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完璧なのである。
誰がと言えば、当代の『星の乙女』だ。
艶やかな黒髪、青白すぎぬ健康的な血色の薄化粧の映える肌、憂を讃えた伏し目がちの深みのある空色の瞳、すっと伸びた背が窺わせる芯の強さ、口を開けばいくらか淑女としての作法からは外れていても優れた人格と慈しみの心を感じさせられる言葉の数々、そして何より――その二つ名に恥じぬ力とその制御。
「だけど、男なんだよな……」
両手を顔で覆いながら緑あふれる四阿で呟いたのはこの国の第……五だったか七だったかくらい継承権からは縁遠い側妃の息子である王子であった。名をアラステアという。
目も向けずに静かにカップをテーブルに戻した令嬢は彼の許嫁であるイザベル。
彼女はゆっくりと楽しんでいた茶のおかわりをすべきか、少しばかり悩んでいた。
何しろこういう場での必需品のコルセットというものはとにかく窮屈なもので。
「レガリアは『星の乙女』としての役割も、王家での役割もきちんとこなしておりましょう。そこ、欠点にはなりませんわよ」
両者に向かい合う形で腰掛け、居心地が悪そうに視線をうろうろとさまよわせているのは、まさにその話題の中心である『星の乙女』レガリアであった。
「本当に、曽祖母のお告げがいつもいつもいらぬ面倒を招いてしまい申し訳ありません……」
そう、すべてのきっかけは今もなお現役でバリバリと働くレガリアの曽祖母であった。
『時告の乙女』である彼女はある啓示をうけたのである。
時折伝わる神――あるいはそれに類する上位存在――からの何らかの『意思』は、彼女に与えられた生来の能力であり、正しく人々へそれを『翻訳』するのが役目であった。
翻訳に曰く、『星が大きく流れる夜、その身に女神の力を託された乙女が世に現れるだろう』。
確かに程なくしてある夜、かつてなく大きな箒星がある貴族の邸宅の上にすっと流れて消え――時を同じくしてその家に新しい命が誕生したのであった。
託宣は正しく、その子は明らかに人ならざる力を宿していることを家に代々仕える魔術師も認めた。
問題は、その子が男児だったことである。
端的に言えば曾祖母が『翻訳』をしくじったのである。
『者』とでも訳すべきところを、女神の力を託されたという点から先入観で『乙女』と思い込んでしまったのだ。
さらにタイミングが悪かった。
レガリアの両親は長男次男と男児が続いていたところだったのである。
『次は、女の子が良いですね…』『ああ、しとやかでも元気でも、いや授かることそのものが幸せだな』などという夫婦の微笑ましいやり取りが、残念な方向に働いてしまったのだ。
誕生を待ち望まれ、そこに曾祖母の予言とぴたりと一致する大彗星である。
さらに生まれた子の瞳は空を映したような深みのある青に宿る力の気配、前述の魔術師でなくとも何らかの力が宿っていることが、取り上げた産婆にすらわかるほどだったのだ。
夫婦は確信した。これこそ待ち望んだ愛し子であり、予言の子である、と。性別などもはや些細な問題だった。
かくして生まれた子は尊きものとしてレガリアと名付けられ『淑女』として愛とともに育まれたのである。
当人は物心がつく頃には、己の体と兄たちや乳母や使用人のなんとも歯切れの悪い態度や会うたびにきまり悪そうな顔をする曾祖母からなんとなく状況を悟り、とはいえ、むきになって反抗するにも両親の愛情が本物であるだけにやりづらく、現状への妥協を覚える羽目になってしまっていた。
そうしていくらか成長すると、おだやかにたおやかに微笑みながら、神事として大聖堂での女神への礼拝をこなし、各地へたびたび訪れては魔払いの結界のほころびをなおし、民の声に耳を傾け時としてそれとなくまつりごとに関わるものたちへ伝えるなど『星の乙女』として期待され、かつ、できる範囲のことをおこなってきた。
