遅すぎた和解
昭和55年の夏に群馬県のとある田舎で私は産まれた。
名前は、木下英雄と言う。出生時の時の様子などは、母親から語ってもらう事も無かったので、分からないが、とにかく何時も何かに怯えていた記憶が有る。
しばらくしてわたしが2歳の時の夏に妹が産まれた。名前は、夏子。この頃の私は自分が怯えている理由に気が付いていた。
それは、父親の英一だ。いつもお酒を飲んで酔い、母親の千夏に暴力を振るい、怒鳴り散らしていたからだ。 多分まともな仕事は、していなかったのだろう。父親がいない時は、普通でいられるのだが、帰って来る足音を聞くだけで、恐怖のどん底へと突き落とされる。
私達が小さいときは、母千夏が私と夏子を両脇に抱き抱え、必死にその暴力が嵐が過ぎるまで守ってくれた。父英一のおかげで私達三人はいっつも嫌な思い、惨めな思い、悔しい思いをしてきた。いつしか私は英一を最大の敵と感じるようになっていた。絶対に許す事の出来ない敵だと。
しばらくしてわたしが六歳の時あたりから、父は姿を見せなくなった。「どうしたのだろう?」と思ってはいたが、母に聞く事はしなかった。
もともと家は貧しかったが、私達の成長とともに、貧しさにますます拍車をかけていった。私達が暮らしている家は、台所とリビングそして六畳の和室とトイレお風呂という間取りの貸家だった。雨が降ると雨漏りがしてきて、よく夏子と鍋を持ってしのいでいた。
私には前から友達らしい友達は居なかった。というか、父の悪いうわさなどで、近寄ってくる子が居なかったのだ。この頃はみんなTVゲームやポケットゲームなどに夢中でいたが、私は触った事も無かった。アニメやテレビも疲れて帰って来る母が居眠りをするため、ほとんど見なかった。だから話題にもついて行けない。
でも、私と夏子は、それを辛いとは、思わなかった。父英一の暴力より遥かにましだからだ。
小学生になっても状況は変わらなかった。私と会話する子は誰もいない。いじめというやつだが、私は辛くとも何とも思わなかった。父の暴力に比べれば遥かにましだからだ。
私が小学生三年の時に、クラスの子の給食費が無くなるという事件が起きた。この時クラスの誰しもが、犯人は私だという雰囲気を作っていた。私はその様子を冷ややかに見ていた。
すると一人の男子が「英雄君がポケットに入れるのを見ました。」と発言した。担任はすぐさま私の所に来て、「ポケットから出しなさい」と凄いけんまくで、怒ってきた。当然やっていない私は素直に「知りません」と答えた。するといきなり担任が私の左頬を叩いてきた。廊下にも響くんじゃないかって音がした。
私は父親の時の恐怖を少し感じたが、不思議と前よりは自分が強くなっているような気がしていた。
それから、さらに頬を叩かれ、頭も叩かれ、服も脱がされた。パンツ一枚の格好にさせられ、「休み時間に職員室に来なさい」と告げられ、服も持っていかれた。回りの連中は一部始終をただ黙って見ているだけだった。叩かれた痛みと恥ずかしさでいっぱいだったが、子供ながらに父親がまともじゃないとこうなるんだと自分に言い聞かせていた。ただただ我慢だと。
職員室に行くまでにいろんな人に見られた。でも誰一人声をかけてくる人は居なかった。職員室に着き中に入ると担任はニコニコしていた。甘い声でごめんねと繰り返していた。
側に同じクラスの男子がいた。親が会社の社長でゲームなど一番に手に出来るみたいなのだが、私は好きじゃないし、興味も無いのでその子の名前すら覚えていなかった。この子がただのいたずらで給食費を隠したらしいのだが、話が大きくなりすぎて、すぐに名乗れなかったとの事。もうこの時私は誰の話も耳に入らなくなっていた。
次の授業が終わり休みじかんにその社長の息子の所へ行った。何か言いたそうな顔をしていたが、私は無言でその子の頬を殴った。私が担任にされた回数ぐらい殴ったり叩いたりした。その子は、途中から泣き出していた。それを見ながら叩いていたが、私は多分いつかの自分と重ねて見ていたと思う。
そのうちほかの先生達が飛んできて、私は止められた。私のした事は大変悪い事だが、担任の一方的な虐待が世に出るとまずい事になるだろうという思惑もあり、何も無かった事で済まされた。
社長達は納得いかず暫く抗議を続けていたみたいだが、やがてそれも静かになった。
その年の夏休みになった。ラジオ体操やプールに行ったが、それ以外はいつも図書館に夏子と二人で行っていた。涼しいし静かだし、なにより本がたくさんある。
夏子は決まってキレイな花の写真の本を見ていた。わたしは、空手など武道の本でその動作を読み、イメージトレーニングしていた。ちなみに学校の成績は悪くなかった。とにかく教科書を何度も繰り返し読んでいたからだ。
それ以降もそんな生活が続いた。そんな中例の社長の息子は転校していった。なんでも父親の会社が倒産したらしい。最後に私の所へやって来たが私は無視をした。その子とは、それっきりだ。
六年生になったが、私は相変わらずだ。クラスメイトとも必要最低限以外の会話は無い。妹の夏子は仲の良い子が何人かいるみたいだが、基本は浮いている。私達兄妹の父親はヤクザだと噂が広まっているからだ。
私の中には、いつも許せないあの父親がいる。何年たっても、環境が変わってもそれは絶対に変わる事は無い。自分が年を重ねるほどその憎しみはだんだん増して来ている。
私は中学生になった。入学式から三日目の午後、三年生のちょっと悪そうな先輩達の横を通り過ぎようとした時、呼び止められた。なんでも、目付きが悪いとか因縁をつけてきた。私は「すいません」と謝ったが、納得いかないみたいで、校舎の裏の誰からも見られない死角に引きずって行かれた。
相手は四人。まず二人が私の片方ずつの腕を押さえつけ動けないようにした。そして一人が勢い良く私に殴りかかってきた。その殴りかかってきた男に私は跳び蹴りを入れた。同時に押さえつけていた二人に腹の辺りを肘でパンチした。短い時間で上級生三人が倒れていった。これらは、私達が図書館通いの時に良く読んでいた本が役にたったんだと思う。
すると、最後の一人の番長みたいな男は、泣きながら、土下座をしてきた。私がこんなに強いとは、思わなかったのだろう。私は無言で右手を一回だけ挙げてその場を去った。
しかしその一部始終が二階の廊下からまる見えだったのだ。次の日から私の周りには、やたらと話しかけてくる男達がいた。昨日の人達と対立関係にある人達、ちょっと悪ぶって威張っている人、それはそれは様々だった。
一日にして私はヒーローになってしまった。望んだ訳ではないが、この年代は喧嘩が強い事がとにかく一番という年頃だ。それでいて、学校で一番と言われた番長が戦わずして土下座してきたのだから無理もない。特に楽しい思いは無かったが、退屈はしなかった。私のこの噂は小さい町だったため、小学校にも広まり夏子もいじめにあったりすることはなかった。
ただ先生達には常に監視の目で見られていた。成績は悪く無かったが、素行不良というレッテルが常に付きまとっていた。
他校の悪そうな人達と絡む事もたまにあったが、私は自分から喧嘩を売るような事はしなかったので、相手が手をあげて来た時に、自己防衛のために私も手をあげた。何回かそんな事があったが、一回も負ける事は無かった。
三年生になり、夏休みも終わり二学期が始まった頃から、私もこの先の事を真剣に考え始めた。成績は悪く無いので、それなりの高校に入れるだろうけど、それ以上に女手ひとつで、私達を支え育ててくれた母親に少しでも楽をさせてやりたいという気持ちのほうが強かった。
私にも反抗期があって、この頃はつっぱってばかりだったので、密かに考えている母親に楽をさせてやりたいという気持ちを伝える事は出来なかった。
しばらくこのまま進学しないで仕事に就こうと考え思っている時に、登校に使っている道からちょっと外れた所の小さな町工場に目が止まった。プレス工場だろうか?リズミカルな音と同時に軽い地響きがしている。通りに面した事務所らしき入り口に張り紙があり、「従業員募集年齢不問」と書いてある。私は事務所の横の鉄の扉を開け元気良く挨拶した。
高い窓から日の射す工場のなかでは、老夫婦二人でプレスの機械を操作していた。「星野製作所」という名前からして、星野さん夫妻であろう。私はもう一度挨拶をしながら、主人の方へ近づいて行った。私が従業員募集を見たのでと話をしたら、キョトンとした顔をしていたが、とにかく事務所へと案内された。
私はまず、自分の年齢、今の生活の現状を話した。すると相づちを打ちながら、夫婦二人で黙って聞いてくれた。
星野社長はその日のうちに私の事を採用してくれた。それからの私はいくらか毎日を楽しく過ごせるようになっていた。同級生達が進路進学で、悩んだり受験勉強をしているのを尻目に私は先が決まっているので、安心出来たからだ。
夏子は順調に学校生活を送っている。母千夏は疲労のせいか少し仕事をセーブするようになって来ている。私が学校から帰るとまもなく帰って来る。数年前は帰るのも遅く、夏子と二人で留守番をする事が多かった。
私の就職の話は、最初は反対していたのだが、「もう決めた事だこら。」と説得した私の意見を尊重してくれた。
そして四月、私は星野製作所で働く事となった。ペダルを踏むとプレス機が降りてきてプレスをするのだが、タイミングを間違えたり、集中力を欠くと自分の指まで落としてしまう。単純ではあるが、常に気の抜けない作業だ。社長は私が型で作った物のバリを取ったり仕上げの作業をしていく。今までは、社長夫婦二人で一連の作業をしていたのだが、私が加わる事で二人は少し楽を出来るようになったようだ。
お昼ご飯は事務所の奥で食べる。私が仕事に行くようになってから、母親は毎日おにぎりを作ってくれる。いつも二個。それを持って自転車で会社に向かう。社長の奥さんが必ずお味噌汁を作ってくれて、自家製の漬物と一緒に出してくれる。私の好きな濃いめの味付けで毎回楽しみにしている。
どちらかといえば、無口なほうの社長夫婦だが、私に気を使ってか、昼休みなどいろいろと話をしてくれる。仕事も人間関係も少し慣れてきた五月の最初の金曜日にいつものように、おにぎりを食べながら、奥さんと話をしていると社長が私に茶封筒を手渡した。表には、給与袋と書いてある。私が固まっていると社長は、明日からGWで連休になる。その間に給料日が来るから、前もって用意したとの事。私は素直に「有難う御座います」と頭を下げ受け取った。社長は「ご苦労様。これからもよろしくね。」と返して来た。続けて「今日はもう帰っていいよ。お母さんに何か買ってあげなさい。」と半日で終わらしてくれた。
私は何度も「すいません」と頭を下げ自転車で工場を後にした。少し走って最初の十字路を曲がりすぐに自転車を止め、茶封筒の中身を確認した。一万円札が、二十四枚入っていた。保健や年金などは、入りたてなので取られていなかったが、中卒の初めての給料にしてはすごい金額だ。
私はずっと塞ぎ込んで暗い少年時代を過ごして来たが、初めてワクワクする気持ちを覚えたかもしれないというほど、嬉しかった。私は封筒をポケットに入れて、少し離れた所に最近出来たショッピングモールへ自転車を走らせた。
初めて貰う給料でどうしてもしたかった事があるからだ。やがて到着すると、広い敷地内の大手ハンバーガーショップへ向かった。というのもこの歳までそういう物を食べた事が無かったからだ。母親に気を使ってか、贅沢と思う事をしたいと思わなかったから。正確には、我慢してきたからだ。初めて貰う給料で自分へのご褒美として、ハンバーガーを食べると決めていた。何もかも初めてなので、少し緊張しつつまずは周りの人の様子を見ていた。私はドリンクとポテトのセットを注文した。支払いは給料からでは無く自分の財布から支払った。
トレイを手に持ちテーブルに着席して、周りを見て食べ方を学び紙袋をずらしていきとりあえずハンバーガーを眺めた。そして大きく口を開きひとくちめをいただいた。初めて食べたハンバーガーは目を見張る美味しさだった。あっという間にハンバーガーを食べ、ポテト、ドリンクといただいた。食べながらしみじみと少年時代を思い出した。今も貧しいが、とにかく貧しかった。我慢というのはしようと思えば嫌で逃げ出したくなるが、それが当たり前なんだと受け入れれば、案外続けられる。
それが、今は自分で働いて稼ぐ事が出来た。良く頑張って来たと自分で自分に感心した。トレイを片付けて私はハンバーガーショップを出た。そのまま私は靴屋を探して店に入ってみた。
母親はずっとお弁当屋で働いている。そのおかげで、私と夏子は食べる事には苦労しなかった。ほとんど立ちっぱなしの仕事であるらしいので、足の負担をなるべく軽減する靴を探した。
しばらく見ていると、靴の底に空気の入った靴を見つけた。手に取り、自分で中敷きを思い切り押してみた。適度な硬さで程よくクッションが効くこの靴を気に入った。サイズは何日か前に玄関にある母親の靴を見て来たので、間違えは無いと思う。私はその靴をレジに持って行き、簡単なラッピングを頼んだ。9000円のその靴の支払いはポケットに入っている給料の茶封筒から支払いをした。
その次に私は手提げ袋を持ったままいろいろ店を回ってみた。夏子にもプレゼントをするために何かいいものを探していた。同級生達とは、そこそこ仲良くやってるみたいだが、私自身が、流行りに鈍感なので、本当に困った。いろいろ思い出してみたら、夏子はいまだにマジックテープの折れる財布を使っていた。テープもくっつきが悪くなり、色も大分黒ずんでいた。私はひらめいたかのように「財布だ」と思い、バックなどを売っているお店へ向かった。ガラスケースの中にあるのは、ブランド物だろうか?ものすごく高い財布だった。
私は諦めかけたが、入ってきた入り口の逆の入り口の側のワゴンの中に買えそうな財布を見つけた。沢山あって、迷うなかで目立つ財布に目が止まった。淡いピンクが可愛い革の長財布だ。私は一目で気に入った。こちらもラッピングをしてもらった。価格は4000円だった。私は二つの手提げ袋を持ちショッピングモールを後にした。
自転車を漕がずに押して歩いてみた。まだまだ時間はあるし何か変わった物があったら二人に買って帰ろう。そう思うと何故か胸が弾んだ。思えばこんな気持ちに今までなった事があっただろうか?いつもいつもあの父親の嫌な思い出ばかりを頭に巡らせて、その存在にずっと怯えて来た。自分が年を重ね、やるべき事がいろいろ増えていくという事はそういう嫌な思い出が色褪せていくと同時に思い出した時の脱力感が倍になる。それの繰り返しなのかもしれない。
そんな事を考えながら、自転車を押して歩いて行くと物凄くいい香りに遭遇した。側の公園の方からだろうか?香ばしいソースの凄く良い香りだ。私は香りにつられるように、公園の方へ近づいて行った。
この公園は前に社長の奥さんから、ホームレスの人達がいるらしいという事を聞いている公園だ。駐車場を越えてすぐの植木の奥のベンチ辺りから、良い香りとともに鉄板の上で焼きそばが焼かれているのが目に入った。出店風の屋台で一人のおじさんが、ヘラを巧みに操り焼きそばを焼いていた。
私はその香りももちろんだが、鮮やかなヘラさばきにしばらく見とれてしまった。見ているうちに焼き上がり、凄い速さでパックへと詰められた。私と同じように見とれていたホームレスらしき人達が、一歩前に出ると、おじさんは温かいうちに食べてねと割り箸と一緒に一人一人に手渡した。
私は母と夏子へのお土産にと思い、「三個下さい」と注文した。すると、おじさんは困った顔をして「売るんじゃないんだよ」と私に言った。どういう事?と私も困っていると、ホームレスの人に無料で振る舞っているらしい。だから、売る事は出来ないと言うので、私は諦めた。
自転車を押して歩いて行こうと向きを変えて歩き出した時、目付きの悪い二人組とすれ違った。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま風をきって歩いていた二人組は屋台のおじさんに絡んで行った。少し気になって自転車を止めて私は近づいて行った。
「誰に断ってここで商売しているんだ!!」と凄い勢いで怒鳴っている。おじさんは平然と「商売はしていない」と返していたが、「屁理屈言うな!」と男達は屋台を蹴飛ばし始めた。
とりあえず私は止めに入り、先ほど買おうとしたけど、断られた事を説明した。しかし腹の虫がおさまらないようで、男達は私に殴りかかってきた。私は中学時代の技で素早くかわす事が出来た。そのうち一人の男が屋台の前にあったパイプ椅子で殴りかかってきた。私はとっさに状態を低くし、避けるとほぼ同時に思い切り腹の辺りに蹴りを入れた。すると、もう一人の男がポケットから、ナイフを取り出しちらつかせ私に近づいて来た。「なめんなよ!」と言いながら、私に切りかかって来た。
私も流石にこれはマズイと思ったが、切りかかるのが、ワンパターンの動きなので、見ているうちに避ける事が出来た。と同時に思い切り突き飛ばした。すると、勢い余って屋台の鉄板に手をついてしまった。まだかなり熱かったのだろうか?凄い叫び声を上げ地面に転げ落ちた。腹を蹴られた男が、また殴りかかってきた。私はそれも避けて殴り飛ばした。
ちょうどその頃パトカーが来て、警察官が二人車から降りてきてこちらへ小走りで来た。私はそこで立ちすくんでいた。真っ先に一人の警察官が私の所へ来た。喧嘩していると、通行人から通報があったとの事だ。私はこういう事になった経緯を隠す事なく話した。屋台のおじさんや、ホームレスの人達にも事情を聞いていた。私が言った事とほぼ同じ内容なので、私に罪は無いだろうけど、警察まで来てくれとの事になった。私はそれまで学校時代からの事も含めて、私が関わる暴力行為を客観的に見ていた。私の前で倒れていく男達を見ても、他人事のように感じていた。ところが、警察沙汰となった事で急に恐怖と不安が襲って来た。
してしまった事なので、どうにもならないのだが本当に不安になった。でも後悔はしなかった。覚悟を決めパトカーに乗ることにした。買い物をした手提げ袋は自分で持ち、自転車は屋台のおじさんにお願いした。
パトカーの後部座席に乗り込んだ。ゆっくり車が走り出した。私はパトカーの窓から流れる街並みを見ていた。屋根上の赤い回転灯が時折周りを赤く照らしていた。たまに外を歩く人と目があった。私の顔は外から見えているのだろうか?
