ワガママな悪役令嬢は異国の皇子に二度捕まる
※学園、婚約破棄、ざまぁ要素はありません。
とある公爵家に、御年十五になる美しいご令嬢がいた。
緩く毛先のカールした腰まで届く長いローズブロンドは艶めかしく輝き、アマゾナイトに似たブルーグリーンの猫目は大きく、意思と好奇心の強さを窺わせる。
白い肌は陶器のように滑らかで、けれど、血色の良い薔薇色の小さな唇が弧を描けば、年齢にそぐわぬ色香を放った。
しかし、その麗しい見目と裏腹に、幼き時分より蝶よ花よと甘やかされ尽くした彼女は血統至上主義の高飛車で傲慢な、有り体に言えば、非常に性格の悪い娘に育ってしまう。
社交界においては、常、多くの取り巻きを引き連れ、さながら女王の如く振る舞う彼女を、ある者はかくあるべしと称え、またある者は因習の象徴と蔑んだ。
だが、そんな公爵令嬢の人生は、ある日を境に一変する。
「いやっ! いやぁああああ!
なぜ! なぜ、私がこのような目に!」
彼女は前世の記憶を、しがない日本人女性であった過去を思い出してしまったのだ。
そして、同時に自分が何者なのかを強制的に理解させられ、絶望した。
「そもそも、こういった傾向の転生は著名な作品内に果たすものではございませんの!?」
彼女が生まれ落ちたのは乙女ゲームの中……ではなく、一次創作限定同人イベントであるコミノティオにて、完全なる素人が趣味で頒布した全一〇八ページからなる薄い本の世界だ。
某小説投稿サイトで流行した要素を取り入れた、背景白めのザックリした恋愛ファンタジー。
真面目でシリアスな雰囲気に描かれているが、色々とツッコミどころが満載で意図せずコメディとして受け取られてしまう、そんな雑な漫画の悪役令嬢として登場するのが彼女だった。
ヒロインである伯爵令嬢と第一王子の恋路を邪魔する公爵令嬢は、別の大陸からやって来たという留学生に唆され取り返しのつかぬ悪事を犯し、最終的に国家反逆罪で処刑されてしまう。
「ああっ、何てこと!」
だが、彼女は自らの悲惨な結末に憤っているのでもなければ、これまでの愚行を省みて嘆いているのでもなかった。
「いやっ! 汚らわしい!
この様な臭気に塗れた名を背負って生きるぐらいならば、いっそのこと今すぐにでも死んでしまいたい!」
そう、公爵令嬢は気付いてしまったのだ。
己の名、ブリュンデルデ・ケィツ・カーラミッガーが何を意味しているのかという、その残酷すぎる現実に。
留学生ショーン・ベンジャーと並べれば、当該作品における名付けのパターンは明白だった。
自身が悪役であることや処刑という終幕に対するショックも当然あるにはあったが、それらは全て未来の話であり、実感も小さかった。
そもそも、彼女がこれから行動を改めれば、簡単に覆せる内容でもある。
だが、名前だけは違った。
彼女という存在と一蓮托生で、どう足掻いても逃れられない。
すでに何度も披露し、多くの人間に呼ばせてきた。
その過去が、今、取り返しのつかぬ恥としてブリュンデルデを打ちのめしている。
「うっ……うぅ……っ」
ついに弱々しく泣き崩れてしまった公爵令嬢。
プライドの高い彼女のことだ……汚物を連想させるダジャレ名など、到底受け入れられるはずもない。
ついでに言えば、ブリュンデルデはまだ十五の、多感な年頃の少女なのである。
どうせ他に知る者もいないのだからと開き直れるだけの心の強さは、残念ながら持ち合わせていなかった。
公爵家に生まれたのだという血統に対する誇りも、もはや塵と消え失せ、いっそ憎しみさえ抱いている。
後生大事に汚れた名を継ぎ続ける意味など、前世を得た少女にはもう分からない。
カワヤデッシュ王国などという刺激臭のしそうな地に住んでいるとなれば、尚更だ。
「あぁ、なぜ前世など思い出してしまったの。
たとえ死罪になったとて、これほど世界を憎むことも自らを恥じることもなかったでしょうに……」
悲しみに暮れるブリュンデルデ。
こうして、記憶のよみがえった日から、彼女は変わった。
名を呼ばれることを恐れ、社交界はもちろん家族からも遠ざかり、ひたすら自室に閉じこもり続けている。
