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銀河の生きもの係  作者: 雨咲はな
中学生編
13/37

校門前コウノトリ談義



 十月に入ると、すっかり夏の暑さも過ぎ去って、涼しい風が吹き渡るようになった。

 爽やかな秋晴れの朝、青く澄んだ空の下を、白い半袖の制服から黒い長袖の制服へと衣替えした中学生たちが、天漢中学校への道を、足取りも軽く歩いている。洒落っ気に目覚め始めた生徒たちにとって、見苦しく汗だくになることもないこの季節は、それだけで窮屈な学校生活の中の大きな喜びだ。

 ふわーあ、と盛大な欠伸をしながら道を歩く史緒も、もちろん秋は大好きである。

 暑くもなければ寒くもない。気候の変化や気温の上下に、さほど煩わされることもない。暑いのも寒いのも、なにより面倒なことが嫌いな史緒にとって、それは非常にありがたいことだった。

 するりと頬を撫でていく風が心地いい。空気は暖かすぎもせず、冷たすぎもしない。夏の間は立っているだけでじっとりと肌に張り付くような不快さを伴っていたセーラー服が、さらりと気持ちよく自分を包んでくれている。

 あー、清々しい朝だねえ……と思いつつ、もうひとつ欠伸をしたら、

「君、年頃の女の子がこんな往来の真ん中で堂々と大口を開けて間抜けな顔を晒しているのはいかがなものかと自分で思わないのか」

 と、後ろからほとんどノンブレスで言われた。

「…………」

 そのまま無視しようかなと思ったのだが、どうせ無視したところでさらにうるさくなるのは判っているので、仕方なく振り返る。

 きっちりと詰襟の学生服を着たその姿を見て、思わず眉を寄せた。なんだろ、たった今、涼しい風を感じたところだったのに、いきなり暑苦しくなったような気がするぞ。

「いつも思うけど、高遠君はなんだってそう、いつもかっちり襟を詰めるわけ? 見てるだけで暑いんだけど」

 他の男子たちは、服装検査でもない限り、上着は脱いでいたり、着ていても襟のホックやボタンを外していたりする。だらしない、といえばそうかもしれないが、こうまで一切の着崩しがないというのも、かえってイラつく。

「学生服とはこうやって着るものなんだろう? 子供たちの個性を封じ、同一規格に揃えることによって統制を図ろうとするという目的しか感じられない制服というものは、まったくバカバカしいとしか言いようがないが、地球の中学生という集団に潜伏し観察するという使命のためには致し方ない。決して気は進まないが、着用するとなったら、一分の隙もないほど完璧に身につける、それが僕のポリシーだ」

「ああ、そう……」

 一言の疑問に、十倍くらいの量の答えを返された。

 聞かなきゃよかった、と毎回思うことをまた思って、史緒は後悔した。



 ──史緒と同じく、天漢中学校の二年生になった高遠洸は、外見も中身も、小学生の頃からほとんどまったく変わりがない。

 いや、もともと高かった身長がさらに伸びたとか、手も足も長くなったとか、綺麗な顔立ちは綺麗なまま、幼さが抜けて少し引き締まってきたとか、そういう変化はあるわけだが。

 小学生の時と変わらず、美形のSF妄想オタク。そしてウザい。

 史緒はまた前を向いて、まっすぐ中学校の校門目指して歩くことにした。この超ムダな時間を脳内から追い出して、なかったことにしよう、と決意する。

 わたしは何も見なかったし、聞かなかった。高遠の存在になんて気づかなかった。よしよし。ああ、秋の風が爽やかだねえ。

「ところで史緒」

 脳内から抹消したはずの男は、つかつかとした足取りで寄ってくると、当然のように史緒の隣にやって来て話しかけてきた。

 史緒は、聞こえません、という顔で足の動きを速めたが、そもそもコンパスの長さに差があるので、多少スピードを上げたところで高遠にとってはさして問題ないらしい。ペースを崩すこともなく、苦もなく同じ歩調で並んで歩いている。史緒だけが疲れる。腹が立つ。


「君が育てている赤ん坊は、その後どうだ?」


「ちょっと!」

 しゃらっと出された質問に、聞こえないフリをするのも忘れて、史緒はくるっと隣の高遠を向いた。

「他の人たちもたくさんいる場所で、そういうことを言うのはやめてって言ってるでしょ! 誤解されたらどうすんの!」

「誤解?」

 高遠は、意味が判らない、という表情をした。

「僕はなにも間違ったことを言ってないつもりだが。君の家には赤ん坊がいて、仕事で手が廻りきらない母親に代わり、君が育児の何分の一かを受け持っているんだろう?」

「間違ってないよ! 最初からそう言いなよ!」

「君は普段、説明がくどくて長い、としょっちゅう僕に文句を言うじゃないか。だからなるべく短く問いかけたのに」

 まったく君は理不尽だ、とヤレヤレという風情で首を振る。この場合、理不尽なのは絶対に史緒ではない。

「短く言うなら、他にどうとでも言いようがあるでしょ」

「どんな?」

「ちっちゃな妹の様子は最近どうかな? とか」


 ……そうなのである。

 史緒の父と母は、どういう幸せ家族計画を立てたのか、共働きで一人娘が不憫だといきなり思いついたのか、それともちょっとしたウッカリミスがあったのか、今になって第二子を作ったのである。

