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第十八話 あのひのメモリー

 第6ワームホールどころか、まだ一体の怪獣すら現れていないころのこと。

 私こと荒本月花は、家族同然の親しい四人と、箱矢診療所で手伝いをしながら暮らしていた。


 家主の箱矢匡(はこやたくみ)は医師であり、同時に機械技師としても高い技術を備えた人物だった。

 彼には一人娘と、その幼馴染と、自らの技術を教えるため引き取ったふたりの少女の面倒を見ながら、小さな診療所で研究を繰り返していたのだ。


 その少女たちのうち、一人娘は杏のことだ。

 幼馴染は私のことであり、そのころすでに両親の行方はわからなくて、杏とは一緒に暮らしていたはずだ。

 同時に、その妹分ともいえるふたり──アメリアとこはくとも、生活をともにしていた。

 年齢は杏と私よりすこし下である妹分たちのことは微笑ましくて、かわいがっていたことが思い出せる。


 そんな中訪れたのが、あの日だった。


 あの日は、レイナもこまちも遊びに来ていたかわりに、保護者である匡が仕事に呼ばれており、家にいる6人はすべて少女だった。

 話もはずみ、お菓子を広げ、楽しい時間を過ごしていた。


「それでさ、月花がまたレイナちゃんのことお姫様抱っこしちゃって!