成長に伴いレガリアの声は青年らしさを帯びてきたものの、教会も王室も瑕疵のない『聖女』を保つことに必死だった。
どこから調達したのか声に作用する魔導具などというものまで用意して、民衆からレガリアの性別を隠しおおせたのであった。
とはいえ、親しい間柄の者にはきちんとレガリアの本来の性別は知られている。
ゆえに、今現在、最も親しい間柄である三者は四阿で茶と他愛のない会話を楽しんでいたのであった。
そして冒頭のアラステアのぼやきに戻る。
原因は、より継承権に近い王子の一人が祈りを捧げるレガリアの姿に一目惚れをしてしまったことに端を発する。本来アラステアよりよほど慎重に振る舞うべきその王子はよりにもよってアレを口走ってしまったのである。
「『真実の愛』、でしたか……」
レガリアもそっとこめかみをおさえている。
「どこからそのような浮ついた言葉を覚えてきたのでしょうね」
イザベルは素っ気ない。
その言葉が登場するいくつかの物語が大衆に広く受け入れられているからと目を通したものの、さっぱり心の踊らぬものだったからである。
不遇な娘がやがて身分違いの青年と巡り合い紆余曲折の果てに愛と幸せを手に入れる、そこだけならまあいいのだ。だいたいの物語が不遇からの転機が、実は隠されていた娘の高貴な血筋であったり、恋の相手の権力であったりでイザベルの目から見ると、男を引っ掛ける以外何も行動を起こさず事態に翻弄されるばかりなのだ。
正直なところ物足りない。彼女はもっと主人公が目的に向かってガツガツとのし上がる方がお好みだった。
そんなイザベルの批評はひとまず横に置くとして、である。
「そもそもだ、レガリアが男であることは別に問題でもなんでもない。 ただ…義兄上がなぜあのような勘違いをしてしまったのだか……」
「少しでも調べればわかるお立場でしょうに……」
行儀悪く机に突っ伏したアラステアに追い打ちをかけたのはレガリアだ。続いてイザベルも。
「あの方立太子される気ですけれど、あの程度の認識ではさすがに務まりませんね」
レガリアの性別は民衆には伏せられているが、王家に連なるものであれば知ろうとすればすぐにそうとしれる程度のものである。
つまり、問題の王子はそれすら怠った上で、婚姻を結ぶに足りえると吹聴していたのである。
「まあ、そこ含めても貫く気であれば、それはそれとして評価できますけど……」
淑女の仮面が剥がれかけ顔を顰めたレガリアをよそに、呟くイザベルの声には僅かに険が含まれていた。
「いやいや、いるだろう許婚のご令嬢が」
もはや顔を上げることすらせず、アラステアがうめく。
「このまま放っておくと、やりますわね。『婚約破棄』」
イザベルの断言に頬を引き攣らせたのはレガリアであった。
かの王子には確かにすでに許嫁がいるのである。
家格もパワーバランス的にも素行にも、なんら問題のないご令嬢だ。
それを反故にしかねない『真実の愛』なる言動が出たとなると次の行動も、まあ想像はつく。
これもまた大衆小説から俄かに広がった『婚約破棄』である。
不遇のヒロインを貶める恋敵が、恋人の本来の許婚であることが好まれる展開で、やがて恋敵の令嬢が罪を暴かれ婚約は破棄となり、かくしてヒロインと恋人は結ばれて幸福が訪れる、物語ならばまあそういうものもあるでしょうね、というものである。
昨今それを現実で実行してしまう令息が出てきてしまったのだ。
周囲はそんな騒ぎが起きるたびに大混乱である。
おかげで年頃の令息のいる家は皆一様に『真実の愛』という言葉に怯えている。
「学院の門戸を広げたこと自体はいい傾向ですけど……」
レガリアはカップにゆらめく波紋を遠い目で眺める。
