ミリアです。実は15歳です。
◇◇◇◇◇
私が言うのもなんですけど、私の生活はとても平凡なものだったに違いありません。
朝は6時に起きて、お父さんはお仕事に出かけて、私はお母さんのお手伝いをして、弟は学校へ行くのです。夜になるとご飯を食べて、お風呂に入り、そしてまた、明日になるのです。
普通。
それを恥ずべき事だとは思っていませんでした。けれどそこに、何かそれ以上の意味を感じていなかったのは確かです。だからこその普通なのですから。
〜〜〜〜〜
ーー弟が病気にかかりました。
お医者様が言うには、年に1度、1人か2人はかかってしまうそうです。
どうして、どうしてそんな特別が弟に? 私はこの世の何かを呪いました。何でもいい。弟をこんな目に合わせた何かを、ひどく恨みました。
……治らないそうです。治したくても、対処法が見つかってないようです。症状は至って緩やかに、徐々に、確実に、弟の体を蝕んでいきます。痛みが無いというのが、唯一の救いかもしれません。
そんな、最期は眠りにつくように死ぬ事から、この病気の名はーー
〝沈黙葬〟
◇◇◇◇◇
やったです。クマをゲットです。
ここらでは唯一の人形が置いてある人形専門店、リトル・リドル・ドールズ。実を言うと、悪い噂の絶えないこの店に入る事を、私は躊躇っていました。
曰く、人形の中には、元人間の魂が詰まっているとか。
曰く、夜になると、人形達は動き出すとか。それも人間の魂を求めて街を彷徨っているとか。
それらは、リトル・リドル・ドールズのオーナーがお亡くなりになられてから、より一層拍車がかかりました。
……でも、私は知っているのです。あの店の前を通る時に、弟はいつもピンク色のクマを物欲しそうに見つめていたのを。私は思いました。これしかないっ……て。
メリーさんはとても優しい方でした。やっぱり、噂なんてものはあてになりませんね。巷では魔女魔女と言われているメリーさんは、私のわがままを聞いてくれましたよ。何よりとても綺麗でした。まるで、人形のように整った美貌でした。
そんなメリーさんは、私のわがままに1つだけ条件をつけました。
ーー1週間。
それは偶然にも、弟に突きつけられた余命宣告と、同じでした……
〜〜〜〜〜
クマを預かり3日目、私はその間ずっとピンクのクマを使って、下手なりに劇なんかをやりました。今日なんか、お父さんとお母さんと一緒の大演劇です。
弟は私がミスをする度にツッコミを入れてきます。私はその度に嬉しく思いました。何か、1つでも楽しめるものがあればいいと思っていたから……私はこのピンクのクマに感謝しました。
〜〜〜〜〜
クマを預かり4日目、いつものように弟から注意を受け、ほとんど意識が朦朧としながら、多分自分の部屋に戻ろうしていた時ーー
ーーゴトッ
何かが倒れる音がしました。
「……お母さん?」
音がした場所まで行きました。キッチンです。床に、リンゴが転がっていました。机に積まれてある1つが落ちたのでしょう。
でも、おかしいですよね。何という言い方をすればいいのか……こう、タイミングが良すぎるというか。
ーーゴトッ
「っ……」
夜、十分な明かりのない室内を、私は初めて怖いと思いました。
すっかり目も覚め、今度は恐る恐る、音がした場所を確かめます。けれども、その前に、足元の影が揺らいだ気がしました。辛うじて月の光が差し込んでいるのは、窓しかありません。私はびっくりして後ろを振り返りましたーーしかしそこには、何もおらず……
「……ミリア」
「っ……だ、だれ?」
こうなるともう、足が震えてきましたが、私は自分の好奇心を抑えきれませんでした。怖いもの見たさというのでしょうか、私の名を呼ぶ誰かへ、私は近づきます。
ゆっくり、音を立てずに、私は床の軋みを気にしながら声のする方へ進みーーふと、気がつけば、弟の部屋の前でした。
「ーー」
何か聞こえます。もしかして誰かは、弟の部屋に?
私はどうしていいか分からず、何が起きているのか知ろうとドアへ耳をぴったりとつけて、聞き耳を立てました。
「……グスッ」
その正体に気がついた時、私はほとんど何も考えずドアを開けると、驚く弟を無視して抱きしめます。
私よりも細く、今にも折れそうな体は、流す涙を増やします。
「ね、姉ちゃん……痛い」
「っ……ごめん」
でも、抱きしめるのは止めれません。それに、いま弟の顔を見てしまえば、私は私を抑えきれる自信がありませんでした。
ーー泣いているのは私だけではないのです。弟の病気を恨んでいるのは、弟だけではないのです。
当たり前じゃないですか。泣きたいのは、泣いているのは弟もです。病気を誰よりも恨んでいるのは、弟なんです。
「ごめん……ごめんねコーちゃん」
「……なんで、姉ちゃんが謝んのさ」
「だって! 私、何も出来ないっ……こんなんじゃ、お姉ちゃんなんて失格だよ……!」
馬鹿だなぁ私。こうして泣いても、それこそ何の意味もないのに……
「……馬鹿だなぁ姉ちゃんは」
弟、昔から素直な子でした。
「ほら、潰れてるって」
「……え?」
ようやく私は弟から離れ、その視線の先。いままで私と弟のクッションとなり、ペチャンコに潰れてあるピンクのクマに気がつきました。
ーーそういえば、このピンクのクマを弟は抱きしめてたっけぇ……
この部屋に入った直後を私は思い出して……あわ、あわわわ、メリーさんに申し訳ない! だ、大丈夫かな……どこも汚れてないかな? 傷とかあったら、どうしよう!
