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この世界の終わりには

作者: あめこ


 空はどこまでも青く、遠く広がっていて、燦々と照りつける太陽光はどこまでも鬱陶しい。

 それとは対照的に、家の中はしんと静まりかえっていて、濃い影に支配されている。なんだかそれに取り込まれてしまうような錯覚を覚え、わたしはふるりと身震いをした。鳥肌がたっている。こんなヘンテコな想像をしてしまうのは、きっと今日という日が特別だからに違いない。普段の自分だったら有り得ないことだ。

 リビングへ足を進めると、四人掛けのテーブルの上に白いA4のコピー用紙が置いてあって、近づいて手に取ってみれば、そこには綺麗な字で、「昨日話した通りです。戸締まりはよろしくね」とだけ書いてあった。戸締まり、と口に出して反芻してみたところで、左からの微風を感じた。網戸になっている。きっと、暑いだろうと気を利かせて開けていってくれたんだろう。確かに締め切ったままだったら、家中むしむしして、もっと早くに起きていたかもしれなかった。もう正午過ぎである。

 とりあえず書き置きをテーブル上に戻して、わたしは二階の自室へと引き返した。ベッドに腰掛け、つい先ほどまでくるまっていたタオルケットを手中で弄びつつ、窓の外を眺める。相変わらず変化はなく、綿菓子のような雲がどんどん流れていくのみで、面白くもなんともない。今日の予定を頭の中で確認してみるが、暇、の一文字が浮かぶだけだった。でも何かしなくてはという思いだけはあって、気付けばわたしは慣れ親しんだ制服に身を包んでいたのだった。習慣とは恐ろしいものだ。

 着てしまった以上脱ぐのもあれだし、と思い、わたしは学校に行くことにした。持っていくものなんて何も無いが、一応身だしなみは整えておこうと、鏡の前に立つ。

 白い半袖のセーラー服。襟はほとんど黒に近い濃い紺色で、スカーフとプリーツスカートも同色。そこから伸びるのは、日に焼けた自分の手足。膝が靴下焼けしていて少々みっともなかった。仕方ない、履いていくことにしよう、暑くて嫌だったのだけれど。

 支度ができ、再びリビングに戻って窓を閉める。途端、家の中の影がますます濃くなった気がした。じわじわと足下を這い上がってくる気がする。当然そんなことはないと分かってはいるが、でも堪らなく怖くなった。わざと音を立てるようにして玄関へと向かい、乱暴にローファーに足を突っ込むと、急いで外に出てドアを閉めた。知らず、汗が首筋を伝って流れ落ち、息はすっかり上がっている。

 不安なんてないと思っていたけれど、どうやらわたしにも人並みにはあったようだ。

 右手の拳で汗を拭いながら鍵を閉めた。自転車を止めてあるところまで大股で歩き、チェーンを外しすぐにこぎ出す。後ろは振り返らなかった。


 街を歩く人の影は不思議となく、車さえも走っていなかった。普段だったら必ず止まる交差点でも、余裕で信号無視できた。と言っても、黄色く点滅していただけだったのだけれど。


 木立に両脇を囲まれた上り坂を全速力でのぼると、学校に着く。遅刻しそうなときはいつもこの坂に苦しめられたものだ。なんでも城跡に学校を建てたらしく、結構な山の上になってしまったのだという。生徒の苦労も少しは考えて欲しいものだ。


 駐輪場に突っ込むようにして自転車を止めると、二クラス先の場所に見慣れた自転車を見つけた。なんの変哲もないシルバーのものなのにどうして見分けがつくかというと、その自転車のカゴの正面が大きくへこんでいるからだ。確かあれは入学して半年が経った頃だろうか、二人でふざけながら帰っていたら、よそ見をしていたあの自転車の持ち主が、電柱に激突させたのだ。爆笑した。写メも撮ったし、ちなみに一時期待ち受けにしていた。今も探せば残っているだろう。

 あいつも来ているのか、と思って、苦笑してしまった。似てる似てると言われてはいたけれど、確かに似ているのかもしれない。


 校内にはさすがに入れなかった。だって今は夏休みだし、まして今日開いているはずもない。昇降口を何度か揺すってみたけれど、錠のかかっているガチガチという音が反響するだけだ。どうしようかな、プールにでも行こうかな、でもな、などと考えていると、突然聞き慣れた声が耳に入ってきた。


