第五話 ふたりのバディ
診療所では、慎重に調整が行われていた。
医学からは離れるかもしれないが、杏の仕事は重要だ。
自ら努力しない機械に、人間と同調するよう働きかける。
人間側がいくら万全であっても、道具の用意ができていなければハイテッカー本人に危険が及ぶ可能性があるのだ。
だから、非常時だからといって疎かにできる作業はなく、杏と月花は避難もせず集中していた。
「月花、十五番」
「十五番ね、はいこれ」
道具箱の中身をすぐに把握して、なにかが必要になればすぐ杏に渡す。
そうして杏は専用のオイルを注ぎ、すり減ったワイヤーを取り替え、わずかな歯車のズレを修正していった。
前に扱ったことがあるのか、あるいはこの継ぎ接ぎのうちのどれかのおかげか、杏がなにを必要とするかはすぐに把握できた。
そしていまは最後の仕上げとして、リンクに最も重要だという部分に取り掛かっていた。
人間が機械を直接動かすうえで、命令をうまく受理できなければ意味がない。
最重要事項は、無論そこになってくる。
ああでもないこうでもないと小言を吐きながら、時に工具を投げ捨て、時に壁を殴りつけていて、作業はかなり難航しているらしい。
「あぁもうくそったれ! 父さんなら一発だったってのに……!」
肩で息をする杏。
やっぱり焦っている。非常時であることも相まって、もっと鼓動がはやくなっている。
私は思い立ち、杏の背中をそっと抱いた。
肩で息をする彼女との距離がほとんどなくなって、お互いの鼓動と息遣いが感じられる。
「なにしてるんだよ、月花」
「大丈夫、杏ならできるよ。落ち着いて。私もついてるからさ」
杏の手に、そっと私の手を添える。
工程はあと少しだけ。彼女が落ち着いていられるように、手助けをする。
私と杏で、最後の1パーツをはめこんだ。
つながれた計器には予定されていた波形が現れ、杏が深いため息をつく。
「……あぁ、なんでこれでうまくいくかな。都合よすぎだろ」
「最後に愛は勝つ、だよ」
調整が終われば、幸のもとへと届けなければ。
杏は気が抜けたうえ、怪我していた脚がいまさら痛むのを思い出したらしい。立ち上がろうとして転びかけていた。
よって、届けるのを担当するのは私だ。
機械仕掛けの腕と鋼の脚を大事に抱え、私は全速力で駆け出した。
◇
純が怪獣を押し留めて十数分。それだけでも近隣の人々の避難は済み、あたりに人影はない。
あるとすれば、それは間に合ってくれた純の相棒だけだ。
誰もいなくなった街に砲撃の轟音が響く。
怪獣の背負う塔は頂上が爆発し、その戦力を失う。
姿を現したのは、もう一人のハイテッカー。
キャノンを装備した彼女は静かにこう言った。
「待たせたな」
「……んもう、待たせてくれちゃってさ」
砲撃で怯んだヤドカリを蹴って、純は幸と並んで構え直す。
身体は疲れていてもまだ動く。あと一撃くらいならたたき込めるだろう。
ここからは押し留める戦いではない。全力で潰しにいく戦いだ。
相手は狙いをハイテッカーたちに定めたらしく、巨大な鋏を振り回す。
ジェット噴射で飛び立ちそれらをくぐり抜け、幸は砲撃へ移る。
彼女の背中には弾薬の貯蔵を行えるパーツが装着されている。
次弾を取り出し、すでに自らの感覚と繋がっているキャノンへ押し込め、次なる攻撃へと移る。
「くっ……ふぅ、これだよ、こうじゃなくっちゃな」
調整後はじめての運用だけあり、彼女も気分がいいらしい。
鈍重なヤドカリの攻撃を難なくかわし、こちらからは弾で返す。
巨体を速度で撹乱しながら、右目のカメラアイを用いて的確に同じ場所へと砲弾を叩き込んでいく。
何度も狙われ、ヤドカリの頭部の装甲にヒビが入りはじめる。
こうなれば、先が欠けたブレードであっても突き通せる。
トドメは純の出番だ。
相手の注意が純に向く前に潜り込んで、突き立て、貫く。
「これで……終わりだ!」
眼が発光し、兵装が赤熱し、蒸気を噴き始める。
同時に刃へと駆け巡ったエネルギーは内部から怪獣を焼き焦がし、やがて絶命させるのだ。
甲殻に閉じ込められて行き場のない熱が凝縮され、泡を吹くヤドカリは膨張し、そこで純は怪獣から離れた。
最後におまけの砲撃が放たれ、それがきっかけとなって爆発を引き起こす。
まるで火山が噴火するように、すでに壊れていた宿の頂上から炎が吹き上がり、やがて全身が砕け、怪獣は脱力する。
堅牢な甲殻もこうなっては破片しか残らず、怪獣は見事に撃滅されたのだった。
「……しかし、よく押し留めたな、あんなデカブツ」
「ま、純さんだからね」
「相変わらず適当な……だが、お前らしい」
幸がこのとき、自分と純のことを、じゃれあう月花と杏に重ねていたとは。
となりで微笑む純は、知る由もない。
◇
