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「や、ミューンさん。体はもう大丈夫…じゃなさそうだね。」
ゼクトが入室するや、司令は愛想良く話を切り出そうとして失敗した。
「腕怪我してたっけ? 胸だけだと思ったけど。」
司令の視線がギプスで固定された右腕に注がれているのに気付き、ゼクトは答えた。
『武器の所持は禁止と言われたのでな。俺の腕は剣になる。』
「いや、君のは仕方ないでしょ。医務室の先生がやったの、それ。」
『俺が頼んだ。何もせんよりはマシだろう。』
「律義だねー。そんな固く考えなくていいのに。」
『けじめだ。それに左の方は見逃してもらっている。』
「左って何だっけ?」
『鉤爪だ。親指以外の中手骨が変形する。』
「へー…、ってこんなこと話してる場合じゃない!」
司令は緩い方向に脱線しそうになる話題を慌てて軌道修正し、
「あのさ、昨日の今日でナンだけど君、ウチの基地に就職する気ない?」
緊張感のなさはそのままで重大事項を提示した。
ゼクトは思わず相手の顔を凝視した。自分は確かにこの男に身柄を預けた。だからと言って、つい昨日異世界から紛れ込んだばかりの得体の知れない生き物を部下にするなど、短慮に過ぎるのではあるまいか。
『お前の一存で決定できるのか? 上層部に報告は?』
一応常識的な線から確認してみる。
「したよ。あと40分ほどで本部のお偉いさんが返事をしにくる…と思う。」
『許可は下りていないんだな。』
「許可なんか下りないよ。このまま何もしなければ君は十中八九、本部に連れてかれて実験され倒すか、戦いの道具にされた挙句使い捨てられるか、だ。今までの異能の流され人がそうだったようにね。」
この青年は冷めた観察眼と同時に、妙な人情味も持ち併せているようだ。頬が自嘲とも嫌悪ともつかない形に歪む。
『別に構わん。』
ゼクトにとっては予想の、そして許容の範囲内だった。彼自身、一般の規格から外れた力は厳重に管理されるか、排除されるべきだと考えている。それが、全体を守るために必要な副作用のようなものであると。
達観しきったその様子に、司令は不機嫌を露わにした。
「構うよ。何、その自己犠牲精神。『私一人が我慢すれば全部丸く収まります』って? そんな訳ないでしょ。世間をナメてんの?」
経験したことがある反応だったので、ゼクトは淡々と返した。
『舐めてなどいない。事実を言っているだけだ。俺は異物なのだろう。』
「だから何されてもいいっての。」
『それがお前達の仕事ならば。』
途端、司令の顔に「ニヤリ」と音が出そうな笑みが広がった。
「なら、君のその力をこの基地の『仕事』に使ってもいいよね。ウチ今、深刻な人手不足なんだ。」
「司令、一体何を」
「中佐は黙ってて。」
たまらず話を遮ろうとした副官を、司令は鋭い視線で制した。口調は変わっていないのに、別人のような雰囲気がその場の温度を奪い去る。
「おかしいと思わなかった? 何でクープラント大尉が僕らに連絡も応援要請もしなかったのか。」
ゼクトが敢えて口に出さなかった疑問が持ち出される。彼は頷くことで同意を示し、先を促した。
「余計な犠牲を出したくなかったからだよ。異物の中でもレベルEは破格なんだ。普通は専門の特殊部隊が処理に当たる。だけどウチにはそういう部門はないから、通常兵士の人海戦術に頼るしかない。レベルEが19体ともなれば最低一個中隊は必要になる。それで良くて相討ちだ。」
ゼクトの耳にメシエの沈んだ声が蘇った。
―― 近くに基地はあるが、応援を頼める同僚はいなかったから…
ある事実がするりと輪郭を現した。
『この世界は危機に瀕している訳ではないと言ったな。』
「うん。『この世界』はね。」
『危機的なのはこの基地か…』
「おじさん、やっぱり頭いいね。」
ゼクトは苦いため息をついた。どうも彼はこういう星の下に生まれついたらしい。聞きたいことは色々あったが、今は決断を下すべき時だと感じた。
