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 侍女のクラリスからいくつか噂や些細なことをひと通り聞いたイザベルは、わずかに目を伏せた。

 いくつかの茶会や宮廷で自身が見聞きしたものと矛盾はない、つまりおおむね調べた通りで事実に等しいのだろう。


 第三王子――リチャード・レオニス・ファングレイヴ殿は、間違いなく婚約者のいる身でありながらレガリアに恋心を抱き、尚且つそれを公言している。

 それも許嫁である令嬢、ジュヌヴィエーヴ・マーガレット・モントローズ当人にすら、それを吐露している場面を見た者がいるほどである。

 

「お気の毒に……」


 クラリスがついこぼしてしまった呟きも仕方あるまい、どう考えても王子が悪い。

 

「私でしたら頭から茶を浴びせかねないところですけど、モントローズ様はお優しい方なのでしょうね」


 イザベルは作法を横に置いてこめかみを揉んだ。

 今のところ礼拝で姿を見るだけの王子に、レガリアと接する機会は無い。

 社交の場にもほぼ出ない『聖女』はアラステアやイザベルなどの例外もあるが、王室とは直に接することはそう多くないのだ。


「やはり、学院の創立祭が厄介ですわね……」


 節目の年な上に王子が在籍していることもあって、今年は規模が大きい。

 レガリアも祝福の祈りを与えるために出向く予定がある。

 その場で面倒を起こす可能性は、ないとは言い切れないのがこれまで得た王子の情報から得たイザベルの印象だった。


「あの方がさっさと一時の恋から醒めてくだされば一番話が丸く収まるというのに」


 面倒な、と呟くイザベルにクラリスが恐々といったふうに進言する。


「レガリア様から真実を第三王子殿下に明かしていただくわけには……?」

「やっぱりそれが一番丸いわよねえ!?」


 思わず作法を見失ったイザベルであった。





 学ぶ、ということは嫌いではない。

 余計なことを忘れられるという点ではむしろ好きなくらいで。

 ゆえに、ジュヌヴィエーヴはいざ学院に着くといつものように生真面目に講義を受け、その復習にと人気のない自習室の一角で筆記をまとめ、満足したところでようやく我に返った。


 違う、いや学生の本分としては正しいが、そうではないのだ。

 第三王子――許嫁であるリチャードの問題である。


 現在のところ、両者の交流は問題ない頻度である。

 学院では彼の方から声をかけ、互いにささやかな茶会や時として勉強会的な取り組みをしているし、学院外でも婚姻前の常識的な付き合いを続けている。

 そう、そこだけ見ればジュヌヴィエーヴは正しく許嫁として扱われているのである、が。


「そうよこのところ、話題が全部『レガリア様』一辺倒なのよね……」


 国中から慕われている聖女であり、ジュヌヴィエーヴ自身も些細なことながら、礼拝でほんのわずかに目があった時の彼女の柔らかな笑顔に思わず魅了されたほどなので、初めのうちはリチャードのその熱の入った言葉にも微笑ましく相槌を打っていたのである。

 やきもちでも焼いてみせればよかったのだろうか。

 ごち、と彼女は机に頭を軽く打ち付け、それから行儀悪くそのまま頭をぐりぐりと擦り付けるように振った。


「ううん、心の狭い女と思われるのも、嫌ぁ〜〜…」


 とはいえ、リチャードのあの顔は明らかに恋に落ちた者のそれである。


 がば、と顔をあげジュヌヴィエーヴは何か打開策はないかと頭動かそうとするものの、聖女について熱っぽく語るリチャードのきらきら輝く瞳ばかり思い浮かんでしまう。

 家同士の決めた婚姻で、彼女はある程度割り切っているつもりのはずだったのだ。

 だが、リチャードの心が自分にない、という事実がジクジクと痛む。


「……諦めるの、無理よぉ」


 淑女にあるまじき涙が浮かび、ぽた、と、せっかくまとめたノートに雫が落ちて文字が滲んだ。

 その時である。


「きみ、意外と顔に出る方なんだねえ」


 明らかに面白がる声にジュヌヴィエーヴは慌てて意識を向けた。

 いつからいたのか、自習室の斜向かいの席に男が腰掛けていた。


「ハンデルスベルガー…様?」

「ヴィルヘルムでかまいませんよ、モントローズ嬢」


 隣国の商家の出の留学生と聞いていた。

 黒髪に褐色の肌はこの国では珍しい。

 人当たりの良さで評判はいいが、許嫁のいる身で男と二人きりというのは彼女にとってあまりよろしくない状況だった。


「あの、変に騒いでお邪魔してしまったようですので私……」

「きみ、聖女様に負けっぱなしでいいの?」


 頬杖をつきながら、にこにことヴィルヘルムが爆弾を落とした。


「あ、あの、なななんのお話でしょう?」


 引き攣った笑顔でジュヌヴィエーヴはジリジリと筆記具を片付けようと動く。


「いや、『心の狭い女と思われるのも嫌』ってのはなかなか響いたからね」


 自制心が働かなければ、ジュヌヴィエーヴはきっとこう叫んでいたことだろう。


『ギャーー、ほぼ全部聞いてたんじゃないですかあ!』と。






 婚約者同士の観劇としてボックス席に収まってアラステアとイザベルは改めて二人揃って頭を抱えていた。


「創立祭か……義兄上が、やるとしたらその時だな」

「学院では代表生に祝福を与えるセレモニーをなさるようです」


 間違いなく、代表生は王子だろう。つまり最もレガリアに接近できる好機である。


「厄介な……」


 大きくため息をつき、アラステアはまだ準備をしているオーケストラボックスを見下ろす。

 音合わせの不思議な旋律が響く中、イザベルが呟いた。


「レガリアがいつまでも日和っているからこういうことになるんですよ」

「いや、あいつが覚悟を決めても、その、肝心の……」


 微妙にズレた矛先の向かいどころにアラステアはいくらか顔を引き攣らせる。

 レガリアとて年頃である、思う相手は実はいるのだが。


「ああ、アレはそう受け取るの、難しいですわね」

「どうも妙なところで浮世離れしているからなあ……」


 イザベルは開幕前の沈黙の訪れるほんの数瞬、小さく呟いた。



「というかそもそもアレって人間なのかしら?」









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