勘違い地獄
遥は、廊下の角で足を止めた。
——聞こえてしまった。
茜「麻衣さん、本当に優しくて……」
声の主は、102号室の茜。
相手は——
リナ「わかる〜」
203号室のリナ。
その距離感と声のトーンで、
遥は嫌な予感しかしなかった。
遥
壁越しに聞こえる会話。
茜「この前も、ポスト直してくれて……」
リナ「それさ、完全に脈アリじゃん」
茜「えっ!?
そ、そんな……」
茜の声が上ずる。
遥(違う)
——それは管理人の仕事。
でも、言えない。
遥は、その場を動けなくなった。
———
その日の夕方。
共用スペース。
麻衣が脚立に乗って、
非常灯の点検をしている。
麻衣「……っと」
その下で。
あずさ「……」
ツインテールの少女が、
ぬいぐるみを抱えて見上げていた。
遥
目が、
やけに真剣。
あずさ「……尊い」
小声。
遥(あ、だめだ)
そこへ、リナが合流する。
リナ「管理人さん、脚立気をつけてくださいねー」
麻衣「ありがとうございます」
何も知らない声。
リナは、あずさに小声で話しかける。
リナ「……やっぱ本命だよね」
あずさ「……うん」
即答。
遥(合意取れてる……)
その横で、茜がやってくる。
茜「麻衣さーん!」
全員の視線が集まる。
麻衣が振り向く。
麻衣「どうしたの?」
茜「えっと……その……」
言葉に詰まる茜。
——完全に、恋の空気。
遥(違う)
でも、誰も否定しない。
否定する人が、
一人もいない。
———
夜。
203号室の壁越し。
リナ「ねえ、遥」
遥「……なんですか」
リナ「茜ちゃんのこと、どう思う?」
遥(爆弾)
遥「……どう、とは」
リナ「可愛いよね」
遥「……はい」
嘘ではない。
リナ「管理人さんも、
絶対そう思ってる」
遥(思ってない)
喉まで出かかった言葉を、
遥は飲み込んだ。
代わりに、
胃が痛くなった。
遥(全員、勘違いしてる)
——麻衣は管理人の仕事を真剣にしている。
——茜は麻衣の善意に喜んでいるだけ。
——リナは善意で茜の恋の背中(誤解)を押している。
——あずさは茜の恋では無いと知った上で妄想を膨らませている。
そして。
遥(私だけ、わかってる)
それが、
なぜか一番つらい。
———
翌朝。
共用部の掲示板に、
麻衣の字で貼り紙があった。
『今週末、
共用部の簡易点検を行います。
立ち会い不要です』
それを見て、
茜が顔を赤くする。
茜「……立ち会い、いらないんだ」
リナが微笑む。
リナ「遠慮してるんだよ」
あずさが、
ぎゅっとぬいぐるみを抱く。
あずさ「……健気」
遥(違う)
遥は、掲示板から目を逸らした。
遥(このアパート、
そのうち爆発する)
けれど、
誰かが止めなければならない。
——誰かが。
そう思いながら、
遥は自分が一番、
動けていないことを自覚していた。




