2.往路にて
「すみません、クライネルトさん。……ブリーフィングの時から気になっていたんですが、あなたは男の方なんですか? それとも女の方なんですか?」
アウレリア・ノールのように純粋な疑問や好奇心からシリルの性別を問う者は今まで数多くいた。
シリルにはとって幸いだったのは、イエナのような理解者が小さい頃から周りにいたこと、そもそも“呪い”の影響なのか元からなのかは不明だが、生来男性的な容姿へのこだわりがない性格であったこと。
……そして何より当の彼自身、自らの容姿をネタにして他人をからかうことに抵抗が無いばかりか、むしろ楽しんでいる節さえあったことだ。
ほの暗い明かりが揺れる幌馬車には、シリルの向かい側に座るアウレリアの他にも二人の男女。その二人共が興味津々までとはいかずとも、一定の好奇心もってシリルの様子をうかがっているのが丸わかりだった。
こういう問いかけに対する返しは決まっていた。シリルは意地悪そうに口元を綻ばせ、そしてことさら調子の上がった声で言った。
「そうですね……ノールさんはどっちだと思います? 私は男性に見えますか? それとも女性に見えますか?」
シリルの演技を前にしたアウレリアは言葉に詰まり、栗色の髪を指でいじりながらじっと考え込む。どちらなのかというよりも、どう答えるべきか迷っているようであった。
斜向かいに座る年下であろう赤毛の少女も、樫の長杖を手にポカンとした間の抜けた顔で沈黙している。
その中で唯一、シリルが期待する通りの反応を返してくれたのが、隣に並んでいたヘルマン・ライポルトだった。
「あ、あんた、そんななりをしていて男かもってマジなのかよ……?」
ほぼ悲鳴に近い声を上げ震える手でシリルを指さす。強面なれど頼もし気な風貌はどこへ行ったのか。頬は引きつって表情には驚きを通り越して恐怖の色さえ浮かんでいる。
シリルは畳みかけるように言った。
「かも、ではありませんよ。私は紛れもなく男です。ツィタデレ魔道師協会の登録名簿にも、この個人認識票にもそう書かれています。だというのに、あなたは何故そんなにうろたえているんですか? ……確かに見た目は女性そのものかもしれませんけど、中身は男性なんですよ? だったら、男同士の付き合いということで何も問題ないじゃありませんか」
わざとらしく迫ってみせるシリル。動揺したヘルマンは御車台に飛び移らん勢いで後ずさり、衝撃で馬車がにわかに揺れた。
シリルにかけられた“呪い”はそれほどまでに強力なものだった。彼に残された男性の痕跡は、少なくとも衣服の上から見てはわからないほど。むしろ身体の線自体は、胸が無いことを除けば完全に女性のそれだった。
一方で体躯は華奢なものの、女性として見れば背丈は高い部類に入る。加えて母親から受け継いだ端正で物静かな顔立ちと、特徴的な黒髪紅眼が飾り気のない丈長のローブによく似合っていて、イエナの“深窓の令嬢”という表現はまさに的を射るものだった。
当然シリルはそれらを理解したうえで演技をしている。ほぼ初対面のヘルマンやアウレリアが当惑するのも無理はなかった。
「さて――」
そろそろやめる頃合いかとシリルが身を正そうとした時だった。
「――あのっ! い、い加減やめた方が……その、ノールさんも、ライポルトさんも困っているようですし……」
先にシリルを諫めたのは、赤髪の少女ジネット・ラウの弱々しい声だった。その困惑気味な視線を受けて、シリルは急にいたたまれない気持ちになってしまう。
「……すみません、さすがに悪ふざけが過ぎました。ノールさんもラウさんも、困らせてしまって申し訳がないです」
頭を下げたシリルを見て、今度はヘルマンがばつが悪そうな調子で話しかける。
「いや、変に取り乱した俺も悪かった。ジネットの嬢ちゃんも驚かせちまったみたいだしな」
今度はアウレリアに連鎖する。
「それを言ったら、最初に話題を持ち出した私も悪かったわ。ごめんなさいね」
「いや、あの、そんなに謝られても私……」
方々から謝罪され逆に困惑を深めるジネットを見かね、アウレリアはぱんっと両手を叩いた。
