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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
中学生編
16/37

測り難きは人心とオタク



 史緒は帰宅部である。

 もちろん面倒だから──という理由もあるが、それよりも、小さな妹の世話を優先させるため、というのが大きい。

 帰ったら宿題を済ませ、頼まれている分の買い物をする。仕事を終えた母親が保育園から卯月を連れて帰ると、食事の支度の間、ずっと面倒を見るのは史緒の役目だ。卯月をお風呂に入れるのは父親の担当だが、帰りが遅い時は史緒がやる。寝る前に絵本を読むのも姉でないと本人が納得せずに泣き叫ぶので、それも史緒がやる。育児を半分くらい受け持っている中学生の毎日は、けっこう多忙なのだ。部活に入って青春を感じている余裕はない。

 しかしまあ、小さな子供のいない友人たちは、普通に終業後は部活動に励んでいる子が大半で、瑠佳は吹奏楽部、結衣ちゃんは家政部に籍を置いて、毎日せっせと楽器を演奏したり、手芸に勤しんだりしている。そうそう、高遠は史緒と同じく、帰宅部である。「学校以外でもいろいろと調査すべきことがあるこの僕に、そんなことをするヒマがあるとでも思うか」だそうだ。別にいいけど、どうでも。

 とにかく、昨日の家政部の活動は調理実習だったということで、昼休み、二年四組に遊びに来た結衣ちゃんは、「これ食べてー」と、手に持ったクッキーを、史緒と瑠佳に向かって差し出したのだった。

「へえー、結衣ちゃんが作ったんだ」

「うん、そう。はじめて作ったんだけど、案外、簡単だったよ」

 えへへと笑って結衣ちゃんはちょっぴり自慢げな顔をした。一見チョコクッキーっぽいのだが、黒い部分はチョコではなく焦げであるらしい。プレーンなクッキーにしては味も少々ビターだったが、中学生のはじめてのお菓子作りなのだから、細かいことを言ってはいけない。ちゃんと食べられる分、上出来だ、とそもそも大雑把な史緒は思って、「上手だね」と褒めた。

 一応建前として、学校でお菓子を食べたりするのはいけないことだとされているので、ひとつの机を三人で囲み、他人の目から隠れるようにこそこそとクッキーを食べつつお喋りする。大人しい性格の瑠佳は口数が少ないが、それでも楽しそうに、「美味しいね」とほろ苦いクッキーを口に入れて微笑んだ。

「フミちゃんは、お菓子作ったことある?」

「わたしがそんな面倒なことすると思う?」

「…………。うん、思わない」

「でも、ミルクと離乳食はよく作ったよ。今はもう大分普通の食事が出来るようになったけど」

「あ、卯月ちゃん?」

 結衣ちゃんと瑠佳の二人が、目を輝かせた。以前、史緒の家に遊びに来た彼女たちは、小さな妹とも会ったことがある。「かわいーかわいー」と、ほとんど動物園の子パンダなみの扱いだったが、やはり身近にあまりいないだけ、幼児への興味は津々であるらしい。

「卯月ちゃん、大きくなった?」

「うん。写真見る?」

「あるの? わあー、見る見るー」

 きゃあきゃあと喜ぶ友人たちに、史緒は生徒手帳の中に大事にしまってある写真を取り出してお披露目した。高遠にはナイショだが、実は妹の写真はいつもこうして持ち歩いているのである。しかも一週間に一度くらいの割合で、新しいやつに取り替えたりもしているのである。写真を選ぶ時はこれ以上なく真剣に吟味して、時々こっそり眺めては癒されたりもしているのである。そんな史緒はかなり親バカならぬ姉バカだった。

「あっ、卯月ちゃん、かわ……」

 写真を一目見て、可愛い、と続けようとしたらしい結衣ちゃんの笑顔が止まる。一緒に覗き込んでいた瑠佳の微笑も、少しばかり不自然に固まった。

「一昨日、撮ったばっかりなんだよ。最近、何にでも興味を持つようになっちゃって、カメラを向けるとうきゃーって大喜びで突進してくるもんだから、なかなかいい写真が撮れなくてねー。でもその笑顔は、けっこうバッチリなんじゃないかと我ながら」

「……あの、フミちゃん」

 ぺらぺらと妹のノロケを続けていた史緒は、そこでようやく、場の微妙な空気に気がついた。

「ん?」

「あの……卯月ちゃんのこの格好は……」

「恰好?」

 結衣ちゃんが持っている妹の写真に目をやる。

「え、知らない? ほら、今、テレビでやってる」

 と、史緒はこともなげに、そのアニメのタイトルを口にした。日曜日の早朝、幼児向けに放映されている、魔法少女ものだ。異世界の妖精さんたちの力を借りて、正義の味方に変身し、襲い来る悪をやっつける、という趣旨の番組で、写真の中の卯月が身につけているのは、そのヒロインの変身後のコスチューム、フリフリでピラピラでキュートなデザインの洋服である。ちなみに卯月の手には、しっかり変身用のスティックもある。

