残業。
「はあ…。」
終わらない仕事の山を目の前に、私の口からため息がこぼれる。
今は22時。
いつもならとっくに家に帰ってみゆさんと一緒にいる時間。
ふたりが働いている会社は隣接してはいるが全く別物だ。
そのため、一緒に住んでいるといっても1日に会える時間はかなり短い。
家に帰ってからみゆさんと話すことだけを楽しみにしている私にとっては辛すぎる状況だ。
こんなのがもう3日も続いている。
「はあ…。」
私はもう一度ため息をついた。
「あれ、りりさん。さっきからため息なんて、らしくないね。」
「あ、横田さん…。」
隣のデスクの同僚、横田さんだ。
「いつも素早く正確に、をモットーにしてるりりさんがぼんやりため息なんて。よほどしんどいことでもあるのかい?」
年の割に大人びている彼女は、美しいセミロングのハーフアップを指で弄びながらそういう。
「そのベリーショートだって、動きやすさ重視故でしょう?」
「確かにそうだけど…。」
「まあまあ、閑話休題。甘いものでも食べようじゃあないか。」
デスクの一番下の引き出しを開けると、彼女は大量のチョコレートのうちのひとつを私に投げた。
「あ、ありがとう。」
彼女はいつもこうやってチョコをくれる。本人曰く、『チョコレートは命の源』らしい。
「それを食べたら今日はもう帰りなさい。」
「え?でもまだ仕事が…。」
「そんなしんどい顔してるときに、ミスなく完璧な仕事ができると思うの?」
「うぐ…。」
なにも言い返せない。
「じゃあ、今日はあがりな。どうせそれ明後日まででしょ?りりさんなら間に合う間に合う。」
「うん…。じゃあ帰るね。ありがと、横田さん。」
「気をつけてね。」
私は荷物をまとめて家路についた。
「…下の名前で呼んで、っていつも言ってるのにな。なかなかガードが固いね。」
1人の女がそう呟いたことを、しかし誰も聞いたものはいなかった。
「ただいまー…。」
「あっ!りりちゃん!」
家に帰ると、不満気な顔をしたみゆさんが玄関まで走ってきた。
「もーうー。最近帰るのおそすぎぃ。寂しいんですけどー?」
「ごめんなさい、仕事がなかなか終わらなくて…」
謝りつつも、寂しがっているみゆさんも可愛いななどと考える。
「仕方ないなー。ほら、ちょっとしゃがんで?」
「え?こ、こうですか?」
言われるままにその場にしゃがむ。
「うん、ほら!」
なでなで。
「…えっ!?」
「えへへ、いつもお疲れ様!」
みゆさんが私の頭を撫でている。
…こういうことしてくれるから、この人はずるいんだ。