 そこのところ、親子といえど立ち入るべきではないと弁えているので特に訊ねてはいないが、中学生になった史緒には、十歳以上も年の離れた妹が出来たのだ。

 塚原家に誕生した次女は、史緒が中学に入学した四月に生まれたため、「卯月」と名付けられた。ちなみに父は好きなアニメヒロインの名前を難読漢字で付けたがっていたが……いや、もういい、この話は。

 とにかく、史緒の小さな妹は大した病気もせず問題もなくすくすく成長して、現在は一歳半になろうとしている。母の育休はもう終了したため夕方まで保育園に預けられているのだが、家にいる間は、忙しい母に代わって何かと史緒が面倒を見ていることに間違いはない。

 今朝、史緒が何度も欠伸をしていたのも、昨夜ちっとも寝つかなかった卯月の隣で、ずーっと子守唄を歌ってやったり、絵本を読んでやったり、遊んでやったりしていたからなのだ。


「ちっちゃな妹の様子は最近どうかな?」

 高遠は、すごく棒読みで、史緒の台詞を繰り返した。気のせいか、さっきよりムカつく。

「元気だよ」

「抽象的だな。僕はもっと具体的かつ詳細な報告を求めている」

「高遠君に報告する義務も責任もないよね?」

「興味があるんだ」

「このロリコンが」

「何か言ったか? だって赤ん坊だぞ? 小学生、中学生は、こうして自分で実際に経験したり観察することも出来るし、成人男性や女性も教師という存在が身近にあるからおおむね問題ない。しかし赤ん坊となると、話は別だ。赤ん坊や幼児の親というのはえてして用心深いから、他人をあまり近寄らせたがらない。つまり、現物をじっくり見る機会はそうはないんだ。君の両親は、僕の調査に協力的で非常に助かる」

「『現物』って言うな」

 史緒の父と母が、どんな理由で子供を作ったのかは定かではないが、高遠に協力するため、という理由だけはない、と断言できる。

「だというのに、君ときたら、再三の僕の要請にも関わらず、ちっとも赤ん坊を僕の前に連れてくることをしない」

 当たり前ではないか。卯月は史緒の可愛い妹である。こんな毒電波を発する変態には、一ミリだって近寄らせたくない。

「見たい。実際に、ナマの赤ん坊を近くで見てみたい」

「駄々っ子みたいなことを……。大体、卯月はもう赤ん坊っていうほど小さくないよ」

「生まれた時に見せてくれとあれほど頼んだのに、君が頑なに拒むから」

「わたしのせい、っていう言い方しないでくれる? なんで抵抗力もないか弱い赤ちゃんを、高遠君みたいなのに見せなきゃいけないわけ」

「みたいな、って何だ。君は僕を信用していないのか」

「どうやったら信用できるのか、そこからまず教えて欲しいんだけど」

「小学校の時に二年間同じ生きもの係としての仕事をして、中学校に入ってからも、ずっと同じクラスにいたんだ。僕の人となりは、もう理解しているだろう」

「理解できるか、あんたみたいなオタク」

 大体、クラスが持ち上がりの小学校五、六年生はともかくとして、どうして中学生になってからの二年間も、高遠と同じクラスなのだ? 納得できない。おかしいだろ、およそ確率というものを無視してるだろ。

 教育機関は、この鬱陶しいやつの面倒を、史緒一人に押しつけようとしているのではないか。疑心暗鬼は募る一方だ。

「史緒」

 いつの間にか高遠は、こうして史緒の名前を呼び捨てにするようになっているし。史緒はそんな許可を与えた覚えはこれっぽっちもないのだが。

「史緒って呼ぶなって何度も言ってるよね?」

「じゃあなんと呼べばいいんだ。君の友人のように、フミちゃん、と呼べばいいのか」

「絶対やだ」

「君は本当にワガママだな」

「前みたいに、塚原さんって呼べばいいじゃん」

「面倒だ」

 きいーっ、と地団駄を踏みたくなる。あんたが史緒史緒と呼ぶおかげで、いつも面倒なことになっているのはわたしのほうなんだからね!

「不公平だというのなら、僕のことも、洸と呼べばいい。特別に許す」

「やなこった」

「ふー……君って人は、まったくわけが判らない」

 あんただよ!

