1話
新しいお話を始めます。ちょっとだけ未来のちょっとだけSFも入った世界。でも基本は日常の、のんびりとした世界にどうぞ。
『長旅お疲れ様でした。当機はあと1時間ほどでアクトピア第4アジアハブポートに到着いたします。入国・滞在審査のご準備はお済みでしょうか。今一度ご確認ください』
機内に到着間近のアナウンスが流れる。
「ふわぁぁぁ~~~。ふにゅぅ……。さすがに長かったなぁ……」
窓際の席に座っていた少女はあくびをかみ殺すのに一生懸命だった。
頭の両脇をちょこんとリボンで結ばれた髪。全体的に軽くウェーブがかかっているため、結ばれた先が少し広がっている。くりっとした目は大きめで、ただでさえ童顔だと言われる顔をさらに幼く見せている。
大気圏突入の際に閉められていたブラインドが開けられるようになり、窓の外が見えるようになった。もっともそれ以前から機体に取り付けられたカメラの映像が客席のモニターには映し出されていたのだけれど。
明るい雲を抜け、完全に眼下が肉眼で確認できるようになった。
「うわぁ、青いよぉ。海ってこんなにきれいなんだぁ……」
周囲で同じように感嘆の声が聞こえる。仕方ないかもしれない。この機内にいる乗客のほとんどは本物の海を初めて見たのだろうし、この少女、松木渚珠自身もそれまではホログラフなどの資料映像や、知識としてしかその存在を見たことがなかった。
「今日からこの海のそばに住むんだぁ……。ステキかもぉ」
渚珠は窓の外から手元の書類に視線を移した。
『国際海上ポート、ALICEポートの所長【見習い】』が今日からの彼女の肩書きである。
昨日までは普通の一中学生であった渚珠がこんな肩書きを持つには、いろいろと事情がある。
西暦2350年。元々は「地球」と呼ばれていたこの星は、200年ほど前にそれまでの環境破壊などから壊滅的な被害を受けてしまった。極冠部の氷の大部分が溶け、それに伴う海面の大幅な上昇に大型台風の頻発。偶然に発生した地震と津波により、世界中のほとんどの都市が機能維持不能に陥ってしまった。結果的にそれまで7割と言われていた海の面積が9割近くまで増えてしまい、とても全員が陸上で生活できる状況にはならなくなった。
この危機的な状況に、それ以前から新たな居住地として定着しつつあった「月」や「火星」への大規模な移住が行われ、ほとんどの住人が移住を完了した。
しかしながら、やはり故郷を捨てられずそれまでの暮らしを大幅に変えて復興を計った人々がいた。
災害に残った海底都市を中心とする部分に大部分の居住区を設け、地上についてはほぼ全面的に自然保護区として残す。電力エネルギー源も潮流や風力などの自然エネルギーの利用でまかなうことが出来るようになった。
結果的にこの再生が終わる頃には経済活動のほとんどが移住先で行われるようになっていたため、「地球」は「アクトピア」と名前を変え、過去の反省から無用な開発は一切禁止され、保養や観光その他どうしても他では対応することのできない物資の補給など、特定の用途でしか利用できないような制限がかけられるようになった。
ここを訪れる人々はまず国際ポートと呼ばれる施設に星間連絡船が到着し、そこで審査を受けて入国(入星)することになる。そのあとは各ポートが保有している移動手段か公共交通手段を用いて移動することになる。この辺の仕組みは大昔からあまり変わっていない。星間連絡船はほとんどが水中には潜れないので、国際ポートは基本的に陸上か海上に設置されている。ここから各都市に移動していくわけだ。
『お客様に申し上げます。当機はあと30分ほどでブリッジに到着いたします。第4マリンシティに行かれるお客様は入管審査を受け、正面の通路をお通りください。このあとお乗り継ぎにて各ローカルポートにお越しのお客様は……』
各座席の小型立体スクリーンには到着後の手続きの案内が映し出されている。