両親に乞われれば食事を共にする程度のことはあるが、令嬢として最低限の体裁は保ちつつも表情は暗く、会話が弾むことはなかった。
さりとて、あまりしつこく声を掛ければ、最後には泣きながらヒステリーを起こしてしまう娘を父母は大いに持て余し、その身を案じつつも、彼らは徐々にブリュンデルデという面倒な存在から距離を取るようになっていく。
引きこもりとなった公爵令嬢であったが、しかし、いかな彼女とて断り切れぬ招待というものもある。
そんな時、ブリュンデルデは気鬱になりながらも、僅かに残った矜持でもって最低限の社交を熟した。
もちろん、彼女の振る舞いは大きく変わり、取り巻きが侍ることを許さず、不要なダンスは全て拒否して、挨拶回りも細く限定し、とかく孤高に立ち続けた。
麗しき令嬢の唐突かつ急激な変貌に、様々な噂が流れては消えていく。
視界の端で第一王子と伯爵令嬢が妙な騒動を起こしていることもあったが、ブリュンデルデはそのことごとくを無視した。
下手に関わって、忌々しい名を連呼される事態にでも陥れば、目も当てられないからだ。
そもそも、彼女が役をこなさなかったからといって、国や世界が滅ぶというような物騒なストーリーの漫画でもない。
実際、わざわざ公爵令嬢が動かなくとも、似通った愚行に走る貴族令嬢はいくらでもいた。
贅沢も、称賛も、名が思考を掠めれば途端に嫌悪で塗りつぶされる。
もはや全ては空しいと、ただただ彼女は陰鬱に時を過ごした。
そして、ふと気が付けば、ブリュンデルデは十七歳の誕生日を迎えていた。
彼女が薄い本の中で処刑された年齢だ。
だが、令嬢が狼狽えることはない。
生きる意味をすっかり見失ってしまった彼女からすれば、死はすでに怖れの対象ではなかった。
けれど、そんな根暗化してしまったブリュンデルデにも、一つの転機が訪れる。
間もなくして催された王城の夜会で、彼女は初対面でありながらよく見知った、因縁の人物との出会いを果たしたのだ。
「……ショー……ン?」
ブリュンデルデの目の前に、長い黒髪と褐色の肌と緑の瞳を持った、エキゾチックな色気振り撒く筋肉質な美丈夫が立っていた。
神聖帝国ベンジャーモットの第八皇子、ショーン・ベンジャーだ。
「失礼、どこかでお会いしましたか?」
「っいいえ。
遥か海の彼方から旅をして来られた勇敢な御方と、方々でお噂を耳に致しましたの。
けれど、想像以上に立派な殿方でいらっしゃるから、私、年甲斐もなくはしゃいでしまったようですわ。
どうか無作法をお許しになって」
漫画における真の悪役の登場に警戒したブリュンデルデは、咄嗟に可憐な令嬢を演じた。
ショーンという異国の男に対して、彼女は非常に複雑な感情を抱いている。
同じ悲惨な名を与えられた人間に対する同情と、それを知らずに生きていることへの妬みと、漫画の中で彼に騙され殺されたのだという恐れと、己の縄張りで好き勝手してくれやがってクソがという怒り、そして、全てが嘘であっても自分にとって唯一最初から最期まで優しくしてくれた人だったという、どこか恋にも似た淡い想い。
だが、今、ブリュンデルデの豊満な胸の内に最も濃く湧き上がっているのは疑心だ。
物語と同様に、何か企んでいるのではないか、再び利用されるのではないかと、彼女は彼を強く警戒していた。
「許すも何も、美しきご令嬢のお眼鏡に適ったのならば光栄というもの」
「まぁ、お上手ですのね。貴方様の寛大な御心に感謝致します」
微笑みあう黒き美男と白き美女。
非常に絵になる光景ではあるのだが、その内側で何が渦巻いているのかは到底分かったものではない。
「改めまして、私、神聖帝国ベンジャーモット五代目皇帝スカーが第十子、ショーン・ベンジャーにございます。
麗しき姫君、お名前を御伺いしても?」
「えぇ、もちろん。
私は、カーラミッガー公爵家が一の娘、ブリュンデルデ・ケィツ・カーラミッガーと申します」
「んヴっふぉ!」
「えっ?」
彼女が多大な羞恥心を捻じ伏せて名乗りを行った瞬間、異国の美男が思わずといった風情で噴出した。
