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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
中学生編
20/37

未来についての討論会



 中学二年生の十一月ともなると、そろそろ真面目に考えねばならないことがある。

 いや正確に言うと、毎日考えることといったら部活のことと人間関係のことくらいで、それ以外はただひたすら楽しいものばかりを追求し、のんべんだらりと怠惰に日常を過ごしている中学生たちに、「そろそろ真面目に考えろよ」と教師が注意喚起をして、なんとか活を入れさせようと目論む事柄がある。

 そうです、「進路」というやつです。

 時に例外もあるが、おおむね中学生の卒業後の進路といえば、高校へと進学するコースが大多数を占める。だから中学二年生も後半になってくると、成績表と睨めっこして、「どこの高校に行けるのか」を考えなきゃいけなくなってくる。いけなくなってくるというか、生徒本人たちはまだまだ現実味なくぽやんとしているところを、教師たちが大まかにでも決めておけよとゴリ押ししてくるのだ。

 それで放課後には、進路についての話し合いということで、教師と生徒が一対一で向かい合い、希望を聞かれたり、頑張れよと励まされたり、今のままでは到底ここは無理だなあーと現実を突きつけられたりする時間を持つことになるのである。半分夢の世界で生きているような中学生たちは、ここではじめてリアルの世界に直面することになる、と言っても過言ではない。少しは過言かもしれないが。

 というわけで、現在、史緒の在籍する二年四組でも、五日間にわたってそうした時間が設けられ、放課後には、一人ずつ順番に面談をして「進路相談」なるものが進められているのだった。



「……えーと、それで、塚原は今のところ、どんな感じの高校を希望してるのかな」

 と、史緒の目の前で、担任教師がちらちらと手元の資料に目を落としながら訊ねた。

 二年四組の担任は三十四歳で未だ独身、ただいま熱烈にお嫁さん募集中、という男性教師である。体育担当ではなく社会担当なのに、なぜか毎日ジャージを着ている。言ってはなんだがいかにも冴えないその風貌は、教え子の女子たちにさえ、少々憐れまれているほどだ。毛嫌いされているわけではない分、人柄は悪くないということなので、早く彼女が見つかるといいなと史緒は思っている。思うだけだけど。

「希望はですね」

 うーん、と首を捻りながら、史緒は答えた。

「まず、家から近いところ」

 早起きするのも、ラッシュの電車で揉まれるのも面倒だから。

「うん、家から近いところな。あとは?」

「あんまり厳しくないところ」

 校則や何かでぎゅうぎゅう締め上げるような教師連中と関わるのは面倒だ。

「そうか、校風の自由なところかな。他には?」

「でも、極度に自立精神を尊んだりしないところ」

 生徒だけであれもこれも決めろというところは、廻ってくる仕事も多そうで面倒だし。

「……なるほど、そこそこ規律のあるところ、と」

「それから、部活動に強制入部させられないところ」

 高校生になって部活に入るかどうかは決めていないが、入ったとしても、適度にサボれるところがいい。もちろん運動部でしごかれたりするのは真っ平だ、そんな面倒なこと。

「……えー、部活については個人の意思を優先させてくれるところ……」

「あとは贅沢は言いませんが、ある程度生徒のことを放っておいてくれて、委員や係の仕事もやる気のある人にだけ任せるというシステムで、体育大会とか文化祭とかの面倒な行事も自由参加、レクリエーションで親睦を深めようなんていう厄介なことも言いださず、とにかく学校に来て授業を受けていればそれでよし、というところがいいです」

「ないよ、そんなところ!」

 たまりかねたように、担任が手の平で資料をバンと叩いた。そうかないのか、と史緒はがっかりだ。現実は厳しいね。

「塚原、もう少し真面目に考えよう、な?」

 どこか懇願するような口調で言って、ちょっと太めの担任の重心が前のめりになる。失礼な。史緒はこれ以上ないくらい大真面目なのに。

「えーと、そうだな、じゃあ、将来何かになりたいっていう夢や希望はあるか? 就きたい職業とかさ。やってみたいこととか」

「将来は、公務員になりたいです」

 史緒が答えると、担任はほっとしたような表情になった。

「公務員か。うん、堅実だな。たとえば、どんな? いろいろあるだろ、公務員っていってもさ、先生のような教師もそうだし、警察官や消防士なんかもある。もっと大きなところでいうと、裁判官とかの国家公務員を目指すとかな!」

