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魔法使いの家庭内不和!?

 朝、目が覚めた。

 また目覚ましを掛けるのを忘れたが、時刻はきっちり午前六時。昨日は早く寝たとはいえ、信じられないほど快眠。

 朝日は桜の木に遮られて入らないが、入学して一番、気持ちのいい朝である。

 隣を見ると、榛銘はまだ布団に包まっている。愛奈はなんだか楽しくなって、それにもう朝食の時間が始まるのもあって、榛銘を揺り起しにかかる。

「綾部さん、朝ですよ。起きてください。今日は一緒に学校に行きましょう」

 少し馴れ馴れしかったかとも思ったが、少なくとも一年は同じ部屋なのだ。そろそろ本気で仲を深めてみよう。

 榛銘は煩げに布団から顔をだし、寝惚け眼で愛奈を睨みつけた。

「今日は土曜だ馬鹿愛奈」

 はっとする。

枕元の目覚まし時計を手探りで探そうとする榛銘に、愛奈は思わず言った。

「いま、愛奈って、……始めて愛奈って呼んでくれました!」

「あ?」

 時間を見てますます機嫌を悪くした榛銘は先ほどの五割増しの眼光で射殺さんばかりに愛奈を睨む。

「わたしもこれからは榛銘さん、って呼んだ方が良いんですかね?」

「……飯行ってくる」

「あ、わたしも行きます!」

 靴を引っ掛け、身なりを整えるのもほどほどに、愛奈は榛銘を追った。

 気のせいか、少し榛銘は歩くのが遅かったように思う。



 ぱたぱたと追いかけて来る愛奈に、榛銘は言う。

「で、どこまで付いてくるつもりだよ?」

 朝食から昼食も、その後も、愛奈は榛銘にじゃれついていた。

 榛銘も最初は適当に付き合っていたが、そろそろ限界の様だった。

 一方で愛奈はころころと笑いながら、

「まあまあ、折角初めての土曜日なんだし、一緒にどこか遊びに行こうよ」

 などと言う。

 傍から見れば微笑ましい会話だろうが、榛銘からは殺気が、愛奈からは絶対に逃がさないという意思が漏れていた。

 寮を出て少し歩いたところで、榛銘は愛奈を振り返り指を鼻先に突き付けた。

「私は獣を殺しに行く。お前は邪魔だから付いてくるな」

愛奈は笑顔を引っ込めず言う。

「邪魔にならないよう、物陰から見てますね」

「もう既に邪魔だ。言ったろ、獣は魔法使いが望むから湧いてくる。お前が居たんじゃ話にならない」

「あれ、でも昨日はわたし獣見ましたよ? 綾部さんが望んでるなら大丈夫じゃないですか?」

「……危ないから帰れ」

「怪我しても治るんですよね? もし本当に危ないなら絶対に行かせません」

「…………」

「…………」

 見つめ合うこと数十秒。

「別に、見て楽しいもんでもないだろ」

「それでも、この目でしっかりと見ます」

 そういうことになった。


 土曜日だろうと熱心な生徒は部活動に励んでいる。

 愛奈と榛銘はなるべく敷地内の、しかし人目に付かなさそうな場所を探して歩いた。

 この霧ノ宮学園は一つの山を丸ごと飲み込む形で建立されている。

 頂上に倉庫や部活棟など、必要な人には必要な物があり、少し下の頂上付近に校舎が建っている。寮は山の麓だ。

 山といってもそれほど標高の高い山では無く、愛奈からすればちょっと小高い丘のようなものだ。女子高生の足でも一日あれば麓をぐるりと一周できる。

 ともかくここは山中で、ここに居るのは女生徒ばかり。人目に付かない場所には困らなかった。

 ハイキング気分で歩く愛奈の腕を掴んで引き寄せる。榛銘は愛奈の耳元で静かに囁いた。

「見つけた。お前はここに居ろ」

 愛奈は榛銘が見ている方向を見た。

「……ダチョウ?」

「……ああ、おかしいな。私がこれまで見てきた獣は全部狼だったのに……」

 言って、しかし榛銘は飛び出した。