しぱらくして、警察署に着いた。私に絡んで来た二人組はまず病院で手当てをしてから来るらしい。
まずは私は刑事さんから、未成年だからここに連れて来たという事と、いくら相手が絡んで来たとしても、行き過ぎた行為はいけないと注意を受けた。それから、子供の頃の話、現在の近況といろいろ雑談した。石橋さんというこの刑事さんは見た目凄く怖そうだが、話をしているととても愉快な人で面倒見良さそうな人で何かあったら、すくに言って来いと優しい言葉を掛けてくれた。
一応という事で母親の勤め先に連絡をしたらしい。なので私は母親が迎えに来てくれるまで、帰れない状態だった。
話をしているうちに、母親が迎えに来てくれた。だいたいの内容は電話で聞いていたらしいのだが、警察署に着いた直後はかなり慌ててたみたいだ。改めて警察官から内容を聞いてホッとしたらしい。私は帰れる事になった。持ってきた手提げ袋を提げてロビーに向かった。自転車は屋台のおじさんが持って来てくれた。前のかごには、山盛りの焼きそばのパックが入っていた。ここで母親と合流した。石橋さんは外まで見送りに来てくれた。私と母親は石橋さんに深々と頭を下げ警察署を後にした。
何故か二人とも自転車を押してゆっくり歩き、家に向かった。私は「ごめん」と言うべきか迷ったが、結局言えなかった。家に着くと夏子が留守番をしていた。私の今日の出来事を知っているのか知らないのか、普通だった。私は家に上がると手提げ袋二つを自分の部屋に入れ、台所の前のテーブルに座った。そして目の前に座っている夏子の前に焼きそばを差し出した。夏子は喜び食器棚から小皿を三つ取り出し、三人分に分けた。いつもより母千夏が早く帰って来ているのに、普通にしている様子を見て、私の今日の事は聞いているんだなと分かった。
少しレンジで温めて焼きそばを食べた。作ってる時ほどの香りはしなかったが、それでも想像以上の味でとても美味しかった。私は一番に食べ終わったので、自分の部屋から、手提げ袋を持って来た。まずは母親に靴をそして夏子には財布をそれぞれ差し出した。今日初めての給料日だった事と気に入ってもらえるか分からないが買って来た事を説明した。
母親は靴の底にある透明のエアクッションを触ったり眺めたり凄く興味を持ち喜んでくれた。夏子も同様に喜んでくれ「中に入れるお札もちょうだい」なんて笑顔で話していた。「中身は自分で何とか知ろ!」そう言った私の一言に三人で笑った。その光景を見ながら、同じ話題で三人で笑うなんて久しぶりだなぁとしみじみ思った。同時に母親には、給料袋に十万円ほど入れて差し出した。「迷惑かけてごめん」と「これからは、そんなに無理しないで」と言うべきか迷ったが、言えなかった。この時言えなかった事をこの後一生後悔する事になったしまう。
母親は靴とお金の入った袋を見ながら、静かに泣いていた。夏子もつられて泣いていた。いたたまれなくなった私は、二人の震える肩を横目で見ながら、自分の部屋に逃げた。
自分の部屋といっても、六畳の和室の真ん中に仕切りのカーテンを付けただけの部屋だ。実質三畳。布団を敷いて小さなテーブルを置くぐらいだ。私はそこでテーブルの前に座り、二人に分からないように泣いた。ただただ自然と涙がこぼれてきた。理由は自分でも分からない。私は泣いたまま布団に入り寝たふりをするつもりがすっかり寝てしまったようだ。
聞いた事無いようなうめき声で目が覚めた。襖を隔てて隣の部屋にいる母親のほうからだ。私は心配になって襖を開け側に近寄ってみた。するとひどい冷や汗をかきながら、とても苦しそうだ。私はすぐ、夏子を叩き起こし救急車を呼ぶように叫び、また母親の所に戻った。私は汗を拭きながら、救急車がすぐ来るからと言い聞かせた。時折痙攣しながら、苦しそうにしている。私は何も出来ないでいた。
すると口を少し動かす感じが見えたので、私は耳を近づけた。すると、母親は「英雄ごめんね」と声になるかならないかで囁いている。囁きながらももがいている。私は何も出来ないままずっと母親を見ていた。少しするともがき苦しむ事をしなくなった。私は嫌な予感がして、「お母さん」と読んでみた。返事は無い。私は肩を大きく揺すってさらに大きな声で叫んでみた。返事は無い。私は肩を押さえていた手の力を少しずつ抜いていった。するとそのまま項垂れるように布団に倒れた。
私はもう涙で目の前が見えなくなっていた。ずっと苦労して私達兄妹を育て働いて働いて働きぬいた母親が私の目の前で、亡くなった。私が給料を貰えるようになりこれから少しは肩の力を抜いてやって行ける目処がたった矢先の日に亡くなってしまった。
夏子と二人で暫く黙って母親を見ていた。もう動かない喋らない母親を見ていた。私はつい何時間か前の「迷惑かけてごめん」が言えなかった事を悔やんでいた。もしあの時こうになる事が分かっていたなら、いつまでも感謝の気持ちと言葉を伝えていただろう。それも出来ずにいた自分にとことん嫌になった。
時間の経過と同時にこの先どうしたらいいのか?私はどうしたらいいのか?夏子はどうするのか?悲しみと不安でいっぱいになった。暫く黙って考えているときある出来事を思い出した。
私が小学校五年の時だったと思う。家から少し離れたお寺の前を通りがかった時の事だ。時折風が強くなる夕方門前で、お坊さんが落ち葉を竹ホウキで掃いていた。周りから落ち葉を集めて中央に集めてそれを繰り返していた時、風が吹き落ち葉が散り広がった。何度かそれを繰り返すのを見ていて、私は自分でも気がつかないうちに側にあったちり取りを手に取りお坊さんの掃くその先にちり取りを用意した。お坊さんは私を見てにっこりと微笑みちり取りの中に落ち葉を入れていった。
あらかた掃き終わった時にお坊さんが私に教えてくれた。「ひとりで頑張っていても、困った時、助けが欲しい時には必ず誰かが見ていて手を貸してくれる。だから君も何があっても一人で悩み込んだりしないで、助けを求めなさい。」と教えてくれた。
私は思いついたようにもう真夜中の外に出て真っ先にお寺に向かった。付くと真っ先に失礼とは思いつつインターホンを連打した。少し不機嫌そうに対応に出た人に一通りの経過を説明した。すると少し待たされたが「中にお入り下さい」と案内された。
スエット姿のお坊さんが玄関で出迎えてくれた。私は自分の名前と年齢を伝え、どうしたらいいのか分からず頼れる人もいないので、助けを求めに来た事を説明した。すると、お坊さんは私の話の中から何か分かったような顔をした。もう十数年前の事を覚えていてくれた。「何も心配はいらないよ」と優しく私に話、葬儀屋さんへ霊柩車の手配の電話をしてくれた。
私は全てをお願いし家に戻った。真っ暗な部屋で夏子は座り込み黙って母親を見ていた。私はお寺に全て頼めた事を話したが、声にならない返事だった。私は少し寝る事にした。長い長い一日だった。といっても、ぜんぜん寝れなかった。
翌朝早くにお坊さんが来てくれた。亡くなった母親を迎えに来てくれた。火葬の手続き市役所への手続き、その他全てをお坊さんと奥さんと葬儀屋さんでやってくれるらしい。私は夏子と家を少し片付けてちゃぶ台に花を添えて小さな祭壇を作った。
火葬になる時には葬儀屋さんが迎えに来てくれた。控え室で棺に入り化粧をしてもらった母親を改めて見た。そんなに苦しまなく亡くなった母親の顔はとても安らかだった。今にも「英雄」と私の名前を呼び起き上がってきそうだ。
夏子は小さな祭壇に飾る花と一緒に棺に入れる為の花を用意していた。私はいろいろ考えたが、新しく買った靴と三人で撮った写真を入れる事にした。釜に入り点火されて窓から炎が見えてきた。私は今母親が焼かれているんだと実感し、あの炎の向こうに幼き日のつらい思い出を重ねて見ていた。本当に苦労ばっかりの母親だった。
でもこれでようやくこの世から解放され、楽になってくれるだろう。そう願わずにはいられなかった。夏子は横で手を合わせながらずっと泣いていた。これからはこの夏子も私が守って行かなくてはならない。そう決意もした。
私達は家に戻った。少しするとお坊さんが骨を持って来てくれた。小さな祭壇に線香を立て、立派なお経もあげてくれた。私はお坊さんに母親に差し出した十万円の封筒をそのままお坊さんに差し出し、「足らない分は働いて返します」と話した。するとお坊さんはその中から五枚引き抜き、それを私に渡し「これで間に合う」と言いそれ以外請求はしなかった。
夏子がお坊さんにお茶を入れてくれた。お坊さんはお茶を飲みながら「しばらくお母さんをここに置いてそれから私のお寺に納骨する。その費用もさっきもらった中に入ってる」と言ってくれた。それからお坊さんは母親の勤め先や私の勤め先にも連絡するようにとアドバイスしてくれた。
お坊さんが帰ると言った時、私はやっぱり足らないだろうと五万円を渡そうとしたら、あの時掃除を手伝ってくれたバイト代だと言って受け取らなかった。私は深々と頭を下げお坊さんを見送った。見送る私は涙でいっぱいだった。
お坊さんに教えてもらったとおりに勤め先に連絡する事にした。まずは、私の仕事先の星野製作所に電話をかけた。社長が出てくれたので、母親の事を報告した。電話の向こうで社長は少し様子がおかしかった。私の話のあと少し沈黙があってから、社長は静かに話を切り出した。昨晩奥さんが倒れて救急車で運ばれたそうだ。そして今は家と工場の様子を見に病院から戻って来た所らしい。
私はすぐ、お見舞いに行きたい気持ちを表したがこちらの事情を察してか断られた。社長もこちらにお悔やみに行きたいが、奥さんの看病で行けないという事だった。私は奥さんの病状がはっきり分からないので、やきもきしたがこちらもこんな時なので少し落ち着いてからお見舞いに行こうと決めた。
次に母親の仕事先のお弁当屋さんに電話をした。専務の方が出られた。突然の事でと説明した。専務さんは言葉を無くしていたが、最後に母親と仲良くしていた仲間の人と線香をあげに伺うとの事だった。
私も夏子もすっかり言葉が少なくなった。家の光が消えたような寂しさでこの小さな家の中はすっかり静まりかえってしまった。夏子には記憶が無いだろうが、私には幼少期の嫌な思い出は今もはっきり覚えている。父親から私を守るために必死に守ってくれた事、父親が居なくなってしまってもそれ以上に寂しくさせまいといろいろ私に尽くしてくれた事。 余りにも多すぎる思い出だ。貧しい中でも私は私なりに幸せでいられた。全て母親のおかげだ。感謝の気持ちでいっぱいだ。
しばらく夏子と言葉少なく家に居たら、母親の勤め先の方々が訪ねてくれた。みんなが小さな祭壇に手を合わせお線香を立ててくれた。各々の方々が、言葉は違うけれども私達兄妹を励ましてくれた。その中の一人の十年以上付き合いのある方から、以外な話を聞いた。
私達兄妹は、祖父母がいるという事を知らなかった。小さい時に
聞いてみたが、うまくはぐらかされたので、子供心に聞いてはいけないことなんだと悟って、それ以上聞くことはしなかった。その方によると、新潟で大きな農家をしているらしい。ある事情でその存在は子供達には教えていないという事だった。その方は私達に「どんな事情か知らないが、お母さんの事は祖父母に知らせなさい。例え嫌な結果になっても、伝えなかった事を後悔する時が必ず来るから」と私達に古い年賀状を渡してくれた。多分母親が仕事先で一番信頼しているその人に何かあった時の為に託したのだと思う。
その方々が帰ったあと、私と夏子は暫く考えた。まだ見ぬ祖父母に会うのが怖いのもあるし、私達の存在が祖父母にとって邪魔であり隠していたのか?じゃなかったら、どうして隠す必要があったのだろうか?考えれば考えるほど答えは悲惨な方向へ向かっていった。いろいろ考えても答えは出ないので、私達は祖父母に会う事にした。どんなおじいちゃんおばあちゃんなんだろう?怖い人なのか?優しい人なのか?夏子は、期待に胸を弾ませていたが、私は会ってくれるのかも分からずなので期待よりは、心配のほうが大きい。
少ししたら、星野社長が来てくれた。私は夏子にお茶を入れてもらい、狭い家の中で話した。気になっていた奥さんの病状だが、脳の関係らしい。後遺症が残る可能性が高いという事だ。そして社長からは工場を閉めるという報告を聞いた。もともと高齢だしアパートを持っているのでそっちの収入でなんとかなるという事だ。私には非常に申し訳ないと謝っている。
私は「大丈夫です。」と言い、落ち着いたら奥さんのお見舞いに行きますと告げた。社長が帰ったあと、静かな家の中で少し冷静になってみたら、ここ数日で私は母親も仕事も失っている。でも不思議と絶望は感じていない。理由は分からないが私は冷静でいられている。母親を亡くした悲しみは非常に大きいが、父親からの暴力に耐えて苦しんで苦労してきた人生から、やっと解放されて自由になったのかもしれない。亡くなった母親をそう思うようになってきている。
後日私は夏子と一緒に母の遺骨と小さな写真を持って、新潟に向かった。目的地が近づくにつれ私達は無口になっていった。心の中は不安だらけだ。どんなおじいちゃんおばあちゃんなんだろう?果たして会ってくれるのか?そもそも二人とも元気で生きているのだろうか?そんな事を考えていたので、乗ってた電車の車窓からの景色など見ている余裕も無かった。
最寄り駅に着き、少し茶色くなった年賀状の住所を目指し二人で歩いた。距離はさほどでも無いだろうが、凄く長く感じた。すると、私達の目の前に大きないかにも農家という作りの家が目に入った。表札と年賀状に書いてある名字が一致する。
「西村雄一」私達のおじいさんに当てる人の名前だ。夏子と私は少し玄関の前でためらったが、思いきってチャイムを押してみた。少しして返事がありおばあさんの「千代子」が目の前に現れた。多分初めて会うのだろうけど、やっぱり肉親なのだろうか?初めて会った気はしない。
私達はまず自分達の名前を名乗った。おばあちゃんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに孫だと分かったようだ。家の中に案内された。おじいちゃんは畑に出てるらしい。おばあちゃんがお茶とお茶菓子を出してくれた。
私は今日訪ねた理由を淡々と話した。写真と遺骨をテーブルに出すとおばあちゃんはその場で泣き崩れた。私はどうしていいか分からず、ただ黙っておばあちゃんを見ていた。どのくらい連絡を取っていなかったのか詳細は分からないが、その間母親には語り尽くせない苦労苦悩があった。ずっと側で見てきた私達兄妹は、母の死に涙を流してくれているおばあちゃんを見て、母親を誇らしく思っていた。
少ししておじいちゃんが帰って来た。「誰か来てるのか?」と少し呑気に居間に入ってきた。でも、私達兄妹が孫だと分かり、同時に母千夏が亡くなった事が分かるとその場に崩れた。どんな事情があったのか?なぜ連絡が途絶えていたのか?なぜ私達兄妹に黙っていたのか?そればかりが私の頭の中でぐるぐる回っていた。おじいちゃんもずっと黙り込んで下を向いていた。
私はたまにおじいちゃんおばあちゃんをチラッと見たが、真相を教えてくれそうには無さそうだ。私達も何を話していいのか分からず黙っているだけでただただ時間だけが過ぎていった。そうこうしているうちに辺りは真っ暗になっていた。
どのくらい沈黙の時間があったのだろうか?私達は失礼する事にした。その事を話すと夕飯を食べていけという話になった。何も用意はしていなかったので、出前を頼むという事だった。
すると、待っている間に母親の事を話してくれた。この家一人娘で高校時代に英一と知り合ったらしい。その頃の英一は真面目に一生懸命仕事に励んでいたらしい。そしておじいちゃんおばあちゃんとも仲は良好だったらしい。ただ私が産まれる少し前に一番仲良くしていた親友に騙され人生が狂ってしまったらしい。私が小さい時は酒に溺れ一番酷いときだったらしい。かなりの借金を背負う事になり関係を切らないとこちらのおじいちゃんおばあちゃんにまで迷惑がかかるため、一人で行方をくらましたというのだ。
私は初めて知る衝撃の事実に言葉を失った。もともとどうしようも無い最低な男だと思っていたからだ。それが、裏切りをきっかけに狂ってしまった。私の記憶思い出はその時の印象しかない。夏子は思い出すら無い。じゃあその前はどうだったのだろう?騙されるという事が無かったら、どう変わっていたのか?今はどうしているのか?
