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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
高校生編
25/37

ゴールに向かって走れ若人



 天漢高校では、冬休み明けの一月中旬、毎年決まって行われる恒例行事がある。

 校内マラソン大会だ。

 どう考えても生徒に不人気なこの行事、毎年毎年、生徒会を通じて廃止の要望が出されるにも関わらず、学校側、おもに体育教師や生徒指導担当教師などによって、有無を言わさず握りつぶされる。

 寒さに負けない頑健な身体づくり、健全な肉体と精神を養うこと、諦めずに長距離に挑み、完走して達成感を得ること、それによって高校生としての自覚と成長を促し……云々かんぬんというやつだ。教育機関というのは、どうしてこう、小学校から同じことばかり言うのだろう。マラソンのせいで体調不良になったり、憂鬱で勉強も手につかなくなる生徒だっている、という現実にはなぜ目を向けないのか。

 その距離、女子は約四キロ、男子はその倍の、約八キロ。

 街中を通る所定のコースを、時々犬の散歩中の見知らぬおじいさんに「がんばれー」などと言われながら、せっせと走るわけだ。コースの要所要所には、抜かりなくチェックポイントがあり、サボったり自販機で勝手に水分補給したりする生徒がいないか、教師が目を光らせている。このポイントを通過すると、そのたび手の甲にスタンプを押されるので、近道することも許されない。手の甲にいくつも押されたスタンプは、洗ってもなかなか落ちず、これがまた腹立たしかったりするのだが。

 学校を出発し、コースを走り終えてまた学校に到着すると、PTAのお母さんたちが、大鍋で煮たお汁粉を振る舞ってくれる。

 寒風の中、涙目になって走ってきた生徒たちは、そのあったかさと甘さにホッとして、やれやれ終わった、たまにはこうして頑張って走るのもいいもんだよね、ああ青春さ! などと学校側がついほくそ笑むようなチョロいことを思って、ほのぼのと大会の幕を閉じる──というのが、まあ毎年見られる光景なのである。

 もちろん史緒は、こんな行事は死ぬほど大嫌いだ。



「あー、この高校に入るんじゃなかった……」

 去年、一年生の時のマラソン大会で呟いた言葉を、今年もまったく同じシチュエーション、まったく同じ口調で、ため息とともに漏らす。きっと来年、三年生になっても、同じことを同じように言うのだろう。デジャヴ感がハンパない。

 受験の時、高校名鑑にもざっと目を通したけど、そこには「マラソン大会あり」なんてことは書いてなかったぞ。書いてあったら他の高校にしたかもしれなかったのに。入学式の日、一年間の行事予定でこの項目を見つけた時も後悔したが、今もやっぱり後悔している。タイムマシンがあったら受験生の自分に忠告を……いや、そんなことより、マラソン大会の終わった明日に行ったほうが早いか。タイムマシンてどこに行ったら売ってるの?

「あのねえ、もうここまで来たら、いい加減諦めなさいって!」

 過去と未来に思いを馳せる史緒の背中をバンと叩いて、奈々子が呆れたように言った。

 ここまで来たら、というのは、すでに上下ジャージを着て、グラウンドに集合し、点呼も教師の諸注意も終わり、スタートラインの前に立って、あと数分で合図の砲が鳴る今の段階まで来たら、という意味だ。確かにもう、諦める、以外の道は残されていない。だからさっきから史緒がずっとぶつぶつ言っているのは、ただもうひたすら虚しい愚痴である。

「四キロも走ったら、人間は死ぬよ、普通」

「死ぬかっつーの。あんた、去年も一応走ったんでしょ」

「どん尻から三番目くらいでゴールした」

「どーゆーサボり方したら、そこまで遅くなれんの?! 史緒って、運動神経はそんなに悪いほうじゃないのに」

「パッと走ってパッと終わる競技は、別にそんなに嫌いじゃない」

「はあー、つまり延々と走り続けるのが、とにかくイヤだと。あんたってホントに根性と忍耐がないんだねえー」

 根性と忍耐? なんだそれは。断言させていただこう、これまでの十七年の人生において、史緒の辞書にそんな単語を載せたことはただの一度もない。

「毎回、チェックポイントを通るたびに、『もう限界です』って訴えるのに、『あーそー頑張って』って流されるんだよ……」

 天漢高校の教師は、みんな鬼のように冷酷なのだ。

「そりゃそうでしょうよ。あんたみたいにダラダラ歩いてばっかのやつが、限界もへったくれもあるかってのよ。言っとくけど、あたしはそんなのには絶対付き合わないからね」

 二年生になってから仲良くなった奈々子は、ソフトボール部でキャプテンを務めているという、バリバリの体育会系女子なのである。このマラソン大会においても、後輩の手前、みっともないところは断固として見せられない、陸上部を制して上位入賞を果たしてやる! と息巻いている。今は別の高校だが、田中君と気が合いそうなタイプなのだった。