「おがさわらー!」


 え、と声のした方を探ると、プールの方から聞こえる気がする。


「おーがーさーわーらー!小笠原!恭子!おーがーさーわ…」

「うるっさい!」


 何度もしつこく大声でしかもフルネームを叫ばれたらたまったもんではない。とりあえずこちらも大声で遮っておく。すると声の主は「ええ!?」と驚いた声を上げた。


「は?何で?今の幻聴!?」


と、ひたすらテンパッている。少し面白いのでそれに返事はせずに、プールへ向かって急いで走った。


「小笠原ー?マジで居んのー!?居たら返事しろー!居なくても返事していいぞー!」

「あんたほんとうるさいなあー!」

「おお、おお!?居たし!」

「来た」


 プールに着けば、フェンスにもたれかかって叫んでいる坊主頭が見えて、ああ、やっぱり、と安心するのが分かった。


「幻聴かと思った。びびったー」

「あたしこそ幻聴かと思ったし。何で居んの?」

「それは俺のセリフだって。何で来たの?」

「いやいや質問には答えてよ」

「とりあえずこっち来れば?」

「ああ、そだね」


 手招きされて、わたしはフェンスに両手をかけた。右足をコンクリにかけて、左足で地面を蹴り上げる。反動を利用して、そのまま体を持ち上げた。フェンスの上にお腹まで乗る。

 そこまでを黙って見ていた高橋は、「お前さあ」と、何故かため息を吐いた。


「パンツ見えてんですけど」

「まじで、ごめん忘れて」

「ピンクのフリル……」

「見んなアホ」


 ガシャン、とフェンスを蹴って威嚇し、奴が飛びすさった隙にプールサイドに飛び降りた。さすがにコンクリなので足が痺れる。痛い、と顔をしかめていたら、高橋がニヤニヤしながら寄ってきた。


「ピンクとか似合わねー!勝負パンツ?」

「しまむらで上下千円の下着で勝負できるか」

「しまむらとか」

「安いよ」

「……そういう問題じゃないし……夢が崩れたわー」

「え、夢って何?勝負パンツがピンクっていう夢?」

「違うよしまむらだよ」

「ああ、興ざめ?」

「だってしまむらだよ?ファッションセンターだよ?庶民の味方だよ?おま、そこで買うかよ」

「だから安いんだって」


 安くてもさー、もうちょっとさー、となおも言い募る高橋に背を向けて、わたしはプール際にしゃがみこんだ。炎天下だ、こうしている間も汗がだらだらと流れ落ち続けている。目の前にせっかくプールがあるのだから、入らない手はないだろう。自転車もかっ飛ばして来た訳だし。とりあえずローファーを脱ぎ、黒のハイソも脱ぎ出す。


「え、なに、今度は脱ぎだしたんだけど、なにこの子」

「うっさいなー。暑いから足入れるの」

「あ、じゃあ俺も」


 水色のキラキラと輝く水面に勢いよく足を突っ込んだわたしの横で、高橋も学ランの裾を捲り上げ、ビーサンを脱いで水に足を浸した。


「きもちー」

「あんたビーサンで来たの」

「おお。スニーカー洗ったばっかでさー、乾いてなかった」


 そう言って、ばしゃばしゃと足をばたつかせる高橋。さすが、水泳部主将なだけあって、見事なバタ足さばきである。水の粒が規則的に垂直に上がっては下がる。ただ、問題はその水しぶきがわたしにまでかかることだ。暑かったからいいけれど、他人に水をかけられていい気分はしない。

 何か一言、と思案していると、ふいに彼が口を開いた。


「俺んちさ、兄ちゃんは東京じゃん。大学で。だから帰ってこれねーって」

「ふーん」

「で、親は家に居るんだけどさ、でもばーちゃんの介護しなくちゃだから苛ついてて。俺にまであたり散らすから逃げてきた」

「そっか」

「なんか気付いたら制服着て学校来てんの。ウケんね、我ながら」

「あたしも似たようなもんだよ」


 いつものようにへらへらと笑いながらも、高橋の顔はどこか寂しそうだ。わたしも彼に倣って水を蹴ったが、ばらばらと四方八方へ散らばる。


「お姉ちゃんはダンナのとこだし、親はー……どこ行ったか分かんないや。なんか二人の思い出の場所行くらしーよ」

「いーじゃん。ラブラブ」

「ほんとは離婚寸前だったんだよ?調子いいよね」

「そんなもんじゃん?」

「……そんなもんか」


 そうして二人でカラカラと笑った。周りには人気もなく、普段うるさい車の排気音がまったく聞こえないので、笑い声はよく響いた。世界がわたしたち二人だけみたいだった。

 すると尻すぼみに消えていく笑い声とは対照的に、思い出したように蝉の鳴き声が聞こえはじめた。

 夏なんだなあ、とあたりまえのことを思う。


「あのさあ」

「ん?」

「あたしね、こういう日って夏なんだろうなって思ってた」

「……世界が終わる日?」

「うん」


 フェンスの向こう側には、グラウンドと、フェンスを追い越すほどに伸びた向日葵が見える。


「何でかなあ。無条件に、夏だって、思ってて」

「当たった訳だ」

「すごくない?」

「あー、でも俺も夏だと思ってたかも」

「……かもって」


 絶対、わたしの言葉を聞いてから考えたなこいつ、と思いながらも、可笑しくて笑ってしまった。適当なところが高橋らしい。そういえば、高橋は主将にもかかわらずこんな適当なことばかり言うので、よく顧問やら副主将やらに注意されていた。もちろんわたしも叱っていた。一番非難されたのが、入部したばかりの新入生にこれまた訳の分からない適当なことを言ったときで。