そう、出自を問わず優秀であれば支援付きで入学できる王都の学院は、人材発掘の場として大いに役立ってはいるのである。
くだんの王子も見聞を広めるため、ということでそこに在籍している。学業は上の中ということで頭は悪くない、はずである。
「平民の娯楽が伝わりやすいのは、短所ですね」
イザベルが続く。
そう、かの小説も生徒同士の貸し借りなどで存在がじわじわとひろがり、やがて『かぶれて』しまう令息まで出てきてしまったのだ。おかげであちこちの社交の場で悲喜劇が起きている。
「いや、よりにもよって王子だぞ王子、義兄上の側近は何をしているんだか……私は久々に顔を合わせてあの言葉を聞かされた時はもう……」
ぐったりしながらも姿勢を正したアラステアは大きなため息を吐き出した。
なお、この三者は学院には在籍していない。レガリアはもとより『聖女』として多忙であり、アラステアとイザベルは立太子とは無縁のためすでに教育を終え、忙しく家のためにあれこれと立ち回っているからである。
「まあ、そのあたりも含めて側近もご令嬢の方も私の家で少し探りを入れてみましょう。王室では少しばかり話が大きくなりかねませんから」
「頼むよイザベル、義兄上は正妃様のお気に入りだ。私が直接動くとどうにも角が立つからね」
二人の言葉にレガリアは申し訳なさ半分と、この二人の息のあった歯切れの良さに心地よさ半分で眉が下がる。
「お二人にはいつもご面倒をおかけしてしまって、本当にどれだけお礼を申し上げれば…」
レガリアの言葉にアラステアとイザベルも少し表情を緩めた。
なんだかんだで、レガリアは顔が良いのである。そのかんばせを遠慮なく堪能できるのは二人のささやかな楽しみであった。
迎えに現れた従者は相変わらずである。
「さえぬ顔だなあるじ殿」
タイセイ、という名前自体もさることながら、ごつごつとしながらもこの国の者に比べると平坦な顔つきも明らかに異国の者である。
東国の趣を残した衣服も従者としては異色だが、レガリアが生まれた頃から仕えるクセは強いが忠実な男だ。
「………第三王子殿が私を見そめたらしい」
馬車に乗ってからぶすっとした顔で吐き捨てたレガリアに、タイセイは大口を開けて笑う。
こういうところもおおよそ従者らしくないのだが、これが彼の通常運転である。
「いやはや『聖女』とはかくも罪深いものか! これで何度目だ?」
「うるさいぞ、そこらの貴族ならまだわかる、だが王室にいてなんでそんな勘違いができるんだ……!」
レガリアの叱責に黙りはしたものの、まだ肩を小刻みに震わせているタイセイは、完全に他人事として面白がっている。
「まあ良い、それであるじ殿はどうしたい? やれというならいくらでもやるぞ?」
さらりと言い放つ男にレガリアは慌てた。
「刃傷沙汰はなし、イザベルが手を打っているからそれ待ちだ!」
タイセイは基本的に王家でもなんでも頓着がない。レガリアと、レガリアが大事にするもの以外はどうでもいいのだ。
そしてタチが悪いことに、実行できて、なおかつ露見しないだけの力がある。
己の父が見出したというが、あの穏やかな父が何をどうしたらこのように物騒な男と巡り会ったのか、レガリアはいつも謎に思っている。
「やれやれ、では勤めに励むだけか」
「タイセイの立場なら、それが普通だからね?」
肩をすくめたタイセイに、それはこっちがしたいくらいだとレガリアは睨みつつも表情を緩める。
幼い頃から一貫してこの態度の従者は、レガリアにとって下手すると家族よりも気安い男だった。
「まあ私も当分『いつも通り』さ、明日は教会のお歴々にご挨拶だからね、くれぐれも行儀良く頼むよ」
「承ったぞ、あるじ殿」
いかつい顔つきにいくらかの柔らかさをうかべ、タイセイがおどけて返す。
そんな従者に今度こそレガリアの方が軽く肩をすくめるのだった。