 あははと笑いながらそう言った担任は、史緒が「区役所とかがいいです」と答えると、ひくっと顔を引き攣らせた。

「町役場とか、村役場とかでもいいです」

「…………。あのな、塚原」

「毎日取り立てて何も起きない静かで平穏な職場で、やって来る人たちに住民票を出したり、のんびり相談に乗ったりして、時々まったりお茶を飲んだりしながら、朝九時にはじまって定時ぴったりに終わるようなところがいいです」

「待て、塚原」

「それで、あー今日も平々凡々としたいい一日だったお疲れさまと職場の人たちと言い合って帰るような」

「いやもういい!」

 そう叫ぶと、担任は机に突っ伏してしまった。

「塚原、中学生はもっとでっかい夢を見ようよ、頼むから! 先生泣いちゃうよ!」

 いいトシしてそんな夢見がちだから彼女が出来ないんじゃないでしょうか、と史緒は思ったが、口に出すのはやめた。



          ***



 そういうわけで今ひとつ不調に終わった個人面談なのであるが、実を言うと、史緒の進路先の希望はある程度もう決まっているのである。

 家からいちばん近い、天漢高校。

 天漢小から、天漢中へと進み、天漢高へ行くという、このなんとも無難っぽい流れがいい。地味で平凡な人生を送りたいと望む史緒には、うっとりするくらい魅力的だ。天漢高校はそれなりにレベルの高い公立高校だが、まあ、今の成績をキープし続けていれば、さほど無理することなく合格圏内に入れるだろうという見込みもある。天漢高校は昔から地元にあった歴史ある学校で、その分校舎の建物なども古くて野暮ったく、間違ってもオシャレな高校生活は望めそうにないが、静かで落ち着いた雰囲気なのも気に入っている。

「へえー、フミちゃんは天漢かあー」

 翌日の昼休み、四組までやって来て個人面談についてどうだったかと訊ねてきた結衣ちゃんに、面談の内容はともかく進路希望は大体決まっている、ということを告げたら、感嘆したような声を出された。

「まだ決まったわけじゃないよ」

 これからの成績次第で変わってくることもあるだろうし、史緒の気持ちも来年になったら変化しているかもしれない。今のところ、天漢高校よりも自宅から楽に通える学校がない、というだけの話で。

「結衣ちゃんは?」

「うん、私はねえー」

 もじもじしながら出された高校名は、結衣ちゃんの家からは一時間以上かかりそうな場所にある私立高校だった。なんでそこがいいのかというと、制服が可愛いから、だそうである。中学生の進路決定の理由なんて、こんなもんだ。

「あそこ、通うの大変じゃない?」

「でも、あの高校ねえ、すごく設備も充実してて、リッチで綺麗なんだって。写真で見たことあるけど、冷暖房完備で、大きな室内プールとか弓道場とかもあって、食堂はカフェみたいに素敵なんだよー」

「へえー」

 なるほど、その分のお金を、せっせと生徒の親が支払うわけだな、と内心で呟いた。

 史緒の家は共働きで、両親ともそれなりに稼ぎのあるほうだとは思うのだが、だからって生活に充分余裕があるかといえばそうでもない。言うまでもなく、父が自分のオタク趣味に散財してしまうことが理由のひとつであるが、朝から晩まで保育園に預けられている卯月にお金がかかる、というのもある。父も母も、子供の前で我が家の経済状態について話すのはやめましょう、などという気遣いをする繊細なタイプではないので、史緒はけっこうそのあたり、シビアに把握しているのだった。

 わたしの場合、可愛い制服にも、贅沢な設備にも、素敵なカフェにもさして関心はないんだから、私立でなくてもいいよなあー。ていうか、進路って、ホントにそんな基準で選ぶもんだっけ?

