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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
中学生編
15/37

思春期の病は治療不可



 十月といえば、学年度の後期はじめにあたる。やっと慣れた前期の委員と係とは別のものを選び、また新しく一から覚えていかねばならないのだ。面倒だ。

 多少の仕事量の偏りはあるが、どれもさしたる違いはないので、中学生になった史緒は、毎回適当に新しい係を決め、適当に委員を選んでいた。もちろん、高遠とは同じにならないよう、そこだけは注意深く気をつけましたとも。


 その適当に決めた後期の委員の最初の顔合わせの時、教室内の顔ぶれの中に、田中君がいるのを見つけた。


 小学生の時、生きもの係の当番を史緒だけに押しつけ、厄介事の渦中に巻き込むきっかけを作った人物である。中学校に入ってからクラスが別れてしまったが、今でも時々言葉を交わすくらいの交流はある。

 イガグリみたいだった頭は髪の毛を伸ばして少々洒落っ気が出てきたようだが、色が黒いのは相変わらずだ。サッカーが好きなのも変わらないらしく、現在、サッカー部のキャプテンを務めている。

 係の当番仕事に限らず、こういうもの全般が好きではないのか、田中君は同じクラスの女の子と並んで、いかにもつまらなさそうに、だらしなく椅子に背中をもたれさせていた。片方の足が入りきらないみたいに机の外に投げ出されており、やたらとぐんぐん伸びた身長を本人も持て余しているように見える。

 快活でやんちゃな小学生は、今じゃすっかり不機嫌のカタマリみたいな思春期の少年になってしまったが、身近に世間通念から外れた奇妙な生物がいるためか、史緒は妙にしみじみとした。やっぱり中学生男子っていうのは、こうでなくっちゃね。

 こっそり手を振ると、田中君も気づいたらしくて、一瞬、ひょっとこのように口を突きだした。

 なんとなく居心地悪そうにもぞもぞしていると思ったら、制服のズボンのポケットに突っ込んであった右手を出し、頭を掻いているのか虫を追い払っているのかよく判らない微妙な手の動かし方をしたあと、ぷいっと顔を逸らす。

「…………」

 ──田中君て、いつも面白い挨拶の仕方をするよなあ、と史緒は感心した。



 委員会が終わって教室を出たところで、その田中君に、後ろから声をかけられた。

「……高遠は、一緒じゃないのか?」

 変声期特有のしゃがれた声で問いかけられ、史緒はむっとして振り向く。小学生の時は史緒よりも背が低いくらいだった彼は、今はもう、顔を上げないと会話が出来ない。

「あのさ田中君、いつまでも高遠君とわたしをセットで見るの、やめてくれる? 委員も係も別だよ。高遠君は緑化委員」

「へえ、緑化委員て、けっこうやること多そうじゃん。花壇作ったり、休み中も水やりしに来なきゃいけないらしいし。うちのクラス、誰もなり手がなかったぞ。俺もあと一回ジャンケンで負けてたらヤバかった」

 田中君は相変わらずジャンケンにも弱いらしい。

 天漢中学校では小動物を飼育していないため、生きもの係という仕事はない。そのことにいちばんホッとしたのは、この田中君かもしれなかった。

「うちの場合は、争奪戦だったよ。あんまり希望者が多いから、結局やっぱりジャンケン勝負になったんだけど、みんな鬼気迫ってるし、泣き出す子もいたりして、すごく怖かった」

 通常、競争率が激しいのはヒマで楽そうな委員になるものだが、史緒のいる二年四組に限っては、倍率はそんなところで左右されない。ダントツで、高遠が選んだ委員、に女子が集中して立候補するからだ。

「高遠は人気もあって頭もいいのに、不思議と委員長とか生徒会役員とかにはならないんだよな。なんでだ?」

「ああいう仕事はイヤなんだってさ」

 教室内で充分中学生観察が出来るのに、それ以外に時間を割く必要性を感じない、ということらしい。どうせだったら、人間以外の生物や植物と関わる仕事をするべきだ、と言っていた。別に史緒が聞いたわけではない。聞きもしないのに、本人が勝手にべらべらとそう説明したのである。

