閑話 「ドアも開いてないのに、風が吹くかよ」
◇◇◇◇◇
『お前もよ』
あの日、黒薔薇姫が放った言葉に、どれほどの意味が込められていたのか分からない。そもそもあの言葉が、本当に自分へ向けられたものかも分からない。
分からない……分からない。
コーイチは分からない。何故、どうして、自分はぬいぐるみなのか……人間だった頃なら、あの時守れていたはず。姉の前にその身を投げ出し……人間だった頃なら頭を撫でられ、嫌がり、笑われ……人間だった頃なら……
◇◇◇◇◇
『動けよっ!!』
その日はミリアが母の誕生日プレゼントを、人形師の桜・メリーゴールドと相談していた。
人間のミリアにコーイチの叫びは聞こえない。聞いているとすればそれはピンクのクマと、それに……性格の悪そうなピエロ野郎。
「なあクマちゃん、カルシウム不足のコーちゃんがなんか怒ってるぞ。牛乳飲ませろ」
『そんな!? 自分、この体が牛乳くさくなるのは好みません!』
「それもそうだな。うん、僕が間違っていた。ならばどうしよう。僕はマスターの話を聞いていたいのに、コーちゃんが邪魔をする。ひとまずこいつを黙らせる方法を考えないとな……」
コーイチはイライラする。目の前の茶番劇が、今まではなあなあで過ごせていたというのに、先日の一件からどうも見過ごせない。
『俺は! 俺は、真剣に考えてるんだ……動きたいって思うくらい普通だろ!』
「ぬいぐるみは動かないって」
『お前動いてんじゃん!』
「努力あるのみ、だ」
『……俺が、努力不足って言いたいのか』
「違うのか?」
違う……とは、言い切れない。そもそも努力の仕方が分からない。ぬいぐるみの動かし方など、見当もつかない。
『大体お前が動いてくれればそれでいいんだろ? なんで、俺の言うこと聞いてくれないんだよ』
『だから自分、ぬいぐるみですし』
『ちょっとくらいいいだろ!』
だめだった。自分の意見は通じない。ぬいぐるみに、人形に、人間である自分の心など分かりもしない。
あぁ……
どうしようもない怒りは、何のきっかけもなく、ふと収まり。代わりに残ったものは後悔。
それだけは思ってはならない事を、例え思っても口に出してはならなかった事を、少年は呟いた。それがどれほどの意味を持つのかを考慮するに、少年は幼すぎた。
『死んでれば良かったんだ』
ぬいぐるみの体などいらない。
『こんな事なら、俺はあのまま、死んでれば良かったんだ』
動けもしない体など、意味はない。
『何で俺は、ピンクのクマなんだよっっ!』
コーイチは存在しない肺から空気が抜けて、肩で息をする。連続的に漏れる吐息が、静かな店内に響く。
「へえ、死にたかったのか?」
スマイルの声で理解した。軽い雰囲気だが、彼は怒っていると、コーイチはそれくらいは分かった。
怖い。リアルに感じる死が怖い。1度死んだはずなのに、やはり怖いものは怖い。だが……それでよかった。今から自分がどうなろうと、どうでもよかった。
もう……疲れーー
ーーその時だった。
「コーちゃんの誕生日プレゼントはもう決まってありますよ」
愛する姉の言葉。聞き間違いかと自分のフワフワした耳を疑ったが、メリーとミリアは、確かにコーイチの話をしていた。
「へえ、死人が喜ぶのかな」
「それは……分からないですけど、でも大丈夫です! 私、コーちゃんの好きな物なら誰よりも知ってますから! 知り尽くしていますから! きっと喜ぶと思います!」
「そういう意味じゃなくて……ま、いいや。君はやっぱり優しいね」
「え? ……えっと、よく分からないですけど、人に優しいって言える、メリーさんはもっと優しいと思います」
「そっか。なら、私達は似た者同士だね」
「そう、ですかね……えへへぇ」
「誕生日プレゼント、誰にも内緒にしておくんだよ。誰にもーー母にも、父にも、一応クマにも、うっかり漏らさないようにね」
「もちろんですよ……えへへぇ。似た者同士……えへへぇ」
「……」
誕生日プレゼント? 死んだ自分への?