 史緒の説明に、結衣ちゃんと瑠佳は当惑顔をした。

「え、と……どうしてまた、そんなコスプレを……?」

「家にいる時は、わりとこれが標準装備だけど」

「…………」

 二人は揃って黙り込んでしまった。

 えー、これってそんなに変かなあ? と、史緒は写真を手に取り、首を傾げる。

 父親の趣味はさておき、卯月、可愛いじゃん。こういう衣装をしょっちゅう買ってくるのは確かに父だが、別にオタクでなくたって、これくらいは許されるのではないだろうか。史緒の幼い頃のアルバムも、こういう写真で溢れて収まりきらないくらいだ。もしかするとそれって、あんまり一般的じゃないのかなあ?

 ……と。


「へえ、これが例の赤ん坊か」


 いきなり背後から伸びてきた手によって、史緒は写真を取り上げられた。

 しまった、と思う間もない。史緒がコイツにだけは見せたくない、と思っていた妹の写真を、高遠はじっくり検分するようにまじまじと見つめている。

「持っているなら持っているで、どうして僕にさっさと見せないんだ」

「なんで高遠君に見せなきゃいけないわけ? ていうか返して。いつまでも毒電波に当てると呪われる」

「どういう意味だ」

 手を突きだして返却を求める史緒を無視して、高遠は真顔で写真を眺め続けている。強引に取り返そうとしたら、わざわざ写真を持った手を、天井に向けて高々と上げてしまった。こうされると、もう身長差のついてしまった史緒には、背伸びをしても届かない。つーか、幼稚園児の嫌がらせか。

「……この奇怪な装束はともかく」

 何が奇怪な装束なんだよ!

「もう自立歩行が出来るようになったという話だったが、この写真を見る限り、甚だ危なげな様子だな。大体、足のサイズからして、身体のバランスをとるには小さすぎる。生後一年半も経っているというのに、未だにこんな未熟な状態なのか」

「当たり前でしょ。一歳半なんだから」

「骨格・筋肉ともに、まだまだ備わっていない。馬でも生まれてすぐに立ち上がるというのに、一年半でこれか」

「人間と馬を一緒にするな」

「この体格だと、全速力で走るのも不可能なんじゃないか?」

「全速力で走る一歳児がいたら怖いんだけど」

「しかしそれではいざという時、自力で逃げられないぞ」

「いざという時ってどういう時を想定して言ってんの?」

「外敵などに襲われた時」

「だから、どんな外敵を想定してんの?! 野生動物じゃないんだからね!」

「野生動物でなくとも……」

 そこで、ふと言葉を切り、高遠はちらっと史緒を一瞥した。


「他の生命体……いや、害意のある他の何者かが、ある日いきなり現れて牙を剥く、ということは現実としてあり得るだろう。目的が何であれ、そういう相手は対象が幼い子供であろうが無力な女の子であろうが頓着することはないかもしれない。そんな場合に、自らを防衛する手立てを持たない存在が近くにいたらどうするか、という話だ」


「は……?」

 という話って、どういう話?

 意味が判らず、首を捻る。史緒の後ろでは、結衣ちゃんと瑠佳がぽかんとした顔をしていたが、高遠はまったく気にする素振りがない。いやそれはいつものことだけど。

 だけど……なんだって今日は、そこまで真剣な目で、こっちを見てるんだ?