隣町でまた怪獣が出たらしい。
その怪獣はもしかしたら蝶に対する増援のつもりで送られたのかもしれないが、いまはどうでもいい。
こちらへ向かってくる気配はないため、桑名お嬢様も避難せず、蝶も虫かごのなかでゆっくりくつろいでいた。
もともと飛ぶつもりのない虫だ、金属の籠に閉じ込められたとてあまり変わらない。
むしろ、桑名がときどき花を差し入れてくれ、回復の助けになっていた。
生命エネルギーを回収できるのはありがたいことだ。
「ではお嬢様、私はお父様のもとへ参ります」
「うん、じゃあまた夜ね」
隣町で怪獣が出ているというのに、この空間には焦りや危機感のたぐいがまったくない。
現世から隔離されたこの庭で、桑名は黙って読書を続けている。
ふと、桑名の整った顔立ちを眺めていると、思い出したことがあった。
自らがこちらの世界に来た使命である。
それを果たすためには、情報や捜索が必要になってくる。
ここでじっとして、ただ回復を待っているだけでは、向こうに戻ってもおこられるに決まっている。
蝶は自らの複眼を発光させて、桑名に向けてその力の一端を披露することとした。
「お嬢様。聴こえますか、お嬢様」
桑名がはっとしてあたりを見回す。
誰もいない。当然だ、発したのは人間ではない。
「ここです。アナタの目の前にいる、ワタシの声です」
「え……もしかして、キミなの?」
虫に話しかけられていると、やっと気づいてくれたようだ。
そうです、と蝶はうなずいてみせ、話しかけるのを続けた。
「ワタシは異世界からやってまいりました、魔法の蝶です」
「へぇ、まるでお父様のいたずらのような設定だね」
なにも嘘は言っていない。こっち側の力は桑名たちにとっては魔法も同然だし、こっちの世界は異世界になる。
しかし、からかわれていると思っているのか、桑名は楽しそうに乗ってきた。
「それで、魔法のちょうちょさんはボクに何の用かな?」
「桑名お嬢様はワタシの命の恩人です。どうか、魔法をアナタのために使いたい。
なんでも叶えましょう、友人でも、健康な身体でも」
桑名だって、この庭園の外へ出て、自分の脚で歩きたいという願望がどこかにあるはずだ。
そこにつけ込めばいい。願いを叶え、そうして心が満たされたのなら、すべては蝶の思う通りに進む。
だが、桑名はいじわるな目をして、こう言った。
「でしたら、魔法でご自分の羽を直したらどうでしょう? そんな狭いところに閉じこもっていなくとも、あなたは自由になれるのでしょう」
無邪気な微笑みを向けられる蝶。できることならやりたいが、自分の肉体を再建するにはエネルギーが足りていない。
どこかから調達したいから、こんな話を持ちかけているのだ。
「それをするためには、誰かの願いを叶えなければならないのです」
正しくは、願いを叶えられて満ち足りた者の生命を啜るのだが。
桑名はすこし考えこんだ。
それからなにかを思いついたのか、テーブルから新聞記事を手に取って、広げて見せてきた。
そこには指名手配犯の顔写真が映っている。
「だったら、この人達を捕まえてほしいな。きっとみんなが望んでるよ」
「……おや。桑名お嬢様自身の幸福ではないのですか?」
「ボクなんかはいいの。それより、人間にまで怯えてる誰かの心のほうが重要だもの」
人間の精神とやらは、一朝一夕でわかるものではないようだ。
蝶はしかたなく、その願いを叶えてやることにした。
「では捕まえてまいりますので、桑名お嬢様のお姿をお借りしても?」
蝶自身の能力が縛られてしまうため本当はやりたくないのだが、外で活動するにはそれしかない。
人間に擬態、つまり目の前の少女の姿を真似るのだ。
「はい、どうぞ」
まだ親のいたずらだと思っているのか、桑名は二つ返事で了解した。
蝶は複眼からの光を用い、虫かごの外に桑名そっくりの自分を作り上げ、その中に精神体となって入り込んでいく。
姿を借りられる、というのがこういうことだと思っていなかったのか、お嬢様は目を丸くし、それから輝かせた。
「すごい、すごいよ、本当に魔法使いだなんて! そうだ、名前、聞いてなかったよね」
「あ、いえ、名前などなくとも蝶で十分です」
「それじゃだーめ。そうだ、ボクに妹が産まれたらつけられる予定だった名前があるんだ、もらってくれる?」
一方的に話しかけられ、とにかく頷く。
すると、はしゃぐお嬢様によって先程の新聞の端にペンで丸くかわいらしく文字が書かれ、そして見せられた。
「飼古川稲葉。それがキミの名前!」
稲葉、いなば。脳内で反復する。
これなら名を求められたときでも安心だ。
蝶が変身した少女改め、稲葉は庭園を抜けて街へと繰り出す。
探し求めるのは、綺麗な景色でもお嬢様らしい衣装でもなく、罪を犯した人間だが。