第十六話 かくせいムーンフラワー
こまちが帰っていったのを引き止めることもできず、私は自宅へと帰ってきていた。
そのあいだに怪獣が現れていたとも知らず、大慌ての杏にテレビを見せられてはじめて知ることになる。
ヘリコプターから撮影されているニュースの生中継で報道されているのは、もちろん怪獣出現だ。
怪獣は植物でできた大型肉食恐竜のような姿をしていた。
さまざまな植物がからみあい、薔薇や百合の花が咲き乱れ、さまざまな食虫植物の捕虫器が備わっている。
今度の怪獣も、先日の人形メイドと同じ地点から現れているという。
つまり、そこに稲葉がいるという可能性も十分にあるだろう。
なによりも、いまはハイテッカーが足りていない。純はすでに散ってしまい、幸は療養中だ。
怪我をしている彼女だけで戦えば、彼女も後を追うことになりかねない。
さらに、先の人形メイドにより、怪獣拘束システムは破壊されてしまったはずだ。
状況は最悪だった。
最悪だとすでに感じているのに、悪い知らせはまだ飛び込んでくる。
杏が怪獣の足元に広がる風景を見て、呟いたのだ。
「あれって確か、やたらとでかい庭園のついた家があるとこだよな。
ってことは、あのすぐ近くじゃねぇか、こまちの家」
こまちは複雑な気持ちを抱えたまま、帰路についていた。
まっすぐ帰っていたとしたら、怪獣のすぐ近くに彼女がいることになる。
私は深く考えるより先に、自分の端末からこまちへと電話をかけた。
すぐに繋がって彼女の声がして、私は安心しかけるが、荒い息と足音からは彼女が逃げ惑っていることがわかってしまう。
「こまち、大丈夫!?」
「いまのところは無事だよ、でも、あいつ、こっちに来てる」
電話越しにこまちのものではない甲高い悲鳴が聴こえる。あわててテレビ画面を振り返ると、怪獣は歩き回り、手当り次第に人間を捕食しようとしている。
舌の代わりとして伸びてくる粘液まみれの毛氈苔がからみつき、逃れられない女性が恐怖を顔に浮かべながら怪獣の口の奥へと消えていく。
その様を見てしまったのか、こまちの呼吸はもっと荒くなって、走るペースを早めようとしている。
しかし、少女の体力にも限界があるし、対する怪獣の体躯は少女の何十倍もあるのだ。
一歩一歩はゆっくりでも、確実に距離を詰められてしまっているのだろう。
「……決めた。私、こまちのところに行く」
「はぁ!? 何言ってるんだよ、お前が言ったところでどうにかなるわけないし、まず間に合わないだろ!?」
「でも……もう祈るしかないのは嫌なんだ」
私は杏の目を見つめる。これで本気だとわかってもらえるはずだ。
今までは純と幸ばかりが戦って、純が死んだ時もただ安全圏で見守っているしかできなかった。
それじゃあ駄目だ。こまちが、大切な友達が、誰かの助けを必要としているのに。
杏は頭を掻き、ああもう、と叫びながら私の手をとり、どこかへ連れていこうとし始めた。
目的地は彼女の部屋で、そこには調整中と思われるハイテッカーのパーツがいくつかあり、中には純たちが使っているような背負って使用するブースターがある。
「この部分が操縦桿になってるから、絶対離すなよ。こまちごと地面に叩きつけられて挽肉になっちまうからな。
それと、運転免許証求められたら全力で逃げろ。警察よりこいつのが早い」
「杏……!」
「いいから行け、助けたいんだろ!?」
窓が開け放たれて、私は迷いなくその装置を背負った。
肩にずしりと機械の重みが感じられる。
呼吸を整え、操縦桿を握り、スイッチを押す。ブースターから炎が噴出し、散らばっていた工具や本を吹き飛ばしながら私は宙に浮き上がる。
「待っててね、こまち!」
杏が見守る中、ロケットスタートで外へ飛び出した。
風の心地良さを感じる余裕はなく、建物の上を高速で通過していく。
私を見た人々がその轟音を何と捉えているのだろうか、私には知る由もない。
本来はハイテッカーのための装置だ。
訓練も受けていないただの人間が扱いきれるほど、初心者向けにはできていない。
だが、月花は違った。
彼女が普通ではないのは、アメリアをはじめとしたたくさんの少女の身体が彼女を構成していることだ。
