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涼風爽快  作者: 愛田美月
6/10

第六話 暗号

 俺は澤田に礼を言い、封筒に入っていた鍵と、何も書かれていない紙を持って店を出た。子ども達を引き連れて、事務所まで戻る。

 ちょうど時間が三時を過ぎたので、俺は子ども達に喫茶コキアでアイスでも食って来いと金を渡し、ていよく事務所から追い出した。

 一人になりたかったのだ。

 俺は澤田から預かった封筒を取り出した。鍵ではなく、俺が見たかったのは何も書かれていない紙の方だ。

 俺はコレを見た時すぐに思い出した。俺と美紗子との間で、一時期流行(はや)った遊びの一つを。

 美紗子が白い紙に思いを込める。例えば一文字を頭に思い浮かべ、紙に念じる。

 それを俺に渡して、俺がその紙にうつった美紗子の思いを読み取るのだ。

 美紗子は良く『愛してる』とか『大好き』だとかを紙に写して、俺に読ませては喜んでいた。普段絶対に恥ずかしくて口にしない俺から、その言葉を引き出したかったらしい。

 今考えると、なんともバカップルな遊びだと思う。いや、恥ずかしい。

 何はともあれ、俺はその白い紙を手に取った。

 目を閉じて、紙に意識を集中させる。

 暗闇の中に、何かが白く浮かび上がってくる。

 それに俺は意識を向ける。だんだんとそれが文字の形に見えてきた。

『野里駅』

 野里駅? 俺は目を開けた。

 デスクの上に置きっぱなしの鍵を取る。これが野里駅のコインロッカーの鍵なのか。俺は立ち上がった。野里駅はここからそう遠くない。坂崎駅の次の駅だ。

 俺は逡巡した後、一度コキアに寄って子ども達を古木に頼み、事務所を後にした。野里駅に向うつもりだった。さっさとこのふざけた依頼を終わらせてやる。そして、美紗子に問い詰めるのだ。なぜこんな馬鹿げたゲームを思いついたのか。

 なぜ、今頃になって俺に子ども達を会わせたのか。

 野里駅に着き、コインロッカーが一箇所にしかないのを確かめ、俺はその場所に向った。鍵についている番号を確認し、延滞料を入れてコインロッカーの扉を開いた。中には薄っぺらい封筒が一枚入っているだけだった。澤田の所に預けていた物と同じ封筒のようだ。俺はそれを手に取ると、その場で開けてみた。そして思わず声を上げた。

「何だコレ」

 中にあった紙には、先ほどの紙とは違い文字が書かれていた。だがその文章は、はっきりいって意味不明だ。訳が分からない。俺はもう一度コインロッカーの中に何も入っていないかを確認し、その場所を後にした。

 事務所に上がる前に、俺は喫茶コキアに入った。時刻は午後七時を過ぎようとしていて、店内は閑散としている。もうすぐ閉店だ。

 俺は子ども達の姿を探したが、子ども達は店内にいないようだ。

「おい、古木。子ども達は」

 俺はカウンターに近づき、古木に声をかける。古木は笑顔で、指を一本上に向ける。

「上に、アキちゃんといるよ」

「ああ、悪いな」

「別に。アキちゃん子ども好きだしね。午後からはバイトも来たから」

 そう言って人のいい笑みを浮かべる古木にもう一度礼を言い、事務所へ上がる。階段を上がっていくと、子どものはしゃぐ声が聞こえてきた。どうやら楽しくやっているらしい。

 俺は事務所ではなく、自宅スペースに直接通じるドアを開けた。

「あ、お帰りなさーい」

 風が俺に気づいていち早く声をかけてきた。

 三人は床に座って何かを書いていたらしいが、俺が入ってきたのを見て、こちらに駆けてくる。子ども達は歓声を上げて俺に三人して抱きついてきた。危うくバランスを崩しかけたが、倒れることは免れる。