「っぐ、いえ、大変失礼致しました。
祖国と比べ、この地は少々乾燥しているようで、本日はいささか喉の調子が……」
「まぁ、そうでしたの」
彼の言い訳に憂い顔で相槌を打つが、ブリュンデルデはもちろん納得していない。
物語の中で暗躍する黒幕的存在としては、あまりに未熟かつ迂闊な反応である。
公爵令嬢の彼女に関して既知である様子もなく、名を耳にした途端妙なリアクションを見せたとなれば、そこから導き出される答えの数はけして多くない。
『……転生者』
「なっ!?」
ブリュンデルデが試しとばかりに日本語で小さく呟いてみれば、皇子は分かりやすく狼狽えた。
『まさか、君も……?』
即座に返ってきた声に、彼女は内心で嘲笑う。
本と違い、なんと無警戒で御しやすそうな若者であることか、と。
前世の記憶が原因で大人しくなりはしたが、ブリュンデルデの精神が乗っ取られたわけでもなければ、悪役らしい性格がソレで改善された事実もないのだ。
多くの子息子女を侍らせ手のひらの上で転がしてきた公爵令嬢が、彼の素直さを弱みと嗤うは当然の流れであった。
「ショーン様。私、ベンジャーモットにとても興味がありますの。
挨拶回りで喉を酷使し続けるのはお辛いでしょう?
よろしければ、どこか落ち着ける場所で休息がてら、ゆっくりとお話を聞かせてはいただけませんこと?
公爵家のワガママ娘に乞われたとなれば、少々席を外したからと、不満に思われる方もそうはいらっしゃらないわ」
「おや。貴女は美しいだけでなく、慈悲深い女性でもあらせられるのですね」
「まぁ、そんなお恥ずかしい。買い被りですわ。
それで、お答えは?」
「もちろん、喜んで」
出会ったばかりの男と平気で二人きりになろうとする時点で、ショーンを侮れるほど彼女もそう賢いタイプの人間ではないのだが、中々自分の姿というのは見えにくいのが現実的なところだ。
漫画の中の彼に悪役令嬢ブリュンデルデが良いように利用されてしまったのも、実際、仕方のない話だったのである。
それから、王城内に準備された客室の一つに案内された二人は、薄く開かれた扉の先で待機している侍女や衛兵の手前、若い男女として適切な距離感を保ちながら、しかし、この世で彼らにしか理解のできぬ日本語で揚々と会話を始めた。
「まさか、この様な海の果ての大陸で同郷の人間と相見えようとは」
「私もまさか、よりにもよって貴方が転生者とは驚きましたわ」
「よりにもよって? 君は俺のことを何か知っているのか?」
「端的に申し上げますと、ここは前世日本において素人女性の趣味によって描かれたオリジナル漫画の世界なのです。
そしてその物語の中で、私と貴方はいわゆる悪役として登場しておりました」
「悪役? 俺と君が?」
「やはり、ご存知なかったのですね」
驚きに目を見開くショーンに、薄く苦笑いを返すブリュンデルデ。
続けて、彼女が簡単にストーリーを説明すれば、皇子はいくつかの質問を挟んだ後に深く頷いた。
「なるほど、得心のいく部分は多いな。
しかし、何とも酷い名付けセンスの作者もいたものだ」
「全く同感ですわ」
その名のせいで、公爵令嬢が引きこもりにジョブチェンジしてしまったのだ。
前世、イベント参加時に一度見たきりで顔も覚えていない執筆者だが、ブリュンデルデの恨みは重い。
虚空を睨み付ける彼女の放つオーラがあまりに邪に染まっていたためか、ベンジャーモットの皇子は神妙な表情で、僅かに声を低くして尋ねた。
「君はその漫画とやらに沿って悪を成すつもりなのか?」
問われて間もなく、令嬢の周囲に漂っていた黒い空気が雲散する。
「まさか。悪行だろうが善行だろうが、何かを成そうなどとは、とてもとても……。
この忌まわしき名が必要以上に叫ばれてしまっては、耐えられませんもの。
記憶を取り戻してからというもの、私、己に許される範囲内ではございますが、ずっと自室に閉じこもっておりますのよ」
眉尻を下げ、頬に手を添えて、小さな溜息と共に彼女が現状を口にすれば、異国の美男は怪訝そうに首を傾げた。
「ええ?
