ところでマスターのクッキー食べたい
◇◇◇◇◇
そもそも、どうして僕が4年という月日を傍観の立場で過ごしながら、今更のようにあちらこちらへと動き始めたのか。全ての元凶はこいつである。
その日もリトル・リドル・ドールズへ物好きなお客がやって来たーー否。そいつはお客ではなく、ただのオスだった。
『私の名前はフンベルト・ジ・フォルゲン! 愛を込めてフォールと呼んでほしい。そして是非、君の名も私に教えてはくれないだろうか』
(嫌悪感を込めて)フールと呼ぶ。
フールは人形になど目もくれず、ただマスターの元へ近寄った。僕はそのとき見えなかったので、想像の範疇だが、多分気持ち悪いくらい近づいていたんだろうと思う。心優しいマスターはそういうところで怒らないから歯がゆい。
マスターは何も喋らなかった。これも想像に過ぎないが、多分明日のデザートなんかを考えていたんだろう。フールはそれを照れとでも受け取ったのか、上機嫌にペラペラと話を再開する。
『おっとすまない。これは私の配慮不足だったね。みなまで言うな。実を言うと既に調べてあるんだ。爺やは優秀でね。
ーー名前、桜・メリーゴールド。うむ、素晴らしい名前だ。隠しきれない高貴な魅力が溢れている。
そして……歳、14、正確には不明。これは驚いたよ。聞いたところによると君の美しさは、最低でも4年ほど前から不変のものらしい。私は神に感謝したよ。私に完璧な美を与えてくれてありがとう、と。
ふむ、次は……このお店かな。リトル・リドル・ドールズ。考えてみれば当たり前なのだが、この店のオーナーは君ではなかったらしいね。約6年前、元オーナーが急死して、それかは一年の空白を起き、5年前に人形店を再開してある。さぞかし苦労しただろう。しかし! 私に任せてくれれば万事が安心!』
なーにが安心だ。100パーセント根拠のない発言に感心してしまう。
『結論を言って、君の事を調べようにも、謎が多すぎて爺やはほとほと困り果てていたよ。あんな爺やを見るのは……まあ、いつもの事だけど。しかし! そのミステリアスなところも私は愛そう!』
『……決めた。ケーキ、だね』
『あっはーは! そうだね! 式を挙げれば愛と砂糖の詰まったウエディングケーキを用意しよう!
……んん? いけないね。どうも話が飛躍しすぎてしまったらしい。
さて、と。今日はこう伝えに来たのだったよ。桜・メリーゴールド。私は君と将来を誓ったお付き合いをしたいと思う』
『……あ、アップルパイもすてがたい……悩みどころですね』
『おぅ!! ならば仕方ない! 私は君の返事を待つさ。ご両親とも相談をした方がいいだろうから、また、1ヶ月後にお会いするとしよう愛しの君よ』
こうして、明らかに話を聞いていなかったマスターと、自意識過剰なフールは、ろくにコミニュケーションもとれず、その日は終わり。唯一、全容を知ってる僕が何とかしなければと、遂に人形の体を動かしたのだ。
間にミリアとコーちゃんの話が割り込んだものの、僕の目的は当初から一切変わっていない。目標はマスターとお風呂に入る事だけど。目的は、マスターの邪魔になるであろうフールを排除する事。
そして時系列は今日に戻り、フールがマスターへプロポーズの返事を待っている時。僕は決心する。
今日の夜、決行だーーと。
◇◇◇◇◇
「さあ! この私に返事を聞かせておくれ! ハイか! イエスか!?
そのどちらでも僕は構わないよ!」
少なくともテンションがハイなのはお前1人だ。ミリアちゃんを見てみろ。目が覚めたのか、愚か者の愚かさに引いている。明らかに不審者を見る目つきだ。
「ど、どうするんですかメリーさん」
「ん? えーと、そうかもね」
「……話、聞いてないんですね」
「クッキーまだあるよ。はい」
「あ、はい、いただきます」
ミリアちゃんもマスターの事は諦めたらしい。そしてマスターのことを見習う事にしたらしい。クッキーを食べると、フールを無視して女子会を再開した。
女とは、強かなものである。
「ん? 返事が聞こえない……何たることだ! まさかまだ迷いがあるとは」
ここまでくると、マスターはともかくフールの態度もわざとらしく感じるが、まあ本気なんだろうな。
この世の終わりかという程、絶望の表情を浮かべたフールは、ミリアが学校の話をマスターにする頃、何かの決心がついた様に店を出る。
入り口にいた僕には聞こえた。
愚か者の戯言を。
「これが神の試練だというのなら、私は神すら越えてみせよう……!」
何言っちゃってるんだこいつ。
本来ならツッコミ役のコーちゃんも呆然としているのか、ピンクのクマは喋らない。
ーー神の試練?
はんっ。そんなの、悪魔の悪戯にでも変えてやる。自分でやるのはともかく、他人の茶番には付き合っていられない。
やってやろうじゃないか。この僕が、面白おかしく……怖ろしく。
『悪い人でも、なさそうですけどねぇ』
そんな、クマちゃんの正しいかもしれない言葉は、マスターの為に暴走する僕の心には、これっぽっちも響かなかった。
悪い人だろうといい人だろうと、そこにこれといって差異はない。悪い蝿と良い蝿、例えそんな蝿がいたとすれば、どちらも叩かれる運命に変わりがないように。