夕飯の支度が出来て頂く事になったが、味も何も分からない。それだけ私には衝撃だった。私達は育った環境や近況を話した。おじいちゃんおばあちゃんの心配はこれからの事をどうするのか?だった。私は仕事を失っている。夏子は学校に通っている。金銭面も大丈夫なのか?
私の頭の中はぐちゃぐちゃになった。ここにきて今まで気丈でいた自分にその倍以上の不安が押し寄せてきた。母親が亡くなり見送ってそれでもこれからの事なんてぜんぜん平気だと思っていた自分が嘘のようだ。とにかく私はどうでも、夏子には進学してもらいたい。費用はどうしたらいいのか?またお坊さんに相談しようか?はっきりした答えは出てこない。
時間もかなりたったので、私達達は帰る事にした。すると、祖父母は「泊まっていけ」と進めてくれた。身内だが、今日初めて会ったのにそこまでしてもらうのはとためらっていたが、おじいちゃんおばあちゃんは実は私に会っていると話してくれた。といっても私が産まれて間もない時らしい。
私は当然覚えているはずが無いが、おじいちゃんおばあちゃんに初めて会った気がしないのは、そういう事なんだろう。同時に母親が私の幼い頃の事を教えてくれなかったのもそういう事なんだろう。だんだん分かってきた。
私達兄妹は泊めてもらうことにした。夜も遅くなってくると群馬よりは幾らか冷える感じがする。身内ではあるが、いまだに不思議な感じがしている。母親が産まれ育った家だからだろうか?本当はずっと前から私達兄妹と引き合わせたかったんじゃないだろうか?そうだとしたら、この事はずっと母親が悩んでいたに違い無い。今となっては何も聞けないが母親を苦しめていた原因のひとつだろうと分かった。
私達はちゃぶ台を囲み四人でいろいろ話をした。おじいちゃんおばあちゃんは私達兄妹にここで暮らさないか?と提案してきた。お金はもちろん食べる事にも困らないからというのだ。私はそけまでしてもらうのは申し訳ないという気持ちと凄く心の支えになるというかありがたい気持ちが交差した。
すぐには決められないので返事は後にさせてもらう事にして、その晩は休んだ。やっぱり少し涼しいが、何か暖かく感じた。気持ち良く迎えてくれた祖父母に私達兄妹が未成年という事もあり一緒に暮らさないか?と持ちかけてくれた事に感謝と暖かさを感じた。意を決して来た甲斐が十分にあった。熟睡は出来なかったが、広い部屋で休む事が出来た。
翌朝私達は帰る事にした。おじいちゃんおばあちゃんには一緒に住む事を良く考えて返事する事を告げた。「またいつでも来い」と言いながら、私達にお小遣いをくれた。私達兄妹はお礼を言いながら、祖父母の家を後にし駅へ向かった。
私達兄妹は帰り道不思議な気持ちになっていた。初めて会ったけどずっとずっと前から会っていた感じだ。父英一の事もそうだ。今になって真実を知ることに意味があるのだろうか?そうだとすれば、私はどうしたらいいのか?夏子に聞いても多分答えは出ないだろう。ずっとぼんやりしたまま家に着いた。
家に着きまずは、母親に線香を立て祖父母に会って来た報告をした。いろんな支援をしてくれる優しいおじいちゃんおばあちゃんで良かったと母親に報告をした。母親が亡くなって間もないという事もあるのだろうか?この家の中だけ時間が止まったような静けさだ。しかしこれから先は二人しかいない。ましてや祖父母の家でお世話になるのか、大事な事を決めなければいけない。これから先を二人でやって行けるのか?押し潰されそうなほどの不安と寂しさを感じた。
夏子もただ黙って下を向いている。妹なりに考えているのだろうけど、それが正解なのか不正解なのかは誰にも分からない。学校の事もあるし、その辺は私よりシビアに考えているだろう。
暫くすると、大家さんがやって来た。母親に線香を上げに来てくれた。お茶を出し雑談をしていたが、話はやっぱりこの後の事になった。
私は隠す事無く、私自身が職を失ってしまった事や、祖父母が面倒を見てくれそうな事を話した。すると、大家さんも長年に渡り家賃も滞る事無く払ってくれた事や、今のこの家では、新しい人に貸すには、かなり手を加えなくてはならないとの理由で、暫くはここに住んでも構わないという事になった。家賃は自立して食べて行けるようになった時に分割で払ってくれればいいとまで、言ってくれた。
それを聞いて私はますます迷い悩む事になった。ここに住み続ける事も選択の一つになった。ここは父英一との嫌な思い出もあるが、何と言っても母親と夏子とずっと暮らして来た思い出の家だ。古くて狭くてすきま風の入るそんな家だが、それ以上の思い出がつまっている。これから先の不安を解消するには、祖父母の
家にお世話になるのが一番なのだが、はっきりした答えは出てこない。
母親の会社の専務さんが、また線香を上げに来てくれた。そして会社のほうで格安の共済保険を掛けていてくれた事を教えてくれた。金額は1000万らしい。受取人は私で面倒な手続きも全てやってくれていた。最後に私が名前を書いて判子を押せば保険金が入るらしい。突然の事で驚いたが正直この先の不安が少し無くなった。保険の話は初めて知ったが改めて母親に感謝したい。
夏子もこの先の事は自分なりに考えていたようだ。まだ中学生なので、転校はしたくないが祖父母の家に行きたいらしい。何を気に入ったのかは分からないけど、夏子なりに考えて出した結果だ。
私はどうしたらいいのか?向こうで仕事を探すか、農家を手伝うか?ここに住み続けるか?悩むところだ。二人で家の中でぼんやりしていると、誰かが訪ねて来た。
私はドアを開け出迎えた先に軽く会釈をしたおじさんがいた。「誰だっけ?」見たことはあるが思い出せない。すると、おじさんは乗って来たであろう高級車の運転席にいた若い人に手で何か合図をした。すると、その若い人は運転席から何かを持って出てきて深いお辞儀をしながらおじさんに渡すとまたダッシュで運転席に戻った。
おじさんが渡された手提げ袋の中から凄く良い焼きそばの香りがした。私はそれで分かった。「屋台のおじさんだ!」おじさんはあの時はありがとうと言いながら、私に焼きそばをくれた。「とりあえず中に」と私は進め、夏子にお茶を入れてくれるように頼んだ。後で分かる事だが、このおじさんはこの先の私の人生を大きく変える人物になる。
まずは、おじさんも母親に線香を上げてくれた。そして私達が祖父母の家に行ってる時も警察から住所を聞き訪ねてくれていたらしい。私はおじさんを助けたという手柄よりもあの屋台の焼きそばが香りといい味といい凄く気に入り好きになった事と、あの事件の日から短い間にたくさんの大変な事があった事を話した。
おじさんはただただ聞いてくれた。そして仕事は特にやりたい事がなければ自分の仕事を手伝って欲しいと言ってくれた。私は凄く嬉しかったが即答は出来ないので、返事は後ですると答えた。おじさんは笑いながら「いい返事を待ってるよ」と言って、最後に母親の御前に香典を置いて帰って言った。おじさんがドアの外に出て軽く会釈をすると、頭が上がるか上がんないかのタイミングで若い人がダッシュでやって来て私に深々と頭を下げ、ダッシュで左側の後部座席のドアを開けた。おじさんが乗り込むのを確認すると静かにドアを閉め、自分はダッシュで運転席に乗り込み車を走らせ始めた。この時私はこの行為の意味を理解してはいなかった。
おじさんが帰ってから、言われた事を思い出し考えてみた。「やりたい事がなければ」私のやりたい事ってなんだろう?幼い頃から周りに馴染めず、怖い父親をずっと恨み怖がって来た。中学を卒業し仕事に着ければ母親に少しは楽をしてもらえる。それしか頭には無かった。改めて考えると、やりたい事なんて無かった。夢も無くつまらない今までだったのかもしれない。母親が死んでしまってなおさらそう思うのかもしれない。
図書館でいつも武道の本を読みイメージトレーニングしていた小さい時。同じく夏子は花の本を見ていた。夏子のほうはきれいな花に囲まれたいという夢や希望があったのかもしれない。花の本を読む時の夏子の目は輝いていた。
もしそんな夢や希望を持っているのなら、叶えてもらう為に安定した祖父母にお世話になるのが、一番だろう。そう思うようになった。夏子にはやりたい事好きな事をしてもらいたい。私の考えを伝える事にした。
夏子は帰って来てから、口数も少なく下を向く時間が多くなった。きっと物凄く悩み考えているんだろう。私はとりあえず私自身の考えを話した。夏子は黙って聞いていたが、少しして話し出した。「お兄ちゃんはどうするの?」それを聞いて私は私自身の事を決めていない事に気付きとっさに「ここに残る」と言ってしまった。夏子は涙を流しながらたった二人の兄妹なんだから、離れたくないと大泣きしてしまった。それを見て私は黙り込んでしまった。夏子の為二人の為には何が一番いいのだろうか?
