第1話 あの日の足音
海の上に浮いた王国がある。
正確に言えば、水の魔術により竜巻のように巻き上げられた10本の海水の柱と、土の魔術により作られた、海底の岩石を利用した5本の柱によって支えられている為、浮いている訳ではないのだが、そんな風に呼ばれている。
人工的に作られた、その王国が、俺達の第2の冒険の記念すべき始まりの地となる、『海上王国レミューリア』だ。
そして・・・
「「………」」
目の前のあまりにシュールな光景に、アッサムブラウンの髪をした高身長な青年と、髪の上半分は白髪、下半分はライトブルーという変わった髪色のメットヘアーの少年は、口をあんぐりと開け、佇んでいた。
─第1話 あの日の足音─
「こ…これが生足魅惑のマーメードかぁ…。」
目にかかる前髪を鬱陶しいとは思わないのか、何度か疑問に思う事もあったが、俺の肘以上肩未満の背の高さの少年―ハルディーンにそんな心配は杞憂だったのかもしれない。
3年間少し気にかかっていたことが解決した、4回目の白髪記念日の朝方。
俺ことアレン・ティガールと、ハルディーン(通称ハル)は、レミューリアへ入国する為、高さ10メートルはありそうな大きな木製の扉の前にいた。
海上王国というだけに周りは海に囲まれていて、船乗り場(アレン達からすれば船から降りた場所)から、海に浮かんだ、少し不安定で、2人が横に並んで少し余裕があるくらいの白い通路を数メートルも歩くと今いる木製の扉の前へとたどり着いたのだ。
そして、扉の前で受付をしているのであろう1人の女性に、俺とハルは釘付けだった。
「いや…1匹の女性…?メス…?の方が正しいのか…?」
そう呟かざるをえなかった彼女の容姿は、
ギョロリと飛び出た魚の目、パクパクとしきりに動かす魚の口、青色の魚感溢れるウロコつきの皮膚、手の役割をしているのであろうヒレ。
頭部というよりかは、腰まで、まんま魚で、下半身はスラリと伸びた人の脚。
いわゆる美脚というやつで、外にずっといるのだろうか、少し焼けていて細くありながらも程よく締まった健康的そうな脚だった。
ハルの言った、『生足魅惑のマーメード』も納得だな、なんて思っていたのだが、
「マーメイドって普通逆じゃないか…?」
俺のイメージでは、上半身は美しい人の姿で、下半身が魚、というものがマーメイドだ。
これじゃあ、魚人の方が適切な言い方ではないのかと後から思ったのである。
ご丁寧にと言っていいものなのか、ひっかかりなんてまるで見当たらない胸部にも白ビキニで女性らしさが演出されていて、下ももちろん上とペアのものを履いていた。
きっとビキニが無ければ、種族の話どころか性別も分からなかっただろうな、とアレンは思う。
魚の要素にビキニがプラスされたことから、マーメイドと感じたのだろうかと、俺はハルの思考回路を辿ろうしていた。
ハルのマーメイド発言から5分が経とうとしていた頃、受付の魚人の女性が己の世界へトリップしているアレン達にしびれを切らせたのか声をかけた。
「あ、あのー…入国でございますか?」
「…っわぁ、喋れるんだね、マーメードさん。」
…実に失礼だ。
失礼すぎるハルの返しに、なぜか顔を赤くしながらも言葉を紡ぐ、魚人の女性の声はエッジが一切かかっていない女性らしい綺麗なハイトーンボイスだった。
性別も分からなかっただろう、なんて思った俺も相当失礼だろうが、まだ口にしなかっただけマシだ、とアレンは自分で自分を納得させる。
彼女の少し控えめで、心配そうな口調から、しびれを切らせた訳では無さそうで、ただただ不思議に思っただけだったのだろう。
…が、ハルをみてマーメイド発言を思い出し、照れ始めたのか、クネクネと動き始めて…正直、虫唾が走るほど気持ち悪い。
さっきの顔の赤みもそのせいかと納得する。
「わ、私なんて…」と言いながらヒレを顔にあて、クネクネと規則的に動き続けている。
あ、あああウロコが飛んだ…。