 部屋の奥の台所からアキさんが姿を現した。

「あ、お帰りなさい。一ノ瀬さん」

 にこりと微笑んで見せてくれるアキさんに、俺は頭を下げる。

「ただいま。すみませんアキさん、ご迷惑おかけして」

「いえ、迷惑だなんて。私子ども好きだし、良い予行演習にもなるし」

 そう言って、お腹をさするアキさんはすっかり母親の顔をしている。古木め、良い奥さん見つけたな。そう思い、少し羨ましくなる。

「ねぇ、お父さん。僕たちね。お絵かきしてたんだよ」

 爽が俺の袖を引っ張って言った。とりあえず、俺は爽に向き直った。

「へえ、何描いたんだ」

 爽は嬉しそうに笑って、俺の手を取り引っ張っていく。

「あのね、あのね。みーんなでかいたんだよ」

「みんな。一緒に出すよ」

 そう言って、風がお絵描き帳を手にした。爽も快も自分のお絵描き帳を床から拾い上げ、俺の前でいっせいに開く。

「お父さんの絵」

 俺の前にかかげられた絵は、紙にいびつな線とマルで描かれた人間らしき物だった。

 コレが俺? 俺って子どもにはこんな風に見えてるわけか。快のものはまだ人間に見えるが、風のははっきり言って顔の下から角が生えているようにしか見えない。

 噴出したいのを堪えて、子ども達を見ると、子ども達はわくわくとした表情で俺を見ている。俺はそんなほほえましい光景に、自然と笑みになるのを感じる。

「へー、すごいな。みんな上手いな。嬉しいよ」

 笑いをかみ殺しながらなので、説得力は無いと思いながらも、俺はそう言った。子ども達は溢れんばかりの笑顔で顔を見合わせ、やったーと喜んでいる。

「いやーん、可愛い。私も三つ子ほしいなぁ。やっぱり子どもは多くないと」

 おおはしゃぎの子ども達を、うっとりとアキさんは見つめている。俺は苦笑した。古木、頑張れよと心の中で応援する。

「あ、そうそう。一ノ瀬さん、夕飯作ってみたんですけど、今食べます? もし良かったらリョウ君も一緒に皆で食べませんか。八時過ぎるかも知れないんですけど」

 リョウ君とは古木のことだろう。一瞬混乱する。俺もリョウだからだ。お互い読みが同じだとややこしい。

「俺は構わないけど。……おい、お前らお腹すいたか」

 俺の問いに、子ども達は同じように首を横に振った。

「こーんな大きなパヘ食べたから、まだすいてない」

 身体全体を使って大げさに表現した風に、快が律儀につっこんだ。

「そんな大きくないよ。こーんなだったよ」

 胸の前でカップの大きさを表す。

「美味しかったか」

 俺が聞くと、爽が頬に両手を当て、うっとりとこう言った。

「すっごくおいしかったー。僕パヘ大好き」

「そうかそうか。良かったな。ところで、パヘじゃなくて、パフェだろ」

 俺は一応そうつっこんでおいた。

「えー。パヘだよね。アキおねえちゃん」

「うーん。パフェだなあ」

「えー。パヘでしょ」

「違う。パ、フェ」

 俺たちはしばらくパフェの発音レッスンをおこなったが、子ども達は結局言えずに終わった。

 俺は子ども達をアキさんに任せ、風呂掃除をすることにした。昨日は子ども達を風呂に入れていない。さすがに今日は入れないと不味いだろう。ちなみに昨日、俺はシャワーで済ませている。

 俺が風呂場の掃除をしている間に、連絡しておいた古木が来たようだ。風呂場の掃除を終えた後、食事が始まった。

 食卓は四人掛けの為、俺と古木はテレビのある居間のソファーに座り食事をしていた。

「おい、一ノ瀬。今井さん、見つかりそうか?」

 古木の問いに、俺は苦笑いを返す。

 肉じゃがを箸でつつきながら、言った。

「あー、実は行き詰ってる」

 古木は細い目を見開いた。

「へえ、でもさっきはヒントを取りに行くって言ってただろ」

「そのヒントが俺にはさっぱり分からない」

「なぜ?」

「多分暗号か何かだと思うんだけどな。俺はああいうのは苦手なんだ。昔から」

「ははは、今井さん推理小説好きだったな。そういえば」

「そう。それで俺が暗号苦手なのも知ってた」

「なあ、良かったら後で見せてくれないか? その暗号」

 俺は一瞬迷ったが、頷いた。自分では絶対に分らないような気がしたからだ。美紗子には人に見せるなとは言われていない。契約違反では無いはずだ。それにコイツも推理小説が好きだった。