「それで、史緒」

「…………」

 なんかもうどうでもいい、とやさぐれた気分になって、史緒はすたすた歩きながら「なに」と投げやりに返事をした。高遠と知り合ってからの三年半、何度この徒労感を経験したことか。数えるのもイヤだ。

「生命の誕生の時、君は立ち会ったのか?」

「まあね」

 立ち会い出産可の産院だったので、父親と一緒に付き添ったのだ。

「どうだった? 地球人はどんな感じで出産をするんだ?」

「…………」

 言えるか。

「高遠君」

「なんだ」

「赤ちゃんはね、コウノトリが咥えて運んでくるんだよ」

「なんだ、それは」

 高遠はぽかんとしたが、史緒は構わずに、さらに歩みを加速させた。

 途中で、のんびり歩いていた結衣ちゃんがこちらに気づいて、「あ、フミちゃん、おは……」と言いかけたが、すぐに困惑した顔で口を噤んだ。

「フミちゃん……高遠君と、競歩の練習?」

 違います。

「いつも仲いいねえ」

 もっと違います。

「とにかくだな」

 ぴったり史緒の隣を歩き続ける高遠は、ひとつも息を乱しもしない。そもそも寝不足のハンデを背負っている史緒は、もうすでにグロッキー寸前だ。なんで始業前から体力のほとんどを使い切ってしまっている羽目になっているのか。高遠のせいに決まっているんですけど。

「コウノトリ云々などという与太話は置いておいて、僕は地球の赤ん坊というものを知りたいんだ。本来ならじっくり一カ月間くらい朝から晩まで観察したいところを、ぐっと我慢しているんだぞ。僕がこんなにも使命感と知的好奇心を抑える努力をしているんだから、せめて、君の口から成長過程の報告を聞かせろ」

「だから、元気だって」

「身長、体重、それらの数値と増加線もデータに入れておきたい」

 キモいよ!

「離乳食も終わって、大分しっかり歩くようになった。卯月の最初の言葉は『ねえね』で、パパとママを泣かせてた。積み木遊びが大好きで、積んだり崩したりを延々やって喜んでいます。以上」

「ふーん、奥深いな……」

 なるべく大事な妹の個人情報を漏らさないように注意して、無難な内容で済ませようと機械的に述べたのに、高遠は難しい顔で考え込んでいる。考え込んでいるスキに、史緒はさらに足を速めて距離を取ろうとしたのだが、高遠も考えたままスタスタとついてきて隣をキープし続けている。なんなんだよ!

 史緒のほうは、息が切れてきて、すでに持久力の限界を迎えつつあった。もう無理。校門に到着する前に死ぬ。

「…………」

 あーもう。

 歩調を緩め、観念した。ここまでくると、高遠のウザい話に付き合うより他、道はないのである。

「赤ん坊……生命の誕生か……どうせなら最初から見たいな……そうすると……」

 高遠は眉根を寄せて、ぶつぶつと呟いている。イヤな予感しかしない。

「史緒」

 来ちゃったか。史緒はため息をついた。

「──なに?」

 こちらを向く高遠は、どこまでも真顔だ。


「君は、ヒトの生殖行為についての知識はあるか?」

「…………」


 朝っぱらから下ネタかこの野郎。

 と腹に一発拳を入れてやりたいが、面倒なのでぐっと我慢した。怒ったところできょとんとされるのは判りきっているし、そうなると疲労が増すだけなのも判っている。

 こいつと話が通じないのは今に始まったことではない。決して慣れたくはないのだが、史緒ももう慣れつつあるのだった。

「……それが何か?」

「最近、周りの男子たちの会話に、ちょくちょくその手の話が出てくるんだが」

「…………」

 そりゃ、中学二年生の男の子だからね……。

「聞いていると、どうやら、関心は大きくても、実践に及んだ者はいないようだ」

 ねえ、それはこの澄みきった青空の下、吹いてくる秋風に柔らかく黒髪をなぶられながら、真面目に口にしていい内容か? なんでそんな風に思わしげにため息なんかついちゃってるんだよ! 通学途中の一年生の女の子たちが、「王子が何か悩んでる」とひそひそ囁き合ってんじゃないか! 悩みの中身がコレだと知ったら、あの子たち泣いちゃうぞ!

「僕も一応、地球におけるヒトの生殖行為と、命の誕生についての知識はあるんだ」

「…………」

「でも、僕と地球人との間で、そういった行為が可能なのかは判然としない」

「…………」

「確かめてみたいとは思うんだが」

「…………」

「しかし実践するとなると、やはり相手が必要になるだろう」

「…………」

「そこでだな、史緒、僕と」

「この変態があーーっ!!」

 結局、史緒は高遠の顔面に鞄を思いきりぶつけると、学校に向かって走って逃げた。



 中学生になっても、高遠というやつは、「使用する言語は同じでも会話は通じない」という意味で、まことに本人が主張するとおり、宇宙人のままだった。




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