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涼風爽快  作者: 愛田美月
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第一話 小さな訪問者

 あの日は朝からついていなかった。

 あの日の事を思い起こすたび、必ずこのフレーズが頭をよぎる。




 その日の朝、俺は日課になっている朝の散歩を楽しんでいた。歩いているとだんだん喉が乾いてくる。いつもなら途中でコンビニに寄るのだが、今日はそのコンビニが改装の為に、閉まっていたのだ。

 ついてないなぁ。と、思ったちょうどその時。自動販売機が視界に入った。

 前言撤回。ちょっとついてるかも。そう思って俺は自動販売機に近寄った。

 かなり薄汚れた、余り見ないメーカーの自販機だった。一瞬買うのを躊躇したが、喉は乾きを訴えている。俺はその欲求に負けて無糖のコーヒーを買うことに決めた。

 小銭を入れ、ボタンを押す。確かに押したはずだった。

 大きな音をたてて落ちてきた缶を見て、俺は驚いた。

 その缶は俺が買おうとしていたコーヒーではなかった。それどころかこんな名前の飲料は初めて見た気がする。

 その缶にはでかでかとこう書かれていた。

『はちみつあんこレモン風味』

 はちみつあんこ? はちみつあんこって何だ? 俺は味を想像しようとしたが、出来なかった。物凄く甘いだろうということは想像できるが、レモン風味って一体……。

 爽やか、なのか?

 俺は喉の渇きも忘れ、その謎の缶ジュースについてあれこれと考えていた。だが、決して飲もうとは思えなかった。

 考えているうちに、自宅のある雑居ビルの前に着いていた。

 俺の住居は仕事場も兼ねている。雑居ビルの二階にその仕事部屋はあった。外からビルを見上げると、窓に一ノ瀬探偵事務所いちのせたんていじむしょと大きく書かれているのが見える。


 一ノいちのせとは俺の苗字であり、一年前までこの事務所の所長をしていた祖父の苗字でもあった。

 俺は訳があり、中学の頃から親元を離れ、祖父と一緒に暮らしてきた。その祖父の後を継いだのがちょうど一年前の春だ。

 そして今、祖父は引退し、俺の実家のある田舎へと引っ越していた。

 俺としてはまだまだ祖父に教えを請いたかったところだが、そうは言っていられない。何せ祖父はもう八十を過ぎているし、いつまでも甘える訳にはいかないのだ。俺だってもう二十六歳。立派な大人なのである。


 ビルの一階は喫茶店になっている。喫茶コキアという名のその喫茶店のマスターとは、中学からの友人だ。

 朝出かけるときには準備中の札がかけられていたが、今はもう開店しているようだ。

 俺は少し顔でも見ようかと、店に入った。

「ああ、お早う。一ノ瀬」

「おお、お早う」

この店のマスターで俺の友人、古木亮(ふるきりょう)は笑顔で俺を出迎えた。まあもっとも古木は少し細い目のせいで、いつも笑ったようなやさしい顔に見えるのだが。

 俺はカウンターのほぼ中央のイスに腰掛けた。ここが俺の定位置である。

「今日は何する? 朝食まだなのか」

「いや、朝食はもう食べてきた。悪いけど。コーヒー頼むよ」

「ハイよ」

 一つ、返事をすると、古木は準備に取り掛かった。その時店の奥から、若い女性が姿を現す。

「亮君ごめんねぇ。寝坊しちゃった」

 古木は手を止め、その女性を振り返った。

 古木の顔が途端ににやける。寄ってきた女性の手を取って口を開いた。

「いいんだよぉ、アキちゃん。昨日は引越しで疲れてたんだし」

「それは、亮君も同じでしょう、ってあら、お客さま?」

 いきなりの出現とこのムードについていけず、黙っていた俺に、女性は気づいたようだ。

「なあ、古木。彼女は一体……」

 聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず俺はそれだけ口にした。

「ああ、ゴメンよ。まだ紹介してなかったね。彼女は……」

「はじめまして。私、古木の妻の古木亜希です。きゃ、言っちゃった」

「やだなぁ。照れるじゃないかアキちゃん」

「ちょっと待て」

 俺はまたイチャイチャし始めた二人の前に手を上げて、会話を中断させる。

「古木、お前いつの間に結婚したんだ」

「あー、お前に話してなかったのは悪かったよ。でも俺もアキちゃんもこんなに早く結婚することになるとは思わなくってさ」

「一週間前籍を入れたばかりなんです」

 俺は眩暈を感じた。ついこの間までフリーだったはずの古木が、いきなりどうやったら、こんなに若くて美人の妻が出来るのだ。

「実は私妊娠しちゃって、それを知った両親が怒って亮君の家に押しかけたんです。で、亮君ったら必死の形相で、結婚します。今すぐ、とか言っちゃって、婚姻届とりに役所まで走ってったんですよ。私と両親を置いて」

