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「ふむ、小説の筋書き、か」

「……頭がおかしいって思ってらっしゃるならそう思ってください」


 日を改めてジュヌヴィエーヴとヴィルヘルムは、学院の自習室でこっそりと密談を重ねていた。


 その中でいっそ打ち明けてしまった方が楽かと、ジュヌヴィエーヴは一連の『記憶』の中の小説の筋書きのことも伝えたのである。


 ヴィルヘルムは頭の中でそれを味わうような顔つきで、しばらく沈黙していたが、やがて笑みを浮かべた。


「いや、事実でも悩める君の生み出した幻想でも、今の状況はそう変わらないんじゃないかな」

「……確かに取り乱してしまいましたけど、言われてみればそれはそうですね」


 否定するでもなく、肯定するでもないヴィルヘルムに、ジュヌヴィエーヴはむしろ好感を持った。

 商家だというが、きっと親の仕事もこれならしっかり継いでいくのだろう。


「で、その筋書きといくらか差異もあるというけど」


 ヴィルヘルムの言葉に頷く。


「ええ、変なんです。その小説だと確か『星の乙女』はレガリア様ではなく、もっとふわふわと、その…もう少し幼い印象の方でしたし、学院にも通っていらっしゃったんです」

「なるほど、それでよりリチャード殿とも親密に」


 石でも飲み込んだような顔をするジュヌヴィエーヴに、ヴィルヘルムは人懐こい顔で笑う。

 