 あんなに大きな、そして真っ黒なダチョウが日本を闊歩している筈がない。ならばあれは“獣”だろう。

 榛銘は右手を背中にやる。

 獣はこちらに気付いていない。愛奈の眼からは榛銘の右手は長い黒髪に隠れて見えなくなった。

 瞬間、髪から刀が生える。

 いや、生えたように見えただけか。榛銘の手にしっかと刀が握られている。

 魔法か、あるいは足音に気付いたか、獣はこちらを見、脱兎の如く逃げ出した。

「は?」

「は?」

 声が重なる。

 まさに、初めて外敵に遇った鳥のような獣。

 あちらも驚いたのだろうが、こちらも驚いた。ついでに言えば、驚愕の度合いは愛奈よりもむしろ、榛銘の方が大きかったようである。

「……逃げた? なんで?」

 呆然とする榛銘を尻目に、愛奈は安堵の溜め息を吐く。榛銘が危険な目に合わなかったのは良いことだ。

 と、

「あれ? 綾部さん、倒さなかった獣ってどうなるんですか?」

「え? ……さあ?」

 衝撃冷めやらぬ、ポカンとした榛銘の眼前を、愛奈は指さした。

「あの、さっきの獣、山を登って行きましたね?」

 そのさきには学生寮、校舎、倉庫がある。

「……走るぞ愛奈!」

「はっ、はい!」



 結局、無事獣を倒せたのは夕食ギリギリの時間だった。

 二人とも走り回ってヘトヘトな上、榛銘に至ってはまたいつ倒れてもおかしくないほどに疲労困憊だった。

 疲れのあまり食欲は湧かなかったが、昨晩も食べていないので無理してでも食べようと職員にトレイを貰う。

 汗と泥で汚れた二人は食堂中の注目の的だった。

 食欲は無かったはずなのに、その日の塩サバ定食は舌が融けるほど美味しかった。


 入浴も終えて部屋に戻る。

 何度か話しかけてみたものの、榛銘は心ここに在らずで、まともな返答をくれなかった。

 今もベッドに体を横たえて何やら呆としている。

 愛奈は音を立てない様に近づき、榛銘の足首をむんずと掴んで足の裏をくすぐった。

「んなぁ!? おいこら、何やってる、離せ!」

 ふと目をやると、榛銘の手にはごつい拳銃が握られていた。

「…………」

 からかうのも命懸けだ、と愛奈は手を離す。

 榛銘は暫く呼吸を整えて、愛奈を思い切り睨みつけた。

「……なんなんだ? お前」

 顔を真っ赤にした榛銘にドキリとしつつ、愛奈は口を開いた。

「いや、その、何を考えてるのかと……」

「それ聞くためにくすぐる必要あったか?」

「ないです。はい」

 はあ、と溜め息を吐き榛銘は話し出した。

「あの獣のことだよ。おかしいだろ。これまでずっと狼だった。なのに昨日の今日でいきなり姿が変わった。あんなの見たこと無い」

 愛奈はいまいち状況が呑み込めないが、とりあえず思ったことを口に出した。

「二人で見たから、ですかね」

 榛銘は少し考え、言う。

「……関係ないだろ」

「……ですかね」

 もう一つ、考えられる理由はあった。だが、それが当たっているなら。愛奈は怖くてそれを言えないでいた。

「それに、あの獣、全然攻撃してこなかった」

「ダチョウだからじゃないですか?」

 こちらも少し考え、今度は頷く。

「……まあ、そうか」

 それでいえば逃げ回っていたのもダチョウだからだろうと愛奈は考えた。

 問題は、何故ダチョウだったかで。

「まあ、明日も休みだ。今度は起こすなよ?」

「すみませんでした」

 今日もぐっすり眠れそうだと思ったところで、ベッドに横になり目を瞑る。

 意識が落ちるまで、二秒も掛からなかった。




 翌朝もスマートフォンのアラーム機能に頼らず目を覚ますことができた。

 得意になって横を見ると、榛銘はベッドの上で胡坐をかいて、眼を閉じたまま深い呼吸を繰り返している。瞑想だろうか?

