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第一話 わたしのアフター

 夢を見ている。

 壊されたどこかの街並みの中央に、居座る巨大な影。

 街が燃えているのを見下ろしていて、まるで嘲笑っているみたいだ。


 私はそんな影を睨みつけて、今にも襲いかかろうと思っている。

 姿勢を低くして、勢いをつけて、敵の首筋めがけて食いかかろうと狙いを定めている。


 私も影と同じように、動くだけで街を破壊するような巨大な体躯をもっていた。

 それだけでなく、ごつごつとした黒い体表に、振り回せばなんでも薙ぎ倒してしまう太い尾や、食らいついて離さない牙も備わっている。


 それらは戦う力だ。

 だから、目の前の相手を災害ではなく、倒すべき敵として捉えられている。


 影は首をこちらへ向けようとする。

 この瞬間は残された最後の隙だろう。


 私は足に力を込め、舗装された道路を踏み割り、向かっていく。

 そして、こちらに気づいた相手と組み合い、噛みつき、噛みつかれ。


 そこで、痛みのかわりに、きゅうに引き上げられるような感覚が襲ってきた。


 抗えないまま、上へ、上へ。

 水底に沈んでいた私が、水面に呼び戻されるかのように。


 ◇


 気がつけば、私は天井を見上げていた。


 目蓋は重かった。頭には枕らしき感触がある。

 眠っていたのだろうか。さっきまで見ていた夢はぼんやりとしか思い出せない。


 確かにわかるのは、街は燃えていないし、自分は怪獣にはなっていない。

 ここはどこだろうか。


 周りを見ても窓はなく、ベッドや設備からたぶん病院だということくらいしかわからない。

 時計はあるけれど、正確な時刻も、自分の年齢、果ては名だって思い出せない。

 壁掛けのカレンダーだけが、今が2042年であることを示している。


 記憶をどこかへ置き去りにしてきてしまったのか、目が覚めたときにはもうそうだった。

 身体はうまく動かせず、まるで私のものじゃないのに無理やりくっつけられたみたいだ。

 よく見たら縫い目が身体の各所にあるし、腕そのものの大きさも左右で異なっている気がする。


 知らない場所に身ひとつで放り出されたどころか、身体も記憶も見失っている。

 そんな私は、別の生き物として生まれ直してしまったようにさえ思えてしまう。


 あたりに人はおらず、自分の寝かされているベッドは奥まったところに配置されていたらしい。

 環境音もなにも聴こえないまましばらく呆然としていたところ、向こう側からこつこつと足音が聴こえてきた。


 足音の主である見知らぬ人物はすぐに現れる。

 大きな白衣を纏った女の子で、目付きがすごく悪く、黒縁のメガネをかけている。看護師ではなさそうだ。


 そんな彼女は、こちらを見るなり目を丸くした。

 起きているのはまずかっただろうか。

 まっすぐ駆け寄ってきて、私の寝ているベッドにすがりつく彼女。メガネの奥で、涙ぐんでいるのが見えた。


 なにが起きているのかは、まったくもってわからない。

 起きただけで泣かれるようなことを、私はしてしまったのだろうか。


 息を吸い込んで試しに声を出そうとしてみると、ちゃんと響かせられることがわかる。

 意を決して、呼び掛けてみた。


「え、えっと、おはよう?」


 挨拶はこれでよかっただろうか。

 使い慣れたはずの日本語さえも不安になってしまうけれど、メガネの女の子は私の声がちゃんと届いているみたいだ。


 涙をぬぐって、こう言った。


「それどころじゃねえだろ、ばか」


 少女は嬉しそうなのに、口ではばかと言われてしまった。

 いや、おかげで「ばか」の意味もちゃんとわかるということがわかり、よって言語関係はなくしていない自信が生まれたけど。


 それはそれとして、なによりも先に、私がどうなっているのか説明してほしかった。


「ごめんね、失礼かもしれないんだけど、あなたの名前を聞かせてほしいな」


「……は? なんだよそれ、お前幼馴染みの名前も思い出せないのか?」


「恥ずかしながら……」


 メガネっ娘は悲しそうな顔をして、仕方なさそうに続けた。