そのうちのどこかの記憶は、機械への同調を促し、私が空を駆けることを助けてくれる。
怪獣の姿が見えるようになるまでは一瞬だった。
奴は相変わらずなにかを追い回していて、そのうちにはこまちの姿はない。
あたりを見回すと、瓦礫の影に隠れて辛うじて狙いから外れている彼女を見つけることができ、私は一直線にそちらへと向かった。
「迎えに来たよ、こまち!」
「月花……!? そ、それ、純さんたちのじゃ」
「細かいお話は後だよ、捕まって!」
純がハイテッカーの本拠地へと連れて行ってくれたあの時みたいに、こまちを抱きかかえて飛翔する。
巻き起こる風は、瓦礫を巻き上げていく。
頭部に当たる細やかな邪魔者どもを認識し、怪獣は私たちのほうを振り向いた。
もちろん、爆音を響かせ飛び回る私たちは怪獣にとっては目障りで、その標的となる。
植物の尾と舌が伸びて、私を捕まえようとしてきた。
回避のやり方もなんとか分かる。スレスレだし、身体に重力の負荷がかかって吐きそうになるけれど、なんとか耐え抜いた。
回転し、急旋回し、降下しては上昇する。
何度かそれを繰り返して、自分以外の重量がある中の飛行は難しいことは直感で理解せざるを得なかった。
そのうえ無理な動きが多すぎる。私はなんとかまだ動き回れそうだが、こまちはすでに吐瀉物が口元までせり上がっていて、涙目になってしまっている。
さらにあの怪獣はしつこく、これでは怪獣を誘導しているのとなにも変わっていない。
こまちをどこかに下ろせばそちらが襲われる危険性があり、怪獣の動きを止めないことにはどこかに降りることも許されないだろう。
どうにかして相手の動きを止める方法、と考え、私はふとあることを思い出した。
誘導といえば、純も人形メイド相手に同じことをしていたではないか。
「そこの飛んでる一般人、お聞きなさい!」
街角の防災スピーカーから聞こえてきたのはアメリアの声だ。
私は怪獣から伸びる蔓をぎりぎりで避けながら、次の言葉を待った。
「あと百メートル怪獣を引きつけること! こっちだって全力を尽くしますわ!」
私に必死でしがみついて耐えているこまちに、心の中でごめんねと謝りながら、再び先へと進み始める。
すでに機械は起動していて、あとは誘い込むだけだ。
怪獣はただ走って突っ込んできて、このままのルートなら滞りなく拘束できるはず。
数百メートル先へと飛行して、私は振り返り、瓦礫だらけの街中に響くアメリアの声を聞いた。
「怪獣拘束システム起動……エラー!? なっ、なにがどうなって……!?」
「お嬢様の邪魔をするのはやめていただけませんか、アナタ方」
どうしてか、その声はとても鮮明に聴こえた。
スピーカーからの音、緊急サイレンの音、そして風の音よりもはっきりと。
それは飼古川稲葉の声であり、声の主は装置のうちひとつの傍らに立っていた。
同時になぜ拘束システムが起動しないかもわかってしまう。周囲にある機械はすべて、稲葉によって破壊されてしまっていたのだと。
怪獣は容赦なく舌を伸ばし、私よりもこまちを絡めとっていく。
溶解液が衣服にも皮膚にも作用して、どれだけしがみついていても離れてしまう。
助けたかったはずの友達が、遠ざかっていく。
私は手を伸ばした。
彼女も手を伸ばした。
でも、それだけでは、足りなかったのだ。
「い、いやっ、いやぁっ! あつい、あつい、死んじゃうよ……やだ、助けて、月花、月花ぁ!」
悲痛な叫びが、私の耳を劈く。鼓膜に突き刺さり、消えない傷になって何度も頭の中に響いてくる。
絡め取られた少女は怪獣の口腔におさめられるべく運ばれていく。
必死でそれを追うけれど、相手はうるさい蝿を手で払うように蔓を伸ばし、私は吹き飛ばされてしまった。
叩きつけられたビルの屋上で、自分の身体に走る痛みなどには気づかずに、こまちの姿を追っていた。
飲み込まれていく少女は恐怖と絶望に染め上げられて、闇の中へと消えていく。
「やだやだ、私、食べられたくない、溶けたくなんかないッ! 助けてよ、誰か、あんず、レイナ、純さん、ねぇ、ねぇ!
