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京大の11月祭で心重ねて・転「君の大切な心に寄り添おう」

 京大の本部構内の道は、銀杏の葉が黄金の絨毯のように広がり、足元でささやくように揺れていた。秋の陽射しが葉脈を透かし、キラキラと光を散らす中、去年の人気アニメキャラを使った立て看板が目に入った。


 小さな少女が「あのね!あのね!」と手を振り、背の高い少女が「教育現場はやりがい搾取で軽く死ねますね」と返す、そのコミカルなイラストで描かれた立て看板に、蓮は「京大は本当自由だよな~」と笑いながら通り過ぎようとして、ふと隣の航一の足が止まったのに気付いた。


 ただの風刺画、ただの学祭の遊び。京大には珍しくもない立て看板。コミカルすぎて心に響かない。


 だが、航一はじっと立て看板を見つめていた。その横顔は蓮の胸を締めつける、あのまっすぐな横顔だった。風に揺れる黒髪。瞳の奥に宿る意志の光。遠い地平を見つめるように、強く、静かで、陽射しに縁取られた輪郭が、まるで秋の葉のように儚く輝く。蓮の頬が熱くなり赤く染まる。この航一の表情が大好きだ。心が溶けそうになる。


 陽射しが航一の肩を優しく撫で、銀杏の葉が一枚、ひらりと落ちて、蓮の視界を彩った。周囲の笑い声が遠ざかり、二人だけの静かな世界が広がるように感じた。


「……教育現場って、こんなに疲弊してんのか。心に寄り添う教育って、難しいんだな」


 航一の声は銀杏の葉が落ちる音のようにポツリと零れた。蓮にはその看板はただのコミカルなイラストで描かれた立て看板で、何か特別な意味を持った物には見えなかった。でも航一には、何か違う景色が見えたらしい。


 教師の叫び、搾取の影──言われてみれば、コミカルなイラストの立て看板は、秋の陽射しに溶けて、どこか物悲しい切ない影を落としているように見えた。その温度差が蓮の心をちくりと刺し、蓮は慌てて声を絞り出した。


「航一……教師になりたいのか?」

「それもいいかもな」


 軽く、でも風に溶けないほど微かに呟くと、航一は歩き出す。銀杏の葉が二人の影を追いかけるように、ひらりと舞った。蓮は慌てて追いかけ、からかうように言った。


「航一が教師になったらさ、スパルタで宿題の山だろ。生徒、逃げ出すぞ」

「蓮の汚い字だと採点するのは苦行だな」

「ひどっ!」


 二人はじゃれ合いながら歩いていると、出店の煙と笑い声に塗れた通りに差し掛かった。煙が陽射しに絡み、甘い香りが鼻をくすぐる。蓮が客引きに釣られて買ったたこ焼きは、火傷しそうなほどの出来立てのアツアツで、蓮の顔を百面相に変えた。航一が買った焼きそばはソースが口元を染め、蓮の笑いが風に溶けて広がる。小さな幸せな記憶が、銀杏の葉が積もった黄金の絨毯のように、二人の心へと積み重ねられていく。


 二人は出店で買ったたこ焼きを頬張り、焼きそばを分け合い、吉田南構内へと流れ着いた。そこはもう、別次元だった。何故かクジャクがいて悠然と羽を広げ、羽根を透かした青と緑の光が秋の空に溶け込む。サックスの音がどこからか降り注ぎ、ロビーの中央では女装した先輩たちが、優雅に紅茶を注いでいた。


「京大に入るなら女装の必要性を真剣に考える必要がありそうだな!」

「じゃあ、まずは蓮が女装してみろよ」

「きゃー!航一くんのエッチ!!!」


 蓮は腹を抱えて笑いながら、航一の肩をバシバシと叩く。航一は蓮の肩叩きに怪訝な顔を浮かべるも、まずはどこへ行こうか構内を見回した。すると構内がまるでクジャクの羽のように色とりどり、万華鏡のようにキラキラしているように感じられた。誰かの夢が、誰かの希望が、熱を帯びて空気を震わせる。蓮はシャッターを切りまくり、普段は物静かな航一でさえ、心に炎が灯りテンションが上がった。


「大学生って……いいな」


 自分でも気付かず漏らした微かな呟きは、航一の中で何かを決定づけた。京都大学を受験しよう。勉強をめちゃくちゃ頑張って。そして合格を。キラキラした青春のキャンパスライフを、ここで。


 二人が様々な展示物に目を彷徨わせ歩いていると、蓮が講義室の片隅に『猫総選挙』の展示を見つけた。京大の構内でよく見かける猫たちの写真が貼られ、投票箱が置いてある。その中に見覚えのある黒猫の写真があった。


『クロミツ』


 黒猫の名前に、蓮は写真を見て、ほんの一瞬だけ息を止めた。


「……昔、俺が飼ってた黒猫と同じ名前」

「あの不思議な空間で会った黒猫……クロミツなんじゃないか?」


 航一が真剣な顔で聞いた。蓮は少しだけ目を伏せ、遠い記憶を思い出した。


「小学6年生のとき、ある日突然いなくなったんだ。老猫でいつも日向ぼっこしてたのに、あんな機敏に動けるわけない。黒猫なんてどこにでもいるし、ただの偶然だよ」


 航一は唇を噛んだ。あの不思議な空間でも、今日の山茶花の茂みでも、黒猫は蓮を見つめていた。老猫でどこかにいなくなったのなら、まさか幽霊?何か蓮に伝えたいことでもあるのか?航一の考えは、あまりにもオカルトめいて、口にするのは躊躇われた。そんな考え込み沈黙した航一の肩を、蓮は笑って軽く叩いた。


「航一。わからないテスト問題は、一旦飛ばして次に行かなきゃ時間切れになるじゃん。クロミツのことは置いといてさ。まだ学祭回り切れてないし、時間切れになったら最悪じゃん。ほら、あっちにあったメカメカした巨大UFOキャッチャーみたいなの、見てみたいし!」


 航一は蓮の言葉に小さく笑い頷いた。蓮が早く行こうと急かすが、その前に投票箱にそっと一票を入れ、クロミツの写真を一枚だけ買った。蓮がいつか、もう一度あの黒猫を見返したいと思った時のために。


 二人は再び、クジャクの羽が舞うような熱気の中へ、銀杏の葉と笑い声と、未来の欠片を握りしめながら、飛び込んでいった。

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