 レイナってば、もう真っ赤っかでさー!」


「こっ、こまち!? そういうことは言わないでって言ってるでしょ!?」


「あぁ、言わなくても想像がつくからな」


 杏、レイナ、そしてこまちの三人組は相変わらず仲が良くて、笑顔や、照れ顔や、呆れ顔がいつもの日常を象徴するようにまぶしい。

 一方で私がこはくに絡まれているのを冷たい目で見るアメリアもいて、それもいつもと変わらない一日の一部だ。


「はぁ、こはくってばいつもいつもその女にくっついて、そんなに女たらしが好きみたいですわね」


「ん、アメ子だって人肌恋しいくせに。こないだなんて、寝ぼけてこはくの指吸ってたもん」


「なっ!? そ、そんなわけありませんわ、このわたくしに限って!」


「あはは、ふたりとも落ち着いて……」


 ほとんど年は変わらないのに、すっかり妹のように馴染んでいて、騒々しいけど楽しかった。

 こはくだけなら大人しいし、アメリアだけなら品行方正なのだが、ふたり揃うとどうもやかましくなってしまう。

 それだけ、お互いを大切に思っているのかもしれないが。


 でも、非日常はこっそりと私たちに忍び寄っていて。

 それに気がついたのは、ふとこまちがテレビを点けたとき、偶然ニュース番組がやっていたからだった。


 突然街中に現れた大穴。交差点が丸々ひとつ使えなくなり、安全のため警察が出動しているらしい。

 人々は何事かと集まり、先の見えないその穴は深淵の闇をたたえている。


「……これ、この近くなんじゃないかしら?」


 レイナが指さしたのは、テレビ画面の端の方。


 そこにあったものは見覚えがある看板で、個人経営の飲食店のものだ。お蕎麦が大変おいしい。

 月花たちもよく利用するお店であり、この六人で訪れたこともある。


 なぜなら、料理がおいしいだけでなく、ここから歩いて十分もかからない場所にあるからだ。


 思えば、上空からヘリコプターの音が何台分も聴こえてきている。

 そのうちのどれかが、この画面から聴こえてくるものと同じなんだろう。


「なんかご近所がテレビに映ってるとワクワクしちゃうよね」


「あぁ、それがこんな不気味なニュースじゃなきゃな」


 あのお店が映り込んでいたということはつまり、撮影されているのはすぐ近くの場所で間違いない。


 そこに大穴が空いた、という。

 原因もわからない深淵が身近な場所を侵略していると思うと、やはりよくない想像をしてしまう。


 だが、心の底では突如舞い込んできた非日常に興味がわいているらしく、私の視線は画面に釘付けになっていた。

 アメリアやこはくも同様で、テレビにこの上ないほど近寄って、ふたりで原因がなにか推測しようと話している。


 その光景はなんだか微笑ましくて、私はつい笑みをこぼした。


「……あれ? いま、なにか光らなかった?」


 すぐに私は微笑みをひっこめ、気づいたことをそのまま口に出すことになった。


 私が見たものは、小さな光が穴から這い出してきて、ふらふらとどこかへ放浪していく光景だ。

 それがなにかの自然現象なのか、それともただのビニールテープかなにかなのかはわからない。

 とにかく、私の視線を引きつけるなにかがあったように思う。


 しかし、同じく画面を注視していたはずのこはくとアメリアには見えていなかったのか、首をかしげられた。


「立ちくらみ? 月花お姉ちゃん、疲れてる?」


「ごみとか虫が映りこんだだけじゃありませんこと?」


「そんなことないと思うんだけどな……」


 まわりを見ると、杏たちもわからないといった表情でいて、中でもレイナは心底あの穴を恐れているのか青い顔だ。


 嫌な予感がするの、と弱々しく言う彼女の言葉は、残念ながら的中してしまうのだが。


「わっ、月花、見てあれ!」


 こまちが画面を指し、私だけでなく全員の視線が注がれた。


 大穴からなにかの腕らしきものが伸び、縁を掴むと、コンクリートにヒビを入れながらその巨体が這い上がって現れる。


 それは悪魔の容貌を持った怪物であり、映画で少しだけ見た事のある破壊の権化、即ち怪獣にそっくりだった。


「なに、あれ……ど、どう考えてもおかしいですわ、あんなのどうやって生きて、どうやって自重を」


「アメ子、おちついて。考えるより先にすることがある。

 それは、全力逃亡」


 こはくの言う通り、あれは逃げなければ全員踏み潰されてぺしゃんこにされてしまうに違いない、規格外のものだ。

 目の前の出来事が信じられなくとも、とにかく逃げる他に道はない。


「父さんのバイクならある。あたしは操作ならできるが、公道走ったら法律違反だな」


「そんなこと言ってられないよ、逃げなきゃ死んじゃうもん!」


「あぁわかってる、でもあんなの、サイドカーに詰め込んでも五人乗れるかどうかだぞ!?」


 吐き捨てながら、杏たちはもう動き出している。

 私もガレージまでいっしょになって駆けて行って、彼女たちの逃亡を手伝った。


 杏の後ろにこまち、サイドカーにレイナとアメリアとこはくをぎゅうぎゅうに詰め込む。

 これで五人。アメリアはこはくと抱き合うのに難色を示していたが、極限の状況でそんなことを言っていられないのもわかっていて、密着するのを受け入れてくれた。


 私は近くにあった自分の自転車に跨って、ヘルメットを被る。

 そこで、運転席の杏が声を荒らげ、私を引き止めた。


「……おい。お前、自分だけ人力とか、自惚れにも程があるだろうが」


「ううん、私は大丈夫だから。みんなはちゃんとエンジンで逃げてよね」


「待てよ、おいっ、死ぬ気か!?」


 杏だけじゃない。制止の声はみんなから届けられる。

 でも、自転車だったとしても、あの怪獣の注意をひけるくらいはできるかもしれない。

 あのときはそう考えていたし、死ぬのをどこか遠くに感じていたから、躊躇いもなく漕ぎ出せたんだろう。


 自分の背後で走り出すバイクの音を聴きながら、怪獣のほうへと向かっていく。

 隙間なく走ってゆく避難の車の流れに逆らって、人々にはお構い無しで建物を破壊しながら直進する怪獣の姿が大きくなっていくのを視界にみとめ、それでも私の脚は止まろうとしない。


 逃げていく人の波が途切れ、怪獣と人間のあいだにできたわずかな隙間に到着する。

 そこで私は怪獣の気を引くべく、自転車のベルを鳴らしてみたり、石を投げつけてみたり、声を張り上げたりした。


 そんな些細なことは気にしないと、怪獣は変わらず杏たちが逃げていった方向を目指していく。

 目下の自動車たちが動くのにつられているのか、同じ歩調で、なにかを探し回るようにうろついている。


 街は燃えていた。怪獣が叩き壊し、誰かの涙も、きっとこぼれていた。

 それが許せなくなって、私はまた自転車を漕ぎ、もっと怪獣に近づいていく。

  自転車程度の体当たりでは傷一つつけられないが、うっとおしく感じているのか、相手の注意はこっちに向きつつある。


 何度もそれを繰り返していると、怪獣はやがて爪を振りかざすようになった。


 それでいい。こっちを狙ってくれれば、私の狙い通りだ。

 こいつの進む道をずらして、せめて友達が逃げ延びる時間だけでも稼げれば。


「……あ」


 そう、うまくいかせてはもらえなかった。

 何度も体当たりをしたせいで自転車の前輪は歪んでしまっていて、小さな瓦礫ひとつを越えることもできなくなっていた。

 私は転んで、慌てて自転車を乗り捨てて、もう遅かった。


 身体が持っていかれて、つながっていたはずの感覚がどこかへ行って、痛みを通り越したものが頭を襲って、思考は崩壊する。

 絶叫する間もなく地面に叩きつけられて、瓦礫と同じになった視点からあまりに巨大な怪獣の爪を見る。


 爪は赤く濡れていた。

 さらには、引きちぎられた右腕と、下半身だけの身体が転がっていて、それが私であると認識せざるを得なかった。


 腹の損傷もきっとひどいだろう。お腹の中身がいくつか持っていかれていると、なんとなくわかる。

 私に残っているのは、胸から上と、左の腕だけなんだろう。

 きっと無様に転がっていることだと、無いお腹で笑うしかなかった。


 意識は薄れていき、身体はもう命を維持することもできなくなりつつある。

 あぁ、私はここで死ぬんだろうな、と諦めが脳裏に浮かび、私はそれを何度も振り払う。

 代わりに思い浮かべるのは、杏たちが無事であるように、という祈りだ。


 そうして、終わりが目の前まで迫っていたそのとき。

 訪れたのが、あのふらつく光だった。


 ◇


 思い出した。

 あの時、私はたしかに死んでいた。


 だが、あの光が右目から入り込んで、目が使えなくなるかわりに生き延びた。

 少女たちの身体を譲り受けて、二年ほどのあいだ眠り続けて、記憶をどこかへ落としながら、こうしてまた目覚めたのだ。


 レイナたちが心配してくれていたのも、こんなことがあったからで、私がこういうことをする人間だと知ってしまっていたからだったんだろう。


 意識が現在に帰ってきて、私はあたりを見回した。

 記憶の中の彼女より成長して、眼帯をつけているこはく。

 杏もレイナもどこか疲れた表情で、こまちはもうどこにもいない。


 そして、私の身体の奥底には、あの時に見た光が宿っている。


「ん、おかえり。これで、前には進めそう?」


 私は頷いた。

 過去を取り戻して、私は「荒本月花になった」のだから、きっと全力で漕ぎ出せるはずだ。


「話すね。あのとき、みんなと別れてからなにがあったのか」


 杏とレイナに話すことで、私自身もあの記憶と向き合えるだろう。

 ふたりの不安げな目を見て、私は装置から立ち上がった。

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