「姉ちゃんは、このクマくれたじゃん」
心の中で私がパニックになっていると、弟はそう言いました。
「それだけじゃねえよ。いっつも眠たそうにしてさ、こんな遅くまで、俺に下手な芝居見せてくれてるじゃん」
「へ、下手……うん、分かってたけど」
「俺、すっげー楽しいよ」
「……楽しい?」
「ああ。とっても」
「ほんと?」
「姉ちゃんに嘘つくかよ」
「……私、偉い?」
「時々エロいな」
「エッ…ロくないよ!?」
「仕草とかだよ! 弟として心配になるくらい無防備だよ!」
「そ、そんなの知らない!」
「自覚しとけよ! ……俺がいなくなったら、姉ちゃんは自分でそーゆの何とかしなくちゃならないんだからよ」
「……いなくなったりしないもん」
「するんだよ。やっぱり、どこまでも馬鹿だなぁ姉ちゃんは」
「むっ」
イラッとしました。私はムカついて、弟のベッドへ入り込みました。
何か弟は言ってますが、私は聞く耳持ちません。本気を出せば、お姉ちゃんが負ける道理がないのです。
……結局、弟、クマ、私という順に、川の字で収まりました。
何やってるんでしょうか私?
「……なあ姉ちゃん」
ベッドに入った私は、今まで忘れていた分、とんでもない眠気に襲われます。
……そういえば、あの時、私の名を呼んだ誰かの正体はまだ分かっていません。もしかすると、弟が泣いてることを教えてくれた、優しい妖精さんかもしれませんね。
「なぁにコーちゃん?」
「……クマだけどさ。本当にありがとな。俺、恥ずかしくて、言えなかったんだけど……おい、ニヤニヤすんなよ。っていうか、よくクマなんて貰えたよな」
「そ、そだね」
1週間という条件を、まだ弟に伝えきれてない私でした。
「明日も、これからも、ずっと……こうして、一緒に眠れたらいいよな。あ、だからニヤニヤすんなって。せっかく俺が弟っぽく可愛らしい事を言ってんのによ」
「そっか。ずっと、一緒にかぁ」
「そーだよ。はい終わり。やっぱり姉ちゃんにこんな事、言うんじゃなかったぜ。絶対に忘れろよな」
……1週間という条件を、もっと弟に伝えられなくなった私でした。正確には明日になると返さなくちゃならないという事を。
「忘れても、いいの?」
「いいって言ってんだろ。ほら、お休み姉ちゃん。瞼閉じて羊数えてな」
「……んぅ」
弟の言葉に甘えてもいいんでしょうか? こんな事を考えてしまう辺りで、私は、どこまでもダメなお姉ちゃんですね。
◇◇◇◇◇
クマを預かり5日目。目が覚めると、目の前にはお母さんの顔がありました。
「おはようミリア」
「ん……おは……よう?」
頭がはっきりとしません。ですから、おかしいと気づいたのは欠伸をしてからです。
そういえば私、昨日、どこで寝たっけ?
自分の顔が赤くなるのを実感しました。恥ずかしい恥ずかしい。真夜中のテンションは私を大胆にさせるようです。しかもそれを、あろう事かお母さんにバレてしまいました。って、よくよく見ればすぐ隣にお父さんもいるではありませんか。
穴があったら入りたい。
「うぅ……」と、私は呻きながら、ふと、弟を見ました。弟はまだ眠っているようです。もしも、ここで弟に起きられては私の羞恥心が限界突破します。
早くベッドから抜け出そうとーーそこまで考えて、もう一度、弟を見ました。
……寝むっていますね。
ぐっすりと。
寝息1つ立てずに。
『明日も、これからも、ずっと……こうして、一緒に眠れたらいいよな。あ、だからニヤニヤすんなって。せっかく俺が弟っぽく可愛らしい事を言ってんのによ』
『そーだよ。はい終わり。やっぱり姉ちゃんにこんな事、言うんじゃなかったぜ。絶対に忘れろよな』
ーー昨日の夜の、弟のあの言葉が、鮮明に思い出されます。
……コーちゃんが忘れちゃったんだね。ずっと一緒にっていう言葉を。だから1人で、寝ているのかな。ずっと……ずぅっ……と。いつまでも、いつまでも。
バカなのは、コーちゃんだよ。私は絶対、忘れないんだから。
ーー弟が起きてくる事は、もう、なかった