しかし渚珠はそんなことよりも窓から見える景色に興味津々だった。
「はぁ~。きれいだなぁ……」
渚珠は以前は「月」と呼ばれていた「ルナ=モジュール」の生まれだ。
つい先日まで中学3年生として学校にも通っていたわけだが、この夏からこのアクトピアに移住することが決まった。
現在のカリキュラムでは学校は中学までが基本。それ以上の進学はごく僅かしかいない。また中学と言っても昔の高校や大学レベルの学習が行われるので決してレベルが下がったと言うことではなかった。また3年になるとインターン制度が行われ、その後の職業などに見習いとして就くことが可能になる。
渚珠はそれまで特に希望を持っていたわけではなかったが、資料映像で見たアクトピアの風景に憧れ、中学に入る頃にはそこでの仕事を希望するようになった。
「いいよねぇ渚珠は。アクトピアに行けるなんて。あそこの居住許可が出るなんて、よほどのことがなければないんだから」
先月正式に許可が下りて渚珠の出発が決まると、友人たちは羨ましがった。
もちろん彼女が何もせずに許可が下りたわけではない。
他からの出身でアクトピアに移住するためには当然何かの職に就く必要があるが、人数の増加を制限しているため無条件に受け入れられるわけではなかった。
渚珠がアクトピアへ行く意思を両親に伝えると最初はかなり驚いていた。それでも彼女の意思が固いことが分かると、しばらくして1通の書類を用意してくれた。どこから手に入れてきたのか一般にはなかなか入手することの出来ないと言われている連絡船の発着するポート職員の応募書類だった。
「こんなの……、わたしに出来るのかなぁ?」
そう思いながらも普通の学校が終わった後の補習や、休日の講習も1年間に渡って受けてようやくその資格を得ることが出来た。
またその資格を得たからといって全員が希望通りに配属されるわけではない。
しかし渚珠の場合はどこでどのような手続きが進んだのか分からないが、彼女の希望通りにアクトピアにあるポートへの赴任が言い渡された。
その後のメールや書類でのやり取りが何度も繰り返され、渚珠は数人の友人と家族に見送られ住み慣れた故郷を離れたのだった。
ぼんやり最近のことを思い出していると軽いショックがあって水上に着水したことが分かった。窓の外には大きな白い波が水面に広がっていく。
こんな光景も海がないルナ=モジュールでは見ることが出来ない。アクトピアに直接行くことが出来るのは独特な形をした船底を持つ連絡船だけだったが、なぜそうなのか渚珠は最初知らなかった。研修などで勉強はしていても、こうして実際に乗っているとその理由が分かる。
「はぇぇ~~。すごぉい」
渚珠が実年齢よりも若く見られるのは、その姿だけではなくこの言動も一因となっているかもしれない。
ブリッジに到着して機体のドアが開けられる。
「あぁ、そっかぁ。外にはちゃんと空気があるんだよねぇ」
入管審査に向かう通路の窓が開いていて、そこから爽やかな風が入ってくる。
「気持ちぃぃ」
しばしその場に立ち止まって、入ってくる風を顔に受けてみる。
もしそんなことがルナ=モジュールであったら大変だ。それこそ真空の外に吸い出されて大変な事故になってしまう。肌で感じられるほどの風というのは人工的に作られた自然公園や空調設備の管理区域にあるだけで、こうやって窓から流れ込んでくるだけでも他の場所ではないということが分かる。
「すごいなぁ……」
窓の外に見える青い空も渚珠にとっては知識でしか知らなかった光景だ。
「こんな星に来られるなんて……夢みたいだよぉ」
いつの間にかブリッジに出てくる人も少なくなり。慌てて審査に走っていく渚珠。数日分の荷物が入ったキャリーケースを受け取り列に並ぶ。
「こんにちはぁ」
パスポートと書類をカウンターに出すと、人の良さそうな審査官は写真と渚珠を見比べている。