 思いのほか美味かった夕飯の皿を片付ける。

 その後、アニメを見たいと言う子ども達と場所を変わって、古木に野里駅で見つけた紙を見せた。古木は紙を見て唸った。

 そこにはこうか書かれていた。


『私はさとうが嫌いです。



 かさというのと



 じーさとんずと



 のさすそのうなとかに



 ほっとさうちき



 すさうでと



 ぴっとたりつけ



 たものさがみとちし



 るべとさうにさなる 』


 コレだけだった。俺にはまだ日本語になっている最初の文以外意味が分からないのだ。

「おい、一ノ瀬。お前本当に探偵か?」

 古木は唸った後、俺にそう聞いてきた。俺はムッと眉を寄せ、古木を見る。

「何だよ」

「こんな簡単なのが分からない探偵ってどうよ。小学生でも分るんじゃ無いか」

「えー?」

 俺は古木から紙を引ったくり、もう一度文字を追う。だがやはり、分からないものは分からない。しばらく紙とにらめっこしていた俺の背後から、いきなり声がかかった。

「何見てるんですか? 一ノ瀬さん」

「あ、アキちゃん。それ、暗号なんだけど、どう? 分かる」

 いつまでも答えの分からない俺に呆れたのか、古木は皿洗いを終えた新妻にそう聞いた。

 俺は顔を顰めて見せたが、どうせ分かりはしないだろうと、アキさんに紙を渡す。

「えーと、私はさとうが嫌いです? ああ、さとうを抜けばいいのね」

 だが俺の予想とは裏腹に、アキさんはあっさりと暗号を解いてしまった。

「さ、と、うを抜けばいいんだから……か、い、の、じー、んず、のすそ、のな、かに、ほっちき、すで、ぴっ、たりつけ、たもの、が、みちし、るべ、になる」

 区切り区切り読まれたので、分りにくいが、つまりこの暗号の答えは。

『快のジーンズの裾の中にホッチキスでぴったりつけた物が道しるべになる』だ。

「変な文章だな」

 俺は答えを聞いて、そんな感想を持った。

「なんでわざわざぴったりとか、道しるべとかいう言い回しをしてるんだろう」

 そう俺が言うと、古木とアキさんは顔を見合わせて首を捻った。

「それより、調べてみないんですか? 快くんのジーンズ」

「快のジーンズって、今はいているやつか」

 古木に言われて、俺は居間を見る。快はテレビに見入っていた。

「多分そうだろうな。あいつら今日取ってくるまであの服しかなかったし」

「じゃあ、私が裾ほどいてみましょうか」

「あ、じゃあそうしようよ一ノ瀬。俺中身気になるしさ」

「じゃあ、あいつら風呂にいれるか。さっき風呂沸いたしな」

「あ、それいいですね。服も脱ぐし一石二鳥だわ」

 俺は立ち上がり、子ども達に声を掛けた。ちょうどいいタイミングで、子ども達が見ていたアニメが終わったようだ。

「おい、風呂入るぞ」

「えー」

 子ども達は振り向いて、抗議の声を上げる。

「何だよ。風呂嫌いか?」

「まだ入りたくない」

 と、風が言う。

「僕は入らない」

 いつも大人しい快が膝を抱えて俺に背を向ける。

「でも、昨日も入ってないだろう、お前ら。汚いから今日は入ろう。な」

「……じゃ、僕入る」

 そう言って立ち上がったのは爽だった。風は渋々と言った感じで立ち上がる。だが快は立ち上がろうとしなかった。俺は強硬手段に出た。快を無理やり抱き上げたのだ。一番風呂に入って欲しいのは快なのだ。