「ふーん」

 田中君は興味なさげな相槌をうって、史緒と並んで教室に向かって歩き出した。高遠の話題に興味がないというよりは、さっきからどことなく上の空だ。目線はずっと、史緒でも前方でもなく、窓の外に向けられていて、廊下を歩く他の生徒とぶつかりそうになったりしている。

 しばらく黙っていた田中君は、こちらを見ないまま、ふいにぽつりと口を開いた。

「……あのさ、塚原」

「うん、なに?」

「えと、今度の日曜、試合があるんだよな」

「へえ、サッカー部の?」

「うん、そう。けっこう、大事な試合」

「ふーん、頑張ってね」

「グラウンドは、ここから、わりと近いんだ」

「そうなんだ、よかったね。遠くだと、行くまでに疲れちゃうもんね」

「歩きでも自転車でも来られる距離のところ」

「へえー」

「試合は昼過ぎくらいまでかかるんだけど」

「大変だねえ」

「だから!」

 唐突に、くるっと振り向いた田中君に大声を出されて、史緒はびっくりした。彼は怒ったような顔で眉を上げて、こちらを睨んでいる。

 ……え、なに。わたし、今なにかマズイこと言った?

「だから、その」

「う、うん?」

「その、よかったら塚原、応……」

「ちょうどよかった、田中君」

「おぅわっ!」

 いきなり背後から、ぽんと肩を叩かれ、何かを言いかけていた田中君はぎょっとして飛び上がった。

「ななな、なんだよ、たっ、高遠!」

 何をそう動揺しているのか、自分の後ろに高遠がいるのを見て、どもるだけではなく、こんがりと日に焼けた肌を青くしたり赤くしたりして、ちょっと大変なことになっている。大丈夫か、田中君。

「君に少し聞きたいことがあって」

「……それ、後じゃダメなのか?」

「構わない。そうか、史緒と話をしている途中だったね。待っているから、そちらの用件を先に済ませてくれ。なんの話だったんだい?」

「…………」

「そうだよ、田中君。高遠君のことは無視していいから、続きをどうぞ。なんだっけ、サッカーの試合が……」

「いい! もういい! 気にすんな、塚原! で、なんの用だ、高遠!」

 ほとんどヤケになったように田中君は叫び、勢いよく高遠に向き直った。口調は怒っているのだが、気のせいか、少し泣きそうな顔をしているようにも見える。

「今、緑化委員会で、たまたま隣に座ったのが、サッカー部の遠藤君だったんだが」

「ああ、遠藤な、それが?」

 その遠藤君が、親の仇ででもあるかのような憎々しげな名前の呼び方だ。田中君、やっぱりすごく怒ってない?

「その彼と少々話をしていたら、非常に興味深いことを教えてくれてね。その件について田中君本人からもぜひ詳しく聞きたいと思っていたんだ」

「興味深いことって……なに?」

 田中君の顔には、イヤな予感がする、という言葉がはっきりと書かれてあった。さすがに長く付き合っている分、高遠というやつが時々無性に面倒くさくなる、ということくらいは田中君だって知っているのだ。

 高遠はいつも通り、そこにはまったく気づかず、さらりと続けた。


「田中君は先日、下級生の女の子から告白されたんだろう?」

「ちょっ!!」


 さっきまでよりもはるかにハッキリと、田中君は赤くなって青くなった。正確に言うと、高遠の口を乱暴に手で塞ぐと同時にがーっと赤くなり、それから史緒を見てざーっと青くなったのである。

 ……ホントに大丈夫か、田中君。

「なななな、なに、なに言ってんだ、お前高遠、ちょっと待て落ち着け」

 田中君こそ落ち着け。

「りりつれはらいのら?」

 口を田中君の手で塞がれているため、高遠の言葉はなにを言っているのか判らない。おそらく、「事実ではないのか?」と訊ねているものと推測される。塞がれていないところにある目は、なおも大真面目に田中君に向けられていた。台詞はバカみたいだけど。