「うん、いいよ。大体こういうのって、『一緒に走ろうね』って言い合って、実際にそうなるケース、ほとんどないし」

「あー、そうそう。スタート直後からすぐ離れちゃったり、またはゴール直前になっていきなり裏切ったりね!」

 奈々子がケラケラ笑う。「裏切られた」という表現ではないあたり、奈々子本人が、一緒に走っていた友人をさっさと見限り、ゴールに突進していったほうなのだろう。普段はからっとした姉御肌の彼女は、こと運動方面での成績やタイムには、非常にシビアであるらしい。

 その時、パーン、というスタートの砲が轟いた。

「よっしゃ、行くよ! またこの場所でね!」

 そんなわけで、奈々子は史緒に手を挙げると、これから長距離を走るとは思えないスピードでスタートダッシュして、あっという間に姿が見えなくなった。



          ***



 イヤイヤながら走ったり歩いたりを繰り返し、なんとか半分くらいまで行った。

 ええー、まだあと二キロもあんの? と史緒はかなりメゲそうだ。性懲りもなく、チェックポイントを通るごとに、「足が痛い」とか「持病の癪が出そう」とか言ってみるのだが、はいはいあとちょっとだよーと笑顔でスルーされる。大人はもうちょっと、青少年の意見に真摯に耳を傾けて欲しい。

「いっそ道の真ん中で倒れちゃおうかな……」

 はあー、という何度目かの深いため息と一緒に、投げやりかつ大胆なサボり方をぼそっと零す。

 ──と。


「その場合、間違いなく車に撥ねられるな」

 間髪入れず、背後から容赦なく指摘された。


 振り返ると、史緒と同じジャージを着た長身で美形の男子生徒が、腕組みをして、醒めた目をこちらに向けている。

 思わず、もう一度、はあーという大きなため息を出した。

「……なんで、わたしの後ろにいるの?」

 女子は決められたコースを一周だが、男子は二周走ることになっている。だからスタートも女子より早い。ずっと前方を走っているはずの高遠が、どうして史緒の後ろから現れるのだ?

「僕は二周目だ」

 げ。てことは、こいつ、もう六キロ走ったってことか。にも関わらず、どうして汗もかかず、息ひとつ乱していないんだ。他の男子の姿がまだ見えないということは、高遠が運動部も上級生もぶっちぎってトップだということではないか。それはいつものことだが、どうしてそんなに平然としてるんだ。いや、それもいつものことだといえば、まあそうなんだけどさ。

「実は近道してるんじゃないの?」

「この僕がそんな姑息な真似をするか」

「誰にも言わないから教えて。わたしもそっち行く」

「君は年々怠惰さに拍車がかかっていくようだが、そんな馬鹿げたことを考える前に、足を動かしてさっさとゴールをしたほうが建設的かつ現実的だということに、いつになったら思い至ることが出来るようになるんだ。大体君のものの考え方は根本的に……」

 ぐたぐだとやかましいことを言いながら、高遠が史緒の隣に来て、足並みを揃えて歩く。こら、マラソンはどうした。大会で一位を取るより説教を優先するってどうなんだ。

 隣に並ばれると、その背の高さに、改めて驚いてしまう。

 小学生の時から背も高くて手足も長い男の子だったが、高校二年生になった現在、昔あった少年らしい柔らかさや丸っこさはすっかり消え失せてしまった。細身ではあるが、どこもかしこもごつっとした、いかにも男っぽい、固そうな体格をしている。

 顔立ちが異様に整ったところは同じだが、もう、「美少年」とは呼べない。


 高遠洸という「少年」は、すでに、一人の「青年」へと変貌しつつあった。


「ちゃんと聞いているか。大事なところだぞ。覚えられないのならどこかに書き写しておけ。そうしなければまた君の頭は一分後には入れたものを外に出してしまっているだろう」

「…………」

 こういうウザいところは、ぜんぜん変わってないんだけどね……。

「そういえば、先日、君の家に行った時に」

 高遠が、ふと何かを思いだしたように顎に指を当てた。そうそう、以前と変わったことといえば、これもある。

 史緒の家に、高遠がちょくちょくやって来るようになった。

 決して、決して史緒が招待しているわけではない。来る? とも言ったことがないし、おいでよ、などと誘ったこともない。なのに気がつくと、日曜日に高遠が普通に、史緒の家にいたりするのである。もちろん、父も母も在宅している時だから、今ではお互いすっかり顔見知りだ。場合によっては、アキラ君、ご飯食べて行かないー? と母が朗らかに提案して、家族四人と高遠、という面子で一緒に食卓を囲むこともある。変だ。変だが、史緒以外の誰も、その状況を変だとは思っていないらしい。

「卯月がやたらと僕に向かって何かを訴えていたようなんだが、よく意味が判らなかった」

 そうだ、そうだった。そもそもどういうきっかけで、そんなことになってしまったかというと、史緒の妹の卯月が理由なのだった。

 中学の時、田中君のコンビニで初邂逅を果たして、その上ちょっとした事件にも巻き込まれてしまって以降、なぜか卯月は、すっかりこの変人オタクのことが気に入ってしまったようなのだ。

 まだ口がよく廻らないうちから、「たっと、たっと」(高遠、と言っているつもりらしい)と要求し、あまりにもうるさいのでもう一度会わせてみたら、うっきゃー、と異常なほどの喜びよう。姉バカの史緒としては、そりゃもう面白くないったら。

