶を再生できる装置だ。
彼ら医者と遺族はその記憶を見て、脳の波長を見て、一つの結論がつけられる。
少年の死ぬ間際はただ寝ているだけであり、窓から飛び降りたこと自体がおかしい。という話になり、どうにも容量を得なくなっていた。
少年の死について謎は深まり、終ぞ解明されることはなかったと言う。