「すまない、今のは配慮が足りなかった」

「いえ……それに私も嫉妬に駆られて嫌がらせなど、考えもしませんし」


 それゆえに、あの小説のように非難された挙句に、家にまで類が及ぶことにはならずに済みそうではある。


「だが君がそうなってほしくないことは、家名云々より婚約の撤回だろう?」


 ジュヌヴィエーヴはぎゅっと目を閉じた。先ほどからこのヴィルヘルム、本当にいちいち痛いところをついてくる。


「そう、ですね……創立祭で、リチャード様がレガリア様に想いを伝えるようなことでも起きてしまったら、どのようなことになるか……」

「根回しもしていないようだし、立太子は望み薄だろうね」


 ヴィルヘルムの言葉に、いまさらのようにジュヌヴィエーヴは状況に気付かされた。

 ジュヌヴィエーヴの婚約は、リチャードの立太子も視野に入れた上で決まったものであった。

 つまり創立祭で彼が迂闊な行動を取れば、それはマイナスとなり、立太子の道が遠のくということだ。

 そうなると彼の意思に関わらず、婚約が白紙になることは十分考えられる。


「でも、リチャード様なら立太子なさらなくても、私は……」


 ジュヌヴィエーヴがポツリと呟く横顔を、ヴィルヘルムは眩しいものでも見るように眺めていた。





 創立祭が近づく中、やっと顔を合わせることができたレガリア、アラステア、イザベルらはぐったりとしていた。


「教会がえらく張り切ってしまって……衣装合わせが、もう終わらないかと」


 淀んだ声で言うのはレガリアである。

 一方、少し離れて茶会を見守るタイセイはどこ吹く風と言った塩梅だ。


「あいつだけ良い空気吸っていないか?」


 横目で睨むアラステアは、ここ何日か義兄たちのパワーバランスに偏りが出ぬよう奔走しまくっていた。


「いつも通りですよ、それよりモントローズ嬢のまわりが少し妙です」


 いくらか苛立った顔でイザベルがささやく。

 む、とアラステアが眉を寄せた。


「これまで交流のなかった留学生が近辺にいます。隣国の商家の出となっておりますが、それにしては物腰にらしくないところもあると、学院に入れた手の者が」

「わかった、こちらでも当たってみるが……多分きみの方がお得意かもなぁ」


 レガリアが天を仰いだ。


「大事にならないのが一番なんですが……」

「レガリア、諦めなさい。あなたはきっとそういう星に生まれついたのでしょう」


 とりすましたイザベルに、恨めしい目を向けるレガリアであった。



 『そういう星』、案外洒落になっていない気がしてしまったのである。








 学院のホールは生徒たちがさわさわと騒ぎすぎず、それでも楽しげに集まっている。

 生まれによる序列を重視しない校風もあり、通常の社交の場と違って格式ばった様子はさほどない。

 とはいえ、節目の年ということもあり、通常の学院では目にしない王族や、その護衛の騎士団の姿もあり、生徒たちは日頃より行儀がいくらか良い。


 第三王子リチャードは、その中で日頃接している王族の面々ではなく教会の司祭らと共にいた。

 聖女、『星の乙女』による学院への祝福を与える儀式の生徒代表として、その場に立つからである。


 彼の心はふわふわと夢心地であった。

 礼拝ではずっと離れて見ることしか叶わなかった聖女に、とうとう間近にまみえるのだから。

 そのためであれば作法について司祭らに注意を受けようとも、なんら苦ではない。

 連日の恋の熱情に比べれば、苦痛にすらならない。


 それでもと、頭の片隅を許嫁の寂しげな笑みがよぎった。


 これから彼がしようとしていることは、彼女への裏切りだ。

 だが、と思い直す。

 間違いなくこれから取る行動によって、リチャード自身の立太子の話は完全になくなる。

 そして、ジュヌヴィエーヴの家は捨て置かれるような格ではない。

 立太子を狙う兄弟のいずれかが、必ず彼女と良い縁を結ぶだろう。

 なにしろその器量もさることながら、心根の良さも彼はよく知っている。

 野心的であればあるほど彼女のような人間は拠り所になる、そうリチャードは確信していた。


 だから、彼女のことは――心配、ない。


 そう思う心のどこかで、ちくりと刺すものがあったが、あえて彼は見ないふりをした。





 式典が始まると生徒たちのおしゃべりは止んだ。

 静まり返ったホールに学院長の挨拶に、続いて司教の説話。

 生徒の最も退屈する時間であろう。


 その間にレガリアはそっとホール内を見回す。

 この場にはアラステアやイザベルの姿もあれば、珍しく騎士団長の姿もある。

 リチャードの許嫁の令嬢は、特徴は聞いていたもののさすがに見つけることはかなわなかった。

 もしかすると、この儀式を目に入れたくないと、この場にいないもかもしれない。

 ため息を吐きそうになるのを堪えると、視界の隅のタイセイと目が合う。


 相変わらずである。


 黒字に金で描かれた縞模様の獣の刺繍の入った上衣が、恐ろしく場違いである。

 それもあって、本来従者であり護衛でもあるというのに司教らによって隅に追いやられている。

 彼のニヤニヤ笑いが、ますます司教らの判断の正しさを裏付ける。

 ぐっとため息をこらえ、そろそろ終わりが近づいた司教の説話にレガリアは一歩前に踏み出した。

 