「ちっ、ちちち、違う知らないっ、俺じゃないっ」

「……れは、りりつのろりんらあるのらろうら」

 では、事実の誤認があるのだろうか、だな。眉を寄せて、シリアスな難しい顔つきになっている。もう一度言う、台詞はバカみたいだけど。

「知らないって! 何かの間違いだ! いいか高遠、違うからな!」

「…………そうか」

 田中君の手から解放された高遠が、難しい顔のまま、ようやくマトモなことを言った。

「その時にどういう対応をしたのか、聞いてみたかったんだが……じゃあ、彼は誰かと勘違いをしていたのかな」

「そ、そうだよ」

 田中君がホッとしたように、無理やり笑みを浮かべる。高遠はまた、そうか、と言いながら、首を捻った。

「…………」

 二人のそのコントを黙って眺めていた史緒は呆れた。

 ……こいつ、意外と疑うことを知らないんだな。

 こんなの、田中君の照れ隠しに決まっているではないか。思春期真っ只中の男の子が、こんな人通りの多い学校の廊下で、女の子に告白されたなんて、堂々と宣言できることではない。後で高遠に説教しておいてやろう。

 サッカー部のキャプテンで、運動神経が良く背も高く、ちょっと精悍な顔つきにもなってきた田中君は、けっこう女の子にモテる。それくらい、わたしだって知ってるよ、と。

「告白なんて、高遠のほうがよっぽど回数こなしてるんだから、なにも他人に聞かなくたっていいだろ。俺、そんなこと知らない」

 田中君はすっかり疲れ果てたようにぐったりして、言い訳のようにぼそぼそと高遠に向かって言っている。しかし田中君も、友人相手に、ここまで頑なに否定しなくたってよさそうなものだ。よっぽどシャイなのかな。告白してきた下級生とはその後どうなったのか聞いてみたいが、この分だと教えてくれなさそうだなあ。

「最近、高遠君はそっち方面に興味があるんだってさ」

 と史緒が口を挟むと、田中君は怪訝な表情になった。

「そっち方面?」

「愛情の中の、恋愛カテゴリーについてだ」

「は……?」

 どこまでも臆面なく堂々と言い切る高遠に、田中君のほうが顔を赤らめている。まだまだ甘いな、田中君。高遠の相手は、そんなんでは務まらないぞ。史緒だって決して務めたいわけではないが。

「僕と違って、田中君くらいなら、告白というものは等身大な恋愛感情によるものだろうと思って期待していたんだが」

「お前のはなんなんだよ」

「僕のは恋愛ではなく崇拝だから、別分類」

「…………」

 田中君は、どこか遠くに行きたいなあ……という目つきをした。

「僕の場合、いくら数が多くても、恋愛というものについての参考にはならないのだから、無駄の極みだ。今日の放課後も呼び出されているんだぞ。まったく、どうしてあちらの用事に、僕がわざわざ出向かなければいけないのか、意味が判らない。返事は同じなのだから、その場でさっさと済ませてくれれば時間も短縮出来ていいのに」

「まあ、そうだよな」

 高遠の上から目線発言に、田中君までが、うんうんと頷いて同意する。

 二人のその態度に、史緒はかちんときた。


 ──なに、その迷惑そうな言い方。


 史緒は、高遠に告白してくる女の子の気持ちなどは、さっぱり判らない。理解もできない。それは果たして恋なのかというと、正直やっぱり、ちょっと疑わしいなとも思う。

 しかしだからといって、目の前でそんな言い方をされて、黙ってはいられない。

「なに言ってんの、二人とも、いい加減にしなよ。女の子の一世一代の告白なんだよ? みんな、ちゃんと真剣なんだよ。それを、その場でさっさと済ませろ、なんて、軽々しい扱いかたをしていいと思ってんの?」

「え……い、いや、俺は」

「君こそなにを言ってるんだ。何回も何回も体育館裏や人気のない教室に足を運んでは、同じことを繰り返す僕の身にもなってみろ。いい加減、うんざりするに決まっているだろう」

 史緒に叱られて、田中君は大いに慌てた顔をしたが、高遠はいかにもバカバカしいと言いたげだった。それが余計に史緒の怒りに火を注いだ。何がうんざりだ。毎度毎度、あんたの妄想話に付き合っている親切なわたしを少しは見習え!