「おや、お嬢さんお一人ですか?」
「はいぃ。今日からこちらに移ることになったんですぅ」
「そうなんですか? ご両親やお荷物は?」
「わたし一人ですぅ。荷物はもう先に送ってあるんですけどぉ……」
「そうですか……」
パラパラと書類をめくっていた手が、あるところでぴたりと止まった。
「まさか、この住所は……」
急に表情が硬くなる。
「ほへぇ?」
渚珠も緊張する。なにか書類に不備でもあったのだろうか。
しかし審査官は渚珠本人ではなく、一緒に出した書類の方に驚いているようだ。真剣その項目を確認して手元の端末で操作をしている。
「あ、あのぉ……、大丈夫ですかぁ……?」
渚珠に問いかけられ、ようやく自分が取り乱していたことに気づいた彼。
「これは大変失礼しました。ALICEポートへは定期便が少ないのでご注意ください。審査を抜けましたら一番端の国内ターミナルから出ていますので。本当に申し訳ありませんでした」
「はいぃ。ありがとうございましたぁ」
審査官に起立と最敬礼されて見送られる少女を周囲の人々は不思議そうに見ている。
「ほほぉ。やっぱり大きいなぁ」
審査を終えた人が吐き出されてくるロビー。ここから各方面に向けて観光客が散らばっていく。
星間国際ターミナルからローカルのターミナルに移動すると様子がずいぶん変わってきた。
地元の人たちも利用するエリアでもあるためか、飲食街や商店などが立ち並んでいてずいぶんと賑やかだ。また遠距離や乗り換えの旅行者のための宿泊設備もある。
「へぇ~。いろいろあるんだなぁ」
最後の朝食は機内食で済ませていたので、次に来るときは是非試してみようと思いながら通路を進んでいく。
この第4アジアハブはアクトピアにいくつか点在する大型ハブポートの1つで、あちらこちらからの便がひっきりなしに行き来している。
実際に乗客を乗せている便だけではなく物資の往来も担当するので、その忙しさはハブポートの中でもトップクラスだという。
逆を言えばそれだけ移動が大変な大型施設なわけだが、何もかも初めての渚珠にはそれが物珍しくて仕方ない。
途中の景色がよく見えるところで立ち止まりながらののんびりした移動だったので、渚珠にはあまり苦にならなかったようだ。
そんな感じでのんびりとやってきた渚珠だったが、目的の乗り場までやって来てどうも様子がおかしいことに気づいた。
確かに渚珠の乗る方面は便数も少ないし、従ってそれほど乗客も多くないはずなのだが、それらしい人が見あたらない。それどころかスポットに止まっているはずの船も見あたらない。
「あれぇ……? 間違えたかなぁ……」
慌てて乗船チケットを見るが、間違いはなさそうだ。
「あのぉ……」
仕方なく一人カウンターに残って作業をしている係員に尋ねる。
「このあと出発する便って、まだ来ていませんかぁ……?」
「えっ?」
カウンターの係員は目を丸くして差し出されたチケットを見た。
「あれっ……。国際乗り換えのお客さんに連絡が行ってなかったんだな……。午前中の便は今日は運休になっちゃってね。みんなそれぞれ他の便に振り替えていったんだけど。ALICEかぁ……。あそこは少し遠いからね……。午後の便に振り替えるしか……」
そこまで言ったとき、渚珠を見ていたその係も言葉が途切れた。
「すんませんが、それ見せてもらえます?」
係員の男性は渚珠が抱えて持っていたクリアケースの中身に気づいたようだ。
「ほへぇ……どうぞぉ」
さっきまで入国審査の書類を入れていたクリアケースだが、その一番外側には確か仮のIDカードが入っていたはずだ。
「うーん、お昼頃には着く予定ですって言ってあったんだけど、無理だねぇ……」
渚珠がさっき見てきた中のどこで昼食をとろうかと考えていたとき、電話でどこかに話していた係員がやってきた……。




