第十話 せいぎのヒーロー
病院に侵入していた怪しい男に、こまちの弟が襲われていた。
なんとか追い払ったけれど、看護師さんたちや警察の人たちが来ていろいろ話を聞かれ、結局帰れたのはすっかり日が暮れてしまってからだった。
稲葉はいつの間にかいなくなっていて、警察署までは同行しなかった。
不思議な女の子だったけれど、またどこかで会えるだろうか。
なんてことを考えつつ、私はこまちと別れて家まで帰り、遅くなったことでぷりぷりと怒る杏に謝った。
レイナやこまちもだけど、みんな私がいなくなることに敏感になっている気がする。
その場は、幸が間に入ってくれておさまった。
夕食は今日も杏の手料理だった。私にとっては、お母さんの味みたいなものだ。
でもなんだか不機嫌なのか、この日のカレーライスはご飯に対してルーの量が明らかに少なかった。
私は気にせず食べたけれど。
「そうだ、純さん、幸さん。この後すこしお話があるんですけど」
「あぁ、なんだ?」
「明日一緒にお出かけしませんか? ちょっと、一緒に来て欲しい用事があって」
そう言った直後、杏は飲みかけのお茶をぶちまけて思いっきりむせた。
食卓は大惨事になり、なぜか元凶扱いされる私は片付けに追われ、食べ終わるまでに時間をとられる。
とはいえ、純と幸のふたりに用事があるのは本当だ。
あとでふたりを呼び出して、ある場所へ来てくれないかと持ちかけた。
「そっかー……じゃあ見た目が付き合いやすい私が行こう! 幸ちゃんは昨日話した案件、お願いね」
「純は子供好きだもんな。わかった、私がやるよ」
向こうの話もまとまったらしい。
私が企画していた、四条少年にハイテッカーを会わせてあげよう作戦はうまくいきそうだ。
彼はきっと喜んでくれるはずだろう。
◇
あの殺人鬼の尻尾を掴んだその翌日。
稲葉は再び動き出し、奥の手を用いて彼を一気に始末すると決めた。
ここから先は、こちらの世界でいう料理のような工程を踏む。
せっかく掴んだ消息だ、逃さぬように確実に、である。
まず、先日記憶を抜き取った警察官を捕まえておいたのを使う。
こいつを怪獣にし、力を膨れ上がらせるのだ。
しっかりと姿が変わったのがわかったら、それを一旦妨害し、怪獣になりつつも巨大化はしていない状態で止める。
できたのは、2メートルほどで全身に手錠を巻き付けた蜥蜴だ。
これで下準備が完了する。
次は、人間を何人か見繕い、それらの生命エネルギーを摂取することになる。
ある程度燃料がないと、大規模な魔法は使えないのだ。
「ひっ、い、いやっ、怪獣っ!?」
「……そう逃げないでください。痛くはしませんから」
そのへんにいた女を捕まえ、相手の唇に稲葉の唇を重ねる。
そして、蝶の口吻を模した管を口蓋に突き刺し、貫き、最後には脳まで到達させた。
生命エネルギーを摂取するには、脳が一番効率的だ。
そうして一人目が終わったら、そいつの死体は怪獣の攻撃で死因をごまかしておく。
ただ殺すだけでは、桑名を満足させて得られるぶんにはとうてい及ばないだろう。
だが、繰り返して少しながら魔力を回復した稲葉には、一度目撃した人間の居場所を探知するなど多少集中すればできることであった。
しあげにやっておくのは、怪獣による状況の撹乱だ。
ハイテッカーをおびきよせ、あわよくば怪獣にあの男を殺させる。
稲葉の企みは、彼女からすれば完璧だった。
◇
二日連続で病院へとやってきた私は、さっそく純を連れて四条少年のもとへと赴いた。
警備の人がたくさんいたし、私も止められたけど、純さんがハイテッカー権力でなんとかしてくれた。
こまちはすでに来ていたらしく、扉を開けた私に気がつくと気さくに挨拶をしてくれる。
そして、私の背後からひょっこりと顔を出した純のことに驚いて、病室の椅子から転げ落ちた。
「やっほーはじめまして、串田純でーっす」
「ちょっ、ちょっと待って、心の準備が!」
姉が取り乱す様を見て何事かと思った弟。しかし、その訳がわかると彼は目を輝かせた。
