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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
小学生編
9/37

林間欠陥第六感(前編)



 林間学校は三泊四日だ。

 これから四日間、ひたすら忍耐の日々なのか……と思うと、史緒の心はどんよりと暗雲がかかっていたが、そんな気持ちとは裏腹に、朝から空はピーカン晴れ、気温も花丸上昇中、夏の思い出の一ページを飾るのに相応しい、清々しい出発日となった。青い空に白い雲が眩しいね、ってなもんである。

 同級生たちは小さな身体に不釣り合いな大きいリュックやバッグを手に、楽しげな顔できゃっきゃとバスを前にしてはしゃいでいる。当日の朝は出発式なるものを校庭で行って、人数確認をしたり、これからの集団生活についての注意事項などを聞かされるのだ。すでに汗ばむほどに暑い現在、並ばされて立たされてじっとさせられて、行く前から疲れさせてどうすんだとは思うが、学校というのはこういうことをしないと気が済まないものらしい。

 依然として行くのはイヤだが、長々とした先生の話が終わって、バスに乗る段になると、ホッとした。

 少なくとも、バスの中はクーラーが効いていて涼しい。走行中はバスガイドさんに付き合ってクイズをしたり歌を歌ったりせねばならないが、じりじりと校庭で蒸し焼きになりながら教師のどうでもいい話を聞き続けるよりはマシだ。

 生徒たちがバスに乗り込むと、見送りに来ていた親たちがぞろぞろと近くまで寄ってきて、我が子に向かって手を振ったりしている。笑みを浮かべてはいるが、どの顔も一様に心配そうだった。四日間も親と子が離れることなんて、今までにあまりないからだろう。子供のほうは、ほとんどがけろりとして「いってきまーす」と陽気に手を振り返しているけど。

 しかしその時、ちょっとしたざわめきが起こった。


「あれ、誰のお父さん?」

「え、お父さんかな。お兄さんじゃない?」

「ええー、お兄さんにしては大人すぎるよ。でも……」


 バスの窓から外を見やって、ざわざわと話しているのは女の子ばかりだった。史緒は快適なクーラーの冷風に吹かれて、座席にもたれてすっかり寛いでいたのだが、その声につられて、ん? と窓の向こうに目をやった。

「…………」

 ああ……と納得する。納得して、ちょっと迷った。どうしようかな。

「ねえねえ、アキラくん、もしかして、あの人アキラくんのお父さんかお兄さん?」

 女の子のうちの誰かが、弾んだ声をあげて、反対の座席にいる高遠を振り返る。席で優雅に落ち着いていた高遠は、ちらりとそちらに視線を投げただけで、「僕のところは誰も来ていないよ」と答えた。だって宇宙の向こうからじゃ来られないだろ? とでも続けたら面白いことになるのに、SF妄想癖を史緒以外には隠しているらしい高遠は、それっきりしれっと口を噤む。

「フミちゃん、あれ……」

 同じく窓の外を見た隣の席の結衣ちゃんが、史緒の腕をちょんちょんと突っついた。「うん」と答え、しょうがないから、史緒はその人物に向けて手を振る。途端にぱあっと嬉しそうな笑顔になった相手は、ぶんぶんと大きく手を振り返して、持っていたデジカメを張り切って史緒に向けた。恥ずかしいので、やめていただきたい。

「……え」

「あれ、塚原さんとこのお父さん……?」

 ざわざわした声が、一段階増加した。

 最近、史緒はクラスから浮いている。他ならぬ高遠のせいだが。なのでこの時も、女の子たちは史緒には直接声をかけず、隣にいる結衣ちゃんに向かって、こそこそと事の真偽を確かめた。

「うん、そうだよー。カッコイイでしょ」

 だからそう答えたのは、史緒ではなく、結衣ちゃんだ。結衣ちゃんはなぜだか自慢げに胸を張り、「フミちゃんのパパは、すごいイケメンなんだよねー」とニコニコして言った。同意を求められた史緒は、その通りだよと返すわけにもいかないので、曖昧に首を傾けるしかない。