名前ぐらいで、そこまで卑屈にならずとも」
当人を除けば、この世界で唯一公爵令嬢の持つ名の意味を理解できる身でありながら、易々と地雷を踏み抜いてくる皇子。
手に遊ばせていたブリュンデルデの扇子がミシリと音を立てた。
「ぐらい?
これだけの恥辱を、ぐらいとおっしゃいまして?
……貴方だって、お笑いになったくせに。
だいたい、そちらはまだよろしいでしょう?
姓名単体であれば、別段おかしな響きもありませんものね。
婚姻を結ぼうが新たに爵位を賜ろうが逃れられない、永遠の呪いを受けた我が身に比べればっ」
「分かった分かった、俺が悪かった。
配慮に欠けた発言を撤回し謝罪する。
確かに、君のように若く美しい女性の名がソレというのは酷な話だ」
放っておけば延々責め句を浴びせられそうだと、ショーンは早々に降参のポーズを取る。
彼に謝られたことで次の言葉を飲み込まざるを得なくなった公爵令嬢は、未だに身の内で燻る怒りを鎮めるように長く長く息を吐き出した。
数秒間の妙な沈黙の中で、ふと彼女が一つの疑問を抱く。
「……ショーン様は皇子であらせられるのに、何故その様な短いお名前でいらっしゃるの?
いくら遠い異国の方とはいえ、いささか腑に落ちませんわ」
「あぁ、それはアレだ。
母親が奴隷身分だから、皇族の一員として認められていないんだ。
半分とはいえ皇帝の血が入っているから辛うじて皇子と呼ばれてはいるが、実際のところ皇位継承権もない。
ま、複雑な立場というやつだな。
一応、俺の母親も奴隷になる前は小さな島国で王の娘として暮らしていたそうだが、植民地化された際に無理やり引っ立てられたらしい」
原作のショーンが隠していたであろう事実をいとも容易く暴露する転生者に、思わずブリュンデルデの唇の端が引きつった。
彼本人のみならず祖国ぐるみでこれをカワヤデッシュに秘匿しているのだとしたら、命が狙われるレベルの非常に危険な情報である。
公爵令嬢の脳内に、あわよくばと捨て駒を送り込んで征服の足掛かりにしようとする血に飢えた帝国の図がよぎった。
「……漫画の中の貴方がどうして悪事に励んでいたのか分かる様な気が致します」
額から一筋の冷や汗を流すブリュンデルデ。
そんな彼女に対して、皇子が軽く肩を竦めて告げる。
「まぁ、まともな人間が育つような環境じゃあなかったのは確かだな。
俺も前世の記憶がなければどうなっていたか」
「……貴方は私と違って前世に感謝しているのですね」
「名前に関しては偶然の産物だと思っていたし、俺としては助けられたことの方が多いからな」
「左様ですか。
その様な状況が前提にあっては、さすがに羨ましいとは申せませんわね」
どこか落ち込んだような顔を見せる令嬢に、ショーンは苦笑を返した。
名のみが唯一の汚点と嘆く、恵まれた生を謳歌してきた彼女を前に、物語内の皇子が目を付けたのは必然の流れだっただろう。
もし、この男が良識ある日本人の記憶を得ていなければ、今のブリュンデルデとてどう転がされたかは分からない。
「ん、そろそろ会場に戻らねば」
「まぁ、本当ですね。もうこんなに時間が経っていただなんて」
訪れた静寂をきっかけに、二人は壁に設置された大きな掛け時計に視線を向けた。
現在時刻を確認した彼らは、次いで、ゆっくりと椅子から腰を上げる。
そのまま当然のようにエスコートの姿勢に移行して、歩を進める寸前、皇子がブリュンデルデを見下ろして、少し緊張混じりに口を開いた。
「最後に一つ、いいかな?」
「え? えぇ、どうぞ」
頭上に疑問符を浮かべながらも頷く公爵令嬢。
すると、自らの生い立ちですら淀みなく語っていた彼が、珍しく喉を詰まらせながら言葉を吐き出し始めた。
「その、君が良ければ、だが……ルディでどうだ?」
脈絡のないショーンのセリフを上手く飲み込めなかったブリュンデルデが、困惑に眉尻を下げる。
「えっと……?」
「名前をそのまま呼ばれたくはないだろう?
