第十三話 きんいろフルムーン
刃物まみれの怪獣が現れた翌日、新聞の見出しには「殺人犯が怪獣災害にて死亡」というものがあった。
それを見て、私こと月花はふと昨日のことを思い出した。
稲葉は、四条少年を助けにいく必要がないと言っていた。
彼女は怪獣によって犯人はすでに死んでいると伝えたかったのかもしれない。
稲葉がしたかったこととは、四条少年をあの男から守るということではないのか。
そう思えてならない。
そしてもうひとつ。私の脳裏には、血を流しながら戦うふたりのハイテッカーの姿もまたよみがえってくる。
私に稲葉の考えていることがわからないように、純のことも幸のこともわからない。
彼女たちが味わった痛みを体感したわけではないし、戦う最中での心の内などもってのほかだ。
だったらせめて、私からなにかできないだろうか。
そんな考えで、私はふたりのもとへお見舞いに行くと決めた。
同居人である杏も誘ったが、彼女はなぜかアメリアと会うのを嫌がり、ついてきてはくれなかった。
代わりに誘ったのはこまちだ。
レイナに連絡しても「わたしを連れてまで他の女のところだなんて……」という反応をされて、なぜか拗ねられてしまったので、連日になるがついてきてもらうことにしたのだ。
というわけで、私とこまちはハイテッカーの本拠地まで赴き、アメリアの案内を受けて幸のベッドまで通してもらった。
たった一日で幸の包帯が取れている、なんてこともなく、彼女は寝かされているままだ。
私たちがたずねてきたのに気がつくと、幸は起き上がろうとし、同時に腕の痛みに眉をひそめた。
「ちょっ、無理しちゃ駄目ですって!」
「構うな、今のは忘れてただけだ。それはいい、ふたりは見舞いか?」
私は頷き、こまちの方に視線をやる。
彼女は憧れの人に会っても興奮をみせず、ずっと暗い顔をしているままだった。
なんとか元気づけてあげたかったが、それより先に彼女の口から幸への質問が投げかけられた。
「……あの。幸さんって、どうして戦ってるんですか?」
自分の身体を機械にして、残った生身の自分を傷つけてまで戦う理由。
私だって、ハイテッカーたちが身体を張れるわけはよく知らないし、気になるところだ。
純は罪滅ぼしのためだと言っていたけれど、幸だってなにかを感じているはず。
その返答を待っていると、幸はため息ひとつのあと、話し始めた。
「私はな。純に助けられてハイテッカーになったんだ。
あいつは誰に願われたわけでもないのに戦って、押し付けられたイメージに潰されかけてて。
私は、そんな息苦しそうなあいつを見て、こいつと生きよう、って思ってしまったってわけだ」
幸から見た純は、誰かのためですらないのに飄々と振舞って、人知れず追い詰められていく人間だった。
死にたくないからお金を積んでハイテッカーになったくせに、他人を死なせないことに縛られてしまった女の子だった。
「……だから、私の隣はあいつじゃないといけないし。
あいつの隣には、誰かがいなくちゃいけないんだ」
戦友や同僚なんて言葉では、ふたりの関係を言い表すことはできないだろう。
恋人か。夫婦か。いや、人生をともにしていても、ふたりはそうじゃない。
まるで、お互いに依存しあっているような。
◇
飼古川家には、ハイテッカーからの捜査協力を願う文書が送られてきたが、メイドのメアはこれを拒否した。
当然だ。稲葉と名乗る少女を突き出したら、メアの願いは遠のいてしまう。
それも、はるか遠くへ。
メアは桑名お嬢様と同い年で、一緒に育ってきた幼馴染みでもある。
本当は産まれるはずだった桑名の妹の代わりとして引き取られ、彼女の世話をするために育てられたのだ。
この十六年以上ものあいだずっと、脚を動かせないでいる彼女にも幸せになってほしいと思っていた。
