管理費
茜から聞いた話を、麻衣はメモ帳に書き出していた。
――廊下のきしみ。
――ポストの立て付け。
どれも小さな不具合だ。
けれど、毎日使う場所だからこそ、放置すれば不満になる。
麻衣「……言うだけ、言ってみよう」
そう自分に言い聞かせて、麻衣は大家の家を訪ねた。
応接間に通され、例の座布団に正座する。
大家「どうしました?」
麻衣「えっと……管理人として、報告があります」
声が、少しだけ震えた。
麻衣「廊下がきしむ箇所と、ポストの立て付けが悪い件です。
住人の方から相談を受けまして……」
大家は驚いた様子もなく、帳簿をめくる。
大家「なるほど」
しばらくして、顔を上げた。
大家「それなら、管理費から自由に使って直して構いませんよ」
麻衣「……え?」
思わず聞き返してしまった。
麻衣「勝手に、使っていいんですか?」
大家「勝手じゃありません」
大家は穏やかに言った。
大家「住人さんから毎月払われている管理費です。
管理人が、住みやすくするために使うお金ですよ」
その言葉に、胸がどくりと鳴る。
麻衣「……私の判断で?」
大家「ええ。金額が大きくなりそうなら相談してください。
でも、その程度ならお任せします」
帳簿を閉じる音が、やけに重く響いた。
——判断していい。
——責任を持っていい。
今まで、誰かに決めてもらう側だった麻衣にとって、
それは思った以上に重い言葉だった。
麻衣「……わかりました。やってみます」
大家「お願いします」
大家は、少しだけ笑った。
———
アパートに戻ると、廊下のきしむ場所で足を止める。
麻衣「ここ、だよね」
踏むと、ぎし、と小さく音が鳴った。
ポストも、取り出し口の扉がやけに固い。
麻衣「……直せるかな」
不安はある。
失敗したらどうしようという気持ちもある。
それでも。
これは「頼まれごと」ではない。
任された仕事だ。
そのとき、後ろから声がした。
茜「麻衣さーん!」
振り返ると、茜が手を振っている。
茜「大家さん、どうだった?」
麻衣「うん。直していいって言われた」
茜「ほんと!?」
ぱっと表情が明るくなる。
茜「じゃあさ、ここもよくなるんだ!」
その一言で、迷いが少しだけ薄れた。
麻衣「……うん。ちゃんとやる」
茜は満足そうに頷いた。
少し離れた場所で、
階段を上がる遥が、その様子を見ていた。
まだ声はかけない。
まだ距離もある。
けれど。
遥の中で、
「就職浪人の管理人」というラベルが、
わずかに揺らぎ始めていた。