ハルが飛んでいったウロコを拾おうとしたので、慌てて注意すると、魚人の女性は我に返ったのか、さっきのことが嘘のようにテキパキと話を進め始めた。
「入国をされるのでしたら、どうぞ。扉を開けますね。オーラは私がお声がけする前に見ておきましたので、問題ありません。」
アレン達が彼女の容姿についてのトリップをしている間にオーラを見ておいたのだろう。
ひと仕事終え、すぐに入国できるような状態にしてから彼女は声をかけてくれていたようだ。
ヒレをパタパタさせながら、入国が可能なことを告げた後、ブゥオォォと鈍い音がして、扉が開き始めた。
鎖が引っ張られているような、キィィィーとした金属音もすることから、どうやら魔力で開けられているようではなく、機械か人力によって開けられているようだ。
ただ、こんなにも大きく分厚い木の扉を人力で動かすのは無理がありそうなので機械によって開閉しているに違いない。
開ききるのに30秒ほどかかり、バタンッと大きな音が鳴ると、
「はい。開きましたよ。」
彼女は、ヒレを扉を指さすように動かし、入国を促す。
ライトブルーの毛先を楽しげに弾ませながら扉へ向かうハルが、魚人の女性に尋ねた。
「マーメードさん、オーラってなんだい?」
少しビックリした様子で、目をパチクリすると魚人の女性はハルの目の高さまで腰を少し曲げて屈み、ヒレを膝にのせてバランスをとりながら丁寧に教えてくれた。
だが、魚の顔が自分の眼前にきたことにより、ハルはビクリと肩を揺らす。
どうやら、気遣いが裏目に出たようだ。
彼女は何も気付かず
「人が無意識に常に放出している魔力の波のことなんです。人の気はオーラに現れると言われていて、入国者に悪い人がいないか確認するんですよ。オーラが見れると色々便利なので、機会があれば適正があるか確認して見てください!」
と、説明し終わり、姿勢を正すと
「ではでは…ようこそ!海上王国レミューリアへ!多種族溢れる人々と亜人達の街を、ごゆっくりお楽しみください。」
今度こそというようにヒレを元気よく扉の方へ動かすと、アレンとハルは再び歩き始める。
普通の冒険者とは違う、こんな日常がいつまでも続けばいいのに、と願う、切なさも含まれた胸の高鳴りに誘われて。
─本当にこれで良かったのか?─
昨日の光景がフラッシュバックする。
闇夜の遠い森の中、俺とハルを焚き火が照らす。
俺達の楽しかった冒険が終わり、第2の冒険の足音がした、あの時だ。
─これでいい、いや、これが…これが良かったんだ。─
ハルは、そう言って微笑む。
火に照らされ浮かんだのは儚い諦めの表情だった。
ずっと前から時折みせる、少年に似つかわしくない諦めに似た達観の原因を知れたように思った。
自分よりもずっと背も低く、年も幼い少年が、その時だけはずっと大きく、偉大に見えた。
「俺はまだ…こんなにも怖いのにな…。」
昨日の記憶から還ってくると、レミューリアの街が視界に広がっていた。
ガタイがよく、白い肌と彫りの深い顔が特徴的な人々が住む、北西に位置する小さな国々が集まった地域があるのだが、その国々の建物をイメージした街並みに海上王国らしい水の要素を取り入れている、この街並みは彼らの現実に反してとても眩しい。
アレンは第1の冒険のときに、もう一度ゆっくり来たかったな、なんて思う。
…今となっては、叶わない夢となってしまったが。
アレンの呟きを気にしてか、ハルは振り返って首を傾げる。
「ん、なにか言った〜?アレン?あ…もしかしてマーメードさんが怖かった?た、確かに僕も最初は怖かったけど、きっと悪…「いいや、なにもないよ。」
フッと頬を緩め、ハルの頭をガシガシと撫でると、アレンも覚悟を決める。
そして、歩む。
2人は始めたのだ。
ハッピーエンドには終われない運命を抱えた、期限付きの冒険を。
そして、動き始める。
海上王国レミューリアに隠された秘密と少女の物語が。