たて笛の精
放課後の木造校舎は気味が悪い。
さっきまで生徒で溢れてにぎやかだったのに、今はまるで別の場所みたいに静まり返っている。
窓からはオレンジ色の夕日が伸びている。
一歩歩くごとに、床がぎぃぎぃと軋み、僕が立てている音だと分かっていても、背中の毛が立つような感覚に襲われる。
こんな放課後の不気味な教室に、わざわざ戻ってきたわけ。
それは、男子児童なら一度は夢想する、好きな子のたて笛を、そうたて笛を舐めに来たのだ。
クラスで一番可愛くて、元気で、優しくて、女子にも人気があるアヤちゃん。
男子の中でももちろん競争率が高い。
僕は地味だし、顔も恰好よくないし、頭もよくないし、運動も中の下くらいだし、告白する勇気もなければ、ばれたら確実にからかわれるのがわかっているから告白出来る状態でもない。
でも、だからこそ、こんな手段しか取れないわけだ。
たて笛は机の横にかけてある。
可愛いピンクの布のケースに入っている。
そっと取り出す。
好きな子との間接キスだ。背徳感と興奮が入り混じって、やたら心臓が強く鳴る。
その白い吹き込み口に、そーっと口を近づける。
心臓はすでに張り裂けそうなほど、高く強く鳴っている。
目を閉じて、アヤちゃんの顔が浮かべ、その唇が近づいてくる想像をしながら、唇をつける、その瞬間!
ちゃっちゃらっちゃちゃーん
間抜けな音が教室に響いた。
瞬間的に目を開くと、目の前に、太ったおっさんがいた。
アラジンに出てくる王様のような口髭と、玉ねぎのような帽子と、薄布を肩掛けにし、きらきらと宝石を散らしたベルトを締め、たっぷりとしたズボンの裾を足首で絞っている。
奇妙なのは、そのおっさんの大きさだった。
でっぷりと太ってはいるが、大きさはたて笛ほどしかない。
アヤちゃんの机の上に、やたら偉そうな顔をして、ふんぞり返ってこっちを見ている。
あまりの事に言葉の出ない僕に、そのおっさんは言った。
「ふぉっふぉっふぉ。わしはたて笛の精じゃぞー。お前さんの願いを1つなんでも叶えてあげようぞー」
「……まじ?」
かなりの間を置いて、僕はからからに乾いた声をようやく絞り出した。
「本当じゃぞー」
そのたて笛の精は、頬の肉を揺らしながら頷いた。
「……なんで?」
「それは、それ、あれじゃー。たて笛の精だからじゃぞー」
理由になっていない。
「……なんで、僕?」
「ふぉっふぉっふぉ、それはじゃなー、適当に気が向いたときに、気が向いた所に行って、願いを叶えるのが、わしの仕事じゃからなー。たまたまじゃ、たまたま。あ、その時にたて笛を持っている事という制約はあるのじゃがなー」
「……なんでも叶えてくれるの?」
「そうじゃぞー。ただし、たて笛に関する事だけじゃがなー」
それは『なんでも』とは言わないのではないだろうか。
僕は考えた。たて笛に関する事で、願い、と言えば……。
手元のたて笛に目を落とす。
そうだ。これだ。これしかない。
「たて笛の精さん。僕、アヤちゃんのたて笛になりたいです。でもずっとは嫌なので、明日の音楽の時間が終わるまででいいです!」
我ながらいいアイディアだ。
これでアヤちゃんと間接キスではなく、直接キスができるじゃないか!
「お安いご用じゃぞー」
たて笛の精は、嬉しそうに腹を揺らしながら笑った。
「あ、でも待って。そうすると、僕、これから一日行方不明になっちゃう。それは困るな」
「ふぉっふぉっふぉ。大丈夫じゃぞー。お前さんのダミーを作って、お前さんのふりをしてもらうからなー」
そういうが早いか、たて笛の精は腰に下げていたたて笛を取り出し、ぷーっと吹いた。笛の尻から風船のような物が膨らんだかと思うと、それはどんどん大きくなり、徐々に形を作っていき、人間の形になった。
「……僕だ」
その風船から出来た人間は、僕と全く同じ顔、全く同じ体型、全く同じ服で、質感も全く僕そのものだった。
そっと頬に触ってみる。皮膚の感触も僕のそれと一緒だった。
「……ねえ、たて笛の精さん。こんな凄い事ができるなら、何も願いの内容をたて笛関係に限定しなくてもいいんじゃないの?」
ふと疑問を口にした。
「それがじゃなー。駄目なんじゃー。たて笛に関わらない事には、力が出ないんじゃー。難儀じゃなー」
面倒くさい奴。
「このダミーは賢いぞー。お前さんと全く同じ行動、全く同じしゃべり方、全く同じ記憶を持っているから、周りを騙すのはお手のものじゃー」
そっか。それなら安心。
「じゃあ、僕を、アヤちゃんの笛にしてください!」
「ふぉっふぉっふぉー。ではいくぞー」
たて笛の精は、たて笛をぷーっと吹いた。
今度は笛の尻から紫色の煙が吐き出され、僕を包んだ。
あっという間に、僕は、アヤちゃんのたて笛になっていた。
お時間を割いて、最後まで読んでくださりありがとうございました。
この後は小学生的な品の無い展開になりますので、ご容赦ください。




