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そして魔女は造られた  作者: 狐花
一章 吸血鬼騒動
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1.出立


 夕刻を告げる教会の鐘が鳴り響いてからややしばらく。大通りから一本外れた行きつけの酒場も、ようやく賑やかさを見せ始めていた。


 気がつけばテーブルの八割方がすでに埋まっている。客の多くは仕事を終えたばかりと思しき男達だ。酒の入った陶製のジョッキを持ち、給仕が運んできた料理と今日の出来事を肴に各々盛り上がっているらしく、大きな笑い声が聞こえてくる。


 給仕の女性達は注文票や料理を手にせわしなく、あまり広くもない店内を行ったり来たりして忙しそうだ。


 シリル・クライネルトはカウンター席の一角から背後の喧騒を見やっていた。眼鏡のレンズ越しだと子細まではうかがえないが、熱気に満ちた雰囲気はよく伝わってくる。


 仕事帰りの団体客がテーブルを占拠するこの時間帯、片やカウンター側の様子は落ち着いたものだった。一人静かに杯を傾けている赤ら顔の傭兵らしき壮年の男性。食事の合間に活版本を読んでいる魔道師風の青年に、友人と談笑しながら酒を飲み交わしている客が二組。


 皆が多かれ少なかれ酒や食事を楽しんでいる。ここはそういう場所なのだから当然だ。


 何気なく周囲を眺め、やがて自分が手をつけている「料理」に向き直ったシリルは無意識に小さなため息をついた。


「ねぇ、まーだ終わらないの?」


 作業に戻ろうとしたとこでふと横槍が入る。


 隣席の少女――イエナ・ヘルツフェルトが、すっかり赤くなった顔で手元をのぞきこんでいたのだ。


「その程度の術式を刻むのに時間かけすぎよ。もっとこう、ぱぱっとできないの?」


「……もう終わるから本当に静かにしてくれないか」


 シリルと一緒に店に入ったわけでもないのに、気が付いたら横にいてずっとこの調子だ。酔うと口やかましくなるのも相変わらず。なおも絡んで来ようとする彼女をぐいっ、と押し返して手元に意識を集中する。


 こぶし大の六角水晶。その各面に専用のペン型ナイフを使って魔法陣と術式を器用に刻み込んでいく、文字通りの精密作業だ。一応、下書きの上から削っているのでさほど難しくはないが、やはり紙に書くのとはわけが違う。


「というかイエナ。お前仕事はどうしたんだよ。ギルド(協会)の受付はまだ開いている時間だろ。こんなところで飲んでいていいのかよ?」


「残念だけど今日は朝番だったんだよねー。そして明日は遅番ってなったらもう飲むしかないじゃん。……って今日受付で話したでしょ」


 聞いていない。話はしたけどそんなことは聞いた覚えがないと、シリルは黙って否定する。


「なんだったらシリルが明日の仕事代わってくれないかなぁ。シリルって顔立ちもまるで女の子みたいだし、魔法使えるから事務もできるだろうし問題ないでしょ」


「何がどう問題ないんだよ……」


 酔っているせいか支離滅裂な理論を展開するイエナに、シリルは手を動かしながら言い返す。


「問題ないに決まってるでしょー。長い黒髪といい、ルベライトのような眼といい……なんというか、雰囲気からして“深窓の御令嬢”って感じがして、とても私と同い年には思えな――」


 だがシリルの言葉などまるで聞いていない様子で、まくしたてるように彼女は喋り続ける。度を越えた誉め言葉は聞くに堪えない美辞麗句になるという良い例だ。シリルは肩の髪を触り続ける彼女の手をやんわりと払いのけ、そしてその額に今しがた完成した水晶を軽くあて、一言唱えた。


“一瞬(ルークス )の灯”」(モーメンティ )


「わっ!?」  


 瞬間、青白い閃光が弾け飛び、イエナは驚いてのけぞった。


「酔いは落ち着いたか?」


「……今のですっかりね」


 少し怒気を含んだ調子で言い、片方しかない眼を彼女は大げさにこすって見せた。そして眼鏡や道具を片付けているシリルを何もするわけもなく眺めた後、一際静かな声で話しかけた。


「それより、朝も言ったけど本当に大丈夫なの? 今回の依頼はどう考えても無事じゃすまないないわよ」


「大丈夫だって言いきれない事は、ギルドの受付嬢ならわかっているだろ。確かに依頼を受けた人達が帰ってこないのは気がかりだけど……」


 気まずい沈黙が流れる。


 ……今回の依頼自体はそう難しいものでもない。このツィタデレ市を東に行ってすぐの小さな村、そこの森の奥に建つ廃墟と化した屋敷の近辺で行方不明者が多数発生しているから、原因究明の一環として屋敷の周辺を調べて欲しいといったものだった。


 当初は現場の単純調査、いわゆる偵察ということもあって、序列八(オクタウァ)位や九位(ノナ)といった低ランク帯を募集し、結果四名の志願者が出立した。


 しかし最長三日間の期日を過ぎても何の音沙汰もない事から、ギルドは行方不明者の捜索を主目的とした新たな班の募集と投入を決定。そして前の出立から五日経った今日の夕方、序列五(クインタ)位と六位(セクスタ)で固めた、シリルを含む四名の魔道師が赴くこととなっていた。


「低ランクとはいえ四人も行方不明なのよ? それなのにまた同じことを繰り返して……こんなの、もし吸血種や人狼種がいたら、ただ死にに行くようなものじゃないの」


 ジョッキを台に叩きつけてイエナは毒づく。その顔は酒以外の何かで赤みがかっているように見えた。


「そんな難敵が事の正体なら、序列准三位(セミ テルティア)以上が五人は必要になるか」


「だったら! なんであんたはっ――!!」


 こつん、と。優しくイエナの頭に拳を置く。不意を突かれ激昂が不発に終わったイエナは呆然としたような表情を浮かべ、そのまま拗ねるように顔をそむけた。


「心配してくれているって事はわかるよ。……でも、危険なのは確かだけど死ぬって決まったわけじゃない。それに俺の魔法の腕前はお前が一番知っているだろ? 今度も無事に帰って来るから心配しないで待っていなって」


 それでもなお不満げに俯いていたイエナも、やがて半ば諦めたかのように小さく笑って見せた。


「……わかったわ。でも必ず、報酬を受け取りに帰って来なさいよ」 


「あぁ、必ず戻る」 


 幼馴染の瞳に浮かんだ涙を知ってか知らずか、シリルはそれ以上語ることもなく椅子から立ち上がった。が、足元の背嚢を肩にかけ剣帯に護身用の長剣を吊るし、いざ準備が整ったというところでシリルは急に思い出したかのように言った。


「悪い、この水晶を店の親父さんに渡しておいてくれ。術式は全部刻み直したし、調整も終わっているって言ってくれればいいから」


「了解ー。厨房から戻ってきたら渡しておくわ」


 ……こんなやり取りは今日が初めてではない。シリルが危険な依頼を受けて、心配するイエナなだめて、最終的には無事に帰ってきて全てが何事もなく終わる。細かいやり取りこそは違えども、この四年間で何度もあった何気ない日常の一幕だった。


 ――絶対死なないでよ。


 だから去り際に聞いた心配性なイエナの言葉も多分杞憂に終わるのだろうと、この時のシリルはただ漠然と思っていた。


 第四の月の始まりの日。春先とはほど遠い凍てつくような空気を肌に感じながら、シリルは薄闇の中へと伸びる道を歩き始めた。


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