 へえ、とか、ふうん、とか、微妙な声があちこちで上がり、みんな揃って再び窓の外へと視線を移す。自分が注目の的になっていることも気づかずに、史緒の父はまだ手を振りながら、気をつけてね! と口を動かしていた。小学生のみならず、周囲のお母さんたちにも、ちらちらと見られては話のタネにされているみたいなのに、まったく無頓着だ。さすがパパ、空気の読めなさ加減がハンパねえ。

 身につけているのは普通の白いTシャツにジーンズ、スニーカーという普段着姿の父は、会社がフレックス制なので、今日は午後からのんびり出社予定である。だから朝から夕方まできっちりと仕事をしている母に代わり見送りに来てくれたのだが、こんな騒ぎになるならもっと強硬に断ればよかったか。来なくていいよと何度も言ったんだけどねえ。

 確かに父はイケメンだ。若くも見える。二枚目俳優の誰それに似てる、ともよく言われる。背も高いし足も長い。父と並んで歩くと、すれ違う女の人は結構な確率で振り返る。

 でも、オタクだ。

 外見はイケていても、中身はけっこう残念なオタクだ。

 優しいし、書類の家族の続柄欄には、わざわざ「愛妻」「愛娘」と書くくらい愛情もふんだんにあるが、同じくらいの愛情がアニメおよびキャラにも向けられてしまうという、ほとんどの人はドン引き確定なくらいのコアなオタクなのだ、あのパパは。

 だんだん居たたまれなくなってきて、早く出発しないかなあ、と運転席のほうへと顔を巡らせた。ふと気がつけば、さっきまで全然興味のなさそうだった高遠が、身を乗り出して女の子たちと同じ方向を見つめている。

 ひょっとして、見返りを求めない愛情とは何か、という質問をしたがっているのかもしれない。イヤだな、早く出発してくれないかな。一人ずつならともかく、オタクなアホが二人も揃ったら、いくらなんでも面倒見きれない。

 史緒のその願いが天に通じたのか、バスがゆったりと動き始めた。バスガイドさんが、「出発しますよー」と朗らかな声を上げる。

 やれやれ、と息を吐きながら、史緒は父に向けてもう一度控えめに手を振った。父が爽やかな笑みを浮かべて手を振っているところを、バスの中の女の子たちと、周りのお母さんたちと、ついでに史緒の担任の独身女教師までが、うっとりした顔で眺めている。お願いだから、他のお母さんたちに話しかけられても、その爽やかな顔で魔法少女の話題とかを持ち出すなよ、パパ。

「フミちゃんのパパ、会社でもモテモテなんじゃない?」

 笑って結衣ちゃんに言われたが、そうでもないよ、と答えた。だって会社の人たちは、パパの中身を知ってるからさ。堂々たる純粋なオタクであるパパは、自分の趣味を隠す、ということをまったくしないからね!

「いいなあー、フミちゃん。私のパパなんて、もう完全にオジサンだよー」

 いいじゃん、オジサンでも。結衣ちゃんのパパは、オジサンであるかもしれないが、間違っても勉強の代わりにアニメ鑑賞会を強要したりしないでしょ。しかも長々とウンチクを語って娘を疲労困憊させたりしないでしょ。アニメじゃない映画を観たいと言うだけで泣きそうになったりしないでしょ。