……お願いだから……誰か……」
彼女は目の前から消えた。
怪獣が口を閉じて、喉をごくりと鳴らして、次の獲物を探し始める。
悲鳴はもう聞こえてこないはずだ。
それなのに、私の頭の中にはずっと染みついて離れない。
こまちの助けを求める声が、どうしても離れない。
あぁ、これもきっと、私に力がないせいなのだろう。
杏とアメリアの力を借りたのに、私はけっきょく祈るだけしかできない、なんにもないただの女の子なのだ。
純のように戦う力が、私にもあればよかったのに。
そう願った時、私のなかのなにかが声をあげた気がした。
「あなたがその気なら、あなたを壊してでもそうさせてあげましょう」
まったく記憶にないはずの声は、私の頭から身体を駆け巡り、違った記憶を引き出した。
それはあの日の夢だ。
杏の診療所で目が覚めた直前に見ていた、自分が怪獣になっている夢。
その記憶は少女の身体に変革をもたらすものだった。
アンバランスな四肢はより強固に、柔肌は黒き鱗に、身体はビルよりも大きく、そして強靭な尾を備え、腹の底から怒りの業火を放つ。
降り立つのは、少女の姿をした怪獣だ。
私は咆哮をあげた。空気を震わせ、敵を振り向かせ、現実を覆すための、反逆の声だ。
敵が動き出すより先に踏み込んだ。コンクリートが割れ、瓦礫が巻き上がり、そのころには植物怪獣に迫っている。
最初の一撃は、恐竜の頭部に当たり、その首から先の植物をすべてちぎり飛ばした。
不意をつかれ首を失った敵は、なんとか他の部位から植物を伸ばして再構成を試みるが、そんな暇は与えない。
元に戻ろうとする断面に爪を立て、込み上げる炎を吐いて、蔓を焼き潰す。
植物ゆえに、引火すれば脆い。
胴体に腕をねじ込んで、腹を開かせる。そこに彼女がいるはずだ。
怪獣の身体は壊れていき、腹から消化液がどろどろと漏れだし、その流れに混じって人骨と肉の溶け残りがいくつか出ていった。
そこにこまちがいて、私は彼女を消化液からすくい上げ、手のひらに乗せる。
彼女はすでに半身を溶かされなくしており、右目は潰れ、やぶれたお腹からは人体に必要不可欠なものたちが顔をみせていた。
「月花、なの……?」
助けに来たよ、と喋ろうとして、この身体では人の言葉が出ないことに気がつき、代わりに頷いた。
それが、こまちの生きているうちにできた最後のことになった。
私の手の上で友達は力尽き、二度と目覚めることはなくなってしまったのだ。
残ったのは、遺骸と復讐だ。
こまちをそっと置いてやると、私は振り返って、胴体だけでも元の形になろうとする敵を見た。
こいつのせいだ。
こいつが現れなければ、彼女を元気づけて、また心から笑わせてあげられたかもしれないのに。
感情を剥き出しにした咆哮とともに、私は攻撃を開始した。
飛びかかって、壊れるまで引き裂いて、燃やして、焼き尽くす。
相手が次の標的を探す隙なんて与えない。動かなくなるまで、消えてなくなるまで、爪を、尾を、炎を振るう。
やがて気がつけば、あたりには燃え崩れた植物の灰と、瓦礫と、人間の残骸しか残っていない。
助けられなかった。
戦いを終えた私に襲ってくるのは、ひどい喪失感と後悔と、凄まじい激痛だ。
私はそれらに呑まれながら、巨大な身体が元の少女に戻っていくのを感じ、そして抗いがたい眠気の中で意識を手放した。