「はあ」

「父がその亮君の熱意に感動して、結婚許してくれて。で、昨日は引っ越しで、亮君の家に荷物運んだりして大変だったんです」

「だから、つまり、あれか。お前らはもともと恋人同士だったわけだな」

「うん三ヶ月前から」

「ほー、それを俺に隠してたわけだ」

 恨みがましく言ってやると、古木は慌てたように腕を振った。

「や、別に隠してたわけじゃないよ。言い出せなかったんだよ、この前まで仕事でほとんど来なかったじゃないか。来てもコーヒー飲んですぐ出て行っちゃうし」

 古木の言い訳に俺は唸った。まぁ、確かにこの三ヶ月、妙に依頼が多くて大変だった。

 それは認めるが、ううん。なんとも羨ましい話しである。

 アキさんが裏に戻ったあと、俺の前でカップを磨いている古木に声をかけた。

「あーあ。まさか古木に先越されるとはな。意外だったよ」

「俺もだよ。おまえモテるのに、彼女つくらないしさ。……いい加減、前の彼女のことは忘れて、新しい恋みつけろよ。俺みたいにさ」

 からかい半分の言葉に、真面目に返されて、俺は飲んでいたコーヒーを噴出しそうになった。古木の言う彼女が誰か分かって、俺は古木を軽く睨んだ。

「そんな顔すんなよ。本当のことだろう。彼女が逃げた後、追いもしないでうじうじいまだに未練残してさ。見てるこっちが辛いよ」

「うるさいな。俺のことなんてどうでもいいから。もっと他に話す事はないのか」

「あるある、あのさ……」

 古木は目尻を下げ、締まりない笑顔を作ると話し始めた。その内容はもちろん新妻のことで、俺はこの後散々ノロケ話を聞かされた。

 そのせいか、事務所に戻った時はぐったりしていた。買ったまま持て余していた『はちみつあんこレモン風味』の缶を事務所の机の上に置き、部屋でスーツに着替えた。

 それにしても古木の奴がどうして、あんな可愛い女性と結婚できるんだ。やっぱり納得できない。聞くところによると彼女はまだ十八で、高校を卒業したばかりだという。

 探偵よりも喫茶店のマスターの方が女性にモテるものなのか……。俺など高校の時に付き合っていた彼女と別れて以来、一度も女性とお付き合いなどなかったと言うのに。

 木で造られた重厚な机の前にイスを引いて座り、俺はぼーっと電話が鳴るのを待った。

 この間まで嘘のように仕事が舞い込んできたのに、今日はとんと電話が鳴らない。ただ座っているだけだと、眠くなってくる。昼の休憩を十二時に定めているが、まだ後一時間半もじっと座っていなければならない。

 俺は電話を留守録にして、机の前にあるソファーに寝転んだ。このまま昼寝でもしようと思ったのだ。人のノロケ話を聞くのは、どうやら随分疲れるものらしい。

 うとうとし始めた俺の脳に、一つの映像が浮かび上がった。誰かが階段を上ってくる。それも複数。三人位だろうか。

 俺は眠くて閉じた目を無理やり開け、扉へと向った。

 客が来る。

 俺はそう確信していた。俺にはわかるのだ。俺にはそう、人とは少し違った能力がある。そして今のもその能力の一つだ。

 まあ、日常生活で使って得することなど滅多にない能力である。せいぜい人を驚かせる事くらいにしか使えない。

 ドアに耳を当てると、やはり複数の足音がこちらに向ってきている。

 だがこの足音は大人のものではないようだ。やけに軽い音が近づいてくる。

 俺はドアを開けた。いきなり開いたドアに、驚いた様に固まった三人の小さな顔があった。やはり子どもだった。小学校低学年位、いや幼稚園児だろうか。彼らは一様に驚き顔のまま、俺を見上げていた。だが俺はその子ども達よりも、さらに驚いた顔をしていたに違いない。

 俺の前に立った三人の子ども達は三人が三人とも同じ格好、同じ顔をしていたのだ。

 暫く互いに見つめあった後、三人の子どもの中の一人が急に声を上げた。

「お父さん」

 子どもの声に反応する間もなく、残りの二人も同じようにお父さん、と叫ぶと、三人同時に俺に抱きついてきた。

 全く予想していなかったその行動に対処しきれず、俺は子ども達に引っ付かれたまま床に尻餅をついてしまった。

「お、おい。お前ら、一体何の真似だ」

 俺は必死になり、ぎゅっとくっ付いてくる子どもを引き剥がそうとした。だが、小さい体に似合わず、なかなか掴んでいる手を放してくれない。

「おい、こらふざけるなら他の所でやれ。しまいに怒るぞ」

 大声を上げると、三人のうちの一人がヒッと小さな声をあげて、俺から体を離した。

「イヤだ。お父さん怒ちゃヤだ」

 子どもの目にうっすらと、涙が滲んでいることに気づいてしまった。

 他の子どもも同じように俺から体を離し、じっと俺を見つめている。

 俺は混乱する頭を静めようと、ため息をつき、ゆっくりと言った。

「分かった……。とりあえず立って、ソファーに座ろう。それから、怒らないから事情を話してくれるか。どうして俺が『お父さん』なのかもな」

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