第十二話 しろいろエスケイプ
「そいつから離れろ」
幸の声は警告どころか威圧するほどの勢いで、私とこまちは思わず一歩退く。
彼女の手にあるランチャーは本来なら怪獣に向けられているもので、人間が食らえば間違いなく木っ端微塵だ。
そんな代物が、稲葉を標的として構えられている。
「な、なんで稲葉ちゃんが」
慌てているのは、私とこまちだけだ。引金に指がかけられても、稲葉は眉一つ動かさずにいる。
怪獣の脅威は去ったというのに、いまだに緊張が走っていて、とうてい理解のしようがない状況であった。
「……人間に銃を向けるのは、よくないと思いますが。ハイテッカーさん」
「相手が人間ならな。でもお前が違うことぐらいわかってる。
何人殺した? 何体の怪獣を暴れさせた?
答えろ、怪獣小娘が」
怪獣災害の元凶のように扱われ、稲葉は俯いた。
誰でも怖がってそうなるだろう、なんて私も思わず目を伏せる。
稲葉が動き出したのは、ちょうどその瞬間だった。
「がッ……!?」
私が視線を戻した瞬間には、すでに幸の身体から赤いものが飛び散っていた。
それは生暖かく、私の頬に触れて彼女の体温を伝えてくる。
見れば、幸は突然のことに対応しきれなかったのか、目を丸くしたままうずくまっていた。
幸の腹部に稲葉の膝蹴りがめり込み、彼女を吐血へと至らせたのだ。
あの無表情が幸を見下ろし、再び脚を振り上げる。
ふわりとスカートが舞い、続く攻撃は相手の肉を抉るべく鋭く繰り出される。
振り抜かれた瞬間にわずかな閃光が足先を包み、稲葉のブーツの先に刃を出現させる。
咄嗟に生身の腕で防御してしまった幸の身体に刃が突き刺さり、再び出血させる。
私は本能で理解してしまう。あの閃光は、怪獣瘴気と同じ力だ。
確かに彼女は人間でなく、怪獣に近い存在だとわかってしまったのだ。
だからと言って、それはこの状況を打破できる策ではない。
私はただの少女で、なにもできずに傷つけられる幸を見ているばかりだ。
「もっと見つからない予定でしたが、ばれては仕方がありません。
ワタシと桑名お嬢様のために消えていただきます」
「それは無理な相談だな……私だって純のためにしか死ねないんでね!」
幸の左腕から刃が引き抜かれようとした瞬間、稲葉は脚を掴まれた。
勿論、筋肉が裂け、力がまともに入っているわけではない左腕によるものであるから、振り払うのには一秒もかからない。
ただこの時は、一秒に満たない隙でも十分だった。
対怪獣のための砲撃の引き金がひかれ、稲葉の身体に見事に命中する。
焼け焦げた服の断片があたりに飛び散り、稲葉は膝をつきかける。
それまでだった。
普通の人間ならば原形をとどめているなどありえないほどの攻撃を、稲葉は耐えてみせたのだ。
しかしさすがに無傷とはいかないらしく、右肩から胸にかけては筋繊維が露出し、血液のかわりに光が漏れだしていた。
「……化け物が」
人外の耐久力にそう呟くしかなく、弾の再装填の間もなく、三度繰り出された蹴りが幸を吹き飛ばした。
金属音が響き、彼女の背中のパーツが破損し、銀色の板が地面に転がる。
幸自身も脱力し、そのまま地面に倒れ込んでいく。
「あのさ、そこの白い女の子さん?」
そんな彼女を受け止めたのは、怪獣を撃破したばかりの純だった。
「私の幸ちゃん、いじめないでくれるかな」
「アナタもワタシに牙を剥く、ですか。無理ですね、ここは退かせていただきます」
純の登場に、稲葉は傷ついたまま去っていく。
純にとっては敵よりも幸のほうが大事なのか、相手が逃げていくと判断するとすぐさま幸に呼びかけた。
「大丈夫? って、大丈夫じゃないよねー」
「あぁ……生身の部分ばかり攻撃されたしな……」
長身の幸を、いわゆるお姫様抱っこで平然とかかえる純。
彼女も肩に傷を負っているというのに、さすがはハイテッカーといったところか。
それから純は私とこまちのほうを振り返って、無事でよかった、と微笑む。
こまちが憧れの人の笑みに悶えているあいだ、なにか思いついたのか、純は腰から補助アームを起動させこちらへ伸ばしてきた。
「掴まって。行先はハイテッカー本拠地ね。
あの女の子のこと、知ってたら教えてほしいからさ」
そういうことなら、微力かもしれないが、協力はしたい。
こまちとふたりで純から伸びる機械に掴まった。
すると、彼女はまたしても空を飛んで移動するつもりみたいで、月花もこまちもものすごい風を全身で受けることになるのだった。
◇