「あ、そーか」

 何かを思いついたように言って、結衣ちゃんは、そこでこっそりと声を潜めた。

「……フミちゃんがアキラくんにあんまり騒がないのは、カッコイイ男の人を見慣れてるからなんだね!」

 違います。慣れているのはオタクです。高遠に関わりたくないのも、それが理由です。面倒な人種は父親だけで充分だと思っているからです。

「私もああいう人と結婚したいなあー」

「…………」

 うっとりと未来に思いを馳せる結衣ちゃんから視線を外し、ふー、と深くて長い溜め息を吐いて、史緒はちらっと斜め前方に座る高遠の整った横顔を見た。

 史緒はまだ小学生だが、結衣ちゃんよりは、ちょっとばかり、世の中の真実というものを知っている。


 男は顔じゃない。



          ***



 途中、何度かトイレ休憩と昼休憩を取って、無事、バスは目的地へと到着した。

 山の中の、なかなか殺風景な佇まいの研修施設が、林間学校の舞台である。ここをベースに、食事を作ったり、食べたり、ハイキングをしたり、ラジオ体操をしたり、マクラ投げをしたりして、少しだけアウトドア気分を味わいつつ、自立心や協調性とかを養う修行をするのだ。多分。

 到着してからまた「先生のお話」を聞き、割り当てられた部屋に荷物を置いたり、あちこちを覗きに行ったりして、バタバタしているうちに時間はまたたく間に過ぎていく。

 集合がかかって、さあそれでは飯ごうすいさんを始めますよー、と先生が大声を張り上げた。メニューはもちろんカレーだ。

 みんな興奮しているらしくて、わいわい騒いでいるばかりで、なかなか行動に移そうとはしない。史緒は今のところその他大勢と混じれるポジションではないし、面倒事は嫌いだがやるとなったらパッとやってパッと終わらせたい性分なので、さっさとエプロンをかけて、さっさと仕事に取り掛かった。

 カレー作りは、班ごとに当番が割り振られていて、史緒は野菜係だ。ピーラーでニンジンの皮を剥き、ジャガイモの皮を剥き、玉ねぎの表皮を剥く。子供用の小さなサイズの包丁で、どんどん一口大の野菜を製造しざるに盛っていたら、通りがかった先生に、

「手際がいいねえ、二人とも」

 と、感心したように褒められた。

 二人? と今になって隣を見てみれば、同じ班の田中君も、史緒と同じくらいのスピードでどんどん野菜を切っている。他の男の子たちのモタモタした動きと比べて、格段に慣れた手つきだった。

「俺んち、父さんも母さんも店で忙しいからさあ、少しくらいなら料理も作れるぜ。塚原んちも共働きなんだろ?」

 屈託ない笑顔で問われ、史緒もうんと頷いた。

「いろいろとタイヘンだよな」

「まあ、そうだね」

 真っ黒に日焼けした、ガキ大将タイプの田中君が、するするとニンジンの皮を剥きながら大人びたため息をつくので、可笑しくなってしまった。あははと笑いながら、相槌を打つ。いろいろと困ったところもある田中君だが、憎めない相手である。

「他のやつら、ちゃんとやってるかな。俺、せっかくなら美味しいカレーが食いたい。去年の林間じゃ、飯を炊く時に水の量を間違えて、お粥みたいになったやつらがいたらしいぞ」

 粥にカレーか。確かにそれはイヤだな。

「大丈夫じゃない? ご飯係には高遠君がいるし」

 田中君の数十倍、困ったところのある高遠は、やること自体はそつがない。周りをうろちょろする女の子たちを上手に使ったりして、ピカピカのご飯を炊き上げるだろう。

 それにしても、高遠とは、班は同じだが係が違っていて、つくづくほっとした。出発以降、女の子たちの敵意が、より一層大きくなったような気がするのである。

 どうやら、高遠と生きもの係をしていることも面白くないのだが、史緒の父がイケメンであったことも面白くない、というのが理由らしい。あの子ばっかりズルイ、というひそひそ声をさっき耳にしたばかりの史緒は、心の底からうんざりした。なんじゃそりゃ!