「綾部さん、おはようございます」

 綾部さん、と声を掛けたところで榛銘は眼を開け、手を背中に回した。おはようございます、の所で背中から愛奈の腕より長そうなライフルを持った手を取り出す。

 銃口と目が合う。つまり照準は頭ヘッド。

 下手に動けず、しかし動かないという方が苦痛な一秒が過ぎ、榛銘は銃を腕ごと背中に回す。隠しきれず飛び出た銃の先端が音も無く消えた。

「ああ、おはよう、愛奈」

「おはよう、じゃないですよ! 死を覚悟しましたよ今っ!」

 がばっと起き上がって薄い胸に手を当てる。心臓がガトリングのように鼓動を撃ち続けていた。

 榛銘と会ってから、愛奈の心筋は酷使され過ぎである。良くも悪くも刺激的に過ぎるのだ。

 榛銘は流石にバツが悪そうに頭を掻いた。

「悪かったよ。気が立ってたんだ」

 珍しく素直な榛銘に、愛奈はむうと唸る。

「何かあったんですか?」

 榛銘は携帯を取り出しながら低い声で答えた。

「親が会いに来るんだ。今日、ここに」

 言って、携帯の画面をこちらに見せる。

 画面にはこう書いてあった。

『From 綾部青鳴

Sub(non title)

会いに行く。逃げたら殺す』

「……随分、過激な親御さんですね?」

 携帯を閉じながら、榛銘は物憂げに微笑んだ。

「正直私も会いたくない。だからこんな自由のない全寮制を選んだんだ。ここは自由以外は不自由ないからな」

 さすがに、なにも言えなかった。



 朝食のサンドイッチを食堂で摂りながら、榛銘から説明という名の愚痴を聞かされた。

 親子関係は険悪で、嫌な思い出には事欠かない様子だった。

 それも、例の心を見失う、という方法で娘を魔法使いに仕立て上げるような親なら、その心情は察して余りある。

 そんな訳で、愛奈は入学以来あまりなかった一人の時間を過ごしている。

 思えば、一人でいる時間より榛銘といた時間の方が長い。そう考えると、なにやら心がもやもやとした。

 最初は美少女というだけで落ち着かなかった愛奈だが、たまに急接近する時や入浴の時以外ではもうドギマギすることもない。

 そういえば、浴場でも思ったのだが、榛銘はあれで綺麗な肌をしているのである。もっと、傷が付いているのかと思っていたが、やはり獣との戦闘では怪我をしないようだ。

 ならば、獣とは一体、なんなのだろう。

 そして、榛銘に獣との戦いを止めさせる方法は無いのだろうか。

 愛奈に夢があれば、榛銘を納得させられるのだろうか。少なくとも、話し合いの余地は生まれそうだ。

「……夢、か」

 やりたくない事なら色々ある。しかし、やりたい事はあまりない。

 昔は、色んな事に憧れていたような気がする。パン屋さんとか、ケーキ屋さんとか、お嫁さんとか。

 今なりたいか、と聞かれれば首を傾げる職業。

 それなら、愛奈は卒業後、何をしたいのだろう。三年後、愛奈は何をしているのだろう。

 高校生活は三年間しか無く、三年次にはもう就活か受験勉強に明け暮れているだろう。

 実質、愛奈が悠長に悩んでいられる時間なんてあと二年しかないのだ。

 これから六十歳で定年退職するか、結婚でもして退職するか以外では変わらないであろう人生の伴侶。

 あと四十年ほどを共にするであろう未来の自分。それを、後たった二年間で。

 適当に行ける大学に入って、バイトでもしながら授業を受けて、それで、また四年間の時間を得るという方法も無いでは無かったが、それは後二年で進路が決まらなかった時の話だ。

