ひび割れたランプが、いちばん光った夜
ひび割れたランプが、いちばん光った夜
雪の町には、きらきらが多すぎた。
屋根のつららは月を刺して光り、道の霜は靴の裏でぱきぱき鳴り、街灯の輪は白い息の中でふくらんで、まるで世界中が飾り付けられているみたいだった。
でも、リリはそれが好きじゃなかった。
きらきらは、見る人を選ぶ。
そう思っていたから。
きらきらの中では、みんな笑っているのに、自分だけが少し遅れて歩いている気がした。
眩しさで目を細めるたび、胸の奥が小さく縮む。
だから冬になると、リリは窓辺から離れ、明るい話題からも離れ、雪の音だけを聞くようにしていた。
「リリ、星みたいな飾り、つけないの?」
母が聞いても、首を横に振った。
「うん。いい」
本当は「似合わないから」と言いたかった。
でもそれを言うと、もっと似合わなくなる気がして、言えなかった。
⸻
ある夜、雪がやんだ。
雲の切れ間から星が出て、町の外れの森まで道が見えた。
リリはひとりで古道具屋へ行った。
理由は、なんでもよかった。
ただ、家の中の灯りが眩しすぎたから。
古道具屋の扉は重く、開けると鈴が鳴った。
ちりん、と。
音まで小さくきらきらして、リリは少し肩をすくめた。
店主のおばあさんは、ストーブの前で編み物をしていた。
目を上げ、ゆっくり笑った。
「寒いねえ。欲しいものがあるのかい」
「……なんでもいいの」
リリは棚を見た。
錆びた額縁、欠けたカップ、片方だけの手袋。
どれも、誰かの時間が残っている。
奥の棚で、リリは小さなランプを見つけた。
手のひらに乗るほどの、古い金属のランプ。
ガラスの罩が、蜘蛛の巣みたいにひび割れていた。
「それ、灯らないかもしれないよ」
おばあさんが言った。
「……それがいい」
リリはそう答えて、ランプを買った。
家へ帰る道、ランプは布に包まれてリリの胸のあたりで温かかった。
まるで小さな心臓みたいだった。
⸻
部屋でランプに火を入れてみる。
芯は少し焦げていて、火は弱かった。
――やっぱり。
リリがため息をついた瞬間、部屋の窓がきい、と鳴った。
外は冷えている。
ガラスが鳴るのはよくあることだ。
それなのに、ひび割れたランプの罩が、すこし明るくなった。
光が増えたというより、“光の粒”が生まれたみたいに。
リリは顔を近づけた。
ランプの中で、きらきらが泳いでいる。
金粉みたいな眩しいものではなく、雪の上を転がる砂糖粒みたいな、やわらかいきらきら。
「……どうして?」
リリが小さく息を吐いた。
はぁ、と白い息がランプに触れた。
その瞬間、ひび割れの線に沿って、きらきらが増えた。
まるで息が、光になったみたいだった。
リリは試しに、もう一度息を吹きかけた。
ランプは、また少しきらきらを増やす。
「息で……光るの?」
すると、どこからか小さな声が聞こえた。
――息は、あなたの“いま”だよ。
リリはびくっとした。
部屋を見回したが、誰もいない。
ランプだけが、弱く、しかし確かに光っている。
――息は、寒いときほど、きらきらする。
今度は、ランプの中のきらきらが、言葉の形で揺れた気がした。
リリは怖くなかった。
むしろ、少し笑いそうになった。
きらきらが、やさしい声をしていたから。
「じゃあ……」
リリはランプを持ち上げ、窓を開けた。
冬の空気が入ってくる。
頬が痛い。
けれどランプの罩は、その痛みを吸うみたいに、ひび割れからやわらかい光を漏らした。
それは、誰かに見せるための光ではなく、
“ここにいる”を確かめるための光だった。
⸻
その夜、リリは外へ出た。
目的なんてない。
ただ、ランプが外の寒さの中でどうなるか、見たかった。
雪の道を歩くと、ランプはほんの少しずつ明るくなった。
リリの息が白く伸びて、ランプに触れるたび、きらきらが増える。
町の角を曲がると、郵便屋さんが立っていた。
帽子に雪が積もって、目も鼻も赤い。
手紙の束を抱えているのに、家々の灯りを前にして動けないでいる。
「どうしたの?」
リリが聞くと、郵便屋さんは驚いた顔でリリを見た。
「……この家、誰も出ないんだ。呼び鈴も鳴らない。だけど手紙は“あったかい”」
リリは郵便屋さんの手紙を見た。
封筒は少し湿って、まるで泣いたあとみたいだった。
「中、見たの?」
「見ないよ。郵便屋は見ない。だけど……手紙が寒がってる」
郵便屋さんは小さく笑った。
笑い方が、少しだけ困っていた。
リリはランプを郵便屋さんの手紙に近づけた。
ひび割れの光が、封筒の端に触れる。
すると、封筒がふわっと膨らんだ。
中の紙が、深呼吸したみたいに。
郵便屋さんが目を丸くする。
「……あったかい」
「息で光るの。これ」
リリが息を吹きかけると、ランプのきらきらが増え、封筒の角がやさしく光った。
その光は派手ではない。
でも、玄関の隙間へすうっと入り込む。