いつか、自らの脚で好きな場所へ行って、あのきれいな笑顔を振りまく桑名が見たい。
ずっとそう願っていたからこそ、得体の知れない相手にわずかな希望をみてしまったのだ。
稲葉を桑名に合わせることも警戒していたが、お嬢様の要望によりメア抜きでたくさんの話がされた。
いくら自分に瓜二つだからといって、贔屓しているのではないだろうか。
メアはすこし嫉妬していた。
「メア、もう入ってきても大丈夫だからね」
庭園に入ることを許されて、すっかり冷めてしまったふたりぶんの紅茶を運び入れる。
もともと猫舌のお嬢様には冷ましてから渡すのだが、思いのほか稲葉との対話が長かった。
「申し訳ありませんお嬢様、こちらのお茶ですが」
「たまにはこのくらいでも美味しいよ。ありがとう」
そう言われて、微笑みを向けられてしまうと、メアはもうなにも言えない。
何年一緒にいたって、彼女が纏う雰囲気には慣れないし、つい要求を呑んでしまう。
あの笑顔と、あの顔立ちと、そしてなによりもあの瞳のせいだ。
メアは自分自身が好きだと胸を張って言えはしない。けれど、ただひとつだけ、自分の瞳だけは好きになれた。
いつも桑名を映しているこの瞳だけは、彼女とおそろいの、透き通った金色をしてくれているからだ。
名前も顔も知らない両親だけど、この目をくれたことだけは感謝していた。
「ねぇ、メア」
ふいに、桑名お嬢様は語りかけてきた。
なんでしょう、と応え、彼女の言葉を待つ。
「もしボクが自由になったらさ。どこへ行こうか?」
メアは目を丸くする。
なにせ、今までずっと、そのたぐいの話は叶いっこないとしてほとんど禁忌扱いだったのに。
お嬢様から口に出してくるなんて、思ってもみなかったことだ。
いきなりのことで、すぐには答えを用意できなかったけれど。
すこし考えてから、桑名の瞳を見て答えた。
「……メイドのわがままをお許しくださいね。私が見たいのは、お嬢様の瞳に映る満月です」
庭園からだって、月は見える。
毎年のように月見はしていたし、幾度となく兎の話もしたことがある。
けれど。
庭園の外へ、自分の意思でどこまでも行ける桑名なら、瞳に違う月を映すのだろう。
その月明かりを思うと、胸のあたりがきゅっとやさしく締め付けられるように、いとおしく思えるのだ。
「そっか。うん、いつか、一緒に見ようね」
そして桑名は、私から目を逸らす。
それが合図だったのかはわからない。
真意を確かめるには、異変に気がつくのが遅すぎた。
声が出ない。身体が動かない。
辛うじて振り向くことだけはできて、視線のすぐ先には稲葉の姿があった。
その腕はメアの身体に突き刺さっていて、身体の中のものを、内臓よりも大切なすべてを掻き回してくる。
「……メアは、ボクに自由になってほしい。
でも、メアがいたらボクは自由になれない。
ごめんね、こうするしかないって、ずっと思ってたんだ」
そうだ。わかっていたはずだった。
桑名にとって、メイドもこの庭園もお父様も、車椅子に縛り付けられた生活の象徴なのだ。
メアだって、自分が桑名の隣にいることは、すなわち彼女を縛り続けることだと心の底で感じてきた。
桑名もそれをわかっていたし、だから稲葉にメアを襲わせたのだ。
自分が今まで親しんできたものを離れるという決断を下した桑名は、目に涙を浮かべている。
しかも、メアなんかのために。
「ありがとう、ございます、お嬢様……メイドのメアは、幸せです」
絞り出した言葉は、か細くながら彼女に届いたのだろう。
だってその時、桑名の瞳には、涙に彼女の金色が乱反射して、まるで満月のようだったのだから。
こうしてひとりの少女が幸福に包まれたまま消え去って、異界の魔法により姿を変える。
茨と鎖に操られたお人形。
金色の瞳をもったメイドさん。
新たな怪獣は、桑名の庭園を飛び出して、お嬢様のために掃除をはじめる。