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後編

交流を重ねて何回目かで、彼は真剣な顔で口にした。

「僕は、近々強制的に帰れるのかもしれない」

 今しがた歯を入れようとしたクッキーに変に力が入ってしまってクッキーがいびつに割れた。最近アイザックはお土産を持ってここを訪れるようになった。甘いお菓子は、美味しいと思うと同時に令嬢だった頃を思い出して少し胸が軋む。

 私は、まだアイザックと体を重ねたことが無かった。

「そ、うですか」

 自分の声が震えているのが嫌でも分かった。『行かないで、ここにいて欲しい』本物の娼婦であるならそう言うのが正解なのだろう。だけど、私の口からは出てくる事はなかった。

 あんなにも真剣な眼差しで国に帰る事を願っていた彼を繋ぎ止める為の言葉を、私は持っていなかった。つくづく娼婦失格だなぁ……と心の中で嘲笑してから、アイザックに向き合う。

「何か分かったのですか?」

「ああ、よく思い出してみたら、あの魔術陣は消えかけている部分があった、つまり魔術が欠けている状況だったんだ」

 我が国には『魔術』という概念がないのでよくわからないが、それは完璧な状態でないと最大効力を発揮できない、ということなのだろう。

「それに、最近僕は体がどこかに引っ張られている気がする。ここにも使えはしないけど微量の魔力があるから、徐々に作用し始めているのかもしれない」


「……とても! 喜ばしい事ですね!」

 精一杯喜んでいると思われるように笑いながら言えば、彼も目元を綻ばせた。

 だけどすぐに、不安そうな顔をした。

「それで、その」

 首を傾げる私に、アイザックは意を決したように言った。

「エルが好きで、ずっと一緒にいたい、と言ったら、許してくれる? あ、もちろんまだ君を向こうの世界に連れて行く方法は分かっていないんだけど……」

 それは、俗に言うプロポーズだろうか? こんなに何もない私に? 筆頭魔法使い様が?

 脳裏にちらついたのは、あの平民女だった。

「……アイザックに婚約者はいないのですか?」

 あんな風には、なりたくはない。

「いないよ。僕はワーカホリックでね。ずっと研究室に籠もる生活を送っていたんだ。むしろエルが来てくれたら両親も泣きながら喜ぶよ」

「嘘では、ないですよね?」

 心臓が痛いくらい音を立てる。それが期待か不安かは、私には区別できなかった。胸の前で手を握りしめていると、アイザックが私の手を優しくとった。

「元々僕の国では有神論者は多いんだけどね、特に僕は神様はいると信じているし敬愛している。そんな神様に嘘をついた事はない」

 コツン、と私とアイザックの額が触れ合った。

「だから、僕はエルに嘘はつかない。絶対に」

 彼の神秘的な紫の瞳に、胸を貫かれたような気がした。じわりと涙が滲んだ。

「わ、私、貴方にそう想われて、求められて、とても嬉しいんです。だけど、それが私の願いなのか、もうわかんなく、なっちゃったんです」

 その言葉を皮切りに、私のつぐんでいた口からはスラスラと言葉が出た。

 今まで、ずっとずっと流されて、抵抗せずに生きてきたことを。

 話を時々相槌を打ちながら黙って聞いていたアイザックは、話し終えて微かに体が強張っている私を安心させるように頭を撫でた。

「ずっと、エルは自分の心を出せなかったんだね。でもそれは悪い事じゃないよ。エルの心を守る為には、その方法しかなかっただけだったんだから」

 アイザックは指にはめていた様々な指輪の中から、一等きれいで真っ黒な指輪を抜いて、私の薬指にはめてくれた。

「エルが、本当の願いを見つけられますように」

 そう祈るアイザックに、私はふと疑問に思った事を聞いてみる。

「――なんで、アイザックは私を愛してくれるんですか?」

 虚を衝かれたような顔をした後、暫く視線を動かした末にアイザックは照れくさそうに言った。

「僕、筆頭魔術師だから媚を売られたりする事も多くて、その、ちょっと前まで嫌な性格の奴だったんだよね。それで、ここを見つけた時にどうやったら帰れるか分からなくてムシャクシャしてて『学のある子』と意地悪で言ったんだ。そしたら、君が出てきて、君がすごく真っ直ぐで、眩しくて……エルに、恋に落ちたんだ」

