第6話 星と水面の消滅
目的という目的を忘れていた。
そもそも、魔物の様子を知るためだったんだ…。
船には、積み上げられた魚型の魔物の山。
すっかり俺達は狩る事に夢中になってしまっていた。
時刻は、太陽がそろそろ眠りかける頃となっていて、海と空との境界が分からなかったはずなのに、今ではハッキリ色分けされている。
大きな変化があれば、さすがに気づいていただろう。
これといって目立った変化が魔物には現れていないようだ。
魔物のサイズは確かに大きいが、一回り程大きいくらいで、よく育った時期には割と見られるくらいのサイズだったし、獰猛という風には聞いていたが、元気がある程度で対処出来ない訳では無かった。
ふと、船上からハルを見上げてみると、さすがに疲れたようで、ふぅーっと一息ついて、水面に魔法で出した大きな双葉の上にしゃがみこんでいた。
まだまだ水面には、ハルの魔法の残骸といえばいいのか、大小様々な双葉達が生えている。
大して風も吹いていないのに、みょんみょんみょんみょん元気よく揺れていて、パワーが有り余ってる様子だ。
…いつもよりやけに双葉達が元気な気がする。
俺の魔術の時も、水面に氷を張る際なんとなく魔力の消耗が少なかったような。
ハルに関しては、普通に魔法を使うのもなんだか威力が増していたような。
相性が良いからとすっかり見逃していた。
…もしかして。
「おーい、ハル。」
俺の仮説を立証するには、ハルが必要だ。
双葉の上で、まだ呑気に、なんだか船を漕いでいるようにも見えるハルに声をかけると、案の定、夢の世界の入口にいたようだ。
「ん…な、なに?!」
少しびっくりした様子のハルに、あるお願いをする。
「ハル、ちょっとこの水飲んでみてくれないか?」
と、言いながら、俺は下を指差す。
「えぇー?いや、アレン。この水って海水のこと?まぁ、海水以外、今この場に水なんて無いけどさ。え、なんで?」
「いいから。飲んでみてくれ。」
えぇー…と渋々と言った様子で、乗っていた大きな双葉を2回ポンポンと叩くと、ハルは、俺のいる船向かって飛び降りてきた。
大きな双葉は、ハルが叩いたと同時に、シュルシュルと小さくなり、最後には枯れてなくなってしまった。
ハルが着地したかと思うと、船体は大きく揺れる。
「あっぶね…。おい、ハル。気をつけろよ。」
「ごめんごめんって。今から飲むから、ちょっと待ってね。」
そう言って、俺の横に来たハルは、手をお椀のように丸めて、念じる。
「葉っぱさん、出ておいで〜。」
ハルが言葉を紡ぐと、ハルの手から小さな双葉が生え、少し傾き、回転するように成長したかと思うと、ちょうど手を型にした、葉の器が出来上がった。
ハルは、船体から少し乗り出し、器いっぱいに海水をすくうと、一気に飲み干す。
塩気に備えてクシャクシャにしていた顔が、一気に綻んだ。
「…!!?あ、甘い…。」
海水を飲むと、ハルはびっくりした様子で、俺を見つめた。
俺の服の裾をちょんちょんと引っ張ると、もう一杯海水をすくった葉の器を差し出す。
どうやら、飲んでみて、ということらしい。
「遠慮しとくよ。甘く感じるのはお前だけだから。」
「えっ?そうなの?こんなに甘いのに??」
「それはお前が体外から魔力を吸収できるからだろ。」
「あぁ…!そっかぁ…。」
こんなに甘いのに残念だねー、と言いながら、また海水をすくい飲み出すハルを見て、俺の仮説は立証された。
このレミューリア付近の海水は、魔力が溶けだした、いわば魔力水的なものになっているらしい。
ハルは、世にも珍しい、いや、伝説とも言われる体外からの魔力を体内へ吸収できる体質である。
俺が珍しいやらなんやらハルに言った時に、僕の種族は皆出来るよ?なんて言っていたのだが、今では、もうハル以外出来る人はいないだろう。
ハルは、その珍しい体質のせいか体外からの魔力を口に含むと甘味を感じるらしいのだ。
所謂一般的な俺のような魔力を取り込めない体質の者は、魔力に甘みを感じることはない。
俺が出した魔術に外的な魔力が加わり、魔術の補佐をしてくれたり、体外の魔力を感じることはできるが、外の魔力を体内に取り込み、魔術を出すことは出来ない。
ハルは、体内に魔力を取り込み、その魔力を使って魔術(ハルの場合は魔法)を使うことが可能だ。
…と、まぁ、魔力に関することは置いておいて。
今の問題はそこではない。
なぜ、海水が魔力水と化してしまったのかを考えなければならない。
きっと魔物の大型化や凶暴化もこの魔力水が原因だ。
俺達にとって対処出来る魔物でも、被害が出ている以上、ここに住む一般の人々にとっては危険極まりないのだ。