だから、何か愛称をと思ってな」
「それで、ルディ、ですか?」
「あぁ」
気まずげに視線を逸らす異国の美丈夫。
僅かに目を見開き、そのまま十秒ほど固まっていた公爵令嬢は、やがて、どこか呆然とした声色で小さな感想を零した。
「……なんだか、久方ぶりに人権を取り戻したような気分ですわ」
唇が引き結ばれれば、それから、ルディの貴族然とした表情が徐々に崩れていく。
最終的に浮かび上がった、彼女の涙混じりの嬉しげな笑み。
間近で直視したショーンは、刹那、己の心臓が大きく音を立て飛び跳ねるのを感じた。
「ん、あぁ、うん、そうか。不快でなければ良かった」
令嬢が落ち着くまで、その場で五分程度待機してから部屋を出る。
同時に日本語を封印し、二人は各々の立場の仮面を被り直して、衛兵の先導で王城内を移動した。
社交場に戻れば、再び自らの責務を果たすべく、彼らは流れるような動作であっさりと別れの挨拶を紡ぐ。
「では、ルディ嬢。またいずれ、どこかのパーティーで」
「はい。ごきげんよう、ショーン様。
本日は貴重なお話をありがとうございました」
こうして、物語における悪役たちの邂逅は無事の終わりを迎えた。
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異国の皇子と公爵令嬢という高位の立場にある二人は、以後、何度となく社交場で顔を合わせる機会を得る。
その中で、出会いの時と同じように別室で談笑する日もあれば、会釈を交わす程度で終わる日、短い世間話やダンスに興じる日などもあった。
そして、一年も経つ頃には、すっかり気安い仲となったルディとショーン。
公爵令嬢として彼女が最初に被っていた大猫も、今ではずっと家出中だ。
「なぁ、ルディ。
君の名を変える術を一つ思い付いたのだが」
そんなある日に招かれた、カーラミッガーとは別の公爵家で開催された昼過ぎのパーティー。
その会場の庭先片隅に建てられた四阿でまたも日本語を遠慮なく投げ合っていた二人だったが、ふとショーンがそんなことを言い出した。
急な内容であるからか、喜ぶよりも先に疑いの目で彼を見てしまうルディ。
「それは……身分を捨て平民として隠れ生きる、なんて方法ではございませんわよね?」
「違うな。
そもそも、生粋のご令嬢である君に平民暮らしは不可能だろう」
「えぇ、私もそう思います。
しかし……では、他にどういった?」
ここで、ようやく皇子の話に興味が出たらしい彼女が、ほんの少し身を乗り出して耳を傾けた。
それに小さく頷いて、ショーンは続く言葉を語る。
「婚姻でベンジャーモットの戸籍を得たのち、新たに我が国教の信者となって洗礼名を貰うんだ」
真顔だった。
数秒、無言で内容を咀嚼して、間もなく公爵令嬢の表情が訝しげなものに変わる。
「……あの、ショーン様。
もしかして、遠回しに求婚されております?」
この状況で、彼女がそう解釈するのも無理はない。
だが、異国の美丈夫は寂しい笑みを作って首を横に振った。
「別に相手は俺に限らないさ。
そりゃあ、ルディさえ良いなら、是非ともお願いしたいところではあるがな。
ただ、本国での立場を考えると、自分は優良物件とはとても言い難いだろう?
おそらく君は、俺の愛さえあれば、他の何にも目を瞑れるというタイプの女性ではないし」
「お待ちになって」
「ん?」
不作法に男の言を遮って、ルディがテーブルに両手をついて立ち上がる。
「ございますの、愛が、今すでに……?」
動揺を隠し切れない震え声だ。
信じられない、という瞳で彼女はショーンを凝視している。
「あぁ、愛しているとも。
このまま連れ去ってしまいたい程度には」
ルディと対照的に冷静な態度を崩さない皇子は、あっさりとソレを事実と認めた。
しかも、問うた彼女が怯むも仕方なしの強烈な濃度で。
「っう、ウソ。ウソです。
もうご存知でしょう、私、あまり性格がよろしくないの」
羞恥心からか頬を薄く薔薇色に染め、公爵令嬢は否定に緩く頭を振る。
「そうだな。
見目は美しいが、ワガママで好き嫌いが激しく、プライドが高くてヒステリーを起こし易い、中々に悪役らしいお姫様だ」
「んなっ!」
まさかの全肯定に、一気に怒り心頭に発するルディ。
が、ショーンの声は途切れず、彼女の開きかけた唇はそのまま動くことなく静止する。
「あとは案外愛されたがりの寂しがり屋で、心を許した相手の前では素直なところや抜けたところもある。
宝石やアクセサリー、ドレスといった煌煌しい品を純粋に好んでいて、己が良いと思ったならば実は安物でも気にしないタチだ。
少々自信過剰のきらいはあるが、それに足る努力は怠らない。
ついでに恥を掻くのも負けるのも嫌いで、結果、かなりの勉強家でもある。
何と言うか……いじらしい、可愛らしい女性だよ、君は」
丸めた拳を口元に当て、彼は目を細めて微笑ましげにルディを見つめた。
「なっ、なんですの、ソレはっ!