ハイテッカーの本拠地へと到着して、幸は真っ先にベッドに寝かされる。
応急処置としてたくさんの包帯やガーゼでぐるぐる巻きにされて、不服そうながら、止血や消毒が進められていった。
私とこまちはそのベッドの傍らで、少々雑ながら処置をこなしていく純のことを眺めている。
彼女は幸のほうが終わると自分の傷も適当に包帯で済ませ、私たちの目の前に座った。
「なるほど。あの子は飼古川稲葉ちゃん。そう名乗ったんだね」
月花とこまちは、稲葉についてわかることをすべて話していった。
とはいえ、四条少年と、彼を襲う殺人犯を追っていたらしいことくらいしかわからない。
私たちだって、彼女とは会ったばかりなのだ。
「ごめんなさい、あまり力になれなくて」
「いや、今ので十分すぎるくらいだよ。
なにせ、その追われてた殺人犯。さっき倒した物騒なカブトムシの怪獣の中から出てきたしね」
なんと、怪獣を撃破した跡に、あの殺人犯が死体となって転がっていたのだという。
怪獣に飲み込まれたのか、なんなのか。
いくら話し合っていても答えの出ないような会話は、ひとりの少女がひょっこりと顔を出すまで続けられた。
「珍しいですわね、お二人がわたくしのところに駆け込んでくるなんて」
さらりとまとまった青い髪。ミントグリーンのリボンに、お嬢様言葉。
いくつかの特徴を視認したとたん、私の脳に電流が走ったようにめまいがした。
同時に、なぜかお腹の底が疼きはじめる。
会ったことはないはずだし、それ以前に私は記憶をなくしている。
それなのに、私は彼女を知っている気がした。
「あ、あの。はじめましてだと思うんだけど、アメリアさん……だよね」
「えぇ、わたくしはアメリアだけれど。
って、あなた杏のところの継ぎ接ぎさん?
よく生きていられたものですわね。わたくしの臓器を分けてあげたから、かしら」
突如浮かんできたアメリアという名前は、本当に目の前の彼女のものだった。
しかもそれだけではなく、アメリアは臓器のいくつかを私に分けてくれたのだという。
驚いて目を丸くして、同時にお腹が疼く理由はそれなんだと納得するしかなかった。
「それで、どうして杏のお嫁さんがここに?
なにがあったか、教えてくださいな」
アメリアにとっては、今は私のことよりも、稲葉に関わる事件の方が問題だろう。
純も幸もこまちも、私自身にとってもそうだ。
話し合う少女はひとり増えて、ふたたびベッドの傍らではああでもないこうでもないと言葉が飛び交うのだった。
◇
身体の表面に魔力をまわし、擬態を維持できるよう尽力しつつ、稲葉はなんとか飼古川家に到着していた。
最初に蝶の姿で砲撃を受けた時にも思ったが、あれはすごく痛い。できればもう喰らいたくない攻撃だ。
身体を修復し終わるまでは、この庭園で大人しくしているべきか。
稲葉を狙ってきたあのハイテッカーも、きっとこちらを探し回っているはず。
なら、じっとしておくのが正解か。
まずは桑名に接触して、願いを叶えてきたと伝えなければ。
四条家を襲ったあの男は、自分がちゃんと消してきたと報告するのだ。
「……桑名、お嬢様?」
しかし、稲葉が真っ先に出会ったのは、桑名ではない女だった。
メイドの、名前はたしかメアと呼ばれていたはずだ。
小さな虫の状態でなら顔を合わせていても、稲葉が稲葉になってからは会っていなかった。
桑名ではないと気がつくと、彼女は警戒して身構えはじめる。
「何者ですか、あなた」
「ワタシは……その、桑名お嬢様の願いを叶えようと思っているだけの、しがない魔法使いでありまして」
嘘は言っていないが、メアの瞳はこれで信じてくれるようなものではない。
警戒どころか、敵視までされている気がする。
しかし、彼女は意外にもすぐに警戒をゆるめてくれることになる。
稲葉の続く一言が、彼女にとって引っかかるもののある言葉だったのだろう。
「桑名お嬢様を、自由にさせてあげたいと思っていませんか?」
桑名の記憶を読み取ったゆえに、稲葉にもメアのことはわかっている。
メイドとしてお嬢様の世話をしながら、心の底から桑名が外の世界で暮らせることを願っているのだ。
メアは少しの間黙っていたが、ふと考え込むのをやめ、お嬢様のところまで連れていくからついてこいと言い出した。
危なかった。警察やハイテッカーに突き出されたら、さすがの稲葉でも脱出が難しいかもしれなかった。
これでひとまずは安心だ。
先導している間もお嬢様と会ってからも、メアの警戒はまったくゆるまなかったから、稲葉は居心地が悪かったけれど。