「待てよ。あれ。おい、ハルって…いつまで飲んでんだよ。」
「あーついつい甘くて美味しいから…。魔力も回復出来るし一石二鳥でしょ?ってもしかして僕今めっちゃ賢い言葉使えた?!」
「そんなに難しい言葉でも無いし、なによりその反応がバカの象徴だからやめとけ。」
むくっーと頬を膨らまし、明らかに拗ねている態度をとり始めたハルは、草の器をまた叩き、消滅させた。
俺に背を向けて、離れたかと思うとしゃがみこみ、帰りた〜い♪と歌い出す。
「はいはい、賢いハル君に質問。例の魔物って見た?」
「例の魔物?」
賢いって言葉に、まぁなんと単純と言えばいいのか、機嫌を直したハルは、俺に背を向ける事をやめ、小走りで俺に駆け寄ってきた。
「アララシードだよ。ランドルさんから聞いた被害はアララシードだけなんだし、アララシードの事を確かめなきゃ、1番知りたい魔物の様子は知り切ったとは言えねぇだろ?」
「うーん…見てないなぁ。狩ったどころか見てすらいないよね。被害が出てるって事はそれなりに遭遇できると思うんだけどなぁ。」
ハルが目を閉じ、思考を巡らせる。
ハルの周りに、1センチ程の小さな芽がポコポコと生え始めた。
しばらくして、ハルの蒼髪が少し強めに揺れると、ハルは目を開け、芽達は消えた。
俺は、ハルが目を開けるまで、特に意図もなくハルを眺めていた。
しいて言うなら、神聖な雰囲気が漂って綺麗だった、とでも言っておこうか。
夏だと言うのに海の上では、髪を強く揺らすくらいの強さで、少し肌寒い風が吹くらしい。
汗をかいているのもあって、一気に体温が下がり始めるのを感じる。
そろそろ本格的に太陽が寝支度をし始めたらしい。
あと少ししたら、空と海の境界はまた消え、空には輝く無数の光が現れ、海でも輝くだろう。
「うーーん…考えてみたけど、さっぱり!おびき寄せる方法もなーんも思い浮かばないし、もう自然に遭遇するのを待つしかないんじゃないかなぁ?」
「やっぱりそうか…。」
「んー…まぁ、今日は疲れちゃったしさ!船も晩御飯のおかずでいっぱいだよ?暗くなっちゃったし帰ろうよ。」
「そうだなー。うん、帰ろうか。また後日にでも来て、今度こそアララシードを調べよう。」
下ろしていた錨を回収し、船を漕ぎ始める。
大したことは無いと言えばそうなのだが、やっぱり魔物を狩った後だと疲れる。
ハルと向かい合わせになったものの、狩った魔物の山でお互いが見えない。
だだっ広い海だし、来る途中にも障害物なんて無かったので、少し前が見にくくても平気だろう。
少しゆっくり、ゆったり、腕が疲れた事を理由にして、ハルと星が瞬く夜を楽しむことにしよう。
見上げれば、人工の光にも何物にも邪魔されず輝く星々。
綺麗だった。眩しかった。
ただ、何とも言えない気持ちになった。
俺達にも、ただ輝くことが出来た未来があったのだろうか、なんて。
きっとハルは早く飯が食いたい事しか考えていないだろう。魔物のせいで見えないが、下手したら寝ているかもしれない。
…まぁ、早く帰りたいと急かしてこないだけ良しとしよう。
俺は、船を漕ぎ続けた。
アレンが船を漕ぐ。
オールによって水面が揺れ、海の星もその身を踊らせた。
ハルは、その様子をじっと見ていた。
星空をトレースした水面に、虚実の狭間で輝く星々に、少年は魅力を感じたらしい。
彼は、食欲も睡魔も忘れていた。
魔物の山の向こうにいる、端正な顔立ちをした青年は、船を漕いでいるものの、気だるさを感じて嫌気が差しているに違いない、と、少年は船の速さから感じていた。
悲しいとか、寂しいとか、そういうものを彼に求めるのは、あまりにも可哀想で図々しい事だと、少年は強く思っていたので、船のスピードには何も触れなかった。
最悪、お腹が空いたことにして漕ぐ速さを急かすか、船を漕ぐ事に興味が出たフリでもして、早急に王城へ引き返すかしてしまおうと考えていた。
しばらくして、船の進行方向に背を向けている少年は、会話の口実に青年に話しかける。
「ねぇ、アレン。後どのくらいで船乗り場に着くかなぁ?」
「さぁ?俺にもよく分かんねぇから何とも言えねぇけど、近づいてきたら船乗り場の、あのボロ臭くて頼りないランタンか何かが見えるんじゃねぇか?」
「そっかぁ。分かったーありがとう。」
「おう。」
少年が、時々振り向いて灯を確認し、船乗り場の灯が見えて来るまで、それ以来沈黙が続いた。
「やっぱり、この綺麗な海も空も無くなっちゃ嫌だよね。」
アレンに船乗り場の灯が見えた事を伝えると、少年はそう言った。
「…そうだな。」
アレンは本当の事を言えなかった。