 それでいつの間にか、休みの日とかに高遠と会うようになって、いやこの言い回しは誤解を生みそうだな、卯月が高遠という奇妙な生きものを見物するのに史緒が付き添って、そのうちなんとなく家にも来るようになって、現状に至る、というわけなのだ。史緒自身にも、その「なんとなく」の部分の成り行きが、今ひとつよく判らない。これじゃまるで……という気がするのだが、怖いのでその先は考えないようにしている。

 史緒以外の前では完璧に優等生の仮面を被る高遠は、母には非常にウケがいい。父はなんだか寂しそうだが、アニメの話を興味深げに聞く高遠のことは嫌いじゃないようだ。あと三カ月ほどで五歳になる卯月に至っては、史緒がヤキモチを焼くほどに高遠にベッタリである。もっと小っちゃい頃は、ねえね、ねえね、ってわたしにいちばん懐いてたのに! 高遠のやつ、あとから来て、わたしのポジションにちゃっかり居座るなんて!

「僕のほうを向いて、両手を挙げるんだ。こんな風に」

 高遠が天に向かって両手を挙げて、「卯月の訴え」を実演してみせる。指先を上空に向けて、神よ、祝福を! みたいなポーズだった。

「…………」

「その状態で、何か言いたげに、僕をじっと見つめてくるんだ」

「…………」

「何かを要求しているようなんだが、黙ったままだ」

「…………」

「なんだ? と聞くと、とても悲しそうな顔をする。意味が判らない」

「…………」

 もちろん、史緒にはそれの意味が判る。判るが、屈辱感でなかなか声が出ない。

「……それは、抱っこをせがんでるんだね……」

「抱っこ?」

 ようやく低い声で答えると、高遠がきょとんと目を瞬いた。それもまた腹立たしい。きいー、これまでそうやって卯月に抱っこをせがまれてたのは史緒のほうだったのに! とうとう卯月の中で、そんな地位にまで登りつめたか、高遠!

 ギリギリと空想のハンカチを噛みしめる。嫉妬で胸が焦げそうだ。

「抱っこというと、あれか。以前、体育祭で怪我をした君を……」

「ちがーーう!!」

 慌てて大声を出して遮った。ひょいっとさりげなく黒歴史を持ち出すんじゃない! わたしの脳内では、あれはもう「なかったこと」になっているんだからね!

「普通に抱き上げることだよ! わたしがよく卯月を抱っこしてるのを見てるでしょ!」

 さすがに最近はあまりしなくなったけど。なにしろ大きくなって、重くもなってきた卯月を抱っこし続けるのは、やっぱりそれなりの腕力が必要とされるのだ。抱き上げても、キープしきれなくて、少しするとギブアップしてしまう。

 なるほど、それで卯月はきっと、高遠にその役を求めたのだな。口に出して言わなかったのは、小さいとはいえ女の子なので、ちょっと恥ずかしかったりしたのだろう。甘いな卯月、そんな心の機微、高遠に察知させるのも理解させるのも不可能だぞ。ついでに言うと、こいつには腹芸も通じないぞ。

「ああ……」

 史緒に言われて、高遠は納得したように頷いた。

 そして、いきなり上体を屈ませ、

「つまり、こうだな」

 と言いながら手を伸ばし、史緒の身体をふわっと抱き上げた。


 足が地面を離れた。

 視線が今までよりもずっと上に来る。

 史緒の身体を難なく持ち上げた両腕が、揺れもせずブレもせず、しっかりと支えているのを意識する。

 いつの間にか広くなった肩が目の前にある。

 ぐんぐん背が伸びて、すっかり遠く感じるようになった高遠の綺麗な顔が、すぐ間近に迫っている。


「…………」

 頭の中が真っ白になった。周りの景色も白くなった。ホワイトアウトだ。なんだこりゃここは雪山か。

「しかし、なんのためにこんなことを求めてくるのか判らないな……。移動のためか? だが卯月はもう自立歩行が充分出来るはずなのに」

 ぶつぶつ言いながら、再びすとんと史緒の身体を地に下ろす。

 それは、時間にしたらほんの一瞬のことだった。ノロノロペースで後方を進んでいた史緒と、トップを独走していた高遠の周囲には、幸い、他の生徒はいなかった。その場面は誰にも見られていない。しかし、しかしだ。

 それにしたって、こんなこと。

「こっ……」

 握った拳がぶるぶる震えた。頬が勝手に赤くなる。

 高遠が、「子?」と首を傾げた。

「このドアホーーっっ!!」

 そう叫ぶと、史緒は思いっきり高遠の左の膝下に蹴りを入れて、猛ダッシュでその場を走り去った。




 結局、後半のスパートが効いて、塚原史緒は今年度のマラソン大会で、去年とは比べ物にならないくらいの好成績でゴールに到達した。担任にも、奈々子にも、よく頑張ったと褒められた。

 高遠は男子の先頭で学校に戻ってきたが、ゴールテープを切った時、少し左足を引きずっていたらしい。

 そして、「意味が判らない……」と、ずっと独り言を呟いていたらしい。




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