 いまは、そう、獣を。

 榛銘はこれまで、一人で戦ってきたのだろう。疑問も無く、ずっと。榛銘だけでなく、その親も、そのまた親も、何代もの魔法使いたちがほとんど理由もなく戦って来た。

 それを、夢も希望もない自分が、止めていい理由なんて、確かにないのかもしれない。

「……結局、獣ってなんなんでしょうね?」

「私たち魔法使いの敵よ、可愛いお嬢さん」

「っ!」

 ベッドから跳ね起きると、桜の木が日光を阻む窓際に、妙齢の女性が立っていた。

 思わず息を呑む。

 美しい、というならそうだろうが、それを帳消しにして余りある不気味さ。

 榛銘を柳の下に佇む幽玄の美というなら、この女は墓地に棲みつく退廃の美だ。

 絡みつく程に不吉な黒い髪に、死者を連想せずにはいられない青磁の肌。

 なのに、こんなにも死者の気配を纏わせているのに、似ている。

 顔立ちは全くと言っていいほど似ていないのに、この人が榛銘の母親なんだと気付いた。

 気持ち悪い。

「……もしかして、榛銘さんのお母さんですか?」

 尋ねる。絶対の確信を持って。

「ええ、そうよ。似てないでしょう?」

「……そうですね、全然似てません」

 愛奈の言葉を受けて、女は嗤う。

「良いわね、貴女。私は大好きよ? どう、貴女も魔法使いになっちゃう? そうすれば嫌でも獣と関係を持てるわ」

 この女は、愛奈が魔法を得る条件を知っていると、理解した上でこう言っているのか? それとも、知らなくても、首を縦に振れば良いと?

「あらあら、なんだかご機嫌ななめ? もしかして榛銘の奴に有ること無いこと吹き込まれた? 馬鹿ね、本気にしちゃダメよ? あいつ、人でなしだから」

「榛銘さんは優しい人です」

 そんな言葉が、思わず口を突いて出た。

 ……優しいだろうか? 正直よく分からない。

 それでも、愛奈が榛銘を好いている事はどうしようもなく真実だ。

「いやいや! ないない! あいつが優しい? 嘘でしょう? 獣を見たって分かる。あいつは残酷。貴女が知らないだけよ」

 こうなったら売り言葉に買い言葉である。

「榛銘さんが優しいのは眼を見ればわかります! 最近、どんどん雰囲気が丸くなってきてるんです――」

 瞬間、扉が爆発するような勢いで開いた。

火の玉のように飛び出してきたのは、全身の制服が無惨に裂け、血をしたたらせる榛銘だった。

 榛銘は愛奈に目もくれず女に突撃する。

 女に肉薄するさなか、榛銘は両手をスカートのポケットに突っ込んだ。

 そして、引き出す。左右の手にはそれぞれ、短いながらも細身で、だからこそ長く見える小さな刀を持っている。

 しかし、その刃が役目を果たすことはなかった。

 榛銘の体が見えない壁にぶつかったように、というよりも、巨大な手で捕まえられたように動きを止めた。

 そのまま、ぐしゃりと握りつぶされる。

「……っっっっああああああああ!!」

 バキバキと、両腕が刀ごとねじ曲がる。血飛沫が床を濡らし、その液体は愛奈の足元まで舌を伸ばし、指先を舐める。

 いつかの、あの濃密な血の臭いが部屋を埋め尽くした。

 そこで、恐怖と驚愕に固まっていた体がようやく動き出す。

「綾部さん!」

 足が動く。どうしようもないとわかっていながら、考えるよりも先に体が突き動かされる。

 何か訳のわからないことを叫びながら、愛奈は女に突撃した。

 女が愛奈を見る。愛奈も女を見た。視線がぶつかる。この瞬間、間に榛銘を挟んでいながら、誰も榛銘を認識していなかった。

 強大な悪意を感じる。あの見えない腕で、握り潰されるんだと思った瞬間、轟音が世界中の空気を叩いた。

 それは音速よりも疾く、愛奈の背中を追い抜いて、女に殺到した。

 無数の黒い銃弾。

 女はそれを受け、全身から血を撒き散らしながら窓を突き破り、桜の木の根元へと落ちていった。

 愛奈はそれを確認するよりも、榛銘を振り返る。

 榛銘はボロボロで、全身が真っ赤だった。

「綾部さん、待って、今すぐ血を止めますから。大丈夫です。絶対助けますから……」

 言いながら止血しようと榛銘の体を見て、体中の傷を見て、愛奈は笑ってしまった。

 どうしようもない。致命傷だ。骨は粉々で、血が流れすぎている。

 たとえここが手術室で、愛奈がどんな名医だって、助けられない。

「……あ、あはは、ま、待ってて、助かります。大丈夫です」

 そう、まずは両腕と両足を根本から縛る。そうしたら体を布で括って、シーツも服もあるし、下は地面じゃない。ラッキーだ。助かる。その後は病院に連絡して、ギブスでガチガチに固定してもらうのだ。それならもう、傷付かない。獣と戦うことなんてない。