「ここがどこかはわかるか?」


「ええと、太陽系、地球、日本……あとはわかんない。病院?」


「自分の名前、年齢は? 数字じゃなくても、なになにと同い年とかでもいい」


「……ごめんね、それもわかんない」


「そうか、ありがとな」


 質問をするだけして、自己紹介はしないまま考え込みはじめる少女。

 あの、と声をかけると、やっと思い出してくれたみたいで、改めて名乗ってくれた。

 それどころか、私の名前まで教えてくれる。


「いいか、まずおまえは『荒本月花(こうもとげっか)』、16歳だ。

 あたしはおまえの同い年の幼馴染み、『箱矢杏(はこやあんず)』。

 ここはあたしの診療所兼自宅で、おまえはここで治療されてたんだよ」


 月花、それが私の名前であるらしい。

 口に出してみると、なるほどたしかに慣れ親しんだ響きのような気がする。


 そして、この場所は杏というらしいメガネっ娘の診療所であるという。

 ベッドに寝かされていたのも、私の身体にある縫い跡も、たぶん治療を受けていたためだろう。


 なんとなく今の状況に納得がいった気がして、ありがとう、と返した。


「しっかし、記憶喪失なんて……脳の損傷はなかったはずなんだが」


「私、大怪我しちゃったのかな?」


「ああ、そうだよ。そのとき死にかけて、今日までずーっと眠り姫だ」


 我ながら、とても恐ろしい目に遭っていたらしい。

 実感はないけれど、杏の深刻な表情からは嘘をついてなどいないことがうかがえた。


 本気で私のことを心配してくれていたことも、一緒に伝わってきた。

 これまでの私は、きっと彼女と仲良くやっていたのだろう。


 杏の助けでベッドからなんとか立ち上がり、いくつかストレッチをしてみた。

 あまりの怪我に移植された皮膚なんかもあるみたいで、身体が馴染んでいないために、ぎこちない動きになることも多々あった。

 しかし、私の身体はなんだか丈夫だったらしい。

 歩き回るくらいなら自然さを取り戻し、診療所の表のほうにまで自力で出ていけるようにもなった。


 普通はリハビリにもっとかかる、と杏がいうなか、数時間程度で感覚を取り戻していく。

 やっぱり違和感そのものは拭えないけれど、日常生活を送っていくのに問題はなさそうだった。


 私はそうして、しっかり歩いて部屋にたどり着いた。

 診療所の一角、というより、その部屋は杏の自宅の一部。

 テレビとこたつがあり、ゆっくり休めそうな場所だ。


 いま世の中でなにが起こっているのか覚えていない私にとって、テレビなんかは貴重な情報源だ。

 杏に頼んで電源を入れてもらい、その画面をじっと見た。


 流れるコマーシャルたちに覚えはない。かといって、新鮮味もない。

 今までの月花が飽きるほど見てきた映像たちなのだろうか。


 ぼんやりと眺めてだけいると、中にひとつ目を引くものがあった。


 顔立ちが整っているのは、画面の向こうの芸能人としてみればそう珍しくない。

 だが、異質なのはその身体だ。

 見るからに生身の肌ではない銀色のパーツが多く使われていて、まさに改造人間といったふうだった。


 堂々と流れるそのコマーシャルは、どうやらハイテッカーという集団のものらしい。

 杏にとっては見慣れたその映像について、彼女に聞いてみる。


「ねぇ杏。ハイテッカーって……」


「……記憶喪失ならしょうがないか。ハイテッカーってのは、身体を機械にして生き延びようと考えてる奴らの集まりだよ」


 生き延びる、という表現。まるで人類が危機に瀕しているかのようだ。

 杏の話は続く。


「怪獣退治を主にやってるのもハイテッカー。民衆に機械のすばらしさをアピールして、研究の支援をお願いしたいんだろうな」


「か、怪獣退治?」


 怪獣といえば、あの街中で暴れまわり破壊の限りを尽くすヒーローの敵役だろうか。

 そんなもの、現実の存在とは思えない。


 思えないのだが、頭の中では、そうか怪獣かと納得する自分がいる気がした。


 いつの間にかコマーシャルは終わっていて、ニュースの中継らしき映像に切り替わっている。

 杏が画面を指し、この診療所付近で撮影しているのだと教えてくれる。