私は自分の部屋に行き考えた。夏子の為には祖父母の家にお世話になるのが一番いい。でも母親と過ごしたこの家を離れる事も出来ない。私が早く仕事を見つけなければ、せっかく手に入る母の生命保険もすぐ無くなってしまう。迷いもあるが、私は明日から行動する事にした。
翌日私は屋台のおじさんに電話をした。とりあえず話を聞きたいと伝えて会う事にした。迎えに来てくれる事になった。しばらくすると、玄関のドアを叩く音がした。ドアを開け外を見ると、私より確実に年上であろう若い男性が最敬礼していた。「会長に言われお迎えに上がりました」応援団のような大きな声で私に挨拶し黒くて大きい車の後部座席へ促した。
ドアを開けてもらい、乗り込むとドアを閉めてもらった。あまり車には乗らないので良く分からないが、凄くいい座り心地のシートだ。運転してくれている若い人は無言で運転だけをしていた。どれくらいの距離かは分からないが到着した。
着いた先は私の想像を遥かに越える別世界だった。木の立派な門に高い塀。中は学校位の敷地にプールぐらいの池、きれいに整えられた植木と庭。その中央にお寺のような家。その別世界に私は圧倒された。
もうおじさんとはとても呼べないが屋台のおじさんは庭で池の錦鯉に餌をあげていた。私は緊張しまくって、声が出ないでいた。おじさんは私の硬直した姿を見て「驚いたかい?」と一声掛けてくれた。仕事を手伝って欲しいとは言われたが、一体仕事は何なんだろう?もはや私に期待や希望は無く不安しか無かった。
家の中へ促され私はまたまた圧倒された。私の家の何倍もある玄関、時代劇にでで来るような畳いっぱいの部屋。そのうちの一つの部屋の真ん中にある大きなテーブルにおじさんと向かい合って座った。
おじさんは簡単に自分自身のこれまで経緯を淡々と私に聞かせた。前は関東で一番二番を争う組織の大親分でいたが争いで血を流したく無いという理由で解散させてしまった事。でも昔からの絆や繋がりが強く、今も若い衆が面倒を見てくれる事。法に触れずに人材派遣などで十分に収入がある事。今は自分の好きな事を
出来ている。などを話してくれた。ただ解散に反発し同じ組織であったにも関わらず、二分にしてしまったという事実も話してくれた。その一派は今でも不当に稼ぎをしているとの話もあった。
私が初めて屋台で会った時もあの二人組に自分の名前を出せば逃げ帰っていたかもしれないとも話してくれた。
私は状況が飲み込めずただ驚くばかりだった。正直おじさんがそんな凄い人だとは想像もしなかった。ただ話を聞いてもいまいち実感も無かった。テレビの中の世界の感覚だ。
仕事の話に関してはおじさんの補助的な役割をして欲しいとの事だ。今のおじさんは第一線では無く、庭の手入れやボランティアなどをしているとの事だ。その手伝いと若い衆の管理の補佐をして欲しいとの事だ。住まいもここに移して欲しいとの事だ。
私はおじさんの本当の姿を知り、こんな立派な家や何人もの若い衆を束ねてる姿を見ても、何故か怖いと思ったり遠ざかろうとは思わなかった。それよりは時間がたちますます身近な人に感じるようになっていった。やっぱり即答は出来ないので、今日の所はこのまま帰る事にした。
また若い人があの黒塗りの高級車で送ってくれた。同じようにドアを開け閉めしてくれて静かに送ってもらった。家に帰ると同時に現実に引き戻された。「さっきの家は夢だったのだろうか?」そう思うほどの我が家だ。ドアを開け玄関に立ち止まってみたが、トイレだけでもこの数倍はあった。改めて世の中は広いし、知らない事知らない場所があるのだと痛感した。
中に入ると夏子はテーブルの前に静かに座っていた。この所夏子は元気がぜんぜん無い。千夏が亡くなり間もない事もあるだろうが、祖父母の事などいろいろな問題が目の前にあり、半ば放心状態にあるのだろう。私よりもぜんぜん深くこの先の事を案じているのだろう。その気持ちは言葉に出さなくても私に伝わってくる。でも私も決断してそれを夏子に伝えて理解してもらわなくてはいけない。
何が一番私達にとって良いことなのだろうか?夏子には夢があるならそれに向かって頑張って欲しい。私は夢もやりたい事も無いままここまで来てしまった。だからこそ夏子には好きな事をやって欲しい。
私は夏子に夢はあるのか聞いてみた。夏子からの答えは「花に囲まれたい」との答えだった。幼いとき二人して図書館で一生懸命呼んだ本の影響だろうか?私は喧嘩に強くなり、夏子は綺麗な花に興味を持っていた。その花に囲まれて過ごしたいという夢を私はバカにする事も無く、素直に応援したいと心から思った。
私はいろいろ考えた結果、夏子に二つの提案をした。一つはこのままここで二人で暮らして行く事。もう一つは私が会長の所でお世話になり、夏子には一人で祖父母の所に行ってもらう事。この提案を夏子は前よりは冷静に聞いてくれた。夏子なりに考えてくれるだろう。結果はどっちでも私は受け入れて行く事にした。
千夏が亡くなってから間もないが夏子も随分成長している。たまに取り乱す事もあるが、静かに私の言葉を噛み締めて考えてくれるようになった。私よりも母親と接した時間も短くまだまだ母親に甘えたい時だろう。それが突然無くなってしまったのだから、本当に可哀想に思う。夏子を支えながらこれから先も不安だらけだが、私がしっかりしていればどうにかなるんじゃないか?そう思えるようになって来た。
次の日に夏子からの答えが出た。私が会長の元に行き、自分は祖父母の元に行くという回答だった。私は口には出さないが、夏子と離れるのは正直嫌だし何より心配で仕方ない。でも夏子自身が決めてくれたし、提案したのは私自身なので、受け入れて準備を始める事にした。
まずは夏子の学校だ。転校の手続きと友達への挨拶。それは夏子に先生に聞いてもらい進めて行く事にした。この家は引き払う事になるが、荷物が結構ある。私達兄妹の荷物もだが母親の物もそのままだ。
私は祖父母に電話を掛け二人で考えて出した答えの事を話した。おじいちゃんおばあちゃんは私の事を非常に心配してくれたが、夏子だけでもそっちで暮らして行くという答えに凄く喜んでくれた。学校の手続きが終わり次第引っ越せという勢いで、凄い乗り気になってくれた。この調子なら夏子が単身で向こうに行っても大事にしてもらえるだろう。そう考えると私も嬉しくなった。
私自身は会長の所に電話を掛け経緯を説明した。会長も夏子の事を初めから気に掛けていてくれたみたいだが、祖父母の元に行くという事に安心してくれた。引っ越しに関しては荷物をまとめてくれれば若い衆にトラックで取りに行かせるとの事だ。
夏子のほうは準備が出来れば祖父母がトラックで来てくれるとの事だ。これから数日間は荷物をまとめる作業に追われるだろう。でも二人にとって新しい出発だ。と同時に二人でいられる残された短い時間だ。その時間を大切にしたいと素直に思った。また一緒になれる時がくるだろうけど、それまでは別々で頑張るしかない。
私達はさっそく荷物をまとめる事にした。まずは、母親の物からだ。節約ばかりであまり洋服などを持っていなかったのですぐに済んだ。というのもまだ着れそうなものは、体型がさほど変わらない夏子が持って行く事にしたからだ。
続いて戸棚の引き出しの中に取り掛かった。正直どうでもいいものぱかりでほとんどを処分する事にした。次はあまり触った事の無い母親の鏡台だ。鏡のすぐ下には簡単な化粧用品が置いてある。その下には引き出しがありそれを開けてみた。そこには、私達兄妹の幼いときの写真など懐かしい物がしまってあった。私達は作業を止め一枚一枚思い出を噛みしめながら写真を眺めた。めくっているうちに、私は一枚の紙に包まれた写真らしき物に目が止まった。何故か胸騒ぎがしてすぐには開けないでいたが、恐る恐る包みを開いてみた。そこには、真ん中で笑っている赤ん坊の私と両隣の私以上の笑顔でいる父親と母親の顔があった。
私はもうはっきりとは父親の顔を覚えていないが、こんな感じだったのだろうか?この時はきっと私の誕生を心から祝い喜んでくれたのだろうか?だからこそ千夏は大切にしまっておいたのだろうか?私は複雑な思いで暫く写真を眺めていた。この先の私の知らない所で何があったんだろう?母親も亡くなってしまい誰にも聞けずなのだろうか?そう思うと改めて夏子と二人きりなんだと実感した。
必要では無いものをゴミ袋に入れて引き出しを空にして、椅子を動かそうとしたら、四角い椅子の座面が外れた。中は小物入れになっていた。この椅子が小物入れになっているのは初めて知った。こんな狭い家だがこの小物入れは見たことが無い。私は夏子と二人で中にあるものを取り出してみた。そこには手紙が数枚入っていた。中を読むと父親からの懺悔の内容であった。多分父英一はどうしょうも無くなってしまった自分の境遇といつも葛藤していたのだろう。
私の記憶にある暴力的で酷い父親は果たして本当の姿だったのだろうか?じゃないとすれば、本当の姿はどうだったのか?見直すという事では無いが、少し父親に思いをはせる事が出来た。あとは封筒にお金が入っていた。夏子の見てもらいながら、私が数えてみると三百万あった。これも千夏からの私達へのプレゼントなのだろうか?
父親の手紙といいお金といい全く予想をしていなかった物だ。もし椅子が外れる事が分からなかったら、発見出来なかっただろう。だからこそ亡くなってからのサプライズなのだろう。ますます母親の偉大さを思い知った。
この封筒の中のお金は夏子に全部渡す事にした。夏子は急にこんな大金は持っていても心配というので、おばあちゃんに連絡をして事情を話して預かってもらう事にした。その際もおばあちゃんは私のほうは大丈夫なのか?と心配してくれた。私は「大丈夫だよ」と答えたが、その根拠は何処にも無い。でも夏子がとりあえずなんとかなりそうなので、安心した。
処分する物のほうが多かったがだいたいの整理は終わった。大事な思い出の品は全て夏子に託す事にした。こうして見ると私の持ち物というのは、非常に少ない事に気が付いた。洋服も合わせてダンボール二つぐらいだ。同年代の奴らといろいろやっていれば、もっと持ち物も増えていたのかもしれない。そう考えると寂しい気持ちもするが、これが私の宿命だ。
数日して祖父母が迎えに来てくれた。夏子の荷物を軽トラックで取りに来てくれた。必要最低限の物を残し、残りの物をダンボールに梱包しそれを私達兄妹で手際良く積んだ。おじいちゃんおばあちゃんは母親の位牌と遺影は自分の手で持って行きたいというので出しておいた。あとおばあちゃんに封筒のお金を渡した。夏子は遅れて電車でそっちに行く。私は祖父母に夏子の事をくれぐれもよろしくとお願いした。祖父母はそれよりも私の事を心配してくれた。私自身本当は不安で不安で押し潰されそうでいたが、気に掛けてくれる人がいるだけで少しは楽な気持ちになる。
私も動く事にした。会長に連絡して正式にお世話になりたいという事を伝えた。会長は何もいらないから体一つでいいと言ってくれた。私は仕事の内容とか凄く心配でいたがそれを聞く事は出来なかった。
もう少しで夏子と別れる日が来る。特別に仲の良い兄妹というわけではないが、厳しい環境でもどうにかここまでやってこれたのも事実だ。私よりは社交的で明るく振る舞ってはいるが、心の奥にはやはり貧しい家庭に産まれてしまったというコンプレックスがあるだろう。口には出さないが私は夏子には幸せになって欲しいと本気で思っている。
その晩夏子は自分の思いを話してくれた。母親を亡くし失望の中私とも離れて暮らすようになるのが、どれだけ寂しくて心細いか涙ながらに話してくれた。でもこうするより他に道は無いんだと覚悟を決めて祖父母の家で頑張ってみると語ってくれた。私は離れる事になるが、お互いに頑張ってみようと話した。本当は私自身が寂しくて仕方なく夏子以上に泣いてしまいそうなのを必死でこらえた。
出発の日になったが、吹っ切れたのだろうか?リュックを背負い、涙一つ見せずに元気に手を降り行ってしまった。夏子らしい旅立ちなのだろうか?少し呆気にとられてしまった。
私もこの小さな家にお別れをし、いよいよ会長の家に行く。大家さんは非常に残念がっていたが、傷みなどの追加の料金も請求する事無く、あなた達の故郷は家だから、何かあったらいつでも来なさいと言ってくれた。電話をしておいたので、またお迎えが来てくれた。「いよいよだ!」期待と不安の新しい生活が始まる。
黒塗りの高級車のトランクにダンボールを二つ積み、あとはボストンバックを積んだ。私の全財産だ。
迎えに来てくれた人が「村上一成といいます。よろしくお願いいたします。」と元気良く挨拶してくれた。私も自分の自己紹介をし最後に「先輩よろしくお願いします。」と言ったら、「先輩はよして下さい」と帰ってきた。年下なのかな?と思ったが車を運転してるしどう見ても年上だ。私は「どうしてですか?」と訪ねたら村上さんは、「会長に聞いて下さい」とだけ答えた。私は余計に不安になった。
程なくして到着し、門が開くと玄関に続く石畳の両脇に一直線に並んだスーツ姿の男性達。片側二十人ぐらいだろうか?数える余裕も無いまま一斉に「御待ちしておりました!」と挨拶された。その光景は物凄かった。私はかなりビビってしまい首を上下に振りながら、目も合わせる事も出来ずとにかく前へ進んだ。もっと早く進みたいのだが、膝が震えて上手く進めない。やっとの思いで玄関まで行くと会長が仁王立ちしていた。
私は「よろしくお願いいたします。」と声を振り絞って挨拶した。会長は「ようこそ」とだけ答えてくれた。とりあえず中に入らせてもらい、会長から中年のおじさんを紹介してもらった。竹内良雄というおじさんは会長の次に偉い人らしい。
会長は用事があって出掛けるのであとは竹内さんに任せてあるのでよろしくと言って出かけていった。私はどうしていいのか分からずキョロキョロしていから、「英雄さん」と先ほどの竹内さんに呼ばれた。私は返事をして呼ばれた方に行くと真ん中で仕切られた板張りと畳の部屋へ招かれた。「ここが英雄さんのお部屋です」そう竹内さんは言って若い衆に私の荷物を運ばせた。「何人で使うんですか?」と竹内さんに聞いたら、「英雄さんお一人です」と返ってきた。ひとりで?広すぎない?どうして?私はますますパニックになった。
すると、竹内さんから話があった。そもそもこの世界というのは、先に入った人が偉く遅くなるほど使い走りのような扱いになるそうだ。竹内さんはこの中で一番古い人なので、当然会長の次に偉い人にあたる。ただ私の場合は会長自らが、跡継ぎにしたいという理由で私をこちらに呼んだため、いろいろステップアップして会長の次に偉い人の立場になるらしい。私はそんな事になってるとは夢にも思わなかったし跡を継ぎたいとも考えていない。
言葉も出ない程戸惑っていると、竹内さんが「何も心配しなくて平気ですよ」と励まして?くれた。
竹内さんが言うにはもう暴力団とかの組織じゃないので、普通の会社だと思ってもらえればいいという話だ。会長が社長なら、私が副社長で竹内さんが専務という所だろうか?いずれにしても私には怖いくらいの状況だ。初めにきちんと説明してもらえていたら、間違いなく断っていただろう。
どうしたらいいのか?本当に困った。正直会長には親近感もあり接する事も出来るが、竹内さんを始め他の人は怖い。この先どうなるのか?逃げ出したくなる状況だ。ただ会長の命令は絶対という忠誠心がかなり強いので、会長と仲良く上手くやっていけれぱ何とかなるかもしれない。そうやって自分自身の心細さを静めて行く事にした。
程なくして会長が帰ってきた。私は会長に呼ばれ二人きりで話をした。顔が紅潮していたのだろうか?隠しきれない動揺が私にはあった。会長は竹内さんから聞いたと思うがその通りだと改めて話した。私は「どうして僕なんですか?」他にも人はいるだろうになんで私なんだろう?一番理解出来ない事を率直に聞いてみた。会長は「人間らしい事をしたからだ。」と答えてくれた。
どういうことだ?私はますます分からなくなった。とにかく少し我慢をする事になるだろうけど、すぐに慣れるだろうという事なので、我慢してみる事にした。幼い頃の間近で見た父親の暴力に比べれば平気だろうと思うようにした。
自分の部屋に戻り何もする事が無いので一人で黙ってテレビを見ていた。家にあったやつの何倍だろう?大きい画面だ。ただ見ていても内容は入って来ない。何回も時計をみたが進むのが遅い。これも我慢のうちの一つなのだろうか?