「あんたにとっては同じことでも、女の子は毎回違うんでしょうが! 崇拝だろうが恋だろうが、相手はドキドキして震える気持ちで高遠君を待ってるんだよ? そこは間違いなくホントのことなんだよ? ちゃんと一人一人、誠実に対応してあげなよね!」

「くだらない、面倒だ」

「若いもんが面倒だなんて言うんじゃない、このものぐさが! なんなの、中学生になってから、どこで覚えたか知らないけど、何かというと面倒面倒って!」

「……いや、あの、どう考えても、高遠のそれ、塚原の口癖が移ってるんだと思うんだけど……」

「断るにしても、相手の気持ちを傷つけないように配慮すべきだよ!」

「ふん。配慮だって? どうすればいいんだ。サインでも渡して、満足させてやればいいのか」

「寒い!」

「確かに寒い! お前、何様だ!」

「どうして僕が文句を言われる筋合いがあるのか、さっぱり判らないね。貴重な時間を削られて、僕が迷惑をこうむっているのは事実じゃないか。明確な断りの言葉を与えている分、僕は誠実だ。それ以上の配慮なんてものをする必要は、まったく感じない」

「この冷血漢!」

 史緒の罵倒に、高遠はもう一度、ふん、と鼻で笑って、くるりと踵を返すと、すたすた教室に戻っていってしまった。

「まったく……」

 忌々しげにその背中を見送り、腕を組もうとした──ら、その腕に、がしっと力強くしがみついてきたものがあった。

「え──」

「つつつ、塚原先輩っ!」

「…………」


 いたんだ、メガネちゃん……


「た、高遠先輩のサインを頂けるんでしたら、ぜひ、ぜひ私に譲ってください! お願いしますっ!」

「いや、あのね……」

 わたしはあいつのサインなんて、絶対にもらうつもりはないからね? と、しがみついている手をそっと引き剥がそうと試みたが、ものすごい力で掴まれていて無理だった。いきなり走ってきた見知らぬ女の子に突き飛ばされた田中君は、茫然として、「誰……?」と呟いている。

 しょうがないので、史緒は彼女の手を、もう片方の空いた手でぽんぽんと軽く叩いた。

「でもさメガネちゃん、サインなんて持っててもしょうがないでしょ?」

「塚原、メガネちゃんて、これの名前?」

「そんなことはありません、塚原先輩! 高遠先輩のサイン! お宝中のお宝! 考えただけで動悸・眩暈・息切れで倒れそうです!」

「病院に行こうよ」

「なあ塚原、これ誰?」

「あの美しい手で、美しい筆跡で、高遠先輩の名前を書いていただけるなんて! これはもう萌えです! 胸がキュンキュンして死にそうです!」

「え、萌えっていうのは、そういうところに使うべきもんじゃないと思うな。それはたとえばツインテールのツンデレキャラだとか、魔法を使って戦う美少女とかに使われるものであってさ」

「塚原、お前の言ってることも、なんかちょっとおかしいぞ?」

「はっ、しまった! 高遠先輩を見失ってしまう! それでは塚原先輩、今日はこれで! サインの件、なにとぞよろしくお願いしますね!」

 メガネちゃんはやっと史緒の腕から手を離し、さささーっと壁際を滑るように移動して、あっという間に姿が見えなくなった。

「…………」

 史緒は無言で廊下に立ち尽くし、しばらくしてから、大きな息を吐き出した。傍らでは、田中君が、「あれ、なに……?」と魂の抜けた声でぼそぼそ言っているが、そんなもん、史緒に説明できるわけがない。

 ……本当に、なんなんだろう。

 恋とか、崇拝とか、萌えとか。

 それって、全部違うものなのか?

 名前はいろいろだが、実はどれも、けっこう似たようなものなんじゃないのだろうか。少なくとも、ひとつの何かに、尋常ではなく強い興味や関心を向ける、という意味では変わりない。その対象が、人だったり、物だったり、アニメキャラだったり、個人によって異なるだけで。


 ──それは確かに、病気のようなものかもね。


「……恋愛なんて面倒くさいこと、わたしはまだ当分したくないけどなあ」

 ぼそりと独り言を零すと、隣の田中君はやけにショックを受けた顔をした。




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― 新着の感想 ―
[一言] ふぅ~^^ 久しぶりに読み返しているけど、 やっぱり面白いです^^ 好きだなぁ~^^
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