「瑠佳は? 大体決まってる?」

「あ……ううん」

 史緒に聞かれて、瑠佳は恥じ入るように少し赤くなって首を横に振った。

「まだ、ちょっと。どういうところが自分に合うのかよく判らないっていうか……高校を卒業したらどうするかも決めていないから、もっとゆっくり考えようかなと思ってる……」

 ううむ、真面目だ。さすが瑠佳だ。これが教師の求める正しい中学生の在り方かもしれない。

「史緒の志望校はどこだって?」

 瑠佳の清々しい姿に感心していたところに、高遠が輪の中に入ってきた。げ、と思わず言いそうになったのを呑み込み、窓の外へと視線を移す。

「なぜ目を逸らすんだ?」

「なんのことかな。今日はいい天気だなと思ってさ」

「今日は土砂降りだ。で、君はどこの高校を志望してるんだ」

「あのね、フミちゃんは、て」

「まだ決まってない」

 言いかけた結衣ちゃんの言葉を遮り、くるりと高遠を振り向き、きっぱりと断言する。

 高遠はやれやれしょうがないな、とでも言いたげに、はあっと息を吐いた。

「まったく君はそれくらいのことも決められないのか」

「大きなお世話だよ。そう言う高遠君は決まってるわけ」

「だからそれを決定するために、君の行き先を聞いている」

「意味がわからないんだけど?!」

 なんだか非常に怖い意味合いを含んでいるような高遠の台詞に、戦慄を覚える。いや、深くは考えないようにしよう。そして自分の志望校については、絶対にこいつには言わないでおこう。

 決意する史緒を余所に、高遠はくどくどと説教を開始した。

「史緒、君はちゃんと判ってるのか。あと一年と少しで中学校を卒業することになるんだぞ。僕のように優れた頭脳を持っているわけでもない君は、今のうちから目標を見据えて努力をすべきだろうに。そんなことでは皆が切磋琢磨する受験戦争に遅れをとるぞ」

 どこの熱血教師だよ。

「なに言ってんの、高遠君。高校は将来に進む道に繋がる、ステップの第一段階だよ。どういうところが自分に合うのか、高校を卒業したらどうするのか、じっくりゆっくり考えて決めなきゃいけないんだよ」

 結衣ちゃんと瑠佳が目を丸くしたが、そちらは見ないようにして史緒は厳かな顔つきで淡々と述べた。

「将来?」

 高遠がちょっときょとんとする。

 一拍、間が空いた。

 それから、考えるような顔をして、再び口を開いた。


「……つかぬことを聞くが、君の言う『将来』というのは、およそ何年後くらいのことを想定しているんだ?」


「はあ?」

 またわけのわかんないことを……と思ったが、高遠は椅子に座って腕を組み、じっとこちらの答えを待っている。というかこれ、答えを聞くまでは頑として動かない態勢だ。もう、面倒くさいな!

 内心でぶつくさ言いつつ、えーとと史緒は指折り数えた。

「だから、高校を出て、大学も行くとして……そうしたら、最短で八年くらい?」

「八年? なに言ってる、その頃にはここはもう──」

 そこまで言って、高遠がぴたっと口を噤む。口元に手を当て、不気味なくらい静かに黙り込んだ。

 ん?

「ここはもう、何?」

「いや……」

 促してみたが、珍しく高遠は言葉を濁した。すらっとした切れ長の目が、ふわりと宙を流離うように揺れる。

 雨の打ちつける窓に行ったかと思うと、やがてその視線はまた、史緒のところまで戻ってきた。

「……たとえば、八年後なり、十年後なり、その時、君は自分がどうなっていると思うんだ?」

「ええー……」

 面倒なことを言いだされちゃったな。一年ちょっと先のことだって曖昧なのに、そんな先のことなんて判るわけないじゃん。

「うーん、まあ、希望は公務員」

 平凡で地味で静かなまったりライフだ。

「え、フミちゃん、公務員になりたいんだー。私はねえ、なんかオシャレで可愛いお店とかやりたいなー」

「漠然としてるね……」

「瑠佳はー?」

「……まだ、わからないな……。けど、あんまり大勢の人がいるところで働くより、いっそ一人で出来る職業もいいかなって……」

「勇者?」

「フミちゃん、偏ってるよ! 漫画家とか、デザイナーとか、何かの職人さんとか、いろいろあるでしょ!」

「同人作家とか?」

「偏ってるってば!」

「……そんな先にどうなってるかなんて、まだ、全然、想像もできないけど。でも、少しは想像できることもあるね。八年経ったら、今は小さい卯月ちゃんも、ずいぶん大きくなってるな、とか」