「……塚原は」

 少しの沈黙の後、突然、もごりと田中君が言葉を発した。

 ん? と手元の包丁から顔を上げる。

「塚原は、高遠君、って呼ぶんだな。他の女子はみんな、アキラくんって呼ぶのに」

「そんな風に呼ぶ理由がないからね」

 あっさり言うと、田中君は、ふうん、と言った。切っているジャガイモから、目を離しもしない。そんなに興味なさそうな顔をするなら、なんでそんなこと聞くのかな。

「でも、高遠とは、仲がいいんだろ」

「はあ?」

 なんだとう?! とムキになる。

「いいわけないでしょ!」

「けど、しょっちゅう一緒にいるって、女子が怒ってるの聞いたぞ」

「しょっちゅうじゃないし。生きもの係の当番の時だけだし。それも田中君が高遠君に仕事を押しつけたからそうなったんだし」

 おかげで史緒はえらい迷惑をこうむっているのだ。その田中君本人が無責任な噂をそのまま鵜呑みにしていることに、ぷんぷんしながら刺々しく言い返すと、田中君はようやくジャガイモを切る手を止め、史緒を見た。

「……そうなのか?」

「そうだよ。ヘンなこと言わないでくれる? 高遠君とは、全然まったく仲なんて良くないよ。わたしと高遠君とでは、根本的に、種類が違うの。わたしが日曜日の朝にやる健全な大衆向けアニメだとしたら、あっちは深夜にこっそりと始まる嗜好の偏った人たちが見るアニメ。判る?」

「いや、わかんねえ。……ふーん、でも、そっか」

 田中君は、ふうん、と何かを納得したようにもう一度呟いて、ジャガイモ切りを再開した。

「──塚原は、別に高遠と仲いいわけじゃないんだ」

 しつこいな。高遠とは仲がいいどころか、必死で距離を取ろうとしている史緒の努力がどうして判らないんだ。断じて史緒は高遠の助手なんかになった覚えはないんだぞ!

「仲良くないし、これからも仲良くはならないよ」

「ひっでえこと言うなあ」

 田中君は、急に生き生きと楽しそうになって噴き出した。

「高遠って意外といいやつじゃん。頭いいし、スポーツも出来るし、親切なところもあるしさ。ああいうの、完璧、っていうんだろ。女はそういうのが好きなんじゃないの」

 と、やけに高遠贔屓な発言をする。さては、生きもの係の当番を代わってもらったことを、未だに恩に感じているんだな。相変わらずチョロイな、田中君。

「わたしは違うよ」

 完璧どころか、史緒は、高遠の精神構造は欠陥だらけだと信じている。

「変わってるなあ、塚原は」

「変わってない。わたしはどこからどこまでも普通の平凡で平均的な一般人」

「なんでそんな怖い顔してるんだよ」

「田中君、知ってる? 今日ね、カレーと一緒に、リンゴも出るんだよ」

「知ってるけど」

「ウサちゃんの形に切ってやる」

「バカ、やめろ!」

 田中君は慌てて悲鳴を上げたが、そのあとで機嫌良さそうに大笑いした。



          ***



 林間学校の二日目は、ハイキングだ。

 これって、どうなんだろう。どうしてここでハイキングなんてしなきゃいけないのか、その理由がそもそも判らない。林間学校とは、子供の体力を極限まで削るべし、という暗黙の掟でもあるのか? ただでさえクラスメートとお泊り、なんていう非日常の体験でふわふわと浮かれきっている小学生たちは、カレーを食べてお風呂に入ってトランプしてさあ就寝、ということになっても、そうそうすんなり寝られるわけがない。ひそひそこそこそとお喋りして笑って、結局深夜まで起きていたその翌朝、さあハイキングですよたくさん歩いて汗を流しましょう! と言われたところで、元気いっぱいに応じられるはずもないではないか。

 それでも最初のうちは、楽しそうに山道を歩いていた子供たちだったが、目的地まであと三分の一、というところまで来たあたりで、どっと疲れが押し寄せてきたらしく、誰もかれもが寡黙になって、えー、とか、まだあー、とかの不満や泣き言が口々に出てくることになった。

