日本海機械工業改造機列伝
なにかの会場のようですが。
日本海機械工業という飛行機を作っている会社が有りました。
出来たばかりの頃は小さい会社で一から設計なんて無理なので、航空機や発動機の改造をしたら得意だと認められました。
そんな会社の関わった改造機を紹介しましょう。同社の作った風星発動機は、金星や瑞星と栄の代替として開発されましたから、搭載機数は多いですよ。中には日本海機械工業が与り知らぬ機体も。
え?「有りました」じゃ無い。操業中だ。え!貴方、社員ですと!
まだ存続しておりました。失礼いたしました。
では、始めましょう。
まずは、有名になった機体と発動機から。
全てはここから。
零戦七五型
零戦+風星発動機
日本海機械工業で機体まで改造しました。
この組み合わせで、零戦が最後まで海軍の主力戦闘機を張れたと言っていいでしょう。海軍の他の戦闘機がしょうもない機体だったとは言わないように。迎撃特化の機体なので、艦上戦闘機と違って万能性は無いのです。ほんとかね?
**試艦戦? 知りませんな。飛んだのですか?
機体まで改造したのは零戦七五型だけで、あとは発動機周りですね。弱小はこれだから「イタ」・・
『参加者の皆様に申し上げます。運営です。物を与えないでください。調子に乗ります』
酷い言われようですが、お菓子美味しかった。では続けます。
一〇〇式司令部偵察機四型
一〇〇式司令部偵察機+風星発動機
風星発動機の提供のみです。
風星発動機が金星よりも直径が小さく三型のエンジンカウルとエンジンナセルの小型化で空気抵抗が減りました。二型のエンジンナセルかというと、若干大きいので新設計だそうです。キャノピーも未来的な形から従来の形に戻りました。空気抵抗は大差無いそうです。あの未来的なフォルムが格好良いので好きなんですよ、私は。
出力の向上と合わせて、670km/hも出るようになりました。「ワレニオイツクテッキナシ」をやりたかったそうですが、P-51という奴がいやがりました。
四型の空中損失(被撃墜や原因不明の未帰還)はかなり少なかったと記録にあります。
後で述べる月光同様、現地で二型三型に無理矢理取り付けたという証言もあります。写真も現存していますので、事実でしょう。
五型には誉が載せられて730km/h出ましたけどね。終戦前に50機程度なので、四型や改造して風星発動機積んだ機体が主力でした。
屠龍二型
屠龍+風星発動機
原型機にはハ-102(瑞星)が積まれていましたが、風星に換装。一気に最高速度が600km/hまで向上しました。驚きの高性能です。
有力な対爆撃機用戦闘機として生まれ変わりました。
夜戦型と昼間型が有り、昼間型は前方投射火力として一三ミリ二丁、二〇ミリ二丁、二五ミリ一丁装備の二型と一三ミリ二丁、三〇ミリ三丁の二型乙が有りました。
夜戦型は、正面火力として一三ミリ二丁と二〇ミリ二丁、斜め銃を胴体上面に二〇ミリ二丁としています。これが二型甲です。斜め銃を三〇ミリにし機体が二型丙です。
二型の二〇ミリ機銃は主翼付け根上面にバルジを設けて搭載。最初下面に装備する計画でしが、プロペラとの干渉が懸念され上面になったといいます。ただ夜戦では砲口炎で夜目が利かなくなりました。夜間視力が落ちちゃいますので、使わなかった搭乗員もいました。
二五ミリ機銃は海軍の九六式二十五ミリ機銃を三十七ミリ砲を撤去した後に強引に積んだものです。弾倉は四〇発入りの特製弾倉で交換は大仕事であり、通常は機内で一発ずつ手動で弾倉に納める設計でした。
試作が進んでいた新型三〇ミリ機銃までのつなぎとして搭載されました。発射速度は遅かったものの弾道が良く伸び威力もあり評判は良かった、となっています。
元の三十七ミリ砲は低初速短射程の砲であり対地目標を主眼に搭載されたものでした。八九式戦車に積まれていた物ですね。一発当たれば撃墜も可能でしたが、これでB-17やB-24を撃墜するには至近距離まで接近する必要があり、返り討ちに遭う事も度々ということです。
単発であり、二発目を撃とうとしても目標を通り過ぎているので有効性は低かったようです。装填は後部機銃手が行ったそうです。
これでは対爆撃機には使いにくく新装備となったのです。
二段二速過給器を装備した三型はB-29の迎撃に活躍しました。
二型丙から日本機として初めて機首に電探を内蔵しました。ただ機首の電探覆いに使われた樹脂の質が悪く半年持たなかった。といいます。
飛燕二型
飛燕+風星発動機