 ホール中の視線が『星の乙女』に集まる。

 静かに進むその先には、生徒を代表して、第三王子リチャードがひざまずいている。

 祈りは個人ではなく学院に与えるものではあるが、わかりやすさを重視した結果、この形式が取られることになった。

 まあ、王家の箔付けの面もあるのだろうが。

 あくまでも聖女らしく、たおやかな所作で、レガリアはそっとリチャードに手をかざす。


「これからも学院に叡智のきらめきが共にありますよう、祈りを捧げましょう……」


 これはレガリアの混じり気なしの祈りである。

 学院が門戸を広げたことによる人材の輩出で、学院も、その制度も、価値が上がっているのだ。

 今後もそうあって欲しいのは彼自身、本気である。


 それはそれとして、と、レガリアは節目がちに様子をうかがう。

 ひざまずき、祈りを受け入れるリチャードの姿は敬虔な信徒のそれである。

 そうであって欲しい。

 頼むから妙なことはしでかさないでほしい。


「さあ殿下、お立ちください」


 祝福を与え、終わりをうながしたレガリアであったが、俯いたリチャードはなかなか動かない。


「殿下……?」


 小声でうながすと、リチャードはがばっと顔をあげたが、そこにレガリアはまずい兆候を嗅ぎ取った。


「ほ…星の乙女よ!」

「はい?」


 まずい。

 レガリアの背にどっと冷や汗が流れた。

 王子の目は明らかに熱を帯びている、情熱といえば聞こえはいいが、勢い任せのヤケクソめいたそれだ。


「わた、私は…あなたに、ぜひ!つ…伝えなければな…ならない、ことが!」


 視界の隅に騎士団長の顎の外れそうな顔がある。王室がわざわざ創立祭に彼をつけたのはこういう事態への王子への牽制だったと思うのだが。

 恋は、盲目か。

 レガリアは一瞬目を閉じ、再び開いた。


 冷水を、浴びせるしかない、それもとっておきの。

 なおも続けんとする王子の口が開ききる前に、レガリアの指は首の魔導具にかかった。


 その瞬間だった。


「待った! 殿下、どうかその先は口になさいますな!」


 広間全体にその声は響き渡った。

 全ての視線の集まった先には、ジュヌヴィエーヴを伴ったヴィルヘルムがいた。


「ジュネ……? と、君は……」


 出鼻をくじかれたリチャードは戸惑いを浮かべ両者に目を向けている。


「私めはまあ、気にせずともよろしいかと。それより、こちらの令嬢の言い分に耳を傾けていただけますまいか!」


 言うが早いかヴィルヘルムはポンとジュヌヴィエーヴの背を押した。


「ほら今だよ、お嬢さん。淑女がどうとか知ったことか、全部ぶつけてしまえば良いさ!」

「え、ええっ?」


 ジュヌヴィエーヴは狼狽えながらも壇上を見上げた。

 リチャードと目が合うも、思わずそらしてしまう。

 伝えたい言葉は――気持ちはいくらだってある、とはいえそれをいまさら彼に伝えたところでどうなると言うのだ。

 彼女のそらした視線の先に、レガリアがいた。


「聖女さま……」


 恋敵、と言えるほどレガリアと自分は同じ立場にいない。

 ジュヌヴィエーヴが己の惨めさに全部投げ出したくなった瞬間、レガリアが柔らかく微笑んだ。

 それは、間違っても哀れみでも見下すものでもない——見守ってくださるそれ。

 ジュヌヴィエーヴは確信した。


 聖女はまさに、民に寄り添う方なのだ。


 彼女は一歩、前に、踏み出す。


「リチャードさ……殿下」


 そう、伝えたいこと、伝えてこなかったことは山ほどあるのだ。

 また一歩、足を踏み出した。


「わ、わた、私は……」


 言葉を搾り出そうとする彼女はあまりに必死で、リチャードがすでにレガリアから目を離し、ジュヌヴィエーヴに一歩踏み出したことに気づいていない。

 それどころではない、緊張のあまり膝は今にも力が抜けてしまいそうで、立っているのがやっとなのだ。


 それでも、伝えたかった。


「私は……殿下が、殿下がどのようなお立場であろうとも! 殿下をお慕い申し上げます!」


 真っ赤な顔で言い切った瞬間、彼女の全身から力が抜けた。

 そのまま崩れ落ちると思った瞬間、しっかりと抱き止められた。


「ジュネ、君をそこまで追い詰めて、すまない……」


