金木犀の景色・転「恋人と友達」
出町ふたばの店の前の行列に並ぶ。朝8時20分。開店10分前だとまだ行列も少なく早く買えそうだった。次々と客が捌けてすぐに順番が訪れた。蓮は豆餅を受け取ると航一に笑いかけた。
「朝早くだからか空いててラッキーだったな!」
「…うまいから、いいだろ」
航一は包装された豆餅を手に小さく頷いた。その声はそっけなかったが、航一が豆餅を握る表情には、どこか祖父との思い出を重ねるような温かい表情があった。
「なあ、航一。豆餅は鴨川デルタで食おうぜ!」
「…いいな」
蓮は自転車を押しながら提案した。航一が了承し応じると、二人は自転車を漕ぎ、鴨川デルタへと向かった。朝の空気は涼しく鴨川のせせらぎが遠くに聞こえる。
鴨川デルタに着くと蓮は目を丸くした。行きの時にはなかった巨大なショートケーキのオブジェが川の合流点近くにぽつんと立っていた。赤い苺と白いクリームが朝日を浴びてキラキラ光っている。
「なにあれ?めっちゃ変じゃね?」
「…さっきはなかったよな」
蓮が笑いながら言うと航一も首を傾げた。蓮の声には、ほのかな好奇心が混じっていて、スマホを手に写真を撮ると、航一の肩を軽く叩いた。
「人いるし聞きに行ってみようぜ!」
「また不思議なもんに絡むのか、懲りねえな」
蓮は川に設置された飛び石の方へと走り出した。航一は呆れたような表情をしながら、でもどこか楽しそうに後を追った。鴨川デルタの飛び石を、蓮は軽やかに渡り始めた。川の水面が朝日を反射しキラキラと揺れる。
蓮が「エモいな、これ!」と笑っていると、突然、風が強く吹き金木犀の香りが濃く漂った。蓮は足元がふらつき飛び石からバランスを崩しそうになった瞬間、航一の手が咄嗟に蓮の腕を掴んだ。
「子供でも渡れるところだぞ、オイ」
「うわ、助かった!」
航一の声は笑いを帯びていた。蓮は笑い返したが、航一の手の感触に胸がドキッと跳ねていた。こんな時、航一の不器用な優しさは蓮の心をいつも揺らす。恋人と友達の違いって何だろう。蓮は水面を見つめ、ふと思った。あの裏路地で、航一に想いを伝えたけど、返事は曖昧なまま。押したら友達としても壊れそうで、引いたらこのまま友達で終わりそうで。
蓮はショートケーキのオブジェを見つめた。鴨川の水面が朝日を反射し、ショートケーキのオブジェがまるで魔法がかかったように輝いていた。
「なあ、航一。このケーキ、なんか不思議だよな。魔法でもかかってんのかな?」
「…お前、ほんと子供」
蓮の言葉に航一が小さく笑った。でもその目は優しかった。蓮は航一のそんな目を見ると、胸の奥が金木犀の香りでいっぱいになる気がした。