ドイツ製エンジンを日本で作れなかったと言うだけです。見た目は同じでも中身に大差がね。当時の日本の産業力では、誉同様無理がありました。
速度も時速600キロ出たようで、陸軍も川崎もずいぶん助かったようです。
彗星三四型
彗星+風星発動機
飛燕と同じですね。ドイツ製エンジンを云々・・・
実戦部隊で好評でした。馬力がある。故障が少ない。前方視界も良い。速度も320ノット出たと言うことで、護衛に付いた紫電は置き去りにされたそうです。
戦争後半の主力機です。
キ-102
終戦間際に各種300機程生産されました。量産試作みたいな感じで制式化前に生産を始めていたそうです。300機しかないのに各型8種類もあります。
金星で計画されましたが、風星発動機完成で風星発動機になったと言うことです。
制式名はありません。開発番号だけです。
基本は襲撃機です。屠龍が風星発動機換装後、高い性能を発揮したので大型機迎撃型はじっくりと開発できたそうです。でも終戦間際ですからね。じっくりと言っても、まあアレでしょう。
搭載兵器も試作ゆえか面白がってるだろうという物まで有ります。
試製80ミリ無反動砲とか。反動は少ないし射程や弾道の伸びも爆撃機相手には十分。後部機銃手が装填するのは屠龍の37ミリ砲と同じです。実用性と威力の引き換えをまたやったのです。飛行中に撃つと50メートル以上後方に発射炎と水蒸気が伸びたそうです。B-29を一撃で墜としたそうです。嘘だと思うでしょ。映像が残っていました。米軍の。編隊の中で他のB-29から撮ったそうです。
速度は屠龍と変わりませんでしたが、各種艤装を取り付けられるように考えられていたので、換装は楽だったようです。
でも日本海機械工業のように小さい会社だと、発動機生産能力も低いでしょう。
と言う疑問には、三菱が瑞星や金星の生産を減らして風星発動機を。愛知はアツタの替わりに風星発動機を。川崎もハ-40の替わりに生産しました。結構凄い生産基数になっていますね。
最終的には、誉と変わらない生産基数の発動機になっています。
続けますよ。以下は、公式には日本海機械工業が与り知らぬ機体です。若干の技術的指導はあったようです。
月光三三型
月光+風星発動機
これは正式な型式ではありません。戦後、しばらく経ってからマニアが勝手に付けたもので、現地改造機です。風星発動機以外、日本海機械工業は関わっていません。本当ですよ。発動機の架装には手を貸したようですが。
対大型機用迎撃機となったのに、一度落後すると爆撃機に追いつけないという鈍足にたまりかね、員数外になってしまった風星発動機を取り付けてしまったのですね。B-17もB-24も中高度ならなんとか追いつくのですが、排気タービンの威力を発揮できる高度になると追いつけないのです。B-29?聞かないでください。待ち伏せ有るのみです。
最高速度が305ノットまで上がったそうです。そうですと言うのは、正式な計測をしていないからです。零戦五二型と同じ速度で飛んだと言うことなので、間違いは無いと思います。30ノット以上速くなったんですよ。B-29は苦しいですが、B-24やB-17には追い付けましたとさ。
生産終了後も活躍できたのは、風星発動機のおかげでしょう。
鍾馗三型
鍾馗+風星発動機
これも正式な型式でありません。月光三三型同様、マニアが勝手に付けたものです。栄以外の中島製発動機の稼働率に悩まされた現場が員数外の発動機を載せたんです。稼働率は上がったものの性能はたいして変わりませんでした。最高速度は若干向上したものの、上昇力が微妙に低下しました。前線部隊としては良かったのですが、カタログスペックだけ見て「あーだこーだ」論じるマニアには受けが悪いのです。
隼四型
隼+風星発動機
これも正式な型番ではありません。またもマニアです。現地で廃棄の隼に風星発動機を取り付けたそうです。防火壁、エンジンマウント架台ですね。現地では後方にずらせませんので、前へ延ばしたそうです。結果、重量バランスが悪く安定しない。飛んだのが奇跡だと言われたそうです。写真も残っていますが、50センチ以上前へ出ていますね。1機だけです。
これにて発表を終了します。
皆様、ご清聴ありがとうございました。
西暦2098年、秋コン98にて。*
* 秋コン98とは、西暦2098年に秋田で開催された日本SFコンベンション[秋コン98]の事で有る。度々巻き起こる火葬戦記、いや仮想戦記ブームに秋コンの時期が重なっており、素人研究者が発表した物である。
SF大会は、地元で行われた地方版に参加したことがあります。「ぬえ」のKさんもいて楽しかった。