「……あれ、何だったっけ?」

「は?」


 思い出せない。咽につっかかった小骨のようにじれったいが、どうしても思い出せなかった。


「ねー、何だっけ、高橋がさ、四月にすごい怒られたじゃん。川内くんに変なこと言って。あれ、何だっけ」

「え……あ、ああ!あれか。えーと、あれだよ。何だっけ、ほら……あ、『八月に世界が終わる』!」

「あ、そーだそーだ。それだ。馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、って、大西先生も駒田もめちゃ怒ってさ。しかも川内くん本気にしちゃって半泣きで」

「あれは俺も悪かったけど、泣く川内も悪い」

「ちょー可哀想だったー」

「しかも大西先生は分かるけど、なんで健介までキレるのかがよく分かんなかった」

「そら怒るよ」


 まだ分かっていなかったのかと吹き出せば、「えーなんでー!?」と詰め寄る高橋。その間抜け面にさらに笑いが込み上げた。高橋と居ると、どうしてか笑いが止まらない。ほんとうに面白い。だから付き合ったというのもある。本人に言ったことはないけれど。

 ようやく笑いがおさまり横を向いてみると、苦笑いしているに違いないという意に反して、高橋は真剣な顔で真正面を見つめていた。急にどうしたのかと、わたしは眉を寄せて彼の横顔を見つめた。

 しばらくすると、高橋の咽がごくりと上下に動く。嚥下したのはおそらく唾だろう。


「なあ、小笠原」

「……なに?」

「今って何時だっけ?」


 更衣室の壁に掛かっている時計を振り返り、見上げる。それによると今は午後二時半過ぎだ。


「二時半くらいだけど……?」

「なるほど」


 そう言って高橋は息を吐き出した。ようやくわたしのほうに顔を向けると、その顔には彼らしからぬ微笑が浮かんでいた。まるで、大人のひとのようだ。


「な、小笠原。見てみろよ」


 そうして彼が指差す先を見れば、あれだけ青かった空の際が、真っ赤に燃えていた。それは瞬く間にこちらへ向かって近づいてきている。焦がれるような、熱風と共に。

 ああ、終わるんだと分かった。


「案外暑いな」

「うん」


 じわじわと、赤に浸食されてゆく青。いつしか蝉の声も聞こえなくなっている。どこに行ってしまったのだろう、逃げたのだろうか、逃げる場所など、この惑星にはとうに残されていないというのに。ぎりぎりまで生きたいのかもしれない。立派なことだ。それに比べてわたしの、わたしたちの、人間の諦めようといったら。

 思わず自嘲の笑みがこぼれた。もしかしたら、さっきの高橋の微笑も、わたしのこれと同じものだったのだろうか。わたしたちは似ているらしいから。こんな適当な奴と、どこが、と思っていたけれど、そうだったら、なるほど納得できる。


「まさか世界が終わるなんてな」

「ね」

「想像もしてなかった」

「ね」

「もうすぐ俺らも呑まれるな」

「うん」

「怖くねーの?」

「高橋は?」

「別に。っつか最後くらい名前で呼んでよ」

「最後かなあ」

「違うの?」

「いや、最後だと思うけど」

「何だそれ」

「もっとちゃんとしたときに呼びたかった……かもしれない」

「……俺もそうかもしれない」

「何だそれ」

「ムードよく、さ」

「何だよさっき呼んでたじゃん」

「だってお前来るとか思わなかったし」

「呼んだら来たわけか、あたし」

「やべーエスパーじゃん小笠原」

「ボストンバッグの中に入れるかも」

「それエスパー違いだし」

「あれ、そろそろ?」

「うん」

「じゃあ呼んであげよう」

「上から目線かよ!」

「高橋、高橋慎悟」

「……」

「あれ、シケた?」

「ちょーカンドーしてしまった」

「そうかそうか」

「ありがとう小笠原恭子。俺生きててよかったです」

「その言い方なんかむかつくなあ」

「えーどこが悪いんだよ」

「……フルネーム?」

「え、じゃあ恭子」

「じゃあって。ムードどこいった」

「仕方ないじゃん。つか、もう駄目だな」

「うん。じゃあね、慎悟。またね」

「おう、またな、恭子」



 そしてわたしの視界は、真っ赤に染まってゆく慎悟で一杯になり、やがてぷつりと何も分からなくなった。


 

ここまでお読み頂きありがとうございました。一気に書き上げましたので、誤字脱字がありましたらご指摘ください。

この「世界が終わる」というのはどうしても書きたかった題材で、ぼーっとしていたら骨組みができたので勢いに任せて書きました……もう少し推敲するべきだと思いましたが、とりあえず。

作中に出てくる「最後」という言葉ですが、シチュエーション的には「最期」でも正しいんですけれど、個人の生命の終わりとしての「最期」ではなくて、物事すべての終わりを指す「最後」を使いました。ご了承くださいませ。


長くなりました。ここまで読んで頂きほんとうにありがとうございました。


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