言い知れぬ何かが、胸の中で膨らみ、膨らみ、膨らみ、胸いっぱいにそれが広がったあと、コーイチは心の中で涙した。
そこへ、もう一度スマイルの言葉が繰り返された。
「本当に、死にたかったのか?」
『っ……』
普段なら、もう死んでるわ! なんて返せたりもしたけれど。
『俺っ……俺、まだ姉ちゃんといたいっ……! 嫌だよ。死にたくなんかない。死にたいはずないだろ! 生きたいに決まってんじゃんか! 』
そういえばそうだった。今も姉は、自分を抱きしめてくれる。こっそり学校にだって連れてってくれる。時々は汚れを落とすためにお風呂なんかも、寝る時も、ずっとずっと……そばにいてくれている。一心同体である熊次郎に文句を言いながらも、幸せを感じていたのは、確かだった。
忘れてはならない事なのに。全部を捨てようとした自分が憎い。ちょっと不甲斐ないからって、弱いからって、結局は逃げようとしただけではないか。
「耐えろよコーちゃん。男だろ」
何の気まぐれか。普段は生意気で偉そうな人形が、今だけは優しげな声を出した。
「誕生日プレゼント、気になるな」
『うんっ……ゔん!』
スマイルの優しさに触れ、もしかしたらこの男の本来は、こんな風に温かみを感じる事のできる奴なのかと……
少しでも思ったコーイチは、すぐに自分の愚かさを殴りたくなった。
「でもまあ、やっぱりマスターの言う通り、死人にまで誕生日プレゼントを考えるっておかしいな。お前の姉って意外と変なところ多いよなぁ」
『ーー俺の姉ちゃん』
「ん?」
『俺の姉ちゃんを馬鹿にすんじゃねえ!』
感情のままにコーイチはスマイルを殴りかかろうとしてーー遅れながら自分が動けない事に気付きーーしかしピンクのクマは、その場で倒れた。
ーーコテン。
そんな可愛らしい音と共に。
『……あれ?』
『一応言っておきますけど、自分、なんにもしてないっすから』
「ふっ、やはり僕の言う通り。努力あるのみ、だな」
ぬいぐるみと人形の言葉が耳に入ってこない。ただひとつ、動いたという事実だけが、コーイチの頭の中で繰り返された。
「おや、コケちゃってるね」
「え……ああ! クマさん!」
「いいよ。私が直す」
動いた。動いた動いた動いた!よっしゃ踊ってやる! あれ、動かないぞ。いや今動いたんだから出来る! 俺は踊れる! タップダンスだ!
今のコーイチは、ちょっと馬鹿だった。
「幽霊でもいたんですかね? ここ、ちょっと怖いですから、幽霊くらいいそうですし」
「失礼な……風でも吹いたのかもよ」
メリーが意地悪くそんな事を言いながらピンクのクマを元に戻してーー馬鹿になっていたコーイチは、冷水をかけられたように、すぅ……と冷静になる。
え? 動いたの風? 踊れない? 風吹かないと踊れない? ……そんなぁ。
がっくし。正にそういう音が出そうなほど、ピンクのクマに影がさす。
……落ち込むコーイチに、スマイルの声など、聞こえはしなかった。
◇◇◇◇◇
それから1ヶ月後、コーイチの部屋にはピンクのクマと、そして誕生日プレゼントである黄色のクマが並んでいた。
コーイチの父は、それを見て思わず笑ってしまったという。無理もない。黄色のクマには、こんなタグが貼られてあったのだそうだ。
“コーちゃんの彼女”
『よ、よ、余計なお世話だぁーー!!』
『あ、自分熊次郎です、よろしくお願いします』
『あ、おいらは熊三郎です、よろしくお願いします』
『男じゃねえかぁーー!!』
自分こそ彼氏を見つけろと叫びたかったコーイチだったが、何はともあれ、この部屋の中をスマイルはこう語るだろう。
また騒がしくなった……と。




