Secret dark hero -1-
それは、暗い暗い夜のことだった。 その夜の闇と同じくらいに真っ黒で、何もない私の小さな心は、孤独と憎しみと怒りと嘆きで押しつぶされそうになっていた。
「なんで……私達がこうならなくちゃいけないの?」
暗い夜空に、流れ星が1つ落ちる。 私の涙も落ちる。 希望も堕ちる。 神様でも、悪魔でも、何でもいい。 もしも、もしも今願いを叶えてくれるのなら……
-----3年後-----
「ありがとうございましたー」
駅前の、ごくありふれたスーパーマーケットのレジ。 そこが私、宮本愛華の仕事場である。
私のお母さんは5年前、通り魔に刺されて死んでしまった。 最初こそ悲しくて、犯人が憎くて、毎日孤児院で泣いていた。 けど、私には2人の妹がいる。 私は長女だ。 だから働けない2人のために生活費と学費を稼ぐため、夜中までぶっ通しで“仕事”をする。 そうやって、私はこれまで2人を守ってきた。
それが、お母さんとの最期の約束だから。
「愛華ちゃん、交代の時間だよ」
「わかりました先輩。 お先に失礼します」
午後7時、私の仕事時間が終わった。 交代する先輩ににっこりと笑ってお辞儀をした後、足早にスーパーを出る。
「さて……始めますか」
私は路地裏に隠れると、静かに目を閉じた。 そして、頭に思い浮かべる。 “完全犯罪をこなす殺し屋”(もう一つの私の姿)を。
目を開け、ちょうどそこにあった窓ガラスで私の姿を見ると、もう黒髪眼鏡の中学生宮本愛華ではない。 黒いタキシードで身を包み、白と黒だけで塗られた薄気味の悪い仮面をかぶった殺し屋がそこにいた。
「今日は随分早い登場だな、愛華」
その声の主は背後にいる。 黒いマントを羽織り、フードで顔を隠す青年。 彼は……悪魔だ。
「殺し屋の時はその名前で呼ぶなと言っただろう? 今の私は愛華ではないんだからな」
「これは失礼、“マジックキラーのルナ”」
「その二つ名もあまり気に入らないんだ。 厨二病をこじらせたみたいでさ」
「そうか、俺は人間が考えたにしてはいい名前だと思っているが?」
わざとらしく言うと悪魔はにたりと笑った。 顔を隠していても、口元だけはわかる。 この悪魔はいつもは無表情で淡々と話すのに、時々こうからかっては気味悪く笑うときがある。 まあもう慣れちゃったけど。
「今夜は依頼された時間が早かったんだ。 これ」
私は胸元のポケットから依頼書を取り出すと悪魔に投げた。
「依頼主は小川良太。 殺してほしい相手は坂井則之。 午後10時のパーティー会場で自分の目に見えるところで殺してほしい……か。 随分と悪趣味だな」
「私も殺せればそれだけでいいんだけど、条件付きのほうが報酬は弾むからな」
私はため息をついて、パーティー会場に向かうことにした。
午後9時30分 会場到着
依頼主と最終打ち合わせを行った後、計画の実行に移る。 ターゲットの確認も済んだ。 ここで私は、“影の薄いこの会場のウェイトレス”の私を頭に思い浮かべて目を閉じる。 目を開けるころには私の格好はウェイトレスになっている。 この会場の仕事の仕方、他の従業員の名前、この会場の設計など、必要な情報が入り込んできた。 私は一番気づかれない最短ルートを選んで、ターゲットに近づいた。
午後9時50分 依頼時間まであと10分
私はターゲットに近づき、睡眠薬の入ったワインを注いでやった。 これで準備は完了だ。
午後9時59分 依頼時間まであと1分
そろそろ睡眠薬が効いてくるころ。 結構大量に入れたから、かなり眠気が来てまともに歩けないはずだ。 ターゲットはなぜか依頼者に近づいて何かを言っている。 これは予想外だったが仕方ない。 私は陰に隠れ、銃を構える。
5……4……3……2……1……
「ゼロ」
----------パァン!!