「快、入るぞ」

「いーやーだー」

 快は暴れたが、俺は抱き上げたまま脱衣所に連れて行った。先に脱衣所に来ていた、風と爽はまだ服を脱いでいない。

「おい、ほら、早く服脱げよ」

 俺が快を下して言うと、子供たちは顔を見合わせる。

「お父さん。僕たちだけで入るから、お父さんは出てってよ」

 風がそう言う。俺は首を傾げたくなった。こんな小さな子どもが、裸を見られるのを恥ずかしいと思うのか? それとも何かを隠しているのだろうか。

「お前ら、何か隠してるだろう」

「か、隠してないよ」

 風が俺から目を逸らした。俺はそれを見て確信した。風は今日も嘘を付いたとき俺から目を逸らした。どうやら風の嘘を付くときの癖らしい。

 俺は、近くにいた快の手を取った。

 その瞬間、俺は見た。いや、見てしまった。

俺が見たのは映像だ。多分、今快が強く思い描いていたものだろう。

 俺は有無を言わさず、快のシャツを脱がした。快の上半身が露になり、俺は絶句した。今見えた映像そのままの姿に息を飲む。

 酷い。

 酷すぎる。

 快の小さな身体には無数の青痣があった。大きいのから小さいのまで。

 俺は泣きそうに顔を歪ませた快の細い腕を掴んだ。

「どうしたんだコレ」

 俺の問いに答えたのは快ではなく風だった。

「父さんが快を殴ったり蹴ったりしたの」

「父さん? アイツか」

 今日あったあの羽鳥とかいう、細身の男を思い出す。俺の中に沸々と怒りが込み上げてきた。アイツは言葉だけじゃなく、子どもに暴力までふるっていたのか。

「お父さん。僕が悪いんだよ。僕が悪い子だから、父さんは僕を殴るの。僕が父さんの心の中読んじゃうから、父さんは僕を蹴るんだよ。でも、僕ダメなんだ。勝手に聞えてきちゃうの。聞きたくないのに、僕のこと嫌いだって、父さんが思ってるのが分るの……」

 泣き顔になっている快を、俺はたまらなくなって抱きしめた。こんなに小さいのに、身体にも心にも大きな傷をおっていたのか。

「ごめんな。快」

「……どうしてお父さんが謝るの」

 快が俺の腕の中で身じろぎする。俺は快を離して、風と爽に向き直った。

「お前らも殴られたりしたのか?」

 二人は同時に頷いた。

「でも、快よりは少ないよ。僕はやり返すもん」

 そう言ったのは風だ。今日電球を割ったようなことをしてきたのだろう。

「爽は?」

「僕も快より少ない。父さんが殴りに来る前に気づくことがあるから、その時逃げる」

「見せてみな」

 俺が言うと、二人は素直に服を脱ぐ。俺は溜息を吐いた。少ないといっても十分多い。それも多分最近出来た傷だ。美紗子は一緒にいて、羽鳥の暴行を止めなかったのだろうか。

「お母さんは居なかったもん。お仕事で」

 快が俺の思ったことを読んだのか、そう呟いた。

「そうか、分かった。とりあえず風呂入ろうか。脱いだ服は俺に渡して」

 そう言って、子供たちを風呂場に追い立てた。湯船には勝手に入るなと言いおいて、俺は快のジーンズを持って脱衣所を出る。

「古木、持ってきたぞジーンズ」

「あ、下から裁縫道具取ってきたんで、貸してください」

 俺はアキさんにジーンズを渡すと、その足で、救急箱を取りに行った。俺が救急箱を手に戻ってきたのを見て、古木が顔を顰めた。

「何だ? 誰かケガでもしたのか」

 古木の問いに、俺は仏頂面で答える。

「三人全員。体中に痣があった」

「え? どういうことですか」

 アキさんが驚いた声を出す。

「それは後で、子ども達が心配なんで風呂場に戻るよ」

 古木達にそう言って俺は子ども達のもとへ戻った。

 少し目を離した隙に、子ども達はボディーソープを一本丸々使い、シャボン玉を作って遊んでいた。

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