「あ、そうだね」

 瑠佳に言われて納得した。現在一歳半の卯月だが、史緒が大学を出たくらいの頃には、十歳近くになっているわけだ。十歳というと小学四年生か? うわ、可愛いだろうな、ランドセル姿! 写真をたくさん撮ろう。そして生きもの係には絶対ならないようにと念押ししておこう。いやなってもいいのだが、突然やって来た転校生の男の子には絶対に近寄るなと忠告しておこう。

「社会人になったわたしと、小学生の卯月かあー。わあー、なんか想像してるだけで、すっごく楽しみになってきたよ! 初任給が出たら、なに買ってあげよう?!」

「フミちゃん、気が早すぎ!」

 高遠が静かなのをいいことに、女の子三人で数年後の未来に思いを馳せてきゃっきゃと大いに盛り上がる。

 もちろん、そこに行くまでに乗り越えなければならないハードルがいくつもあることは承知しているし、大変なこともたくさんあるのだろうなあという予想だってつくが、こんな風に、楽しいこと、明るいことばかりを考えて目を輝かせるのだって悪くはない。

 それはきっと、何も判らない中で、前へと進んでいく重要なエネルギー源だ。


 そうか、そう考えると、志望校決めっていうのは、手探りの最初の一歩かもしれないな。

 目標があってもなくても、理由がどんなものでも、踏み出すってことがいちばん大事なのかも。


「…………」

 高遠が、無言で椅子から立ち上がった。

 ん? と顔を上げると、いつになく感情の見えない無表情で、こちらをじっと見つめている。やめろ、無表情は美形が際立つ。史緒はなんとなくお尻のあたりが落ち着かなくてもぞもぞした。

「なに? どうかした?」

 気分でも悪くなったのかな、と思って問いかける。高遠が弱るところは見たことがないし、あんまり具体的に思い浮かべることも出来ないのだが、今は、本当にどこかぼんやりと虚ろになっているように見えた。

「保健室、行って来たら?」

「……史緒」

「うん? 付き添いがいる? じゃ一緒に行ってあげるから、これで貸し借りなしってことに」

「いくらなんでも十年も引き延ばすことは出来ないぞ」

 は?

「……何を?」

「せいぜい、あと数年だ。高校卒業までには、結論を出さないと」

「結論?」

 なんの?

 まったく意味が判らず、ぽかんとした。高遠には慣れてきたはずの史緒でさえそうなのだから、瑠佳と結衣ちゃんに至っては、口出しすることも出来ずに、ただただ茫然と眺めるしかないようだ。

 高校卒業までに、なんの結論を出さないといけないんだ? ていうかその前に、あんたはまず、自分が行く高校を決めなきゃいけないと思うんだけど。頼むからわたしとは別のところにしてよね。

「史緒」

 ぽつりとした調子で名を呼ばれた。真顔にドキドキする。今度はどんな変なことを言いだす気だ。

「う、うん、なに?」

「──そんなに、未来は楽しみか?」

「え……」

 未来が楽しみか?

 意外とマトモな質問にホッとすると同時に、そんなことをそこまで正面切って聞かれると面映ゆくもある。うーん、と唸りつつ、首を傾げて、ちょっと教室の天井を見た。

「そりゃ、いろいろと不安とか心配とかもあるし、わかんないことだらけで戸惑うことも多いけど。めんどくさいなあーって思うことも、正直、たくさんあるけどさ。でも、そういうのを全部ひっくるめて、『楽しみ』って言うんじゃないの?」

 醒めているところもあるし、担任に嘆かれるほど壮大な夢も持っていない史緒だが、未来への憧れや希望はもちろんある。

 ──それを捨ててしまったら、多分、人生というものは、苦痛なほどに退屈だ。

「とりあえず、これからどんどん大きくなっていく卯月を見るのは、すっごく楽しみだよ」

「…………」

 へへ、と笑って言うと、高遠はしばらくじっとして、それからやや目を伏せた。

「そうか」

 一言だけ言って、背を向ける。

 保健室には行かなくていいのかな、と思いながらその後ろ姿を見ていたら、いきなりくるっと振り返られた。

「さっきので思い出した。史緒、早く借りを返せ」

 余計なこと言ったーーーっっ!! と、史緒は自分の失態に地団駄を踏んだ。




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