 もちろん史緒も疲れた。前日の夜、クラスメートの女の子たちは、お喋りの輪に史緒を入れてくれなかったので、早々に寝ることにしたのだが、やっぱりざわざわとした雰囲気の中では、なかなか寝つけなかったのだ。その寝不足が、今になって祟りはじめているのをひしひしと感じる。もともと、美しい景色に心を洗ったり、新鮮な空気を吸い込んで生き返るような気分になったりすることには、まったく興味の湧かないタチである。

「大丈夫? 結衣ちゃん」

 しかしそんな史緒よりも、もっと疲れているのは一緒に歩いている結衣ちゃんのほうだった。丸っこい体格の結衣ちゃんは、運動全般が得意ではない。走るのも苦手だが、特に長距離は苦手だ。こんなにたくさん歩くのはつらいだろう、と思って問いかけると、案の定泣き声混じりの弱音が返ってきた。

「疲れた……」

 涙目になって、ずるずると足を引きずるようにして歩いている。そんなんじゃ、余計に疲れるだろうにと思ったが、そうとしか歩けない、と言う。ペースもかなり落ちていて、史緒と結衣ちゃんは、ずいぶんと最後部のあたりにいた。

 前も後ろも、生徒の姿はほとんど見えない。いちばん後ろには二、三人の先生たちが歩いているはずだから、置いてきぼりにはならないと思うのだが。

「もうちょっとだから、頑張ろう。ね? リュック、わたしが持ってあげる」

 史緒が、自分のと結衣ちゃんの分の、二つのハイキング用の小さなリュックを手にしたのを見て、結衣ちゃんは泣きべそをかきながらも頷いた。

「ありがとう……」

 消えそうな声で言って、またのろのろと歩き出す。この炎天下も、そしてこの坂道も、つらい原因なのだろうなと史緒は同情した。後ろから押してあげようかな。そうしたら、少しは楽になるのかな。

 そんなことを思っていたら、よろよろと歩いていた結衣ちゃんが、足をもつれさせて転んでしまった。

「大丈夫?」

 史緒は慌てて駆け寄ったが、しゃがみこんだ結衣ちゃんは、自分の両の手の平にじんわりと血が滲んでいるのを見て、本格的にしくしく泣き出してしまった。しゃくりあげながら、痛い、と震える声で呟く。

 ここはもう、あとからやって来る先生たちを待ったほうがいいな、と史緒は判断した。史緒一人の手には負えない。先生なら消毒薬も絆創膏も持っているだろうし。

「結衣ちゃん、ここでちょっとじっとして、先生を待とうか。痛いだろうけど、ガマンしてね」

 史緒が声をかけると、結衣ちゃんはなにがしホッとしたように、こっくりと頷いた。地面にぺったり座りこんだ結衣ちゃんに付き合って、史緒も腰を下ろす。

 と、その時。

「あー、こんなところで座ってるー」

 という高い声が聞こえた。振り返ると、同じクラスの女の子三人が、非難がましい視線を史緒たちに向かって投げつけていた。

 面倒なのに見つかっちゃったな、と史緒は舌打ちしそうになった。この三人は、「高遠ファン」の中で最も攻撃型なタイプに分類されるほうだ。史緒にインネンをつけて何かと仲間外れにしようとしているのもこのグループだし、ファン第一号を名乗る結衣ちゃんにも、いい感情を持っていない。

「先生が、途中で休んだり、道端に座り込んだりしたらダメって言ってたのにー」

 史緒はこういう相手が好きではない。あんたたちこそ、こんなに後方にいるってことは、どこかで適当に休んでたんでしょうが、と言い返したいのをぐっと堪える。ケンカになったらもっと面倒だ。

