金木犀の景色・結「一緒の進路」
鴨川の水面が朝日を反射し、ショートケーキのオブジェがまるで魔法がかかったように輝いていた。蓮は飛び石の残りを慎重に渡り、オブジェの周りに集まる人たちに笑顔で声をかけた。
「こんにちはー!このケーキ、なにかのイベントですか?」
蓮は人懐っこく明るい、まるで秋の朝日を反射する水面のようにキラキラと輝いた笑顔で問いかけ、美術系大学の卒業生たちが笑いながら答えた。
「私たち美術大学の卒業生で。これ卒業制作で作った物なんだけどね。こういう珍しいもん置いとくと、自然と人が集まるじゃん?ここが交流の場になればって、お菓子な魔法をかけてるんだ」
「すげー!素敵な考えっすね!お菓子な魔法にかかっちゃった!」
蓮は目を輝かせ、なるほどと手を叩いた。誰とでもすぐ打ち解ける蓮の姿に、航一は少し離れて立っていたが、ほのかにムッとした。いつもこうだ。蓮の笑顔は誰にでも平等に振りまかれる。航一の胸の奥には、ほんの少しのざわめきがあったが、蓮はそれに気づかず振り返って笑った。
「なあ、航一、めっちゃエモいよな、このケーキ!あの、写真撮っていいっすか?」
「ええ、どうぞ。よければ可笑しく撮ってみてね」
「可笑しくっすか!?撮れるかな?やってみます!」
蓮は目を輝かせスマホを構えた。赤い苺と白いクリームがキラキラ光るショートケーキのオブジェを蓮は夢中で撮り始めた。動画モードに切り替え、様々な角度をフレームに収めていく。
「航一、ほら!このケーキ、魔法かかってるっぽいよな!」
「…ほんと子供みたいにうるさい奴だな」
航一の呟きは小さかったが、目はどこか優しかった。蓮はそれに気づかず、「あとでエモい可笑しな動画にしてやるぜ!」と、オブジェを背景に航一を撮影し始めた。真面目な顔でキラキラと輝くショートケーキを見つめる航一の動画が撮れ、蓮にとってはシュールで可笑しな動画が撮れたと大満足し、美術大学の卒業生へ感謝の意を伝え、ショートケーキのオブジェを後にした。
二人は飛び石を戻り、鴨川デルタのベンチに腰を下ろした。鴨川の水面がキラキラと揺れ、金木犀の香りがそっと漂う。蓮は包装紙で包装されたプラスチック容器から豆餅を取り出し、そっと二つに割った。
「なあ、航一。お菓子な魔法にかかっちゃったかな?」
「ん?」
「まださ、進路とか、決まってねえんだけど…鴨川デルタみたいに、さ。二つの川が一つになるみたいに、俺、航一と同じ進路に進みたいな」
蓮は照れながら言うと豆餅の半分を差し出した。蓮の指は少し震えていた。恋人と友達の違いって何だろう。この想いは、押したら友達としても壊れそうで、引いたらこのまま友達で終わりそうで。航一は一瞬、蓮をじっと見た。
「…お前、ほんと恥ずかしいことを平気で言うんだな」
揶揄う声だったが、豆餅を受け取る手は柔らかかった。
「この餡子の滑らかさと塩豆のバランス…美味いんだよな」
航一は一口かじると呟き、その顔は、普段のクールな航一とは違う、子供みたいな満足げな表情だった。蓮は息を呑んだ。この航一の顔、初めて見たかもしれない。まだ友達だからこそ、この瞬間が見られたのかも。恋愛のほろ苦さが、胸の奥で金木犀の香りと混じった。心の時計の針が、少し大人へと進んだ気がした。
「帰ったら一緒に勉強しようぜ。…本当は、京大行きたいんだろ?」
航一が豆餅を食べ終え静かに言った。蓮の心がピタリと撃ち抜かれた。自分でもぼんやりとしかわかってなかった、京大への憧れ。航一はそれをちゃんと見ていた。
「親友だからな。お前のこと、わかってるつもりだよ」
「なんだよ、それー!お前だけわかってるなんて、ずるいぞ!」
航一の声は鴨川のせせらぎみたいに穏やかだった。蓮は笑いながら航一の肩を小突いた。蓮は心のどこかで、恋人と友達の違いはまだわからないけど、この距離が今はいいのかもしれないと思った。遠くの金木犀の木陰で、黒猫がじっと二人を見つめ、まるで微笑むかのように目を細める。
二人はふざけ合いながら自転車にまたがり帰路を急いだ。朝日の射す鴨川デルタに、銀杏の葉がひらりと舞い、星型のキーホルダーが風で揺れた。蓮は航一の後ろ姿をそっと心に刻む。こんな時間が、ずっと続くといいな、と。