しばらくするとドアをノックする音が聞こえた。私が返事をすると「村上です。夕飯の支度が出来ました。」と呼びに来てくれた。村上さんに案内されるまま食堂に向かった。小さな定食屋の広さぐらいあるであろうその食堂の大きなテーブルの奥に会長が座っていた。私は何処に座っていいか分からないので、会長とは逆方向の端に座った。すると村上さんが、「英雄さんはこっちです。」と会長の隣に座るよう促した。私は「失礼します。」と会長に挨拶し隣に座った。
配膳から全てを若い人達がやってくれる。しかも手際良く早いので私がキョロキョロしている間に全ての用意が出来た。御飯の前会長と竹内さんのグラスにビールが注がれた。私の所にも来たが正直にまだアルコールという物を口にしたことが無いという事を
話した。ビールを注ごうとした人が大笑いをした。
すると全ての人が緊張気味にしていてピリピリしていた空気が一気に和んだ。「英雄さん面白い!」少し離れた所から声がした。それを聞いて私も少し気が楽になった。オレンジジュースを注いでもらいみんなで乾杯をした。
食事をしながら、端から一人一人自己紹介をしていった。当然一回では覚えられないが個性溢れる人ばかりだった。会長と竹内さんを除き三十八人の若い衆の集団だ。普段は全員で夕飯を食べる事はめったに無いそうだ。ただ今日だけは私の初お目見えの日なので集まってくれたらしい。
一番最後に私が挨拶をした。それも緊張のあまり普段のトーンよりも明らかに高く自分で自分にびっくりした。私は今の境遇が正直自分に不釣り合いである事とこれから先やっていけるのか心配な事を話した。みんな黙ってしっかり聞いてくれて、最後には「大丈夫ですよ」といろんな所から声を掛けてもらった。それだけで泣きそうになるくらい嬉しくなった。
会長は私の言葉を聞いてみんなに「いろんな常識を覆してこの結果になった。俺の居ない時はこの英雄が俺の変わりだから、肝に命じておくように。」この言葉を聞いてみんなは一斉に「分かりました!」と答えてくれた。私は一気には無理でも少しずつ打ち解けていけそうな予感を感じた。
少しずつ慣れて来て三週間がたった。すると突然会長に呼ばれた。「給料って事じゃないんだけど」と前置きがあり私に封筒を渡してくれた。凄く厚い。思わず「こんなにもらえません」と言葉が出てしまった。「中身はたいした事無い」と会長は言い返そうとする私の手を払いのけた。なので、遠慮無く頂く事にした。お礼を言い自分の部屋に戻り封筒の中を見てみた。取り出して数えてみると三十万だった。
破格の金額にびっくりした。こんなに貰うほど何一つしていない。というか何をしたらいいのか分からない。私はこの金額と待遇は見えない鎖なのかもしれないとさえ考えるようになった。
この頃は仕事の空いた若い衆と話す事も多くなった。テレビゲームの話や学校での武勇伝。年齢的にはお兄ちゃんぐらいの世代なので、話が噛み合わないという事はそんなになかった。私の仕事は会長の手伝いで庭の木の枝を切ったり草むしりなどをする日が続いていた。
季節的に各地で祭りや催事が行われるようになって来た。すると、開いてる若い衆総出で縁日に使う屋台や調理具の掃除などをするようになった。これには私も見よう見まねで積極的に取り組んだ。初めて会長と会った時のあの焼きそばの香りを思い出しながら。今度は身内としてすぐそばであの香りを味わえるだろう。今からとても楽しみであり、そう思うと掃除も楽しい。
もう少ししたらかなり忙しくなるだろう。ワクワクしながら過ごしている時、会長に呼ばれた。話の内容は収入源の事だった。何でも会長自身はかなりの資産を持っていて株式をやっているらしい。それは昔からの仲間が投資グループを持っていて何かのきっかけを元に物凄い金額の投資をするそうだ。するとその株は瞬く間に何倍にもなるそうだ。そうなった所で売り抜いて手を引く。毎月この繰り返しで何億にもなっているそうだ。
ただこの話は表に出せないそうだ。当然税金もその分は払って無いそうなので、この話は二人だくの秘密という事を約束された。ちなみに竹内さんも知らないらしい。組織としては、工事現場への人材派遣やお年寄り宅での庭の手入れなどの仕事で会社としても十分成り立っているらしい。私には徐々にそういう話を覚えていって欲しいとの事だった。
私は最近会長と話をしていてふと思った。私は多分会長に父親の面影というか、父親の存在ってこういう事なんだろうと勝手に重ねて思っている。暴力が怖くて目を背けひたすら憎んで来た実際の父親だが、父親がそうじゃなくて優しく頼れる偉大な存在であったなら、間違いなくこんな感じなんだろう。会長との出会いというのは、お金にも困らなく私が体験出来ずにいた父親とのふれあいなど何もかもを叶えてくれる神様に会ったと言ってもおかしくないくらいの出来事だ。
屋台を出す季節がやって来た。私は会長のすぐそばでパックづめなどを手伝っている。いつ見ても鮮やかなヘラさばきは変わり無い。音とともに食欲をそそる香りは最高だ。来るお客さんも鉄板で焼かれるのを見ながら待つのが楽しみなんだろう。
夏祭りのピークが終わった頃店じまいの準備をしているとクーラーボックスの中に玉がいくつか残っているのを見つけた。玉が終わったので、店じまいと言っていたのにおかしいな?と思っていたら、なんと私は焼いてみろと言ってくれた。嬉しかったが、恐れ多いと思い手は出さなかった。全て見抜いていたのか会長は「売り物にはしない」とあくまでまかないでやってみろと再度私に言った。
隣でずっと見ていたので手順などは頭に入っている。あとは加減とタイミングだ。しかしいろいろ思い浮かべて考えるよりも、まずはやってみる事かもしれない。緊張しつつ自分なりに頑張ってみたが、全てのバランスの悪い焼きそばが出来た。会長は笑いながら見ていて一本口にして、硬さだけは丁度いいと褒めてくれた。ずっと隣で見ていたからといってもやはり簡単には出来ない。いろいろ失敗しながら体で覚えるまで繰り返しやるしかないのだろう。
夏子は向こうで元気にやっているのだろうか?祖父母に優しくよくしてもらっているのだろうか?私にも少し余裕がでてきたので今度手紙でも書いてみよう。離れてみたからだが、夏子に手紙を出すなんて初めてだ。電話でもいいのだろうけど手紙なら私の近況もしっかりと伝えられる。こんな世界に入ってしまったが、会長を始め若い衆に良くしてもらっている事を夏子にも知っておいてもらいたい。
冬の始まりになり庭の植木も葉っぱが散り、毎日ホウキで掃くようになった。池にも大量の落ち葉が貯まる。私は網で中の鯉を触らぬようにすくう。単純な作業だが真剣にやっていると季節が変わる神秘さを感じる。大げさかもしれないが、改めてそれに気が付いた。
最近は若い衆にもかなり打ち解けて来た。みんなは私の事を「英さん」もしくは「英雄さん」と呼んでくれ、私は竹内さんのことは「竹さん」と呼んでいる。会長と出掛ける時の運転手の村上さんの事は「一さん」と呼んでいる。一さんはたまに私が一人で出掛けたい時も運転手をしてくれている。ただ何処へ行くにもあの大きな高級車でドアを開け閉めしてくるので、だいたいの人がびっくりしている。始めは私も嫌だったけど最近は心地よい。後部座席を開けてもらって足を出して立ち上がる時は一番気持ちの良い瞬間だ。
夏子に手紙を書いてみた。今の私の近況と会長の考えてる将来の事やお金の話を夏子に分かるように書いてみた。あとは夏子がどうしているのか心配だというのを文章にしてみた。ただ私にお返事をくれるなら、差出人の住所は書かずに名前だけ書いて出して欲しいと付け加えておいた。何か問題が起きた時に間違って祖父母の家に迷惑を掛けてしまうのが嫌だからだ。多分夏子なら分かってくれるだろう。
私が手紙を出して一週間ほどして夏子から返事が来た。差出人は「725」と暗号のようだが、私にはすぐ夏子の語呂合わせだと分かった。返事が来て嬉しかったのだが、何かもったいない気もしてすぐに開封する気にはならなかった。内容からして私はどっかで返事は来ないかもと思っていたからだ。
端を丁寧にハサミで切り中身を出した。女の子らしい丸い文字で文が書いてあった。おじいちゃんおばあちゃんにとても良くしてもらっている事、新しい学校にも慣れて友達もたくさん出来た事、畑の隅に夏子用の花壇を作ってもらった事など終始全てがうまくいっているよという内容だった。私の近況についてはそういう世界の事は良く分からないけど、お兄ちゃんが決めた事だしお兄ちゃん自身が楽しいならそれでいいんじゃないという内容だった。私は何度も読み返してハッと思った。
夏子の言う通り今の私の生活はとても楽しい。思い出してみたが今までの私の生活の中でこんなに楽しかった事は無い。もともと人と接する機会があまり無かったし私もなんとなく避けて来ていた。父親の威圧的な態度や暴力のトラウマなのか?人と仲良くなったその先が不安になり人と深く関われないようになっていたのかもしれない。
そんな私が今はとても楽しい。もちろん周りの人が豹変して当時の父親のように変わって私に危害を加えてくるかも?という不安もある。でもそれ以上に若い衆達が私を御輿に担ぎ上げてくれている事に感謝と楽しさを感じている。
楽しく時を過ごしまた祭りの季節が近づいて来た。その間夏子と会うことは無かったが、手紙のやり取りは何度もした。正月に祖父母の家に行ってみようとも思ったのだが行く事は出来なかった。最近会長と別れた組の者が勢力拡大の為に会長達を狙っているという噂が絶えないからだ。会長達は「大丈夫だ」と言ってはいるが前より外出は明らかに少なくなった。
実際何の被害も今のところ無いのだが、何か理由が無ければ噂も出るはずが無い。多分私達の見えない知らない所で何かが動き出そうとしている。そんな気がしてならない。何故か最近私も組織の人間のような考えになって来た。それは会長の「争いからは不幸しか産まれない」という信念を重んじているからこそだと思う。多分責任感というものが出て来たのだと思う。
若い衆達も屋台の準備を始めてはいるがどこかやる気が無さそうだ。見ていて分かる。私は気持ちも分かるので刺激をしないように黙々と作業をした。どうしてだか私には怖さが無い。それは何故だか自分でも分からない。
準備は終わったものの出店するべきかは会議になった。あくまでも噂だが決して軽視出来ないだろう。というのが多数の意見だった。私もみんなの話を聞いて何かあってからでは遅いからやめるべきなのか?と思うようになった。全ての意見を聞きあとは会長の決定を待つだけとなった。
会議のあと私だけ会長に呼ばれた。例の株取引の相手の連絡先を教えてくれた。そして「俺に何かあったら、畳をめくってみろ。」という話だった。私はぼんやり聞いていたが、それなりの覚悟で会長は話してくれたのだろうか?でも瞳の奥は優しさでいっぱいの感じだった。これから先何が起こるか分からないが会長の瞳だけはせめてもの救いだと思った。
後日会長から発表があった。一つは例年の祭りの屋台は見送る事。もう一つは屋台は出すがホームレスの人のいる公園などお金を取らない場所で屋台を出す事。この二つの発表があった。毎年恒例の場所だと狙うにも狙いやすいだろうから、いい作戦だと思う。若い衆と私達はそれに向けて準備を始める事にした。
私は少し嬉しくなった。去年よりかなり状況は変わったけど、また会長の焼く焼きそばをすぐ側で見れて感じる事が出来る。それだけで嬉しい。もしあの時焼きそばの香りがしなかったら、会長があそこで焼いて無かったら絶対出逢う事は無かっただろう。もしかしたら会長の言う公園とは、あそこの公園なのだろうか?
私がお世話になりだして一年ちょっとだろうか?あっという間だった。最初は怖いし圧倒させられるばかりでただただ我慢と思っていたが、知らぬ間に打ち解けて楽しく過ごさせてもらっている。そんな事を考えながら屋台を出す日を待っていた。
その日が来た。会長と私と一さんの三人で行く事になった。看板は出さず焼きそばを焼いて来た人に無料で振る舞うというスタイルでやる事になった。時間も短くする事にした。場所はやはりあの公園だ。着くと一さんと私は手際良く屋台を組み立てた。その間会長が準備をしてあっという間に焼ける段取りが出来た。一さんと私は会長が焼き始めると同時にくまなく周りを見て警戒した。
もうあの香ばしいいい香りが辺り一面に漂っていった。ホームレスの人を始め周りの人が見に来はじめた。一さんと私は集まった人に数に限りはあるが無料だという事を伝えた。みんな大喜びして一斉に今か今かと会長の手元に目がいった。一さんと私は警戒しながらそのヘラさばきに見とれていた。会長の「焼けるぞ!」との号令とともに私達はパックや割りばしを用意し出した。
会長の周りの人の中にかなり積極的な奴がいた。対面方向ではなく明らかに並ぶように少しずつ近づいていた。これ以上入ってくるなと言おうとした瞬間その男の左手から光る物が見えた。一瞬の出来事だったが凄く長くコマ送りのようにも思えた。数名の叫び声で我に返ると会長は倒れうずくまっていた。
大量の血で地面は見る見る赤くなって行く。刺した男は何故か立ったまんまでいた。私は「救急車を呼んでくれ!」と叫び会長の側に行った。一さんは刺した男を殴り飛ばしていた。会長は声も出せず青白くなった顔に汗をかいていた。私は何も出来ず涙を流すだけだった。「会長!」と何度も叫んでみたが反応は無かった。
どのくらい時間がたったのだろう?救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
救急隊員が駆けつけてくれた時私は会長から離れてしまった。何も出来ない自分の無力さに絶望した。本当の父親のように私に接してくれて、可愛がってくれた。そんな会長が本当に大変な時に何も出来ず立ちすくんでしまった。担架に乗せられ救急車に運ばれ「付き添いを」と言われるまで立ったままでいた。
救命装置を付けられた会長を救急車の中でずっと見ていた。やがて病院に向かうため、動き出した。その間私は会長を見ながら初めての出逢いからついさっきまでの事をずっと頭の中で思い巡らしていた。この先もこの会長と後に思い出となる穏やかな日常を過ごしたいと心から祈った。やがて病院に付き私は待ち合い室で待たされた。
程なくして竹さんと数名の若い衆が物凄い勢いで飛んで来た。私の姿を見ると足を止め肩で息をしながら会長の容態を聞いて来た。私はありのままを伝えあとは祈るしか無いと伝えると数名の若い衆は椅子に崩れ落ちた。そこへ一さんと警察がやって来た。犯人は新入りのホームレスでチンピラ風の男達から、お金を渡させ「刺してこい」と言われて、言われた通りに会長を刺したらしい。そのチンピラ風の男達が何処の組織なのか?黒幕はだれなのか?分からないらしい。
竹さんと私は絶対狙っているという噂の相手だろうという事で一致したが証拠が無いと報復も出来ないだろう。それより今は会長が回復するのを待つのが優先だろう。ということでまとまった。若い衆達は仇を打ちたいと息巻いていたが、とりあえずなだめた。それが精一杯だった。
病院に着いてからどのくらいしてからだろうか?先生と看護士が私達の元にやって来て「最善を尽くしましたがお亡くなりになりました」とかすれた声で私達に告げた。その言葉を頭の中で何回も巡らせその言葉の意味を理解するまでにかなり時間がかかった。とりあえず何かしないとと思い椅子から立ち上がろうとしたが、腰が抜けたのか立てなくなった。
このままじゃいけないと思いながらも何も出来ずにいた。この先いろんな事をしなければいけないのにあまりにも落胆し過ぎて体が動かなくなってしまった。竹さんに何度も「しっかりして下さい!」と言われたがその都度返事だけして動けずにいた。竹さんも気丈に振る舞ってはいるが内心は私以上に落ち込んでいるだろう。私より会長との付き合いが長い分悲しみは私以上だろう。
私は力を振り絞り立ち上がりまずは竹さんと一緒に会長と対面する事にした。二人で見に行くとベッドに仰向けになり顔に白い布を掛けられた会長の姿があった。竹さんは感極まったのだろうか?口に手を当て呼吸困難気味になっていた。
私は会長に近づき白い布をめくってみた。穏やかな表情の会長は今にも何か話し出しそうだった。まだまだ聞きたいこと教えてもらいたい事は山ほどある。全てが途中だ。会長との物語はもう続く事は無いが、会長の思いや意志は私と竹さんが継いで守るしかない。さっきは体に力が入らずまったく動けずだったが、会長と対面して力が湧いて来た。会長もさぞかし無念で仕方ないだろうが、それ以上に私達が会長の思いを無駄にしないように努めなくてはならない。改めてそう誓った。
竹さんと火葬してもらったあとお寺はどうするか?という話になった。何でも会長は産まれてすぐ親に捨てられ施設で育ったらしい。苦労苦労に苦労を重ね器と度胸でここまでの地位になったらしい。門構えの立派な家も自分の努力で手に入れたらしい。でも、そういった話は本当は竹さんからじゃなくて会長本人から聞きたかった。急に寂しさが押し寄せて来たがきっと会長はいつか私に話そうと思っていたに違い無い。そう思うと余計に無念でならない。
私はふと母親の眠っているお寺を思い出した。そういえばあれっきりご無沙汰でいるし、会長の事も相談しにお坊さんに会いたくなった。竹さんに相談すると二つ返事で了解してくれた。後日竹さんとあのお坊さんのいるお寺へ一緒に行く事になった。
会長は検死のあと火葬された。私は母千夏の時と思いが重なった。小さな小窓から窯の炎を見ながら忙しさのあまり母親のお墓参りにも行けていない事を反省した。もし会長があのお寺に眠る事になれば、私の大切な人達が一場所に集まる。そう思うのは私に都合の良い話なのだろうか?なんとも不思議な感じがした。
豪邸に祭壇が飾られ遺影とともに骨壺に入った会長が並んでいると実感が湧いて来た。しかし不思議と悲しみは小さくなっていた。母親の死からそんなにたっていないからなのか?それとも私自身が成長したからなのか?理由は分からない。ただひとつ言える事は母親の時と違って、私の周りにはたくさんの仲間がいる事だ。それだけで安心出来る。人と関わるのを避けていた私を一番に見抜いてこんな環境を会長は与えてくれたのだろうか?
