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起承転結・結「二人の軌跡」

 町家の空間は、金木犀の香りに包まれ、まるで時間が琥珀の中に閉じ込められたように静かだった。蓮は航一が手を握る温かな感触に、胸の奥が震えるのを感じた。鏡に映った蓮の記憶は、航一への恋心と罪を暴き、蓮の心を重くしていた。星型のチャームを盗んだこと、航一のペットボトルを勝手に飲んだこと、すべては航一に近づきたかったから。でも、その思いは罪でもあった。蓮は航一の静かな瞳を見ると、胸が締め付けられるように痛んだ。このままじゃいけない。そう、ずっと思っていた。


「…ここから、戻れるのか?」


 ふと航一が老女の方を向いて尋ねた。その声は低く、しかし確かな決意を帯びていた。蓮は航一の横顔を見つめ、まるで保津川の水面に映る星のような荒々しい輝きを感じた。航一がたまに見せる、クールなのにどこか熱くて、意志の強さを感じる瞬間。


「戻ることはできるよ。だが、なにかひとつ、大切な物を差し出さなきゃね。それが、この世界のルールだ」


 老女は、黒猫をそっと撫でながら微笑み返答した。彼女の声は、まるで古い町家の軒先に響く風鈴のようだった。


「もし何も差し出さなければ、別の何かがひとつ失われる。選ぶのは君たちだ」


 蓮の心臓が大きく跳ねた。大切な物。頭に浮かんだのは、星型のチャームだった。あのキーホルダーは航一の祖父との思い出であり、蓮が盗んだ罪の証だった。でも、それ以上に蓮の胸に重くのしかかるのは航一への思いだった。親友以上の名前のつけられない思い。好きだなんて口に出す勇気はなかった。でも、この思いが航一を縛っているなら捨てなきゃいけない。蓮はそう思った。


 蓮は小さく息を吐き、航一の手をそっと離した。ポケットに手を入れ、星型のチャームを取り出した。革細工の表面は、まるで航一の心のように、少し擦り切れて、でも温かかった。


「航一、ごめん。俺…ずっと迷惑かけてた。嘘ついて盗んで隠して。航一のことが…好きだったから」


 言葉が喉の奥で震えた。蓮は目をそらし、鴨川の水面を思い浮かべた。あの流れに、このチャームを流せば、航一への思いを手放せるかもしれない。そうしたら、航一は自由になれる。蓮はそう信じたかった。


「蓮、謝るな」


 航一の手が蓮の肩を強く掴んだ。航一の声は、いつもより少しだけ鋭かった。蓮は驚いて顔を上げた。航一の瞳は、まるで夜空の星座のように、静かで、強い輝きに満ち溢れていた。


「お前の気持ち、俺…ずっと前からなんとなくは気付いてたんだ。あそこまで重かったなんて思わなかっただけで。お前の笑顔とか、軽口とか、全部、俺にはわかってた。お前の気持ちくらいわかってなくて、何が親友だよ」


 蓮の胸が熱く締め付けられた。航一がそんな風に思っていたなんて知らなかった。いつもクールで遠いと思っていた航一が、こんな近くで自分の心を見てくれていたなんて。


「航一…でも、俺…」

「いいんだ、蓮。俺も、このままじゃいけないって、ずっと思ってた。じいちゃんのこと、お前とのこと…ちゃんと向き合わなきゃって」


 航一は静かに首を振り、意志の強い、星のように輝く目で蓮に視線を合わせた。航一の手が蓮の手を再び握った。その温もりは心に染み込むような温かさだった。


「何も差し出さなくていい。この世界から二人で戻る。それでいいだろ?」

「…うん。何も差し出さない。航一と一緒に戻る」


 蓮の目が熱くなった。航一の言葉は、まるで鴨川の流れのように、蓮の心をそっと洗い流した。星型のチャームを握る手が震えるが、航一の手に支えられて蓮は頷いた。


「ほう、いい選択だね。だが、何も差し出さなかったなら、別の何かが失われるよ。君たちの『子供であることの一部』が、ね」


 老女が静かに微笑んだ。彼女の声は町家の空間に静かに響いた。


「少しだけ大人になったんだよ。君たちは」


 黒猫が嬉しそうに一声鳴いた。その声が町家の空間を揺らし光が二人を包んだ。金木犀の香りが、まるで別れを告げるように濃く漂い、二人の視界が白く染まった。


 気がつくと、二人は和菓子屋の前に立っていた。白川のせせらぎが聞こえ、秋の風が金木犀の香りを運んでくる。蓮はポケットの中の星型チャームをそっと握った。捨てなかった。捨てられなかった。でも、航一の手の温もりが、蓮の心を軽くしていた。


「なあ、航一。俺、ちょっと大人になったかな?」

「…お前、いつも子供っぽいだろ」


 蓮は笑った。航一は、いつものように少しだけ眉を上げが、その声には、ほのかな笑みが混じっていた。


「お前もな!」


 蓮は笑い返し航一の肩を軽く叩き、二人は白川通りを歩き始めた。夕暮れの空に、星座がぼんやりと浮かんでいる。蓮はスマホを取り出し、航一の横顔をそっと撮った。新しい写真。新しい記憶。航一は気づかず、ただ静かに歩いていた。その背中は、まるで蓮の心に刻まれた星のようだった。


 金木犀の香りが、二人を優しく包んだ。少しだけ大人になった二人の足音が、東山の石畳に響き渡った。

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