「結衣ちゃんが転んでケガしちゃったから、先生が来るのを待ってるんだよ」

 なるべく冷静に答えると、女の子たちは、ええー、と言いながら結衣ちゃんの周りに集まった。手の平の血を見て、痛そー、とか、かわいそー、とかの言葉を大げさに叫ぶ。

「一緒に歩いてたのに、塚原さん、止められなかったの?」

 三人のうちの一人が、史緒に咎めるような目を向けてきた。他の二人も、そうだそうだと言いたげに、睨みつけてくる。出来るか、そんなこと。わたしはスーパーヒロインじゃないんだ。

「友達なんでしょ、なんとかしてあげなよ」

「なんとかって?」

「傷口をキレイにしてあげないと」

「だから、先生を待ってるんだけど?」

「ええー、こんなに泣いてるのに、待ってるだけなんて、ホントに友達なのお?」

「大体、後ろから来る先生が、消毒とか持ってるとは限らないし」

「このままほっとくと、ばい菌が入って、ハショウフウになっちゃうよ。死んじゃうかもしれないじゃん」

 わいわいと三人に責めたてられ、史緒はだんだん腹が立ってきた。結衣ちゃんは、泣くことも忘れ、史緒と三人をオロオロと見比べて、やめてよ、と必死に止めようとしている。私が勝手に転んだんだよ、という言葉を、三人は聞こえないフリをして無視した。

「わかった」

 すっくと立ち上がる。史緒は確かに子供らしくないほど極度の面倒くさがりだが、子供であることは間違いない。ここまで散々、理不尽に疎外されてきたことへの怒りもあれば、意地もある。頭の中のプッツンという音に、抗えないこともある。

 つまり、キレた。

「結衣ちゃん、ちょっと待っててね。さっき、川が横を流れてる場所を通ったでしょ。わたし、あそこまで戻って、タオルを水に濡らしてくるから」

 それだけ言い放つと、くるりと身を翻して、走り出した。

「フミちゃん! ダメだよ、待って!」

 背中で結衣ちゃんの声が聞こえたが、足を止めなかった。



 道をそのまま戻ると、最後尾を歩く先生たちに見つかって、どうしたのと止められてしまうのは確実なので、史緒は道の脇に入り、林立する木々の間をすり抜けるようにして走った。

 先生にチクるのはイヤだ。間に入られて、仲良くしなさいと余計なお節介をされるのもイヤだ。そんなことで、子供同士の溝は埋まらない。自分で行動を起こして、許すか許されるかギュウと言わせてやるかしかないのである。

 方向は間違っていないはず、という勘はあった。そして結果的に、その勘は外れていなかった。しばらく走ると、ちょろろろと平和的な音を立てて山の中を通る細い川に行き当たったのだ。よっしゃ、とガッツポーズをして、史緒はリュックの中から出したタオルを川に浸して濡らした。

 よくよく考えたら、リュックの中には水筒も入っていて、その中のお茶で血を洗い流してもよかったのでは? という気もする。そのほうがこんな面倒なことしなくてもよかったじゃん。いやいや、でも、これは意地の問題だしね。史緒でも、面倒くささよりプライドを取ることがあるのだ、時々。時々だけど。

 十分にタオルを濡らしてから、さて戻ろう、と身体の向きを変えた。しかしどうして山の中っていうのは、こんなに同じような木ばっかりの、似たような景色なのかなあ。迷わないように戻らないと。

 迷わないように、迷わないようにと、慎重に歩いて、川から離れた。いくらか歩き、水の流れる音がしてきて、眉を寄せて足を止めた。あれ? なんでまた川があるんだ?

 改めて周囲を見回す。しーんとして、小学生の声はどこからも聞こえない。どれくらい走ってきたんだっけ。さっきまで歩いていた道は登り坂になっていたはずなのに、現在史緒がいる場所は平坦で、どっちが目的地方面なのかも判らない。

 あれ?

 暑いのに、ひゅーっと木の間をすり抜ける風が冷たく感じた。


 ──わたし、迷っちゃった?




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