第四話 美紗子の元夫と子ども達
翌日は少し雲が広がる天気だった。
雨雲でないことを祈りつつ、俺は昼過ぎ、子供たちと連れ立って事務所を出た。
幸いにも美紗子の元夫の家は調べるまでもなく分かった。子供たちが住所を覚えていたからだ。
最寄の駅でおり、俺は子供たちに連れられるように、見慣れぬ街を歩いた。
駅から二十分近く経っただろうか。子供たちは一つの家の前で足を止めた。木の壁の古い家。コンクリートの塀に囲まれた貧相な家だった。
小さな門の横には羽鳥と書かれた表札がでていた。インターホンを押すと、すぐに男性の声で応答があった。来る事は事前に、電話で連絡を入れている。
俺が自分の名前と用件を告げると、しばらくして玄関のドアが開いた。そこから出てきたのは頭の禿げあがった線の細い男だった。男は俺に嫌な視線を向けると、こう言った。
「あんたが、そいつらの本当の父親か?」
「さあ、私は美紗子さんに依頼された探偵ですから」
「ふん、ご苦労なことだな。そんな化け物の面倒見るって言うんだから」
はき捨てるように男はそう言った。その目は俺の後ろに立っている子供たちに向けられていた。俺は眉を寄せた。化け物とはどういう意味だろうか。
「化け物? それはこの子達のことですか」
俺はさっきからいやに大人しい三人の子どもたちを見た。子どもたちは悲しそうに目を伏せて、俺の後ろに隠れるようにして立っている。特に快は俺のズボンを掴んで少し震えていた。
「ああ、アンタもすぐに分るよ。こいつらはまともじゃねぇ。こんなガキはさっさとくたばった方が世の中の為だよ」
その言葉に俺は怒りを覚えた。目の前にいる子どもにそんなことを平気で言えるような人間が、この子達の父親だったのだ。
美紗子は男を見る目が無いようだ。もちろん俺のことも含めて。
「子供たちのいる前で、そう言う言い方は無いんじゃないですか」
つい、俺はそう言っていた。男は憎々しげに顔をゆがめて俺を見た。だが、言い返すことはせず、俺に大きなボストンバックを一つ投げて寄越した。
「そこに、こいつらの服が入っている。こいつらの荷物はそれだけだ」
「そうですか。どうも。ところで羽鳥さん」
「ああ? 何だ。まだ何かあるのか」
「美紗子さんが今現在何処にいるのか、ご存知ありませんか」
「はぁ? 俺が知るわけないだろう。離婚してからは居場所も知らねぇ。それが三日前、こいつら連れて現れたかと思ったら、俺にこいつら押し付けてさっさとどっか行っちまった」
「そうですか」
俺は少しがっかりした。まあ、始めからこの男には余り期待はしていなかったが。黙った俺に、男はなおも話し続ける。
「全くアイツも恩知らずな女だよ。お腹に子供のいるアイツを拾ってやった恩も忘れて、急に離婚だなんて言い出しやがって……」
「そもそもあなたはいつ何処で、彼女と知り合ったんですか」
それは最初からあった疑問だった。美紗子はいつからこの男と付き合っていたのだろうか。俺と付き合っていた時、美紗子はこの男とも付き合っていたのか……。
俺の問いに男は一瞬虚をつかれた顔をし、そして俺に言った。
「あいつに初めて会ったのは七年前。場所は飲み屋だよ。そこのホステスだったんだ。たしかルビーって店だ。この近くだよ」
「ホステス……」
意外な言葉に、俺はただそう繰り返していた。
「ああ、そうだ。アイツ見てくれは良いからな。腹に子供がいるって言う話しを聞いてな。俺は同情してやったんだ。それが、生まれてみりゃ、子供は化けもの。俺は本当についてねぇよ。俺はあの女に騙されたんだ」
男がそういい終えた時だった。男の頭上。玄関の上についていた電球が、まるで銃にでも撃たれた様に、粉々に砕け散った。だが何かが当たったわけでは無い。それは勝手に砕けたのだ。
男は驚いて禿げた頭を腕で覆っている。俺も手を顔の前にかざして破片を避けた。俺は腕を下すと、後ろを振り返った。風に視線を合わせる。風はバツが悪そうに顔をそむけた。
「おい風、今おまえが……」
俺の声に被せるように、男が怒鳴った。
「おい、今のは誰がやった。全く何度家のもの壊せば気が済むんだ。もう二度と俺の前に顔を見せるな。分かったなガキども」
そう言って男は憤然と俺たちを睨み、さっさとドアを開けて家に入ってしまった。
俺はしばらく呆気に取られていたが、いつまでも玄関の前に突っ立っている訳にはいかないと気づいた。後ろの子ども達を振り返る。
「さて、そろそろ移動しようか」
俺はさっき渡されたボストンバックの紐を肩に掛けると、子ども達の背を押して門を出た。
そして俺は歩きながら風に声をかける。
「すごいな風。さっきの電球、お前がやったんだろう」
「……僕じゃないよ」
風は俺に視線を合わせないように、横を見て言った。明らかに動揺している。嘘がバレバレだった。
「隠さなくったっていいさ。ちょっといい気味だったしな。腹が立ったんだろう。化け物扱いされて」
俺がそう言うと、風は驚いたように立ち止まって俺を見上げた。そしてそんな風を、他の子供たちが見つめている。
「違うよ。お母さんの悪口、言ってたからだ」
風はそう言ってまたそっぽを向く。
「やっぱりお前がやったんだな」
俺が言うと、風は顔を顰めて俺を見上げた。
「お前がやったんだろう?」
俺はしゃがんで風に視線を合わせる。風は観念したのか、はっきりと頷いた。
「うん。僕がやった。ごめんなさい」
「どうして謝る? 悪い事したって自覚があるのか?」
俺が問うと、風は固い表情でこう言った。
「だって、危ないんでしょう? お母さんが言ってたもん。その力は人前で使っちゃいけないよって。危ないからって。でも、僕、父さん嫌いだから……」
「うん。俺も、あの人あんまり好きじゃないな。だけどな、風。やっぱりああいうのは良くないよ。さっき怪我は無かったけど、もし怪我したらどうする? 破片が目に入ったら目が見えなくなることもあるんだぞ」
「目が見えなくなるの?」
「そう、そういう事だってある。もっと酷いことにだってなるかもしれない。……風は、指を切ったことあるか?」
「あるよ。幼稚園で、はさみで指切った」
そう言って風は小さな手を俺に見せた。だがそこに傷はない。前の話なのだろう。俺はその風の小さな手を、両手で包み込む様にして言った。
「じゃあ、分るだろう。怪我したら痛いんだ。だから、他の人に怪我をさせるようなことはしちゃいけないんだ。自分は痛くなくても、その人は痛いんだからな」
「……はい」
風は素直に頷いた。いつも元気で明るい彼は、随分と落ち込んでしまったようだ。
俺は風の手を離すと、その手を風の頭の上に置いて少し荒っぽくなでてやった。すると風が俺を見上げて恥ずかしそうに笑った。俺も笑顔を返す。
するとそれを見ていたほかの二人が、俺に言った。
「いいなー。お父さん。僕もやってほしい」
「僕も」
俺は二人のリクエストに答え、両手を使って二人同時に頭をなでてやる。二人はくすぐったそうに笑っていた。
俺はそんな子ども達を見つめて思った。
この可愛い子ども達は美紗子の言うとおり、俺の子どもかもしれない。そう、思っていた。