 ひゅーひゅーと、変に空気を漏らすだけになっていた榛銘がぴくりと動いた。

 両腕を血溜まりに押し付け、なんとか起き上がろうとする。

「ちょ、う、動かないで! 動いたらダメです。死んじゃいます」

「……いいから」

 ほとんど聞き取れない。虫の息で榛銘は言った。

「よく、ないですよ。なんにもよくないです。と、友達なんだから、わたしの言うこと聞いてください。いまは、何もしないで……」

 しらず、愛奈の眼から涙が流れた。透明なしずくが、次から次へと朱い液体に混ざる。不気味で美しい光景だった。

 榛銘は愛奈の眼を、虚ろな眼で覗き見る。

 生気がないから、黒い瞳はガラス玉のように綺麗だった。

 そうすることすら地獄の苦しみだろうに、榛銘は愛奈の目元を指で拭う。

「……眼を、閉じろ」

「綾部、さん……?」

 愛奈はいやいやをするように首を振った。駄目だった。絶対に、死んでほしくないのだ。

「……ともだち、なんだろ。いいから眼を閉じろ」

 涙腺が決壊する。とめどなく溢れる涙で、もう何も見えない。

 役に立たないから、言われたとおりにまぶたを閉じた。

 ――やっぱり、わたしには誰も救えない。

 眼を閉じる瞬間、確かに、榛銘は笑った。

 目の前が真っ暗になる。心が壊れてしまいそうで、悲しみを紛らわすために泣くことしかできなかった。

 愛奈に触れていた、榛銘の体温が消える。榛銘の体の感触が消えて、愛奈は思わず眼を見開く。

 そこには、正常な、空間があった。

「……え?」

 血の臭いなど余韻すらも残さず、無数の銃弾に破られた窓にはヒビ一つない。床をぬらしているのは、愛奈から零れた涙だけだった。

 そして、何より傷一つない、ほとんど新品の制服を着た、榛銘がそこにいた。

「……もともと、私たち魔法使いは失くした心からつくられるモノで戦ってる。それを認識する奴がいなきゃ、爪痕なんて残らない」

「え、あ、もしかして、獣も……?」

 こくん、と頷く榛銘。

 過去に二度、愛奈は榛銘と獣の戦いを見ている。そのどちらも、もともとなにもなかったかのように消え去っていた。

 思えば、それらが元通りに直る瞬間を、愛奈は見ていない。

「あの女は、帰ったか。死んでれば御の字だけど」

 そんなことを言う榛銘の背中へ、愛奈は飛びついた。

 驚く榛銘を無視して、背中から力いっぱい抱き締める。

「……愛奈、苦しい」

「……うるさい、そういう事は、先に言ってください。わたしは、綾部さんが死んじゃうかと思って、」

 腕の中から良い匂いがする。さっきまでの血臭はもうない。柔らかい感触。骨も出ていなければ、血で濡れてもいない。

「魔法ってのはさ、使う瞬間を誰かに見られたら、発動しないんだ。誰にも認識されてないから、武器を持っていても不自然じゃない。そういう意味じゃ、見られればマズイってのを、知られるのは致命的だ。だから……」

「だから黙ってた? そんな、そんなことの為に?」

「……死んでも元に戻るかなんてわからない。獣は消えるし。だから、そんなこと、じゃない」

 腕に力を込める。榛銘の肩甲骨あたりに額をうずめて、大きく息を吸った。

「そんなこと、です。あんな、自分の娘を殺そうとする親の言いなりになって、命懸けで、無意味に獣を殺す理由なんてない。訳わかりませんよ。あなたは、何がしたいんですか?」

「っ、お前には、関係ない」

 否定する榛銘の言葉は、今までで一番弱々しかった。

「関係ない訳ないです。こんなに心配かけて、あなたは反論一つできないじゃないですか。獣と戦う理由はなんですか? 何の意味があるんですか!」

「じゃあお前はどうなんだ! お前が生きることの意味は何だ、理由は何だ! そんなこと考えなきゃ、息も出来ないのか!? いいだろ別に、そうやって教えられて、そうやって生きてきたんだ。怪我だってしない、迷惑だってかけない。私の自由だ。それに、口出しする権利がお前にあるのか!?」