 抱き止めたのはリチャードだった。その顔はジュヌヴィエーヴとお揃いで、林檎のように赤く染まっている。


 わっと周囲から歓声があがる様子に、壇上でレガリアは微笑ましく思いながら、同時に安堵のため息をついていた。

 学院は階級を問わぬ学問の場である。つまりありとあらゆる階層に露見しかねないここで、己の性別を明かすのは本当のところ避けたかったのだ。


 懸案が急に片付いて安堵したのはアラステアもである。彼もまたため息をつく。

 だがその横でイザベルが一歩、前に出る。


「雨降って地固まる、とは言いますけど、まだ一つ残っておりますね」


 ぱちんと扇子を閉じ、鋭い目を向けた。喧騒も一気に収まる。

 その先には――ヴィルヘルムがいる。


「おや、バレましたか?」

「ハンデルスベルガー、隣国ですら実体のない商会とは恐れ入りましたわ。 『どなた』かは存じませんが、帝国あたりでしょう?」


 ぞろぞろと現れた衛士たちに囲まれながらヴィルヘルムは肩をすくめた。


「……我らにご同行願おうか」

「やれやれ、どうにも今回は楽しみすぎたね、これも仕方のないところか」


 くすくす笑う男に、ジュヌヴィエーヴが複雑な感情を含んだ目を向ける。


「ああ、気に病む必要はないよ、お嬢さん。 私もあいにくと、手ぶらで帰る気もなくてね」


 あくまでも人好きのする笑顔のまま、ヴィルヘルムは鋭く指笛を吹いた。

 それと同時に衛士がバタバタと倒れ、影が二つ降り立った。

 レガリアとタイセイのそばにもいつから潜り込んでいたのか、包囲するように武装した男たちがじりと迫る。


「レガリア様っ!」


 事態の急変に声を上げるジュヌヴィエーヴを、リチャードが庇う。

 その傍に騎士団長の姿を認めるとレガリアは状況を素早く確認した。


 自身を取り囲みつつある男は三人、ヴィルヘルム付きは二人。

 すべて覆面をしており顔はわからない。


 力はあちらの二人、その中でも双剣持ちの男の気配は、この状況下でただ事ではない凪を纏っている。

 これでは騎士団もおそらく気づくまい。

 一方レガリアの方の三人は存在の隠匿こそ魔術を用いていたようだが、本人たちの能力というよりは何らかの魔導具に思えた。

 つまり、タイセイを使うほどではない。


 レガリアの指示が飛んだ。


「タイセイ! 双剣使いはお前に任せる!」

「応!」


 肉食獣の笑みを浮かべ、一気にタイセイが跳躍し、双剣使いへ迫った。


「……化け物がッ!」


 獣の前足の一振りのような掌底をかろうじてかわし、覆面の双剣使いが罵りながら間合いを取る。

 反応の速さにタイセイの笑みは深まった。

 まあまあの使い手である。タイセイに課せられた『制約』は程よいハンデになるだろう。


「楽しませてもらうぞ、帝国流の剣技をな!」




 一方でレガリアである。

 ジリジリと輪を詰める男たちと相対しながら庭に面する扉を背にし、パッと身を翻した。

 

「たかが女一人に三人がかりとは情けないものだな!」


 軽くテラスから飛び出し、庭へ一気に着地する。

 遅れて続いた男たちは、苛立ちをその顔に浮かべていた。

 レガリアがここまで動けることは、彼らにとって誤算であった。

 聖女とは教会で祈りを捧げる大人しい女であり、このような状況なら立ちすくむのがせいぜいと、見くびっていたのだ。


「聖女などと煽てられて火遊びとはいい趣味だな女!」


 まず一人があくまで鞘を抜かず、剣を打突のために突き出した。

 打ちすえてしまえば、この程度の蛮勇も挫けるという目論見だった。

 だが。


「無礼るなよ」


 氷よりも温度を感じさせない声が響くのと、同時だった。

 男の突き込んだ剣はほんの少しレガリアが添えた左腕の動きで先を見失い、前のめりになったその腹にただ事ではない強い衝撃が走る。


 それが膝蹴りだったことを理解する前に男は意識を手放した。


 残る二人を前に、レガリアはドレスの裾を派手に裂いて足の自由を確保する。


「どうした、聖女の仕事は祈るだけだとでも思っていたのか?」


 レガリアは笑う。

 聖女とは程遠い笑みであった。



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