 そう一息で言った後、アイザックは恥ずかしそうに私を抱きしめて眠りについた。私は、白銀に輝く月に照らされた煌めく指輪を、ずっと眺めていた。頬をピンク色に染めたまま。


 そして、朝アイザックは娼館を出ていって、もう此処に来ることはなかった。


◇◇◇

 

 きっとアイザックの仮説は合っているのだろう。だから彼は来なくなった。

 私は姉さん達に心配されたり元気づけられたりしたけど、ちっとも寂しくはなかった。だって、また会えるかもしれないから。そう思っている時点で、私の答えはもう決まっているのかもしれない。


 私の朝は早い。床掃除等をする所から仕事は始まる。そして、床掃除が半分終わった辺りで起きてきた姉さん達の髪を結い始める。今までそういうルーティンで回ってきた。

 だけど今日は床掃除もさせてもらえず私は姉さん達の衣装が数多く並んでいる衣装部屋に押し込まれた。真剣そうな顔をして「私達が良いって言うまで出てきちゃ駄目よ」という姉さん達に気圧され、事情も聞けず私はここで息を殺している。

 外はドタバタと煩い。暫くすると、音が止んだ。もう終わったのかと胸を撫で下ろそうとして、カチャリ、と部屋のドアノブが回って息が詰まった。

「やっと見つけた、ガブリエル」

 憎たらしそうに私の名前を呼ぶおぞましき化け物、それは元婚約者である彼。自分が幸せになる為に私を踏みつけ泥に塗れさせた張本人。

「どうして、ここに……」

 ようやく漏れた声は、泣きそうなくらい弱々しい。

「君のせいで僕は不幸になったんだ!」

 何処か芝居じみた口調で、彼は語りだした。

 私という『悪女』がいなくなって、徐々に平民女は貴族らしくない自由奔放な姿が疎まれ始めたらしい。

 そして平民女の学がなく、他の男性にもベタベタ触ったり、高位の貴族に許可なく話しかける姿に周りの貴族は不快感を示し始め、何か可怪しいと私について調べた人がいたらしい。それによって事実を知った貴族たちは激怒。

 私の父や姉は社交界にいられなくなり借金をこさえていたのもあって爵位返上して平民となり、元婚約者の彼は醜聞を恐れた両親に絶縁された。平民女は直ぐに彼を捨てて逃げたらしい。

「あぁ、なんで僕がこんな目に合わなければいけないんだ!」

 私が逃げる前に覆いかぶさった彼に首を絞められる。


 そこで何人もの人がやって来た。

「お前、裏口から入ったのか!」

「マロンを離せ、このゲスが!」

 姉さんたちだった。薄れかける景色の中で、彼女達が私を此処に閉じ込めたのは元婚約者から隠すためだと、ようやく分かった。

「あんた、新聞で読んだから知ってるよ! マロンを利用した奴だって、マロンをさっさと離しなっ」

 そして、姉さんたちのお陰で私は元婚約者から剥がされ息がしやすくなった。

 サナ姉さんに背中を撫でられながら息を整える。姉さんたちに押さえつけられた元婚約者は、悔しそうに声を上げた。

「お前のせいだ、お前のせいだ。こうなったら道連れにしてやるっ!」

 姉さんたちの頬を殴ったりして振り払った元婚約者は、私の元にゆっくりと歩いてきた。胸元から、彼はナイフを取り出す。

 鈍くそれは光っていた。


 怖くて、怖くて体が強張る。だけど大切な姉さんたちが殴られたのを見て、私の頭にサッと血が上った。

 私はサナ姉さんに抱きしめられながら指輪を握りしめ、震えながら叫ぶ。

「私、ようやく自分で自分の歩く道を見つけられたのです、もう私たちに関わってこないで!」

 その声に呼応するように、指輪が眩く光った。目を開けていられなくなって目を閉じる。そしてもう一度目を開けた時、目の前にいたのは――

「アイザック!」

「久しぶり、エル」

 彼はそう言って私に笑いかけた後、元婚約者を魔法で捕縛した。そして、姉さんたちの手当てもしてくれた。元婚約者は口も封じられていて、何かを叫んでいるがよくわからない。