午後10時00分 依頼時間
依頼の遂行を果たした。 ターゲットは死亡、しかも依頼者の目の前で。 周りからは悲鳴が上がり、会場は大パニックになっている。 そんな中、依頼者は何とも言えない表情を浮かべていた。 笑っているのか、青ざめているのかわからない。 私はタキシード姿に戻り、こっそりと依頼者に近づきニヤリと笑ってこう囁いた。
「お望みの世界は創れたかな?」
これが売り文句と言ったところだろうか。 依頼者は少し間をおいて、私の手に報酬の入った封筒を握らせた。
「どうも」
私は依頼者の元を去った。 あとは知ったこっちゃない。
「今日もうまくいった……かな」
“宮本愛華”の姿に戻ると、私は深くため息をついた。 3年前から殺し屋をやっているから罪悪感とかは当の昔に捨てたけど、殺した後のこの倦怠感はいつまでも消えない。 普通の殺し屋だったら快楽を覚えたり、金が手に入ると歓喜しているのだろうけど……。
「まだなりきれていない、ってことかな」
いつの間にか隣にいた悪魔はいなくなっていた。 あの悪魔は放浪癖みたいなものがあるようで、しょっちゅう主である私の元からいなくなる。 まあ、仕事するとき以外は特に行動おこさないから別にいいんだけど。
家に帰るのは真夜中だ。 今日は早いけど。 家にはもう明かりはついていない。 私は玄関の鍵を開け、中にいる妹たちに気づかれないようにそっとドアを開けると、壁をつたいながら廊下の電気をつけた。
妹たちはこの時間は既に夢の中だから、気づかれないようにしないといけない。 返り血とかも洗わないといけないしね。
洗濯機を回しに洗面所へ行こうとすると、『れお・さあや』と書かれたプレートがかけられたドアの隙間からスタンドの淡い光が漏れていた。 消しに行こうとドアを開け、部屋に入ると、妹たちが2人仲良く並んですやすやと眠っていた。 2人の手には『月のおおかみ』の絵本の両端が握られていた。
「読んだまま眠っちゃったのかな……」
2人が仲良く絵本を読みあいっこしている姿を思い浮かべると、なんだかほほえましくなってしまった。 同時に、そこに私が入れたらどれだけ幸せなんだろうな……とも思った。
「玲央、紗綾……ごめんね」
涙をぬぐって2人の頭をなで、スタンドの電気を消して部屋を後にした。
2人だけは……2人だけには不幸な思いはさせたくない。 こんな思いは私だけで十分。 2人には幸せになってほしい。
午前2時20分、紗綾は目を覚ました。 そろそろあのお兄ちゃんが来るころだから。
「あ……きた!」
紗綾がにっこりと笑顔を向けた先には、黒いフードをかぶった……あの悪魔がいた。 悪魔は部屋の隅に立ちすくむだけで、紗綾に近づこうとはしない。
「お兄ちゃん、今日も遊びに来てくれたの?」
紗綾は目を輝かせ、悪魔に近寄っていく。
「遊びに来ているわけではないんだが」
「また今日もお話ししようよ!」
「だから俺は……」
「きーまり! じゃあ私お兄ちゃんの隣に行く!」
「……」
悪魔はこれ以上言っても無駄だと判断し、紗綾と話すことにした。 これだから餓鬼は苦手なんだと、愚痴をこぼしながらも、その悪魔の表情はどこか穏やかだった。
「そういえば今日ね、お姉ちゃんが頭なでてくれたんだよ!」
「貴様の姉貴は夜まで仕事にいっているはずだ」
「よく知ってるね! だけど、今日は早かったみたいなんだ! 寝ぼけてたからうろ覚えだけど、優しく頭なでてくれたの! 起きていればよかったなー」
「そうか……」
紗綾の話を、悪魔が淡々と聞く。 というか聞き流す。 それが紗綾と悪魔の日課になりつつあった。 どうやら紗綾は目の前にいるのが悪魔だと気付いていないようで、それどころか愛華の知り合いだと勘違いしていたのだ。
「そういえばお兄ちゃん」
「なんだ」
「お兄ちゃんって愛姉のお仕事知ってる?」
「スーパーのレジだ」
「れじって、おさかなさん切ったりするの?」
「切るわけないだろう」
「じゃあ、愛姉なんで血つけてたの? さっきなでてくれたとき、うっすらと見えたんだけど……」
「……さあな」
悪魔は真実を紗綾に話すことはしなかった。 それが愛華との契約だから。 仮に契約内容に『妹たちに契約に関することは話さない』というものがなかったら、彼は話していただろう。
「絵の具でもついていたんじゃないか」
「そうかな……」
その時だった。
「紗綾……誰と話しているの」