もし口説いているおつもりなら、とんだ侮辱ですわよ!」
顔を全面真っ赤にしながら公爵令嬢は吠える。
激しい感情の嵐が彼女の中で吹き荒んでいた。
一方、皇子は狼狽えない。
「いや、単なる所感だ。
さすがに口説けないだろう……俺の負う業は軽くない。
無駄に苦労をかけると分かっていて、惚れた女に自ら手を伸ばせるものか」
キッパリと告げる美丈夫を前に、ルディはどこか泣きそうに表情を歪ませた。
「っまた、そういう……ショーン、貴方って人は!」
「ルディ?」
不思議そうに彼女の名を呼ぶ男を、令嬢はキッと大きな猫目で睨み付ける。
「面倒事のデパートの様な貴方みたいな男、隣に立ち続けていられるのは私ぐらいのものです。
でっ、ですから、仕方がありません、結婚してさしあげますわ!
ええ。他でもない、この私が!」
「っルディ……?」
ショーンの平静がようやく崩れた。
その様子に満足そうに鼻を鳴らした令嬢は、続けて、わざとらしく唇の端を曲げて嗤う。
「ショーンのおっしゃる通り、私、負けず嫌いですので?
ここまで煽られては、とても黙っていられませんの。
ワガママな悪役令嬢で、ごめんあそばせ?」
おほほほー、と腰と口に手をあてつつ高笑いに勤しむルディ。
自分を汚物から人に戻してくれた心優しい褐色イケメンを、彼女だって充分好いているのだ。
唐突な展開にしばらく呆然としていた皇子だったが、やがて、彼は喜色混じりの苦笑と共に極々小さな呟きを零した。
「…………敵わないな、君には」
しかし、ソレは悪役ごっこに忙しくしている彼女の耳には届かない。
よって、その声が僅かに震えていたなどという事実にも、もはや誰一人、気が付くことはない。
「そうと決まれば、踊りに行きましょう」
「ん?」
「もちろん、三曲連続よ」
「……あぁ、なるほど」
この国のダンス作法において、一度は一般的な人付き合いの範疇、そのまま二度目は深い興味を表し、三度続けば格別な睦まじさのアピールとなる。
ルディは二人の新たな関係を、さっそく周囲に見せつけようと誘っているのだ。
「ねぇ。まさか、この私に恥を掻かせるような真似、致しませんわよね?」
異国の皇子の傍まで歩み寄り、強い口調とは裏腹に、不安げにソッと片手を差し出す公爵令嬢。
彼女のこういうところが可愛らしいのだと、ショーンは自然と表情を緩ませた。
すぐに立ち上がり、細い指先を持ち上げて軽く口付け、そのままキザな囁きを贈る。
「仰せのままに、我が愛しのルディ姫」
「そっ、そういう不意打ちはズルいと思いますのっ」
途端、ルディは頬を真っ赤に染め、あわあわと視線を彷徨わせ始めた。
公爵令嬢のあまりの愛らしさに、不遇の皇子は青く広い空の下、大きく声を上げて笑う。
それは、漫画の中ではけして有り得ないはずの、悪役二人の心から幸せそうな姿だった。
おしまい。
おまけ
【洗礼名:ワターシャ】
「ふむ。ワターシャ・ダイ・ベンジャーか」
「ですから、どうして素直に普通の名前をいただけませんの!?」
「意外と世界の矯正力的なものが働いていたりしてな」
「矯正する箇所を完全に間違えておりますわーーっ!」
※ダイ→異国の公爵令嬢の身分を慮って皇帝が彼女にのみ新たな貴族称号を授けた