私はふと会長の言葉を思い出した。「何かあったら畳の下」という言葉の意味は何なんだろう?私はいつも会長がいた和室に入ってみた。竹さんを呼び事情を話した。竹さんも何の事か分からないと首を傾げていた。多分畳の下だから捲ってみればいいんじゃないかということで、二人で中央の畳を捲ってみた。すると板間の間に扉が見つかった。竹さんもこの扉の存在は知らなかったらしい。
鍵とかは無く普通に上に持ち上げる扉だ。「英さん開けて下さい」と竹さんに促され、私は恐る恐る扉を開けてみた。中は思ったより広くその中にボストンバックがいくつか入っていた。その中の一つを取ってみた。片手で引き上げるには少し重たい。何が入ったいるのか?目の前に置きチャックを開けてみた。
思わず声が出るかと思った。多分1億ぐらいあるのだろか?現金だった。ボストンバックはまだあと十二個ある。仮に1億が入ったバックなら全部で十三億円だ。しかも竹さんも知らないお金という事は税金も何も掛からない会長のポケットマネーだろう。私は事の重大さにまた立てなくなった。
しばらくバックの前で二人して正座していた。私は考えて竹さんに「このお金はうちの組織会社の為に使おう」と提案したが、竹さんは「これは会長も俺達には秘密で英さんだけに打ち明けたんだから、全部英さんがもらい使うべきです」と答えてきた。普通に考えれば凄く嬉しい事なのだが、貧乏に育った私は途方も無い額に圧倒されどうしたらいいか分からなくなってしまった。とりあえず元に戻し畳も戻した。
後日竹さんと私はあのお寺に行く事にした。一さんの運転で黒い高級車で向かった。途中花屋さんを見つけ車を止めてもらい私だけ店に入り墓前に供える花を見繕ってもらった。再び車に乗り、しばらくするとお寺に着いた。
駐車場に車を止めて車から降りると私は真っ先に母親のお墓へ向かった。お墓といっても墓石は無く墓標だ。私は花を供え線香を灯し供え両手を合わせてしばらく母親に謝った。ぜんぜん来る事が出来なかった事、お金はあるのに墓石も立ててやれなかった事。いろいろすまないと思い黙って手を合わせていた。竹さん一さんも私の母親という事で一緒に手を合わせてくれた。
私は会長がここで眠ってくれるなら、このお寺のお墓の中で一番大きくて立派な墓石を立てて、母親千夏のは二番目に立派な墓石を立てて償いしようと決心しお坊さんを訪ねた。本堂で声を掛けると返事がした。あのお坊さんの声だ。
私はお坊さんの顔を見ると「ご無沙汰しています。」と挨拶した。でも、お坊さんの顔は前とは違って険しくなっていた。竹さんと私は会長の事、今の私達の状況を説明してこちらに納骨させて欲しいとお願いした。私は二人分の墓石の事と母親の時に十分お布施を出来なかったが、今ならいくらでも出来るからと付け加えた。
するとお坊さんは少し渋い顔をして、「英雄君お金がたくさんあったら何が手に入る?」と聞いて来た。私は少しびっくりして戸惑いながらも「だいたいの物は買えるし、幸せになります。」と答えた。するとお坊さんは「じゃあ今日は何しに来たの?」とまた聞いて来たので「亡くなった会長のお墓をお願いしたい。」と答えた。お坊さんが何を言いたいのかさっぱり分からなかった。正直少し怖ささえ覚えた。お坊さんは少し間を置いて「英雄君達が来る所からずっと見ていた。」と話し出した。「黒塗りの高級車の後部から降りて来てさぞかし出世しただろうし、言葉の通りお金も相当もっているだろう。でもどんなにお金をもっていても亡くなった人は還らないんだよ。」と私に諭した。
私は聞いていて心が洗われた感じがした。私自身は特段間違ってはいないだろうけど、基本的な人の心、気持ちを何処でお金で買える物だと思っていたのかもしれない。小さい頃は貧乏で貧乏で凄く嫌だったけど親子三人それはそれで楽しかったはずだ。私は会長の無念な気持ちやそれまでの経歴などを知る限り全て話した。本当は隠そうという気持ちがあったのだが、悟られたのかもしれない。
話終わるとお坊さんはいつもの人懐っこい笑顔になった。どうやら私が会長の経歴などを隠し黙っているのであれば、ここにお墓を建てる事は断ったらしい。ただここにお墓があるために抗争などがあると困ると苦言は言っていた。費用に関しては母親の時の不足だった分も含め頂くとの話だった。
帰り際私はまた母親の墓前に行き手を合わせ辺りを見渡した。この緑いっぱいののどかな墓地に私の大切な人達が眠る。お坊さんが言ったようにお金があるから何もかも手に入るわけじゃない。むしろ失って行くもののほうが多いだろう。でも、私には何かつまずいた時に原点に帰れる場所が出来た。この墓地を緑を守る為にお坊さんが困った時は私に出来る精一杯の事をしよう。そう決心した。
無事会長の納骨も終わった。竹さんと私はこれからの事を真剣に考えてお互い協力しあって行く事で意見が一致した。まずは会長の意志のままに事業を拡大して行く事。犯罪に手を染めれば苦労せず短期間でお金は手に入る。でもそれは会長の意に反する。私達はもちろんの事、若い衆達にも改めて再認識させる必要もある。それは竹さんが引き受けてくれた。
あと会長が苦労して手に入れた豪邸を引き払う事を竹さんに相談した。竹さんは凄く驚いていた。私はあの豪邸を手放す事で会長以上に会長の気持ちが分かるような気がしてならない。というのも会長が小さい頃から苦労して手に入れたあの豪邸が会長の集大成でゴールだとするなら、私はそれ以上に苦労を重ね会長の意志を継ぐ者としてそれ以上の物を手に入れなくてはならない。
竹さんは私の気持ちを理解してくれた。その上で今まで以上に私のサポート役に徹してくれると約束してくれた。私達の会社には持ちビルがいくつかあった。そのうちのひとつメインストリートから少し離れて孤立気味の雑居ビルがある。五階建てだが、賃貸もしておらず廃ビルとなっている。私はそのビルをリフォームし新しい事務所にする事を決めた。
竹さんに誰かいい建築屋さんに心当たりないか?と聞いたところ何でもあの豪邸を作った人の息子さんが不動産関係の仕事をしているので誰か紹介してもらえるかもしれないと教えてくれた。豪邸を建てた大工さんの息子さんがグレていてどうしょもないと会長に相談した所、仕事を紹介したらしい。私はその息子さんに今回の工事を相談してみようと思った。
早速竹さんに電話してもらった所息子さんがこちらに来てくれる事になった。その日私達の家を訪ねて来た息子さんは自分の父親が建てた家をくまなく見て周り、感動し涙ぐんでいた。この家の中までじっくり見るのは初めてだそうで細部に至るまで良く見ていた。
私は会長が殺されてしまった事を話した。事件の時も実名は伏せてくれと頼んでいたので、事件そのものは知っていたけどまさか会長だったとは思っていなかったみたいで酷く落胆していた。私は会長の意志を継ぐ者としてこれからの展望と廃ビルのリフォームの話をした。秋山さんというその息子さんはぜひ任せて欲しいと言ってくれた。
少しずつ物事が前に進み出している。もし進まず立ち止まってしまうようであれば、きっと悲しみと絶望感で前すら見えなくなってしまうだろう。何かに夢中になっていればその時だけでも悲しまなくて済む。そう自分に言い聞かせてやってきたしこれからもやって行く。
二年が過ぎようとしている。私も二十歳を間近に幾らか貫禄がついてきているような、ついてきてないような中途半端な状態だ。廃ビルは綺麗にリフォームされ、一階は雀荘として結構賑わっている。仕事も順調だ。若い衆に加えて少年院や刑務所から帰って来た人達も積極的に受け入れている。主な仕事は掃除や庭の手入れ公園などの整備だ。たまに人手のいる大きな案件は私も積極的に出ていっている。
そんなある日大きなオフィスのワンフロアの清掃の仕事が入って来た。竹さんの紹介なのだがやはり昔の関係の引っ張りらしい。夜間早朝ではなく営業時間内でやって下さいとの事なので、私は仕事に入る前に先方の仕事の邪魔にならないように特に注意をと促した。
仕事現場はまだまだ綺麗なビルでそんなに手間を掛けなくても済みそうな事務所だった。私達は手分けをして順次作業にかかった。すると若い衆のうちの一人の藤井が誰かに話し掛けられた。話の内容から同級生らしいのだが、やんちゃをしてた藤井を良く思っていなかったのか、それともその人を虐めていたのか、かなり威圧的に藤井に当たっている。見かねた私は指示を出し、少し離れた場所にある窓の清掃をするように伝えた。藤井は「分かりました。」と返事をし足元にあった水の入ったバケツを持って移動しようと屈んだ時、その男がバケツを蹴りひっくり返した。
当然バケツから水がフロアに広がり始めた。「掃除屋が汚してどうするんだ!損害賠償を払え!」と藤井に迫った。私はじっと藤井を見ていた。手は拳になり震えていた。それを見た男は「殴れるんだったら殴ってみろよ。」とさらに挑発していた。藤井はじっと我慢したのか「申し訳ありませんでした。」と男に頭を下げた。私は藤井の肩を叩いて目配せした。
次はわたしの番だ。私は男に「代表をしています。損害賠償とはいくらぐらいお支払いすればよろしいですか?」と訪ねた。すると男は「百万円ぐらい払えよ!」と私に詰め寄った。私は自分のバックから男から見えるようにチャックを下げ、中にある札束の中からひとつを取り出した。帯の付いた札束を男の顔の前に出し、そのまま顔にぶつけた。びっくりした男が怯みその弾みで札束は飛び藤井がキャッチした。
私は「払ったのにいらないという事ですね。」と事務的対応をした。男は「ふざけるな!それよりも水を拭け!」となおも意気がっていた。ここで今まで静かにしていた竹さんが雑巾を手に取り男の後ろに回り背中を蹴飛ばした。男はその場に膝を付いた。ズボンは水で濡れている。その男の目の前に竹さんが雑巾と一枚の名刺を差し出し見せた。すると男の顔はだんだん青くなっていった。そして「拭くのはお前だ。」の一言で男は泣きながら床の水を吹き始めた。
私は竹さんの名刺が気になって仕方なかった。こっそり覗き込むと竹さんは笑顔で「実はこの会社の役員なんです。」と話した。ここの社長が後輩で会社を作るときに竹さんが出資したらしい。何年かかかったがやった軌道に乗り役員報酬を払いたいと言って来たので、報酬はいいから私達の会社で掃除をさせて欲しいと提案したらしい。
改めて「竹さんスゲー」と思い、また藤井にも良く我慢してくれたと感謝した。藤井はあそこで暴れても良かったけど英さんに迷惑は掛けられないと熱く話してくれた。私達は仕事をそこで切り上げて撤収する事にした。また改めて後日行う事にした。竹さんは例の男に「俺の一言でお前をクビに出来るが、次の清掃の時もお前はここにいて挨拶に来い。」と変な激励をしていた。
もうすぐ会長の三回忌だ。ここに来てまた悪い噂を聞くようになった。今度は私が狙われているというのだ。結局証拠は掴めなかったが会長を襲った奴らと同じ連中だろう。竹さんもその事を気にして必要無い外出は避けて下さいと何度も私に訴えている。
あの一件以来藤井は何かと私の側にいるようになった。歳も離れてなくて背格好もさほど差が無いので、兄弟のような感じだ。そんな藤井が最近何か隠し事をしているような感じだ。根拠は無いが、そんな気がしてならない。私は竹さんに藤井についての事を聞いてみた。
すると竹さんも言いにくそうに「実は」と切り出し、藤井の彼女の実家のお父さんが倒れ家業を継ぐか悩んでいると教えてくれた。昔からの組織としたら、辞めるというのは大変な事で藤井は私に言い出せないらしい。竹さんもどうしたらいいか困っていたらしい。私は竹さんに「今夜は三人で夕飯を食べよう」と提案した。そこで話題を出し解決すると竹さんに約束した。
夕飯時藤井は何かぎこちない。竹さんも額に汗ばかりかいている。見ていられないので私から話し出した。藤井に昔の組織ならば確かに抜けるのは大変な事だが、今は普通の株式会社なんだから辞めるなら辞めればいいと説明した。藤井は私の話を聞いたら、安心したのか笑顔になり箸を置いていろいろ話をしてくれた。青森のリンゴ農家らしい。それを素人の藤井が継ぐ気になった勇気を称えた。私は結婚のお祝いも盛大にやるからすぐにでも彼女に伝えてやれと話した。最後は藤井も涙ぐみながら何度も私にお礼を言っていた。
明日から準備をし、藤井は出て行く事になった。ただ藤井のたっての希望で会長の三回忌には私と一緒に手を合わせたいという事で三回忌が終わり次第退社する事となった。三回忌は悪い噂もある中だが不条理は出来ないだろうという事で多少不安は残るが予定通り行う事にした。派手じゃなく竹さんと私と主要メンバーだけでお寺に行く事とした。
当日を迎えた。私達は四人で行く事とした。一さんは運転をし普段なら後席に竹さんと私が乗るのだが、今回は私が母親用に豪華な花を買って行きたいという希望で助手席に乗ることになった。行く途中にある花屋さんの前で停めてもらい私は母親に供える花を買った。あれもこれもと選んだので凄い量になった。
抱えるのも大変なくらいの量の花を抱き店を出るとこの花持ちながら車に乗るのは大変だったのでトランクに入れようと思っていたら後ろの窓が開き藤井が「英さん俺が持ちますよ」と言ってくれた。
私は「助かるよ」と言いながら左手で花を抱え右手で車の後部座席を開け藤井が車から降り私から花を受け取り乗り込もうとした瞬間弾けるような音と私の顔に何か飛び散る液体がかかり次の瞬間藤井が倒れ花が宙に舞った。
私は何がどうしたのか理解出来ないでいると周りの通行人の叫び声でやっと我に帰った。藤井は撃たれたのだ。撃った男はすぐに走っていったが道を横切ろうと飛び出して行ったため、車に跳ねられていた。私は藤井を抱き抱え出血が止まらない背中を押さえるしか出来なかった。藤井が何か話そうとしている。私は自分の耳を近づけてみた。すると言葉になるかならないかの小さな声で「英さんありがとうございました。」と言った。それが藤井の最後だった。救急車が到着し駆け寄って来たが私はしばらく藤井を抱いたまま泣いていた。救急隊も力ずくで私から藤井を離そうとしたが、無意識に力が入ってしまい藤井を離せずにいた。
犯人を見に行った竹さんが戻って来たが言葉は無かった。多分だが心当たりのある人物なのだろう。私達は警察から話を聞かれ解放された。藤井の事は若い衆に任せ、竹さんと私は彼女が待っているであろう藤井のアパートへ向かった。アパートには彼女と彼女の母親が藤井の帰りを待っていた。私は黙っていても始まらないので先ほどの出来事を説明した。彼女さんとお母さんは割りと冷静に聞いてくれた。彼女さんは藤井が退社する時に報告しようという事で内緒にしていたが入籍を済ませたらしい。
それを聞いて私達は余計に悲しくなってしまった。でも何故か彼女いや奥さんは冷静だった。それが気になっていたが、奥さんが話を切り出した。藤井は私に誉められた事を喜び、誇りにしていたそうだ。竹さんが役員をやっている会社の清掃の時に男に凄まれたがやり返さず我慢していた事を私は褒め称えた。この事を喜んでいたそうだ。小さな頃から半端な事ばかりやってきたのでまともに誉められた事など無く、だからこそあの時誉められた事が嬉しかったようだ。奥さんは私のすぐ側で藤井が最後を迎えた事に何よりも藤井自身が喜んだんじゃないかと私に話したが、その時はやはり涙が頬を伝わっていた。私はこれから困った時はいつでも相談に乗る事とリンゴ園で人手が必要な時はいつでも若い衆を派遣する事を約束し、アパートを後にした。
車に乗り込み走り出して暫くすると竹さんが「これで藤井も喜びますかね?」と聞いてきたので私は「まだ足らないよ」と小さな声で答えた。すると竹さんは「そう…ですよね。そうですよね。」と二回続けた。後で分かることだが、この時竹さんは大きな決心をしていた。
私は日数がたっても何もする気が起きないでいた。母千夏から始まり会長、藤井と私にとって大切な人が次々に亡くなって行く。残る私には悲しみと絶望感しか残らない。残る者だからこんなに苦しいのか?いつかのお坊さんの話を思い出す。どんなに裕福でも人を生き返らす事は出来ない。そう思うと本当に無力だ。
部屋にこもり数日たったある日部屋のドアがノックされた。竹さんだった。部屋に入って来た竹さんの顔はまるで別人に見えた。「英さん退社させて下さい。」思いもよらぬ言葉に私はびっくりした。「どうして?」と言うのが精一杯だった。竹さんは「理由は聞かないで下さい。」という返事をしたが、何か特別な事情理由がある事は明らかに分かる。私は「理由を聞いてそれに納得出来なければ無理です。」と答えた。竹さんはそれを聞くと私を見つめながら「どうしても会長と藤井の仇を取りたいんです。」と力説した。私は「それと退社は関係無い。」と言うと竹さんは「俺がこの会社を辞めたあとなら何かあっても英さんに迷惑は掛からないですから。」と話した。
ここ数日私の頭の中を「敵討ち」と言葉がぐるぐるしていた。でもそれは相手もいずれは思う事であり悲しみの悪循環にしかならないのではないか? でもここで何も行動しないのは逃げ腰なんじゃないか?どうすれば他に犠牲を出さず争わないで済むのか?答えは出せない。竹さんの決心も無駄には出来ない。
私は竹さんに「一緒にやろう。」と話した。竹さんは首を横に振っていた。「英さんに何かあったら会長に怒られます。」と竹さんが言うので「竹さんに何かあったら俺は何も出来ない。竹さんだけが頼りなんだから、一緒に行くしかないだろ?」私がそう話すと「ありがとうございます。」と了解してくれた。
私は「今から十分したらまたここに来てくれ。」とお願いし竹さんを外に出した。その間に私にはやらなきゃならない事がある。夏子への手紙だ。会長の隠し資産に少し手を着けてしまったが、まだ十分に残っている。それはある銀行の貸金庫に預けてある。私に何かあった時はその全てを夏子に受け取って欲しい。その事を手紙にした。本当はしっかり顔を見ながら伝えなければならないのだが、きっと夏子の顔を見たら私の決心は揺らいでしまう。正直怖くてたまらないからだ。でももう私の大切な人を犠牲にするわけにはいかない。
時間がたったのだろうか?竹さんがノックしてきた。失礼しますと入って来た竹さんは茶色の紙包みを手にしていた。「英さんこれは御守りです。」と私に差し出した。私は紙包みを開いてみた。中身は拳銃だった。「竹さん…」と私が口にすると竹さんは笑いながら「昔の名残です。」と答え自分が着ているスーツの内ポケットから拳銃を取り出し「お揃いです。」と笑ってみせた。私は初めて拳銃を見たし初めて触るのでビクビクしていたが、竹さんが弾が入っている事の説明や簡単な使い方を教えてくれた。それを聞き私もスーツの内ポケットに入れた。御守りとして。いよいよ敵地へ乗り込む時が来た。足が震えていてぎこちない歩き方になっている。
竹さんの運転で私は助手席に乗り込んだ。いつもなら若い衆の見送りは「行ってらっしゃい」なのだが、もうみんな悟ったのだろうかこの時は「必ず帰ってきて下さい。」だった。それが余計に切なく感じた。私も心の底から必ず帰りたい。もしそれが駄目なら竹さんだけは必ず帰って欲しい。そう思いながら無言で車の中から流れる景色を見ていた。竹さんの表情はいつもと違って別人になっていた。私が見ても背筋が凍るような殺気を感じた。きっと竹さんは自分が死んでもいいから決着を付けるという強い覚悟なんだと思えた。そして到着した。
竹さんは相手の事務所の前に運転席側を寄せて横付けした。外で見張っていた若い兄ちゃんが運転席を覗き込み竹さんだと確認すると凄く動揺していた。「降りましょう」の竹さんの一言で私は車から降りた。二人いた見張りは一人になっていた。もう一人は上に報告に行ったのだろうか?竹さんは「兄弟に話があって来た。入るぞ。」と言い私を促して中へ二人で入った。竹さんはトップがいるであろう部屋にノックもせず思い切りドアを開け入っていった。続くように私も入っていった。
中には大きな机の大きな椅子に座り私達に背を向け外を見ている人が目に入った。私達が机に近づいて行くと椅子を回して私達のほうに顔を向けた男性がいた。その男は私を見ながら「大きくなったなぁ」としみじみ呟いた。「こいつ何を言ってるんだ?」と内心思いながら机の上にある木のネームプレートを見てみた。そこには[木下英一]と書かれていた。それを見た私は無意識に男に近づき内ポケットから御守りを取り出し男の額に銃口を当てた。
すると周りにいた若い衆が一斉に拳銃を取り出し私に向けた。すると木下英一は若い衆に「銃を納めろ!」と怒鳴った。続けて「命令だ!」と言うと若い衆達は拳銃を下ろした。その間私はずっと木下英一に銃を向けていた。
幼い頃からの恨み、会長や藤井への復讐。いろんな事が頭の中を交差していた。私達親子に暴力を振るい周りからも孤立するほど貧しかった幼少期。全てそね全ては目の前のこいつのせいだ。私が右手の人差し指に少し力を入れれば全て解決する。
私が心の中で葛藤する中、英一は不思議と笑顔でいた。私を見ながらずっと笑顔でいる。私はその顔を見ながら思った。父親がいればキャッチボールなども出来ただろう。普通の家庭にあって当たり前のものがどうしてうちにはなかったんだろう?この世から消えて欲しい人間が目の前にいるのになぜすぐ撃つ事が出来ないんだろう?