「私が言うのも何だけど、この話題はここでおしまい。これは隊長命令です! あと、クライネルトさんはむやみに人をからかわない事。そんな調子だといつか痛い目に遭いますよ!」
まるで教え子を諭す教師のようだ。シリルとて誰彼構わずこんな真似をしているわけではないのだが、正論の前ではただの言い訳に過ぎない。おとなしく反省する他なかった。
「それにもうすぐで現地に着くから、今のうちにブリーフィングの内容を簡潔におさらいしておきましょう」
ツィタデレ周辺の詳細地図を広げたアウレリアは、ある一点に指を置いた。シリルがランタンの青白い光で照らしたその場所には“ヘクタ”と、村の名前が書かれている。
「現地到着後、私たちはまず村長宅を訪れて、村長ら村の要人と明日の打ち合わせを行います。終わりしだい村内の宿場で各々は休息、明朝五時に後続の都市警備隊と合流して同じく打ち合わせ。六時頃には裏手の森に入ります。私達の担当区はおそらく――」
「例の廃屋敷周辺ってことになるだろうな」
ヘルマンの忌々しげな呟きに、シリルも同意して答えた。
「一番危険らしき場所ですし、多分そうでしょうね。でも警備隊の方にも魔道師はいますよね。編成次第によっては俺達以外が担当する可能性もあるのでは?」
「いえ、それはないと思うわ。今回参加する警備隊は第六管区から二個中隊。練度は高いけど市内の騒動の件もあって今は臨時編成だから、魔道師の比率は低い。いても中隊の護衛に手一杯で他に回す余裕はないはずよ」
アウレリアの指が地図の上を行ったり来たりする。
「……だから、私達四人だけでその廃屋敷を調査しないとってことですね」
「さすがに俺達だけが単独行動するってことはないでしょう。ギルドの偵察隊の件も警備隊側は把握しているとの事ですし、共同参加で指揮権も向こうにある以上、我々も警備隊側の人達と一緒に行動するはずです」
「だとしても万が一の時は覚悟しておかなきゃならん。あちらさんは対人戦闘はともかく、対魔族戦の実力はうちの序列八位あたりとほとんど変わらんからな」
それを聞いてシリルは溜息をついた。
「ということは結局、何かあった時はこの四人だけで対処するってわけですか……」
ヘルマンの言う通り、警備隊の本職は警備任務だ。……戦闘特化の魔道師でもない一般隊員に対する評価としては妥当なものだろう。
「この中で最年長なのに、つい最近、最年少のあなたと同じ六位に昇格したばかりの人が何かいっているわよ」
アウレリアがジネットに耳打ちするフリをした。つまり、丸聞こえだ。
ヘルマンはふっと笑い、そして愛用の大盾を拳で叩いて叫んだ。軍用とも違う、湾曲した長方形の大盾だった。
「俺には俺の戦い方があるからいいんだよっ! 魔法をバンバン撃つだけが戦いじゃないってことを明日は思い知らせてやるからな! 覚えておけアウレリアっ!!」」
何故戦いになることが前提なのかとは誰も言わなかった。わかりきっている事だったからだ。
ちょうどその時、馬のいななきが響き渡ると同時に馬車が急停止した。四人は勢い余って体勢を崩し、何事かと前方を見やった。
宵闇のすぐ向こうに村の明かりが輝いている。そして同じ方向から松明の明かりと思わしき複数の炎が馬車へと急速に接近していた。
誰かが聞くよりも早く、御者の男が怪訝そうな声で言った。
「ありゃヘクタ村の連中だ。この時間に早馬を飛ばすなんて、何かあったのか?」
緊迫感が一気に張り詰める。四人は顔を見合わせ馬車を飛び出した。シリルとジネットがランタンを振り、迫る早馬に合図を送る。
松明の炎はシリル達のすぐ手前で停止した。
馬に乗っていたうちの一人、中年の男が慌てた様子で駆け寄ってきた。村を出たばかりにも関わらず息も絶え絶え、ひどく興奮状態に陥って要領を得ない喋りをする男を、ヘルマンとアウレリアの二人がかりで落ち着かせる。
やがて男はゆっくりと、懇願するように言った。
「助けてくれ……子供が、子供達が帰って来ないんだ――あの森から、誰も帰ってこないんだ!!」
四人は再び顔を見合わす。
考え得る限り最悪の事態が発生した事実を前に、誰もが言葉を失っていた。