カチリ。
中から鍵の音がした。
扉が少し開いて、眠そうな顔の男の人が覗いた。
「……手紙?」
郵便屋さんはほっとして、手紙を差し出した。
「届けに来た。遅くなってすまない」
男の人は封筒を受け取り、胸に当てた。
その瞬間、顔が少しだけほどけた。
「……来たんだ。ちゃんと」
扉が閉まる前に、男の人が小さく言った。
「ありがとう」
郵便屋さんの頬に、雪より先に赤みが差した。
リリはそれを見て、なぜか胸が温かくなった。
ランプの光が、さっきより少し増えている。
⸻
次の角には、赤ちゃんの泣き声がした。
小さな家の窓から、明かりが漏れているのに、泣き声が止まらない。
リリは迷ったが、そっと窓辺へ近づいた。
中では母親が抱っこして揺すっている。
何をしても泣き止まない、あの泣き方。
リリは窓ガラスに向かって、ランプを掲げた。
息をひとつ、ふっと吹きかける。
きらきらが、ひび割れに沿って増えて、窓の隙間へ入っていく。
光は声を持たない。
でも、その光の“温度”が、泣き声の上にそっと毛布をかけるみたいだった。
赤ちゃんの泣き声が、少し小さくなる。
母親が目を上げた。
窓の外のリリを見て、びっくりしたように口を開ける。
「……あなた」
リリは指を口に当てた。
母親は頷き、赤ちゃんの背中を撫でた。
泣き声が、ふにゃ、とほどけて、最後は小さな寝息になった。
母親が、窓越しに目で「ありがとう」と言った。
声にしない、やさしい「ありがとう」。
リリの胸の奥が、きらきらした。
⸻
夜の町は、静かだった。
雪は音を吸い、灯りは柔らかく広がる。
リリは歩きながら気づいた。
ランプの光は、誰かに見せるために増えるのではない。
“誰かの冷たさ”に触れたときだけ、増える。
そして増え方が、いつも違う。
郵便屋さんのときの光は、扉を開ける光。
赤ちゃんのときの光は、泣き声を包む光。
きらきらって、ひとつじゃないんだ。
そう思ったとき、町はずれの橋の下で、細い影が動いた。
猫だった。
毛が雪で濡れて、体が小さく震えている。
リリはしゃがんで、ランプを近づけた。
息を吹きかける。
きらきらが増え、猫の背中に小さな星みたいに乗った。
猫が目を細める。
逃げない。
「……寒いね」
リリが小さく言うと、猫は「にゃ」と鳴いた。
その声が、リリの胸を少しだけ引っかいた。
リリは自分のマフラーを外して、猫を包んだ。
猫は抵抗せず、丸くなる。
その瞬間、ランプが、いちばん明るくなった。
ひび割れの線が、きらきらの道になって、
冬の空気の中に、やさしい光が溶けた。
――きらきらは、飾りじゃない。
――誰かを帰すための道しるべ。
どこかで、ランプの声がした気がした。
⸻
リリが家に戻るころ、星は高く、町の灯りは少しだけ眠そうだった。
母が玄関で待っていた。
「遅かったじゃない」
怒っているようで、ほっとしている顔。
リリはランプを見せた。
「これ、ひび割れてるのに、光るの」
母は目を丸くする。
「まあ……きれい」
いつもの“飾りのきれい”ではない言い方だった。
母が手を伸ばし、ランプの罩に触れる。
ひび割れの光が、母の指先をやさしく照らした。
母は小さく息を吐いた。
「リリ、寒かった?」
「……うん。寒かった」
「それでも、外に行ったの」
「うん。……光がね、増えるから」
母はリリを抱きしめた。
その腕の中は、冬の外よりずっと温かい。
「きらきらが苦手だったのね」
リリは、うなずいた。
やっと言えた。
「眩しいと、置いていかれる気がするから」
母はリリの髪を撫でた。
「置いていかないよ。きらきらは、見せるためだけじゃないもの」
リリはランプを見た。
ひび割れの中で、きらきらが静かに揺れている。
「……今日、分かった」
「なにが?」
リリは答えた。
「きらきらって、寒いときに生まれる。
でも、寒いままじゃなくて……誰かを温めたとき、いちばん光る」
母が笑った。
その笑い方は、冬のスープみたいだった。
リリはランプを窓辺に置いた。
外の雪はまだ白い。
でも眩しくはない。
ひび割れた光が、白をやさしくほどくから。
その夜、リリは飾りをひとつ作った。
星の形ではなく、ひび割れの形。
紙を折って、線を入れて、そっと開く。
割れた線の間から、灯りが漏れる。
母が言った。
「それ、きれいね」
リリは頷いた。
「うん。
“ひび”から出るきらきらが、いちばん好き」
窓の外で、雪がもう一度だけ降り始めた。
ひと粒ひと粒が、きらきらと静かに落ちる。
でも今のリリには、それが眩しくなかった。
それは“見せる光”ではなく、
“帰る道の光”だと知っているから。
ひび割れたランプが、いちばん光った夜――リリの息は、町の冬を少しだけあたたかくした。
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