こんな奴でも撃ってしまえば私は殺人者になる。何十年と刑務所だ。そのリスクを背負う価値があるだろうか?夏子にも当然迷惑を掛ける。夏子の将来を潰してまで実行する価値があるのだろうか?私は無いと判断した。
私は黒い御守りをまた内ポケットに閉まった。それを確認すると英一は今まで以上に笑顔になった。そしてその笑顔のまま私の目を見つめていた。暫くすると頷き自分の机の中から拳銃を取り出しそれを撫でながら見つめていた。私はその拳銃をこっち向けるかと思い、自分の内ポケットに手を伸ばした。
英一は再び笑顔で私を見つめ「良く思い留まった。さすが俺の息子だ。」と言いながら、拳銃を自分のこめかみに向けセットした。私は英一の拳銃を持った手の人差し指をずっと見てみた。「英雄ありがとう。」と私に向かって話した直後英一の人差し指は僅かに動いた。その直後の記憶ははっきり言って曖昧だった。
まるで映画のシーンをスロー再生したかのように英一の血が私の頬に飛び散るまでは覚えている。そのあとは周りが騒ぎだし大きな声が飛び交う中、私の体を大きく揺さぶる竹さんに気付き我に帰った。「英さんしっかりして下さい。帰りましょう。」私は床に倒れ血を流している父親を見た。顔は見れなかったがきっとひどい顔だったろう。
私は帰りながら頬に飛び散った血を指で触ってみた。確かに赤い血だ。私と繋がりのある血だ。何故か全てを拭う気にはなれなかった。車の中も一言も喋る事は無かった。会社に着くと若い衆達が心配そう顔をしていた。挨拶をしてくれたが返す気にはなれなかった。「少し一人にして欲しい。」と竹さんにお願いすると、小さな声で「分かりました。」と返事が来た。
私は部屋に入り椅子に座るとまた頬に手を当てた。もう乾いてしまったのだろうか?血が付く事はなかった。私はさっきの事を思い出してみた。ずっと恨んで来た父親を目の前にしそれから僅かで亡くしてしまった。もちろん会長や藤井の無念を思うと到底許せない敵だが時間が経つにつれ父親だったという事実のほうが大きくなっている。そして何故自ら命を断ったのか不思議でならない。私はまた頬に手を当てた。
暫くすると竹さんが話があると入って来た。竹さんも相当落ち込んでいる。竹さんは自分自身と父親の関係を話してくれた。父親とは会長の元で兄弟として一緒に会長に仕えていたそうだ。父親が一の子分竹さんが二の子分だったらしい。しかし会長がまともな組織になると宣言したあと父親は自分を慕ってくれてる武道派の若い衆を連れて出て行ったらしい。竹さんは必死で父親に説得したが駄目だったらしい。だから今になって敵という立場になってしまったそうだ。ただ竹さんも父親がそんな事をする人じゃないという事を一番分かっているし自殺した理由もまったく見当が付かないと言っていた。何か特別な理由があるのか?今となっては分からないそうだ。
私も竹さんには父親の事を話した。私が幼い子供の頃の暴力暴言や母親に対しての態度。私は竹さんに話しながらふと思った。私自身の一番のトラウマ、我が家族の一番の恥を他人に話した事があったろうか?私は子供時代から浮いているのは多分このせいなんだろう。人と仲良くなり子供時代の事を話すとその周りの人の反応はどうなんだろ?私に対する見方が変わるんじゃないか?それが怖くて人から避けて来た。ただ今は命を掛けても互いを守りたいという強い絆の本当の仲間が出来た。だから竹さんには話す事が出来たのだろう。
私と竹さんは暫く父親の話で盛り上がっていた。すると若い衆が来客ですと教えに来た。通すように言うと一人の男性が入って来た。私は知らない顔だが竹さんは知ってる顔のようだ。その男は金子という名で以前ここで一緒にやっていた仲間らしい。
その金子という男は二つの手紙を渡しに来た。一つは組織の長としての英一が私達の会社に宛てた物。もう一つは父親としての英一が私に宛てた物だった。会社宛の手紙は竹さんにまず渡した。竹さんはかなりためらい最初に開ける事は出来ません!と手紙を開けようとしなかった。仕方ないので、私が封を切りそのまま竹さんに渡した。
竹さんは何故か恐る恐る手紙に目を通していた。一通り黙読したあと私に渡してくれたのだが、その時竹さんは涙ぐんでいた。私も手紙を受け取り読み始めたが、冒頭からびっくりする内容だった。自分の不甲斐なさトップに立つ器の無さを詫びる内容だった。会長が改革を訴えた時に武道派は絶対に「はい」とすぐに言わないだろうという意見から会長と自分が別れ少し距離を置き少しずつなだめてまた一緒になるために一回分裂という形を取ったものの結局まとめられなかったという内容だった。
私は金子に真意を聞いた。金子は英一の気持ちを分かっていたそうだが、一部の若い衆が暴挙化して暴走してしまったとの事だった。ちなみに会長と藤井を襲った奴の黒幕は既にこの世にはいないらしい。金子は亡き英一の意志を継ぎ私達と合流したいと言って来た。私にはこの金子という人間の事はいまいち分からないので、竹さんに全て任せる事にした。竹さんは私を含めみんなと協議して近日中に答えを出すと金子に話した。
私は父親としての英一から私宛ての手紙を読めずにいた。正確には封も切れずにいた。どうしてだかは自分でも分からない。恐いような勿体ないようなそんな気持ちでもて余していた。ただ英一が本当は裏切り者では無かった事に安心もしている。
私が敬愛する会長を奪い私を敬愛する藤井をも奪った首謀者だと思っていたのに心根は全然違う人だった。とすると本当の姿はどれが正解なのか?もしかしたらその答えが今目の前にある手紙の中にあるのか?そう思いながら手紙を見つめていた。結構時間も過ぎた。私は手紙を開けてみる事にした。
私は読みながら途中で泣いていた。そこにはひたすら謝る文面があったからだ。父親が目の前で拳銃で自殺するというのも衝撃過ぎたがこんな手紙を残した事に涙が出て来た。全ての責任を背負い反逆者を出さない為に、私にこれ以上迷惑危害が及ばぬように自らの命を差し出したという内容の手紙は私の宝物になる事だろう。そして一緒に入っていた鍵は私に何かを残したのだろうか?
もし父親が生きているうちにこういう事をしてくれたならもっと話は変わっていただろう。最後の父親の言葉「英雄ありがとう」と母親の「英雄ごめんね」は逆なんじゃないのか?残った私にどうしろというのだろうか?そう考えていたら少し笑顔になったのだろうか?丁度竹さんが部屋に入って来て「英さん、何か良いことあったんすか?」と聞いて来た。私は「何にもないよ。」と答えたけど何故か嬉しくて晴れやかな気持ちになっていた。
竹さんはみんなと協議した結果全てを私と竹さんに任せるという結果になったと報告に来た。どんな結果が出てもみんなは付いてくるとの話だ。私は竹さんに気持ちを聞くと竹さんは統合してみんなで同じ目標を持ち、それに向かって突き進みたいと話してくれた。私は会長はもちろん父親も同じ考えであったならそれを実行するべきだ。と竹さんに伝えた。意見はまとまった。
後日竹さんと私は父親側の事務所へ出掛けた。金子が待っていてくれた。私は全員が同じ気持ちでまとまった事を話した。金子は喜び涙ぐみながら「よろしくお願いします。」と私と両手で握手をした。正直どうなるのかと金子も不安だったようだ。
私は金子に父親の手紙の中に鍵が入っていた事を話、心当たりは無いか聞いてみた。金子はもしかしたら近くにあるレンタルのフリースペースじゃないかと話してくれた。場所を聞いたらすぐ近くで帰りによってみる事にした。あと金子は英一の遺骨をどうしたらいいのか?と私に聞いて来た。それには私が即答で「俺が引き取る」と宣言した。竹さんも「そのほうがいいですし、兄貴も喜びますよ。」と同調してくれた。
これから先は双方が常に連絡を取り合い早いうちに一つの会社にしようという事でまとまった。英一側の若い衆も異存は無いようでこの前訪れた時よりも大分景色も雰囲気も変わっていたのが印象的だった。帰り道で私は竹さんにレンタルスペースへ寄ってくれと頼んだ。
いくつかある中でどれか鍵が合うのがあるだろう。端から試して行き三つ目で鍵が開いた。中にはスーツケースがいくつかあった。私はその場では開けず持って帰る事にした。4つあるスーツケースをトランクと後部座席にそれぞれ二個ずつ積んだ。レンタルスペースの扉を閉めようとした時、隅のほうに何かがあるのが分かった。近寄って手を伸ばすと裏返しで置いてある額縁だった。表に向けて埃を払うとそこには集合写真が見えた。
あの豪邸の門の前で会長を中心にみんなで撮ったのだろう。会長の両脇には竹さんと英一が写っている。竹さんに見せると竹さんは懐かしさうに眺めていた。「英さん、これ頂けますか?」竹さんが私に物をねだるなんて初めてだろう。私は断る理由も無いので「差し上げますよ。」と手渡した。竹さんは凄く喜んでいた。分裂した時に一緒にやって来た証となる物は全て処分してしまったらしい。だから今になってこれが出て来た事、しかもそれを英一が持っていた事にひどく感動していた。
竹さんはきっと宝物にしてくれるだろう。嬉しそうにしている竹さんを見ているとこちらまで嬉しくなってくる。帰り道もいつもより近いような感じもした。会社に到着し私はスーツケースを降ろし自分の部屋に運んだ。鍵は掛かっていない。解除をするとすぐに開くみたいだ。一つ目のスーツケースを開けてみた。中身はお金だった。どのくらいあるだろうか?正直最近あまり気にしなくなってしまった。お金がたくさんあるのは非常に嬉しい事だけど、それを思うとお坊さんの話を思い出す。お金よりは竹さんを始め若い衆達の無事と健康。そう願うようになって来ている。
ただこのスーツケースの中の現金は私に何かあったら無条件で夏子をやれるお金なので後でゆっくり数えなくてはならない。最後のスーツケースだけ重さが違った。運んでいる時からこれだけ何故か軽いなと思っていたやつだ。開けてみると一冊のアルバムが入っていた。「これだけ?」と思いながら、ページをめくってみた。
そこには産まれたばかりの私であろう赤ん坊を真ん中に満面の笑顔の両親が写っていた。また今度は夏子だろうか?やはり産まれたばかりの赤ん坊と少し大きな子供と両脇に両親という写真だった。あとは私や夏子の少しずつ成長した記録の写真があった。これを見た限りでは何処にでもある普通の家庭の姿だ。私は見ていて矛盾を感じながら変な気持ちで見ていた。
英一がいなくなってからの写真も何故かあった。家でも見たこと無い写真だ。夏子が逆上がりが出来ないというので近くの公園の鉄棒で私が背中を押し上げながら練習している所。学校の帰り道しょんぼりした夏子を見掛けたので道端に咲いていた花を渡すとすぐに笑顔になり頭に差して上機嫌になった夏子と一緒に帰った所。私はこれを見ながら思った。もしかしたら英一は私達の前から居なくなったが実は分からなかっただけなのか?結構近くで私達を見ていてくれたのか?