「みなさん、見えますでしょうか! 私の後ろにありますこの大きな穴、これが先日出現致しました日本第6ワームホールです!」


 テレビの画面には、山道を歩くリポーターと、その奥にぽっかりと口を開けた大穴が映し出される。

 記憶をなくしている自分がはじめて触れるには、どうやら衝撃的なニュースであるようだった。


「おまえが寝てる間に、この国にもたくさんのワームホールができちまったんだよ。

 あの先は異世界に繋がってて、しかも向こうから怪獣が来るなんて、そりゃ世界の終わりだなんだ騒がれるよな」


 テーブルの上に放り投げられていた新聞を広げながら、杏は言う。

 またしても怪獣出現、という記事があり、その被害状況や写真が特集されている。


 過去の記事においても同様に怪獣を扱ったものが少なくないらしく、もはやその出現は珍しいことではないと認識されているようだった。


 ふと、ここで疑問が生まれる。

 写真を見ると、怪獣は建物よりも遥かに大きな背丈を持っている。

 そんな生き物を、ハイテッカーたちはどうやって倒すなりしているのだろう。


 その疑問の答えを杏に乞うより先に、テレビの中から悲鳴が聴こえてきた。


 急いで視線を戻すと、衝撃で投げ捨てられたカメラが、逃げていく人々を映している様を捉えているのが放送されていた。

 いったいなにが起こったのかは、単純だ。


 ワームホールから怪獣が現れているのである。


 空間にあいた大きな穴から這い出してくるのは、極彩色の羽を持った巨大な蝶である。

 画面の全てを覆い尽くし、上空目掛けて飛び立ってゆく。


 警報の音が鳴る。怪獣は本当に、この診療所の近隣に出現しているらしい。

 杏に連れられあわてて外へ駆け出すと、確かに目視できる場所に大きな蝶が舞っているではないか。


 私はそれに大慌てしそうになり、隣の杏も冷や汗を流している。

 さらに最悪なことには、蝶怪獣はこちらへ向かってきている気がする。


 ただでさえ巨大な影が羽ばたきながら迫るため、木々は揺さぶられ、窓辺の植木鉢はひっくり返る。

 周囲でどよめいていた野次馬たちにも、逃げようとして風に煽られ転倒してしまうものが多数あった。


 中には落ちてきた鉢や外れたフェンスが当たってしまい、立ち上がれそうにない者までいる。


「マジでこっち来てやがる……月花、逃げないと」


 杏が手を引いて、一緒に行こうと促してくれる。

 私もそれに応えて駆け出そうとしたが、先導していた杏の脚には瓦礫や陶器の破片が飛来してしまう。


 駆け出そうとした勢いは転倒のものとなり、短い呻き声とともに杏の脚には血がにじむ。

 怪獣に迫られているこの状況で脚を怪我した彼女の言い分は、すぐに変わっていた。


「っち……月花、先に逃げろ、あたしはあたしでなんとかするから」


「ううん、駄目。杏を置いてはいけない」


「は!? なに言ってるんだよ、また死ぬつもりか!?」


「でも、杏は私を助けてくれたんでしょ……?」


 何も思い出せなくったって、これだけはわかる。

 杏は私が目覚めるまで待ってくれていた。そんな彼女を見捨てて逃げるなんて、荒本月花ならしないはずだ。


 落下物の直撃を受けたせいか大きな傷があり、彼女自身では歩けない状態だ。

 私が担いで走るほかにない。


 背中に乗ってもらい、まだ走れそうな自分の身体に感謝しながら、こちらめがけて飛んでくる蝶に背を向ける。

 振り返らないで走るしかない。

 ものが飛んでこないことを祈りながら、走るしかないのだ。


 だが、人の身体でできることには、限界がある。


 強風に煽られ、一度転んでしまったなら、また立ち上がるまでに時間がかかるし。

 たった数秒のあいだにも、私たちとあの蝶ではスケールが違いすぎる。

 その一瞬のあいだにも、距離は詰められるばかりだ。


「無茶だ、今からでもあたしを下ろせ!」


 変わらず自分を見捨てろという杏。

 私たちに追い打ちをかけるように飛来物があって、頭部にぶつかってきたそれはわたあに血を流させ、意識を朦朧とさせる。


 でも私は、諦めたくなかった。立ち上がって、蝶の前に立ちはだかろうとした。