「えっ、もしかして純さん……だよな、本物!? すっげー、すっげーよ月花さん!」
私が笑顔で親指を立てると、つられて純も同じことをした。
普通、そこは少年がやり返してくれるところではないだろうか。
ひとまず私は取り乱しているこまちを助け起こして、落ち着かせるところからはじめた。
「こまち、大丈夫? とりあえず深呼吸、吸って……吐いて……」
「すぅ、はぁ……うぅ、ごめん月花。でもこんないきなり実物に会えるなんて思ってなくて」
「いきなりはびっくりしちゃったよね、こまちには教えておけばよかったかも」
「ううんいいの……純さんに会えたし……うわ、実物すっごい顔がいいし胸もでかいし……」
喋れるものの平静を取り戻したわけではないこまち。そんな彼女に向けて、純はいたずらっ子のように笑い、ウインクをしてみせた。
「ギャッ!? 顔がいい!?」
「純さんやめてあげてください、こまちが入院しちゃいますから」
「えー、面白かったのに」
この適当っぷりは、こまちには危険すぎやしないだろうか。
私は彼女の背中をさすりながら、そう思わずにはいられなかった。
「でさでさ、純さん! その、おれ、言いたいことがあってさ」
「うんうん、どうかしたかな少年?」
「……いつもみんなを守ってくれてありがとう、正義のヒーロー!」
ずっと胸のうちにしたためていた言葉だったのだろうか。
画面越しに、あるいは窓辺から見える純たちの戦いっぷりに憧れていた彼が、本気で考えたのだろう。
それは、ある種のラブレターのように、純の心へ届いたらしかった。
ヒーローかぁ、と彼女は呟き、それから彼へと感謝を返す。
「……うん、こちらこそありがとう、少年! 私たちを応援してくれて、さ!」
今日二度目の親指を立てる仕草は、今度は純と少年のあいだで行われるのだった。
「ッ、月花! 見てあれ、怪獣だよ!」
私は純と少年のどこかほっこりとする光景に心癒されていたのだが、どうやらこういうときに限って怪獣が現れるらしい。
せっかく昨日は怪獣が出ず、やっと連鎖が終わったかと思われたところだったのに。
純は病室の外に赴くと、警備の人から大きなアタッシュケースを受け取り、少年の目の前で開けた。
入っているのは、いつも純が戦闘のために使っている装備たちだ。
義手と義足が付け替えられて、腰部分には飛行のためのジェットパックが接続される。
「応援してよね、少年!」
愛用のブレードを携え、窓を開け放った彼女は、なんとそこから飛び出していくつもりらしい。
ファンサービスの一環なのだろうが、駆動するエンジンによって爆風と轟音が病室を駆け巡る。
しかし、少年にはそれが格好良いものとして映っているらしく。
彼はこれ以上ないほどに瞳を希望に満ちさせて、飛び立つ彼女を見送っていた。
小さくなっていく純の姿。
だが私もこまちも少年も、彼女を見失うことはなかった。
彼女と彼女が纏う鋼の手足が絶えず全開で機動して、煙を噴き出しているのが見えるからだ。
まず怪獣に向かって斬りかかり、敵が纏う手錠に似た武器で弾かれてしまう。
その硬さを理解した純は打ち合わないように立ち回り、怪獣の攻撃が続く度に軌道を読んで回避の精度をあげていく。
今回の相手は手錠をいくつも身体に付けた蜥蜴だ。
怪獣と戦ってきた経験から鱗相手にどう突き刺せばいいかは理解していて、純の攻撃は的確に怪獣を弱らせていく。
一撃も純に浴びせられないまま疲弊した怪獣。
武器を振り回すことも出来なくなったら、その瞬間が終わりの時だ。
彼女の持つ黒と銀色の刃が赤く攻撃性を剥き出しにして、次の一撃で喉に食らいつき、容易く引き裂いた。
怪獣は倒れ伏し、活動を停止する。
「さすが純さん! かっこいー!」
「すご……いやほんとすごかったよね、月花。
……あれ、月花?」
隣であがる歓喜の声は、このときの私の耳には入っていなかった。
戦いを終えて前髪をかき上げる純の姿は、遠く離れているのに鮮烈で、目が離せないものに思えたから。