そう思うと何故か切なくなって来た。この写真を見ながら英一は何を思っていたのだろう?何故私達の近くにいたなら名乗り出て来なかったのだろう?早い段階から自分が悪い事をしていたという自覚があったのだろうか?それにしても家族四人で写っている写真は何一つ曇りの無い笑顔の父親英一だ。それだけは紛れも無い事実である。私はこれらの写真を大切にしまっておく事にした。家族四人幸せだったという証であるからだ。
二つを一つにする合流の話は全て竹さんに任せる事にした。前から顔馴染みな人もたくさんいるだろから、私がでて行くより竹さんのほうが話が早い。これには竹さんも賛成してくれた。一つの案として竹さんが向こうの事務所に出向して代わりに金子をこちらに呼ぶという提案が竹さんから出された。
私は両方が上手く行くならそれでいいんじゃないかと受け入れ、その話を金子に伝える事にした。事務所も大きくしなければ駄目だという事も話し合った。会長と父親英一が思い描いた青写真が回り道をしたけれど形となるために動き出そうとしている。その為に今まで以上に頑張って行かなくてはならない。
それから三年が過ぎた。今ではすっかり大会社になった。事務所も街中のビルを丸々一棟買い会社事務所と若い衆の住まいと全部をそのビルで賄えるようにした。若い衆の派遣業に加え受刑者や少年院出の人も積極的に雇い警察とも凄く良好な関係を保てるようになった。会長や英一が望んだ物に近づいたかどうかは分からないけど自分なりに手応えは感じている。
この先の課題は身体障害者や知的障害者の方達いわゆる弱者の人達が安心安全で尚且つ健常者と大差無い賃金を貰えるような仕事を産み出さなくてはならない。仕事に対する姿勢が立派なら全ての人が平等にスタートを切り、そこから競って行く。これがわが社のモットーとなっている。みんながその精神で頑張ってくれるので業績はずっと右肩上がりだ。わが社の前進を知る人は最初は懸念するが、評判仕事ぶりを見てだいたいの方がリピーターになってくれる。
また夏子は華道の勉強をしているらしく先日大会で二位を取ったと写真を送ってきてくれた。その写真には華やかさは少ないものの一輪の花が個性を出し主張しているいかにも夏子らしい作品に仕上がっていた。花が好きな夏子らしく地味で控え目ながらしっかり存在感のある夏子そのままのような作品に私は本当に安心した。夏子はもう大丈夫だろう。あとはおじいちゃんおばあちゃんが無事で長生きしてくれたらそれだけで十分だ。
ある晩私はコンビニに買い物に出た。歩いて行ける距離なので歩いて行く事にした。歩道を歩いてコンビニに向かっていると前方に盲目の人だろうか?点字ブロックの上を杖を左右に振りながら歩いている人の姿が見えた。特に気にせず私も歩いていたら、縁石の切れている駐車場の入り口に点字ブロックをまたいで車を止める若い連中の姿が見えた。
ヤンキーだろうか?車高を落とした外車だ。そいつらは歩道を歩いていた若い女の子達をナンパするのに夢中だった。盲目の人は分からないだろう?私は小走りになり「おじさん!」と声を掛けた。私の目測が甘かったのだろうか?盲目の人は気にもせず前進している。私は猛ダッシュをしたが間に合わず私のすぐ先で車につまずきボンネットに頭をぶつけ倒れてしまった。
私はすぐ駆け寄り「おじさん大丈夫かい?」と声を掛けた。おじさんはかすれた声で「大丈夫です。」と答えたがすぐには立てなかった。私が心配そうにおじさんを見ていると、車に乗っていた若い奴が近寄ってきて「おっさん!車に傷付けてどうしてくれるんだよ!」と絡んで来た。おじさんは「すまん、すまん。」と謝ったが「修理代払え!百万円だ!」と吹っ掛けて来た。私は黙って聞いていたが、あまりにもなので点字ブロックの上に車を止めたからこうなった事を若い奴に教えた。
若い奴は「だから?」と返して来た。私は呆気に取られ話にならないと思い「おじさん行こう。送るよ。」とおじさんに立つように促した。すると若い奴が「待てや!」と殴りかかって来た。私は避ける事が出来ず殴られてしまった。すると何人かいた連中も仲間に入り私は一方的に殴る蹴るの暴行を受けてしまった。
暫くするとパトカーのサイレンが聞こえて来た。若い奴の一人が「ヤバイよ。どうする?」というのが聞こえて来たがリーダーらしき男は「大丈夫だよ。任せておけ!」と得意そうに話していたのが腑に落ちなかった。やがてパトカーが到着しお巡りさんが降りてくると「あの男が殴りかかって来たので怖くなって殴り返してしまったんです。」と説明していた。「それと俺の父親知ってるよね?あんたくらいの階級の奴ならすぐ左遷できるから。」と
何やら意味深な発言をしていた。お巡りさんも分かっているようで「分かりました。とりあえず向こうの人にも話を聞きますから。」と言い、私達の方に向かって来た。お巡りさんは私を見るなり「木下さんですか?」と大きい声で聞いて来た。私は小さく頷いた。すると「何があったんですか?」と聞いて来たので、まりのままを説明した。するとお巡りさんはなにやら高い方向を確認して防犯カメラを見つけると薄笑いを浮かべ「木下さん、ありがとうございます。」とお礼を言った。私は全然意味が分からなかった。
するとお巡りさんは一緒に連れて来た若い巡査に耳元で何かを話、私に暴行した若い三人組を「傷害の現行犯で逮捕する。」と時間を言いながらリーダーに手錠を掛けた。リーダーはかなり紅潮した顔で「俺の親父は県議だぞ!こんな事してただで済むと思うなよ!」と大きい声を上げていた。こんな街中で大きい声を出した結果が後で大変な事になる。
もう一台パトカーが来て若い奴らは連行されて行った。私はおじさんが出掛けて来た理由を聞いていた。奥さんが急に熱を出し水枕を作ろうと思ったが氷が足りないのでコンビニに買いに来たとの事だった。私はお巡りさんを呼び事情を話した。お巡りさんは「一応調書を作らなくてはなりません。」というので一端家に帰り改めて警察に来てもらう事にした。私は竹さんに電話をし事情を話すと「分かりました。すぐ行きます。」と答えてくれたので来るまで待つことにした。間もなく竹さんが来てくれた。竹さんにおじさんの事を頼み私はパトカーで警察に向かった。
警察の会議室に通され殴られた頬を冷やしていた。若い三人組は取り調べを受けていた。すると議員の秘書という男がやって来た。そして警察官に「車の修理代をチャラにする替わりに釈放して欲しい。」と言っていた。警察のひとが「それは出来ません。」と答えると「先生もかなりご立腹なのでどうなるか分かりませんよ。」と脅していた。私は聞かないふりをしていたが、警察官が「暴行されて怪我をされた方です。」と説明した。秘書は私に「修理代を払えないでしょ?だから転んで怪我をした事にして下さい。」と意味不明な事を言って来た。
私は財布から帯の付いた札束を二つ出し「これで間に合うか?」と秘書の前に出した。秘書は凄くびっくりして言葉を失っていた。ここで警察官が「木下総業の木下英雄さんです。」と私の事を紹介した。秘書はもう涙目になっていた。その場で先生らしき人に電話をしていた。話は難航していたが途中だろうに「もう結構です。」と電話を切っていた。
私は内心「大丈夫なのかよ?」と思っていたがこの後秘書から信じられない言葉が出た。秘書は警察の人に「捕まってるクソガキにもうお前の尻拭いは出来ないと伝えて下さい。」とお願いしていた。人間が変わっていた。どうしたのだろうか?秘書は私に「木下さん、本当に申し訳有りませんでした。」と頭を下げてくれた。私は「いいよ。あんたが悪いんじゃないから。」と答えたが秘書は頭を下げたまんまだった。
間もなくおじさんと竹さんがやって来た。私はおじさんに「奥さんどう?」と聞くと、首を立てに振ってくれた。私は安心した。秘書にこのおじさんの行動から全てを説明した。秘書は落胆しながらも聞いてくれた。やがて先生がやって来た。秘書を見つけるなり「お前は本当に役に立たない奴だ!」と罵っていた。秘書は「何言われても構わないが、最後は人の役に立ってやるよ!」と捨て台詞を吐いた。私は少しワクワクしながらこの先の展開を期待した。
秘書は自分の鞄の中から、クリアケースを取り出し「こいつの闇献金並びに数々の不正の証拠です。」と言って警察官に渡した。先生は目が血走って「何してんだ!よこせ!」と警察官から奪おうとしたが、宙に舞ったクリアケースは私がキャッチした。今度は私から奪おうと近寄ってくる先生の間に秘書が割り込み「あんたはもう終わりだよ。」と冷たく告げると先生はその場に崩れ落ちた。私は改めて警察の人にクリアケースを渡した。警察官は「ありがとうございます。良く中身を精査します。」と言って預り何処かへ行ってしまった。
私達はありのままを話したからそれを調書にしてくれと警察官に頼み帰る事にした。私は「おじさん送って行くよ。」とおじさんに話た。秘書は「お怪我大丈夫ですか?」と私に聞いて来てくれた。私は「何日かすれば治るだろう。」と言いながら自分の名刺を秘書に渡した。「選挙に出なよ。資金の心配は要らない。俺が全部出す。」と告げると私の前で「ありがとうございます。」と言いながらまた深々と頭を下げた。私は「みっともないぞ。」と笑いながら肩をポンポンと叩いた。玄関まで秘書は来てくれた。玄関には何故か記者がいた。以前取材を受けた記者だ。通りで議員の息子が連行されて行くのを見たらしい。以前私達の会社の悪い噂をそのまま記事にしようとし私に会いに来て手帳を見せて「これを記事にしようと思います。」と言ったので、「そちらが書くのは自由だろうけど我社で一生懸命仕事をしている人達から仕事を奪うような事があったら俺は許さない!それより手帳に書いてある事が真実か否か自分で調べてこい!」と大きい声を出した。数日後またやって来て書いてある事はほとんどでたらめでしたとわざわざ言いにやって来た記者だ。
自分で調べて来たまんまを記事にしてくれた。我社の前進の組織の事も隠さずだったが、それ以上の評判の良さを上手いこと表現してくれたので良い宣伝になった。
「木下さん、ご無沙汰してます。」と挨拶してくれたので「あの時はありがとう。」と私も素直に答えた。秘書が「記者の方ですよね?」と私に聞いたので、「そうだよ。」と答え前回のうちの会社の記者の事を説明した。秘書は「木下さんの味方の人なら大きいスクープをプレゼントします。」と言ったので、私と竹さんは帰る事にした。どんな記事になるかはとても楽しみだ。
おじさんを家まで送り帰りの車の中で私は竹さんに怒られた。「英さんはもはや一人じゃないんです。私達みんなの英さんなんですから、無茶しないで下さいね!」私は久しぶりにしょんぼりした。私の事が心配で言ってくれたのは十分分かるのだが、あの時やり返せなかった事への後悔もあって余計しょんぼりしてしまった。「竹さん、ごめん。」私が言うと竹さんは笑いながら「分かれば良いんですよ。」と言いまた笑っていた。
それから暫くは平穏な日々が続いた。季節は夏真っ盛りでこの時期になるとやはり会長の焼く焼きそばの事を思い出す。私と会長を引き合わせてくれた香りは今でも覚えている。もう我社では屋台を出す事は無くなった。きっと会長は焼きそばを焼き無料で振る舞う事で自分を落ち着かせていたのだと思う。組織の人達というのは端から見れば強い人達の集団に見えるが、本当は社会に馴染めない寂しがりやの集まりかも知れない。その現実と向き合う為に、困った人達に焼きそばを振る舞っていたのだと思う。
昔からの慣わしからすれば会長の決断は容易じゃなかったと思う。考えて考えて考え抜いた決断だったんじゃないかと思う。最近になってようやく少しは分かるような所まで来たのかなと思う。まだまだ会長や英一の理想には程遠いだろう。
夏子がまた手紙を送って来てくれた。ぜんぜん会っていないが元気なんだろう。若い衆から手紙の束を預りその中に夏子の書いてくれた物を見つけた時は飛び上がる程嬉しい。他の手紙や仕事なんて後回しにして今すぐにでも開けて読みたい。その気持ちを抑えるのが大変なくらい嬉しい。
仕事を切り上げ自分の部屋に行き真っ先に夏子の手紙を開けた。自分でもびっくりするくらい嬉しく急いでいたのか、使っていたナイフで左手の小指を切ってしまった。かなり深い傷になってしまい血は止まらないし痛い。せっかくの手紙に血が付いてしまった。ハンカチで傷の部分を押さえながら暫くじっとしていた。
血が止まった感じがしたので手紙の中身を見た。また写真が入っていた。今度の作品は周りがいろいろな色彩で飾られた花に目を奪われる出来映えとなっていた。きっと今の夏子は周りの人の優しさ協力に支えられ幸せな日々を過ごしているのだろう。手に取るように分かる。私はまとまった休みが取れたら会いに行くと返事を書いた。その日を楽しみに明日からも仕事を頑張れる。二人きりになってしまったが、やっぱり家族なんだと思う。
次の日私は小指に包帯を巻いて仕事に出た。竹さんはこの包帯を見て「英さん、ちょっと場所が悪いし目立ちませんか?」と言って来た。明らかに指を詰めようとしたみたいだと言うのだ。仕方ないので大きな絆創膏を貼りその上から皮の手袋をする事にした。蒸れて余計悪いような気もするが我慢する事にした。夕方辺りから夕立になるという天気予報だったので、昼間のうちにお墓参りに行きたいと竹さんに頼んだ。夏子の作品を両親に見て欲しかったからだ。竹さんは快諾してくれた。
藤井が亡くなった時の嫌な思いが頭を過ったが、例の花屋に寄って花を買った。藤井には本当に悪い事をした。あんな事が無かったら、今頃は立派に農園をやっていただろう。頑張り屋で愛想の良い若い衆だった。目を閉じれば今でも「英雄さん!」と私を呼びながらその辺から走って来そうだ。
お寺に着きまずは手袋を脱ぎポケットにしまいお坊さんにご無沙汰してすいませんと挨拶した。それから車に戻り花と線香を持ちお墓に向かった。竹さんには待っててもらう事にした。辺りは暗くなり始め雷雲がすぐ近くまで来ているようなどんよりとした空模様だ。
両親が眠る墓に線香を立て花を手向けた。私はゆっくりと手を合わせ夏子の活躍を報告した。華道の作品の写真も見せた。本当に花と生活しているんだなと実感出来るし幸せにやっているだろうし心配はいらないと両親に話した。帰ろうと振り返った時、雨も降りだしていないのに、フードまで被ったレインコートの若い男が立っていた。どっかで見たことあるかな?そう考えながら目を合わせると「お詫びを言いに来ました。」と私に向かって話し出した。
私が「お詫び?」と聞くと「元議員の息子です。」と答えた。やっと思いだした。あの後秘書の告白と度重なる汚職不正の数々で議員は逮捕され、記事により議員の職は失い家も破産してしまったと風の噂で聞いていた。私は息子の目を見たが少なくともお詫びに来た奴の目では無いのが分かった。私は「済んだことだし気にしないで。」と意識して優しく話した。息子は「すいません。」と言いながら近づいて来たが、左の太もも辺りに光る物をチラッと見た。私は「あれは何だろう?」と思っているうちに息子の顔はすぐ近くまで来ていた。と同時に左側の腹の辺りに痛みと熱さを感じた。
私は無意識に息子の右側の首の辺りを掴んだ。次第に立っていられなくなりより力を入れ首を引っ掻いた。息子の目を見ると狂気に満ちたように笑っていた。息子は笑いながら去って行った。私は腹の辺りにやっとの思いで手を持って行くとナイフが刺さっているのが確認出来た。その先に手を持って行き手いっぱいにべっとりと付いた自分の血を顔を下げ見ていた。
急にどしゃ降りの雨が降って来た。もう立っている事が出来ず、仰向けに倒れた。大粒の冷たい雨が思い切り顔にかかる、しかし腹は熱いままだ。私は倒れたままいろいろ考えていた。ここ数年は私の中で父親の存在が大きくなっていた。子は親を選べない。それなら世の中の親子はどうしているのだろう?誰もがみんな仲良く出来るはずが無い。どうしようもない最低な親だとしても、受け入れて理解して行くしか無い。
私にはそれが出来なかった。ただただ恨み憎むだけで関係を修復する機会や時間はたくさんあったはずなのに怠った。今になってそう思うのはやはり後悔なんだろう。もっと早くに気付き関係を修復出来ていれば、全ては変わっていただろう。「遅すぎた和解」それすら出来ないまま私の人生は終わってしまう。
また親も子を選べない。だとすれば両親から見て私はどうだっただろう?幸い両親よりは長生きする事は出来たが前進が組織である会社のトップに上り詰め正義を振りかざしてやっていたつもりだが、最後はしつけのなっていないお坊っちゃまに刺されて死ぬ。やはり失格だろう。今となってはどうしようもないが最低な子供となってしまった。
もし「あの世」というものがあるのなら向こうで両親、特に父親を探し出したい。生きているうちに果たせなかった和解をしたい。それから親孝行もしたい。呼んだ覚えが無いが「お父さん」と呼んでみたい。多分英一ははにかみながら返事をしてくれるだろう。そう思い浮かべると雨に打たれても何の感覚も無い私の顔の口元は少し緩んだ。
次の瞬間私の目の前は真っ白になった。
完