『…俺が加われば、少しは楽になるのか?』
この青年やメシエの負担を減らせるのだろうか。
「すごく楽になる。」
『お前の立場は?』
「心配ないよ。流され人の処遇の決定権は保護した基地の責任者、つまり僕にある。」
選択肢など始めから無かったのだ。それでもゼクトはこの全く悪びれない司令を恨む気にはなれなかった。
『ならば…受けよう。』
司令の表情が今度は青年らしく明るく綻んだ。
時空安定維持機構・統合作戦本部参謀総長パウノレッセンは殊更ゆっくりと応接室の椅子に腰かけた。動作だけでも寛大さを意識していないと、うっかり机を蹴倒してしまいそうだ。
流刑地とあだ名されるこの辺境の基地をわざわざ訪れたと言うのに、到着した瞬間から職員の態度はすこぶる芳しくない。輸送機を降りてからやっと出迎えが走ってくるなど、軍人、いや社会人として有り得べからざる失態だ。責任者の人格が疑われる。
その責任者・デュフリ准将と言えば、巷では少なからず名の知られた存在だ。3年前の副都崩落の際、ほとんど犠牲を出さずに市民を避難させた鮮やかな采配は、“奇跡の脱出劇”として語り草になっている。功績で若くして准将に昇進したものの、時の市長の汚職を容赦ないやり方で告発したため、上層部に煙たがられて実質上左遷されたという経歴を持つ。
若者にありがちな青臭い正義感の持ち主かと思っていたが、実際に会ってみるとそんな可愛らしいものではなかった。案内される間に交わした会話は、お手本通りでないにも関わらず全くそつがなく、魑魅魍魎が跋扈する中央で生き残ってきた参謀総長にさえ、底を読ませない。
パウノレッセンは一拍間を置いてから切り出した。
「単刀直入に言おう。この基地で昨日保護した流され人を引き渡して欲しい。」
訪問の詳細を事前に伝えていなかったとは言え、報告を上げた時点で予想された要求である。用件はすぐに片付くだろうと考えていた。
「お断り申し上げます。」
彼の読みをデュフリはにこやかに裏切った。
「何だと? 本部の要請だぞ。」
パウノレッセンの声が大きくなる。気の短さに内心呆れながら、デュフリは続けた。
「本官には流され人の身柄を保護する義務があります。」
「我々が流され人を害するとでも言うのか!」
音量がまた一段増す。
「そのようなつもりは…。ですが、本人が当基地への帰属を希望しているのです。意思は尊重すべきです。」
「状況にもよるだろう。報告では生体兵器以上の戦闘能力を持っているという話ではないか。そんな危険分子を貴官の一存に委ねる訳にはいかん。」
「彼と面談した結果、危険分子にはなり得ないと判断しました。」
「そんなことが簡単に判るものか! もし問題を起こしたら、どう責任を取るつもりだ?」
パウノレッセンは堪忍袋の緒が切れたらしく、ついに机を叩いて立ち上がった。
デュフリは腰かけたまま飄々と答えた。
「本官一人の首ならいくらでも差し出しますが、彼が反乱でも起こしたら、その程度じゃ済まないでしょうね。」
「ならば尚更、本部の管理下に置くべきではないか!」
「同じ事ですよ。生体兵器レベルの者が本気を出したら、どう転んだところで甚大な被害が出ます。むしろ本部の施設や人材が失われる方が深刻だと思われませんか。」
歯に衣着せぬ言い方だが、的を得ている。パウノレッセンは言葉に詰まった。
「まあ、ご心配には及びませんよ。彼…ゼクトミューンは善良かつ優秀な軍人です。間違っても同胞や一般人に危害を加えることはありません。」
デュフリはいっそ晴れやかなまでに断言した。パウノレッセンは再び激昂する。
「信じられん! 何の根拠もなしに本部が納得すると思うのか?!」
「根拠とおっしゃられても…、こればっかりは客観的な数値とかで表現できるものじゃありませんしねえ。とりあえず本官を信じていただくしか。」
「思い上がるな! 貴官にそんな感情論を通す権限はない!」