「そりゃ、その場合は」

 なんとなく、高遠の迫力に押されて、もごもごと口ごもった。普段のアホ発言かとも思うのだが、今の高遠には、妙に、とぼけるのも逸らすのも許されないような雰囲気がある。

 だから史緒もしょうがないので、真面目に答えることにした。

「その場合は、わたしが守るんだよ」

「……君が?」

 高遠が、ゆっくりとひとつ瞬きをする。

「…………」

 やめてくんないかな、そういうの。あんた中身は歪みきってるけど、顔は間違いなく正統派の美形だから、そういうことすると、中学生なのにやたらと色気があって怖いんだよ。

 直視しづらいので、ごほん、と咳払いをして誤魔化した。

「卯月はまだ自分のことを自分で守れない。だからもしも何かがあったら、わたしとか、パパやママが全力で守ってあげるんだよ。当然でしょ?」

 現実に、無防備な赤ん坊や幼児が巻き込まれる事故や犯罪は、たくさんある。毎日のように新聞にだって載っている。高遠が言っているのは、そういうことなのかな、と考える。

 そんな場合はどうするかって? 決まっているじゃないか、自分の身を守る手段のない彼らは、他の誰かが守ってあげなくちゃならないのだ。

 卯月の場合は、史緒と両親が。

「──当然、ね」

 高遠は史緒を見つめたまま、呟いた。

「もしもそれで、君自身が傷つけられることになっても?」

「そうだよ」

「なぜ?」

「それくらい、大事なものだからだよ」

「…………」

 高遠はしばらくじっと史緒を見て、それから再び、卯月の写真に視線を戻した。

「大事なもの、か……またそれか」

「また、って?」

「…………」

 何かを考えるような無言の後で、高遠はようやく史緒に写真を返してくれた。

「……つまりそれが、感情を基にして行動する、ということか。愚かだな」

「愚かで悪かったね」

「悪くはない」

 ぼそりとそう言って、くるりと背中を向ける。

「──僕にはまだ、そういうことがよく判らない、というだけだ」

 高遠は独り言のように呟くと、そのまま歩いて教室から出て行ってしまった。



          ***



「……あのー、今のは結局、どういう話だったの?」

 と結衣ちゃんに問われたが、そんなもの、史緒に判るわけがない。さあ、と肩を竦める。高遠の言動を、いちいち深く考えていたら、やっていられない。

「高遠君の話って、時々崇高すぎて、よく理解できないよー」

 照れくさそうに笑う結衣ちゃんは、どうも何か勘違いをしているらしい。妄想オタクの話は確かに理解に苦しむが、それは断じて、「崇高すぎるから」などという理由ではないよ?

「そういえば結衣ちゃんは、『アキラくん』って呼ぶの、やめたの?」

 高遠のことなどは考えたって無駄なので、史緒はふと思いついた疑問のほうへと切り替えることにした。

 中学生になって、結衣ちゃんは相も変わらず、高遠のファン、という立場をとっている。けれど今は小学生の時よりも、ずっと距離を置いて見ている感じがするのだ。もう高遠が女の子に囲まれていても、そこに突進して割り込んでいくようなことはしない。

「あーうん、そうだね……」

 結衣ちゃんは少し困ったように笑って、瑠佳と目を合わせた。瑠佳が、判るよ、というように頷くのを見て、くすくす笑う。しかし残念ながら、史緒には二人で判り合っている何かがなんなのか、さっぱり判らない。

「その、高遠君のことは、今も憧れてるんだけど」

「だったら結衣ちゃんも、告白とかしたらいいのに。早くしないと、誰かに取られちゃうかもよ?」

「ううん、まさか」

 ぶんぶんと手を振って否定しているが、どれが「まさか」なのかがよく判らない。告白することが? それとも、誰かに取られるってことが?

「なんていうか、うーん、そういう対象じゃないんだよねー」

「高遠君が?」

「私にとってもそうだし、高遠君にとってもそうだと思う」

「……ふーん」

 判らないながら、曖昧に返事をする。そりゃまあ、高遠は、恋愛の対象にするのには、かなりハードルが高いよね、とは史緒も思うけれども。頭や顔のレベル的な意味ではなく、常識と思考が大幅に通常のものとズレている、という点で。

「私が好きになる子は、多分もっと別のタイプじゃないかなあ」

「え、そういうもの?」

 史緒が訊ねると、結衣ちゃんと瑠佳はこっくりと大きく頷いた。

「へえ……」

 憧れと好きは別のものなのか、と首を傾げる。

 よくわかんないなあ。

 これって、史緒の女子力が人よりも劣っている、ということなのだろうか。それともまだ子供だということなのだろうか。恋愛なんて面倒くさいものとはまだ当分関わりたくないと思っている史緒だが、ここまで話に全然ついていけないというのも、少々寂しい。

 結衣ちゃんは、クッキーをこりっと齧りながら、意味ありげに瑠佳と目を見交わした。

「高遠君、たくさんの女の子たちに告白されてるらしいけど、みーんな断ってるんでしょ。そういう女の子たちってさ、要するに、私とそう変わらないんじゃないかと思うんだよね。つまりただの憧れなのに、それを好きだと思っちゃってるっていうかさ」

 なんか女子トークになってきたな。瑠佳まで、微笑みながらうんうんと頷いている。なんだろう、この置いてきぼり感。

「高遠君の言う、偶像崇拝、っていうのは、そういう意味なんだろうね」

 そうかなあ。あれをそんな風に肯定的に捉えちゃっていいのかなあ。

「カッコイイけど、高遠君って、ちょっと変わってるところがあるし。そういうところも判った上でちゃんと付き合えるのは、ごくごく一部の子だと思うな」

「あ、うん。それは判る」

 結衣ちゃんの言葉に、ぱっと嬉しくなった史緒は張り切って頷いた。他の部分は今ひとつあやふやだが、その意見にはしっかり同意できる。

「そうだよね。アレと付き合えるなんて、きっと、ものすごい変人なんだろうねー」

 あははと笑ってそう言ったのだが、どういうわけか二人からの返事はなかった。




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