コーちゃんの体
◇◇◇◇◇
しばらく、お母さんが弟の頭を撫で続けました。お父さんは私の頭を撫でてましたけど。だから私たちが動き出したのはお昼過ぎですね。
お医者さんを呼びました。それから、お医者さんの指示に従い、コーちゃんを土に還すのです。死ねば誰もがそうなるように、コーちゃんも埋まってしまうのです……と、私たちは思っていましたが。
「研究?」
「はい。この〝沈黙葬〟は、今のところ100パーセント死に至る病なのです。
分かりますよね。風邪なんかも、放っておけば症状が悪化して死ぬ事すらあります。何故そうならないのか? それは、対処法が見つかっているからです。なら何故、沈黙葬にそれがないのか? 対処法を見つけようにも、その例が少なすぎるのです」
「だから、研究?」
お父さんが聞き返します。怒っているような、悲しんでいるような。理解はしているけど、それを認めたくない、って。
お母さんはというと、コーちゃんを抱きしめていました。それでいい。それがいいと、私は思います。出来ればずっとそうしてくれと、私は無理なお願いをしたいものです。
「研究、という言い方は私も好きではありません。ただ……未来へ繋ぐ一歩なのです。他にも死に触れた恐ろしい病気はありますが、この沈黙葬だけは資金を提供してくれるお方がいらっしゃるのです」
「そんな方が……」
「はい。名前を出していいのか……いえ、この際、告げておきましょう。その者の名は、本名なのかどうかはともかく、こう呼ばれていますーー黒薔薇姫、と」
「黒薔薇姫っ……! あの、ブラックローズが、ですか?」
「他言無用でお願いしますよ。口止めもされておりませんが、あの方に逆らっている風に私も思われたくありませんので」
「ええ。それはもちろん、ですとも」
私はというと、弟が抱きしめていたピンクのクマを、今度は私自信が抱きしめています。身を丸めて、縋りつくように。
実際、お医者さんとお父さんの話とか、あんまり耳に入ってきていません。ただ、耳に入っていた黒薔薇姫というのは、私も知っています。というより、誰もが知っています。
ーー黒薔薇姫。又の名をブラックローズと呼ばれ、国が恐れる人物の1人。権力を暴力でねじ伏せることのできる実力を兼ね備えた、漆黒の女性。その素性は誰も知らず、5年前の “泡沫戦争” で見せた、ただ恐ろしいまでの実力と美貌だけは確かである、と。実はこのように語られる人物は他にも何人かいて、先生からそれを教えられた時は、私って凄い小さな人間だなぁと萎縮したものです。
って、そんな事はどうでもいいのです。現実逃避は止めにして、これから私がどうするべきなのか、決断しなければならないのですから。
「息子さんのような悲劇を生み出さないためにも。ぜひご協力をお願いしたいのです。……狡い言い方ですかね」
「ええ、狡いです。もしもこちらがご協力をしたところで、対処法が見つかるとは限らないのでしょう」
「……必ず、とは断言できません」
「やっぱり、狡いですね」
弟は言いました。ずっと一緒にいたいと。それは死ねば反故になる言葉だったのでしょうか?
いいえ、私はそうは思いません。むしろあの時の弟は、こうなる事を見透かしていたとすら思えます。思えば弟は、素直すぎました。きっとあれは、心からの願いだったんだと思います。
……でも、それは叶わぬ願い。
「分かりました。息子が、役に立つのなら。どうか、お願いします」
「それは……こちらこそお願いをした立場でして、お礼をしたいところですが、しかし……お母様の方は?」
「……お医者様。私の夫がはい、と言ったのです。それは私の意思を無視しての言葉だとお思いですか?」
「な、なるほど。夫婦の見えぬ線、ですか。分かりました。この私、フロイゲルが、責任を持って息子さんをお預りさせて貰います」
預かり。その通りです。私はこのクマを預かっているんです。
「ミリア、いいの?」
「え?」
「コーイチとはもう、お別れなんだぞ」
「うん、えっと……いいよ。私、もう、いっぱいコーちゃんといたから。大丈夫。ただ、ちょっとだけ1人にしてほしいかなー、なんて」
「そうか……なら、母さんと父さんはお医者様についていくから。しっかりとお留守番をしておくんだぞ」
「うん、分かった」
ガチャ、っと扉が閉まります。1人コーちゃんの部屋に残された私ですが……おかしいです。もっとコーちゃんといたいと思うはずですが、それこそお父さんとお母さんについていったほうがいいと思っているのですが、あの冷たい身体に、それほど私は興味を示せませんでした。
今の私は、メリーさんとの約束に意識を持っていかれているのですかね? なんだか、「現金な奴」って言葉が浮かびました。私は私が思っている以上に、ダメな人間なのかもしれません。
……ギュッとクマを抱きしめます。弟がずっと一緒にいたいと言った、あのクマをです。1週間で返してくれと言われた、あのクマをです。
だったら私は……ミリアとして、姉として……
「……どうすればいいんだろう」
もう一度クマを抱きしめます。ピンクのクマは、頑張れって、言ってくれたような気がしました。