 榛銘の声が揺れている。決壊しそうに張り詰めた声には、温かい液体が揺蕩って聞こえる。

 後ろから抱きしめたまま、愛奈は榛銘の頭を撫でた。

「……わたしにも、お母さんがいます。お父さんもお母さんも、とっても忙しくて、わたしは二人との思い出がほとんどありません」

 広い部屋、欲しい物は買い与えられ、お手伝いさんがいて、美味しい料理が出てくる、誰もが羨む家だったと思う。

 そう思っていたのは、自分だけだった。

「わたしは大きくなったら、二人の後を継ぐんだと思っていました。そう言ったら、お母さんが喜んでくれた記憶があります。わたしは、その瞬間からその為に生きてきました」

 唐突な愛奈の言葉に、榛銘は返事をしない。でも、聞いてくれているとわかる。愛奈は、不思議と穏やかな気持ちだった。

 自分が寂しい人間だなんて、友達に言われるまで知らなかった。でもよかった。だって、愛奈は十分に、愛されていたのがわかっていたのだ。愛奈だけには。

「この高校に合格した後、お父さんとお母さんが死にました。お金目当てだったと、犯人は言いました。二人のお金はわたしが貰って、会社は株主の物になりました」

 犯人の事情はニュースでも見た。家族を養うため、なんて言っていた気がするが、どうでもよかった。

 犯人が憎くない訳じゃない。でも、それ以上に、愛奈にとって両親の存在が遠かったことを思い知らされた。その方が重要だった。

 愛奈に遺った物は、命と財産だけだったのだ。

「わたしの夢も、目標もなくなりました。両親の会社はまだありますけど、就職する意味なんてありません。あそこに二人はいないし、わたしにはお金があります」

 そう、愛奈は、決してその仕事がしたかったのではなく、ただ、親子で一緒にいたかったのだ。

「ねえ、わたしにとって、親ってその程度の存在だったんです。二人が死んで、わたしは初めて気が付きました。わたしが二人を好きだったのは、二人がわたしの親だったからって、それだけなんです」

 一呼吸の間を取る。榛銘の体の感触が恋しい。抱きしめているのに、物足りないと感じる。

「わたしは、今から夢を持ちます」

 ビクリと榛銘の体が緊張する。どちらの汗でか、制服が貼り付く、体が密着する。榛銘の心臓が、うるさいくらいにリズムを奏でた。

「わたしは、好きな大学に行って、好きな職業に就いて、好きな人と結婚して、子供を産んで」

 この一言が榛銘を殺せればいいと、愛奈は心の底からそう思った。

「そうして、わたしは幸せになります」

 目標は幸せな人生。夢は幸せな家庭。

そうして、最期は幸せだったと、笑顔で死ぬのだ。

ああ、それはなんて、平凡で、誰もが憧れる、人の夢のカタチだろう。

 それは目指さないと、望まないと手に入らない物だと、愛奈は知っている。

 仕事に忙殺されて、稼いだお金目当てで刺殺された人を知っている。

 誰かの言いなりになって、自分の人生を空費させている少女を知っている。

「……もし、進路の希望がないなら、わたしと同じ大学に行きませんか? それで、同じ部屋を借りて、二人で暮らすんです。授業で協力したり、生活は持ち回りで、わたし家事したことありませんけど、頑張ります。どうですか? きっと、楽しいです」

 笑ってしまうくらいに、幸せな計画だ。ほら、なんて、青春なんだろう。

 榛銘は、溜めていた息を、ゆっくりと吐いた。背中もお腹も大きく動いて、愛奈はその動きが愛おしい。

 榛銘は、

「……少し、考える時間をくれ。これまでの人生と、これからの人生を」

「時間はあります。少なくとも、あと二年は遊んでいたって、誰も怒りません」

 榛銘はのろのろとした動きでベッドに歩いて、ゆったりと倒れ込んだ。すぐに寝息が聞こえる。

 愛奈は笑って、榛銘をひっくり返し、制服のネクタイを外し、靴を脱がせ、布団を被せた。

 そういえば、魔法を使ったあとは何時も辛そうだっなと思う。

 二度、獣と戦った時もそう。

 その時、何か違和感を感じた。

 しかし、愛奈は時計を見て、とりあえず昼食を摂ることにした。

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