 相手からは、邪魔だとすら思われていないかもしれない。

 でも、ここで諦めて座り込んだら、それはもう荒本月花ではない気がする。


「今度は私の番だから」


「馬鹿っ、助けられてきたのはあたしだってのに……!」


 少女たちが交わす言葉などかき消して、怪獣は向かってくる。

 巨大な、抗えぬ恐怖として、市街を破壊し人々を蹂躙するために侵攻を続ける。

 ふたり取り残された月花と杏に、絶望を突きつけにやってくる。


 蝶の複眼が迫り、月花たちが思わず目蓋を閉じる。

 その一瞬より後には、強風は止むことになる。


 突如響く爆音、炎上する極彩色の羽。

 怪獣の身体に傷がつき、侵攻は止まる。


「うん、きれいに当たった! さっすが私の相棒だね!」


「……的がデカいからな」


 姿を現したのはふたりの女性だ。大学生くらいの年頃だろうか。

 どう見ても只者ではない。ふたりとも身体の一部が人間のものではなく、鉄に置き換わっている。

 怪獣を砲撃したとみられる重火器をはじめ多くの兵器を担いでおり、砲弾を装填する手つきも慣れたものだった。


 無口そうな女性が弾を込めているあいだ、もう一人の彼女は駆け寄ってきて、月花たちに手を差し出した。

 その顔立ちや銀色のパーツは、どこかで見たことのあるもので。


「大丈夫かな、お嬢さん?」


「も、もしかして、ハイテッカーのCMに出てた人……ですか?」


「ご名答、私がハイテッカーさんだ。あいにくとサインを書く暇はなくてね、怪獣退治が終わってからでいいかな?」


 手をとった杏に肩を貸し、物陰にまで連れていってくれる彼女。

 砲弾の装填も終わったらしく、怪獣も再び動き出そうとしている。

 無駄話をしている時間はない。


「おい、(じゅん)。さっさと始めるぞ」


「おっけー、(さち)ちゃん! じゃ、やろうか!」


 純と呼ばれたハイテッカーの女性は、最後に投げキッスをすると戻って行った。


 それから、いくつも並べられた兵器の中から大振りな剣を選び取り、備わっているスイッチを切り替える。

 幸というらしい女性も重火器のものをいくつか弄り、するとふたりの持つ兵器は機械が駆動する唸りを上げ始めた。


「トップギアで行くよ」


「クライマックスで行こう」


「リンク──」


「──スタート」


 ふたりの瞳が輝き出す。人ならざるものと同調し、その力を解放させる。

 純も幸も、すでにひとりの人間ではなく、女性の姿をした戦闘機械として動き出す。


 背中に装備されたジェットエンジンが動力となり、二機のハイテッカーを空へと飛び立たせた。

 蝶が巻き起こす強風をかいくぐり、襲い来る瓦礫はブレードとキャノンが破壊し、流星となったふたりは攻撃態勢に入る。


 真っ先に幸の砲撃が火を噴き、巨体の蝶はかわせずに受けることになる。

 対抗して鱗粉を散らし、火薬を巻き込んで爆発させてくるが、幸と純には速度がある。

 爆風からたやすく逃れ、今度は純のブレードが振り抜かれた。


 怯む怪獣に、追撃は続く。

 再び瞳の色が変わり、兵器の銀は赤熱する。


「決めるよ……!」


 純のブレードに内蔵されていた機構が展開し、使い手の手によってリミッターが外される。

 彼女は剣を突き立て、振り抜く。

 溜まったエネルギーと隠されていた弾薬が怪獣に向かって放たれ、爆煙へとあの巨体が包まれる。


「いっちょあがりぃ!」


 純と幸の銀の身体に、炎の紅が映る。


 爆発が晴れた時、そこに怪獣の姿はなく。

 息をすることさえ忘れかけていた月花は、そのときやっと助けられたことを自覚した。


「はは、さすがハイテッカー様なもんだな、あのサイズを瞬殺かよ」


「……ねぇ、杏。私にも、あんなふうに誰かを守れるのかな?」


 苦笑いをする杏だったが、私の言葉で目を丸くして、それからぎこちない笑顔をみせてくれた。


「月花なら、きっとできるよ」


 かくして、この壊れかけの世界で目覚めてしまった私の物語は、静かに始まりを告げたのだ。

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