「ありますよ。先程から申し上げているでしょう、本官には『流され人の身柄を保護する義務がある』と。彼が自主的に従う以上、本基地に留め置くことは本官の『義務』です。権限と同等、いや、それ以上の強制力があると判断します。」
反論することはできなかった。なぜならこういった論法は、参謀総長たるパウノレッセンが常日頃から用いているからだ。否定は自身の首を絞める結果につながる。
―― 人当たりの良い笑顔の下に刃を潜ませる、それがデュフリという男だ
パウノレッセンの脳裏に同僚の呟きが蘇る。
込められる限りの憎悪を眼光に乗せて睨みつけるが、デュフリは怯みもしなかった。
「本部の納得はともかく、手続きは必要でしょう。『バランサー』入隊に必要な誓約書を作成しました。彼に今、署名をしてもらいます。」
副官に合図し、ゼクトミューンを呼ぶ。
ゼクトは隣室に控え、今までの交渉を聞いていた。緊張で顔色を失くしている副官の肩に手を置き、ゆっくりと頷く。副官は一瞬、泣き出しそうに瞳を泳がせたが、唇を噛んで持ちこたえた。
参謀総長は、入室してきた“流され人”の異相に息を呑んだ。外見だけで実力は測れないと言うが、この異世界人に関しては見た目だけもで充分な威圧だ。
ゼクトは構わず、己のなすべきことを実行した。
まず、参謀総長の心理を探査する。
(……悪意の度が過ぎる。)
『脳干渉』を発動し、彼の扁桃体を操作。生態系の上位に位置する捕食者への本能的な恐怖と回避を、デュフリとこの基地に対して刻ませる。決して害を及ぼすことができないように。哀れな弱者は我が身に起こったことに気付きもしないだろう。
それから誓約書にサインする。温和に従順に、あくまでも自発的な行為であることを示す。指先を牙で傷つけ、血判まで押した。
これにはさすがのデュフリも驚いたようだった。それでもゼクトが目を合わせると、内容を確認して自らの承認印を押した。
副官が控えを取り、パウノレッセンに誓約書本紙を手渡した。
パウノレッセンは成す術もなく、反射的に受け取った。
かくして手続きは完了した。
参謀総長の辞去を見送り、執務室に戻った一行は、誰からともなくため息をついた。
それが合図だったかのように、副官が床にへたり込む。
「…椅子に座んなさい、中佐。」
デュフリが腕を引っ張って、ソファに導く。彼女は黙って従った。気丈で冷静な印象が強かっただけに、ゼクトは申し訳ない気持ちになった。
『済まなかった。…本当にあれでよかったのか?』
前半は副官に、残りはデュフリに問いかける。
「よかったんだよ。君のためとかじゃなくて、主に僕と基地のために、ね。だから気にしないでよ。」
デュフリの言い草が心地良いと思ってしまう自分は、存外この状況を気に入っているようだと思う。だから、
「それより、さっき参謀総長に何かしたでしょ?」
返された疑問にも隠さず答えた。
『ああ、少し精神をいじらせてもらった。心配するな、自覚症状も後遺症もない。』
「心配はしてないよ。あの人、殺したって死にそうもないし。だけど君の方こそよかったの?」
ゼクトは、デュフリの言葉の端に滲むものを察し、詫びるように目を伏せた。
『後悔はしていない。あれが俺にできる最善だった。許されるべきことではないのだろうがな。』
「解っててやったんだ。」
『あれは忌むべき禁呪だ。…二度としない。』
言い訳もなく項垂れる長身の偉丈夫に、デュフリは苦笑を洩らした。
「や、責めてるんじゃないんだよ。君、ああいうことするの嫌なんじゃないかと思って。」
『何故そう思う。』
「なぜって…」
この状態でそれを訊くのか。そうつっこみたいのを堪えたのは、この男が本気で解っていないようだったからだ。
「僕らにはやらなかったでしょ?」
その説明すら予想外だったのか、ゼクトは数秒沈思した後、
『…思い付きもしなかった……』
ぼそりと呟いた。
デュフリはがっくりと肩を落とした。