 私に笑いかけるアイザックに、どうして魔法を使ったんだろうと思っていると今は魔石という物を持ってきているから、ここでも魔法が使えるのだと教えてもらった。

 サナ姉さんの胸の中で、私は耐えきれなくなって涙が込み上げる。


 アイザックに言いたいことは、沢山ある。それのどれも言葉にはできなくて、だけど言いたくて、絞りでたのは「愛しています、アイザック」という私の答えだった。

「貴方を、愛しているんです。私をお嫁さんに、してください」

「……僕で、いいの?」

「貴方じゃなきゃ、駄目なんです」

 収まらない涙を拭いながら周りを見ると、姉さんたちも泣いていた。


 その中で、冷静な声が響いた。

「……あんたは、私たちが知らない世界に行こうとしている、そういう事?」

 サナ姉さんの静かな問いかけにコクンと頷くと、姉さんは私を抱きしめていた腕の拘束を緩めてアイザックの方向に背中を押した。

「行っておいで。私たちはあんたの姉さんだ。妹の幸せを、いつでも願っているんだよ」

 アイザックのハンカチで涙を拭われるけど、それでもまだまだ涙は溢れる。

「私、私のお姉様たちは、ずっと怖くて、だけど姉さんたちは私を温かく迎えてくれてとても、嬉しかったです。私に、色んな事を教えてくれて、ありがとうございます」

「うん、それなら良かった」

 サナ姉さんが、僅かに潤んだ瞳で私を見つめる。精一杯笑って見せると、私が大好きな笑顔を作ってくれた。


 そして、そのまま私は彼の魔法で、異世界へと転移した。


◇◇◇


 元々神への信仰が厚かったおかげか、時たま異世界人が来るというおかげか私は異世界の人にも歓迎され、あまりに呆気なくアイザックのお嫁さんとなった。

 5年経った今では、アイザックが作った異世界へと繋がるトンネルで、申請すれば誰でも異世界に行けるようになった。姉さんたちにも、たまに会っている。

 そして、その間に私とアイザックの間には一つの生命が生まれた。ふわふわの髪の毛を持つ今私の腕の中で眠っているこの子の名前は『マロン』。

 最初姉さんたちにこの名前を言った時「適当に付けた名前だけどいいの?」と呆れられたが、大切な姉さんたちがくれた名前を、付けてあげたかった。


 寝ている愛し子の顔を見つめながら笑みがこぼれると、仕事が終わったのか旦那様が帰ってきた。

「エル、抱っこ代わろうか?」

 私の頬に『ただいま』のキスをした彼がそう言うが私は特に疲れていなかったから頭を振って、アイザックの頬に『おかえりなさい』のキスを返した。

 私の隣に腰を下ろしたアイザックに、私はそういえば、と聞いてみる。

「旦那様、ワーカホリック、とか自称していませんでしたか?」

 そう言っている割に、朝は仕事に行くのを嫌がるし帰りは定時。

 アイザックは、目を瞬かせた後ゆっくり顔を綻ばせマロンの頬をつついた。

「だって今は、一秒でも長くエル達の側にいたいから。今はお嫁さんと娘ホリック、という事かな?」

 その変な単語に可笑しくなって吹き出すと、彼も笑った。

「だったら私は旦那様と娘ホリック、でしょうか?」

 

 私の言葉に感極まった旦那様に抱きしめられて、マロンが驚いて泣き出すまで、あと3秒。


                 おしまい

 

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― 新着の感想 ―
[一言] 元婚約者側はちゃんと教育しとけよーって感じだな。
[一言] 何故か『いいね』が押せなくなってて押せませんでした〜なぜでしょう? 娼館のお姉さん方が温かい! 行っておいで、のところで少しほろりと来てしまいました。 このパターンで元の世界と行来出来る…
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